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2005/08/31(水) ヨン様主演映画公開イベントにファン3万人!…全国6カ所で中継
来日中の韓流スター、ペ・ヨンジュン(33)が8月31日、さいたまスーパーアリーナで主演映画「四月の雪」(ホ・ジノ監督、9月17日公開)の公開記念イベントを開催した。会場には韓流スター国内最大となる2万5000人のファンが集結。入場券のないファン3000人もヨン様を一目見ようと会場外に押し寄せた。このほか衛星回線で結んだ全国主要6都市のサテライト会場でも5000人が観覧。“ヨン様祭り”に全国のオバ様ファン合計3万3000人が燃えに燃えた。

 ペンライトとウチワで青一色に埋め尽くされたさいたまスーパーアリーナ。歓喜の声を心地よさそうに聞きながらヨン様は「私はとても幸せです。この大切な思い出は一生忘れません」と愛する“家族”との別れを惜しんだ。

 熱く込み上げるものをグッと我慢しながら、目にはうっすらと感動の涙が。昨年11月の来日時にファンの事故で流した沈痛な涙とは一味も二味も違った。さらにヨン様が「舞台に上がるときに感動して涙をこぼしそうになりました。これから10年間は皆様の愛のおかげで役者としてやっていけそう」と話し、振り向きざまにそっと涙を手でぬぐうと会場のオバ様ファンはみな号泣。歓声が嗚咽の大合唱に変わった。

 この日ヨン様は正午過ぎに会場入り。警察官を含む約600人の警備員を配置する厳戒態勢をとったが、目立った混乱はなかった。3時ジャストに開催されたイベントには約150人の報道陣も集結。ヨン様はアリーナ中央下から舞台装置に乗って、主演映画「四月の雪」で扮した照明ディレクターの格好でさっそうと登場。約50メートルの花道をゆっくりと歩きながらステージにたどり着くと、日本語で「こんにちは。家族の皆さんにとっても会いたかったです」とあいさつ。左手を胸に当てるおなじみのポーズで「家族の皆さんと一緒に時間を過ごせてうれしい」と微笑みかけると、会場は一気に興奮のるつぼと化した。

 その後はホ監督とヒロイン役のソン・イェジン(23)と楽しげにトークショー。ヨン様がファンイベントを行うのは、初来日した昨年4月以来、実に1年4カ月ぶり。会場には日本国内では韓流スター史上最大となる約2万5000人のファンが押し寄せた。

 とくに盛り上がったのは、公式サイトでファンから募集した質問コーナー。「もし3日間休みで、その間に魔法が使えたらどうしますか」という質問には、「透明人間になってみたい。男性が行けない所に行ってみたいから」と恥ずかしげに話し、笑いを誘った。さらに持参したカメラで会場のファンを撮りまくるお茶目な姿も。普段の真面目で礼儀正しい姿とは違う、いたずらっ子的な一面も垣間見せた。イベントは当初の予定を25分もオーバーする大サービス。日本のファンの胸にひと夏の思い出をしっかりと刻み込んだ。

2005/08/30(火) 清原 自由契約へ 極秘会談で巨人通告
巨人の清原和博内野手(38)が球団から来季以降の契約を結ばない方針を伝えられていたことが30日、分かった。系列のスポーツ紙が報じた。清原は31日、都内の病院で左ヒザ半月板の内視鏡手術を受けるが、これに先立ち極秘で球団と会談。現役続行を望む清原に対し、球団側は自由契約の手続きをとることで移籍先を含めた今後の支援などを告げたとみられる。

 今季で巨人との4年契約が切れる清原。その去就が注目されてきたが、球団側がついに判断を下した。来季以降の契約を結ばないという意向を伝えるとともに、現役続行を望む清原に、功労者としての花道を用意するというものだ。

 とまぁ、これは表向きの理由。実際は来季に向けた巨人再建策、はたまた粛正の第1弾だ。すでに、チームは若返りを図っており、人気はあっても、打てない・走れない・守れないと三拍子がそろった清原が、このまま残留しては、その改革に水を差すことは間違いない。

 加えて、清原切りの決定打となったのは、8月4日の広島戦で7番に打順を降格され、怒りの本塁打を放ちながら、出迎えのハイタッチを拒否してチーム内での立場を危うくした一件だ。これにより、首脳陣や現場から球団のもとに現状を憂う声が届けられていたという。

 実は昨年オフも清原はチームにとって戦力外だった。ところが、4年契約を結ぶ際に、本人の承諾がなければトレードは行えない−というノントレード条項があり、それを突きつけ清原は巨人に残留。

 また、退陣が決定的な堀内監督に代わって、新監督を迎えるにあたっても“環境整備”は避けては通れないだろう。清原に続いては、桑田やFA移籍組の江藤など、これからもかつてのビッグネームがターゲットになりそうだ。

 清原の去就についてはこれまで、滝鼻卓雄オーナーが「あれだけ歴史を作った選手ですから手術をきちんと治して現場に復帰してもらいたい」と話しながらも、来季以降の契約の可能性については「契約は別。それはビジネスの問題だから」と言及していた。

 球団のサポートは、まずは清原が来季の復帰をかけて行う31日の手術となる。併せて自由契約の手続きをとり、移籍先を探していく

2005/08/29(月) 最下位決定、落天…去就問題の火元はフロント
ついにというべきか、とうとうというべきなのか−。29日の日本ハム戦で1−2と惜敗。楽天の今季最下位が、決定してしまった。

 「投手陣は2点で踏ん張った。打撃陣にもう少し元気があれば…。ベンチとしては力は出し尽くせたけど、(選手)個人の技量で抑えられた」

 試合後の田尾監督の言葉に力はなかった。8月中での最下位決定に、「(最下位は)いちいち気にしてない。1試合1試合を有意義にしていくだけ」と強調したが、自らの来季去就が白紙となっている状況で、この日の最下位決定は、さすがにこたえたはず。

 晩夏に燃え始めたみちのくのストーブ。だが、今回の騒動には、球界周辺から同情の声が沸き上がっている。「あの戦力で勝てないのは最初からわかってたはずなのにね。それに今回の監督の去就騒動、火元はフロントだから気の毒だよ」(球界関係者)

 8月に入って、急降下が始まったチームの状態に、田尾監督の来季去就を取りざたする声が浮上した。三木谷オーナーは、「監督の去就など総括はシーズンが終わってから」と明言した。

 ところが、23日のオリックス戦で11連敗を喫した後、米田代表が、「田尾監督にやってもらうのが前提だけど、このまま負け続けるようなら策を考えなければいけない」。オーナーがクギをさしていたにもかかわらず、フロント首脳の発言が飛び出したから、一気にストーブに突入した。

 「前提と前置きしても白紙と言っているようなもの。こんな時期に。あれじゃ現場の首脳陣もギクシャクするし、選手のモチベーションも下がる」(球界関係者)

 この日、都内で行われた楽天本社の記者会見で三木谷オーナーは、「野球に関してはノーコメント。シーズンが終わるまでしゃべらない」と改めて口チャック。この姿勢こそ、「全員一丸」で守るべきことだと思うのだが−。

2005/08/28(日) 59歳丸山弁護士100キロマラソン完走
日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ28 愛は地球を救う」で、100キロマラソンに挑んだ丸山和也弁護士(59)が28日夜、東京・日本武道館にゴールした。史上最年長の挑戦だったが、打撲した右ヒザを引きずり、腰痛に襲われながらも25時間41分で完走。来年還暦の“オヤジ”の意地をみせつけた。同番組に集まった寄付金総額は2億9369万3400円に上った。
 「幸せだな〜」。還暦前の大仕事を成し遂げた丸山弁護士の第1声には、喜びと充実感があふれていた。ゴール直前の休憩地点で、加山雄三(68)からエールを送られると、ヒット曲「君といつまでも」にちなんで「いやぁ〜、まだ『(僕は)幸せだな〜』という気分にまではいってないですね」と答えていた。このやりとりにひっかけたユーモアだったが、本音だった。
 残り680メートル地点で、3カ月間、計300キロもの練習を指導してきた坂本雄次トレーナーに代わり、愛娘の鳴(めい)さんが伴走。武道館のゴールには、同局番組「行列のできる法律相談所」で共演する北村晴男弁護士(49)が涙ぐみながら待ち、ライバルが到着すると「幸せな男だ! 」と絶叫。肩車して、祝福してくれた。みんなの笑顔が、丸山弁護士にやってよかったという笑顔を与えた。
 「59歳には無理ですよね」との声に、意地で立ち向かった挑戦だった。しかし、前夜7時すぎの出発時には、不安とつらかった練習を思い出して涙がこぼれた。走りだして約5時間後には、練習中に打撲した右ヒザ、ぎっくり腰をかばううちに左足にも痛みが出てきた。それでも、1度やり始めたことはとことんやるのが信条の熱血漢に、挫折の言葉はなかった。周囲の心配をよそに「痛々しく見えるでしょうが、その方が映像的には効果的なんですよ」などとひょうひょうと答え続け、きちんと時間通りに到着してみせた。それは、全国のオヤジに勇気を与えるゴールでもあった。

■ヨン様、24時間テレビで2000万円寄付
韓国映画「四月の雪」(9月17日公開)で共演した俳優ペ・ヨンジュン(33)とソン・イェジン(23)も、24時間テレビに登場した。28日、来日したソンが日本武道館に駆けつけ、ヨン様のメッセージVTRを届けた。ヨン様の映像は約2分。同番組に2000万円寄付したことが紹介され、ヨン様は「みなさんと心から(チャリティーの)気持ちを分かち合うことができて幸せです」「昨年、アジアのみなさまに不幸なことがたくさん起こりました。苦しんでいる家族たちが勇気と希望を持つことができればうれしいです」などと話した。
 生出演したソンは、韓国語が堪能なSMAP草なぎ剛(31)とトーク。韓国から自分のブタの貯金箱を持参して寄付し「番組に参加できて光栄です。韓国ではブタは幸福を呼ぶ動物といわれます。みなさまの幸せに役立てばうれしいです」とほほ笑んだ。
 ヨン様とソンは30日から9月1日まで、来日イベントを行う。今日29日はヨン様の33歳の誕生日でもあり、ファン待望の「ヨン様ウイーク」となる。

2005/08/27(土) <駒大苫小牧>野球部長、謹慎処分 夏の優勝取り消さず
第87回全国高校野球選手権大会で連覇を果たした駒大苫小牧高校(北海道苫小牧市)で、野球部長(27)による部員への暴力行為が発覚した問題で、日本高校野球連盟(脇村春夫会長)は27日午後、臨時の審議委員会を開き、野球部長について有期の謹慎処分、同校野球部に対し、警告処分相当とするよう、日本学生野球協会審査室に上申することを決めた。また、部員の関与が認められないことから、来春の選抜大会につながる秋の北海道大会への参加は問題ないと判断。10月の秋季国体(岡山)についても出場を認めた。続いて行われた選手権大会の臨時運営委員会では、大会規約などに基づき同校の優勝の取り扱いについて審議されたが、優勝取り消しには当たらないとした。
 ◇10月の秋季国体も出場認める
 審議委などに先立ち、篠原勝昌校長らが大阪市西区の同連盟を訪れ、調査報告書を提出。連盟では報告書に基づき約1時間、篠原校長と小玉章紀副校長、香田誉士史監督に事情聴取を行った。その際、部長に交付した優勝メダルなどが同校から返還された。
 審議委員会では、部長の暴力行為に加え、連盟への報告遅れや外部からの告発による問題表面化などが議論され、部長の2度にわたる生徒への暴力行為が確認された。
 運営委員会では、部長の暴力行為が大会試合規定に違反するかが議論されたが、具体的規定が設けられておらず、さらに選手にその責任を問うことは適当でないとの結論に達した。
 日本高野連の脇村会長は「(明徳義塾に続き)不祥事が重なったことは残念。今後の再発防止に向け、全力を尽くしたい」と話し、同日付で各都道府県連盟会長に対し、「暴力のない高校野球を目指して」と題した通達を送ることを明らかにし、暴力行為の絶滅や不祥事後の迅速な対応などを求めた。


■西口が完全試合逃す 延長戦で快挙ならず

プロ野球西武の西口文也投手(32)は27日、インボイス西武ドームで行われた楽天18回戦で9回まで走者を1人も許さないピッチングをしながら、延長10回、先頭打者の沖原佳典内野手に右前打され、1994年5月18日の槙原寛己(巨人)以来11年ぶり、史上16人目の完全試合はならなかった。試合は延長10回、西武が1−0でサヨナラ勝ちし、西口投手は3年ぶりの完封勝利をマークするとともに、リーグトップに並ぶ16勝目を手にした。
 同投手は2002年8月のロッテ戦で9回2死から中前安打され、無安打無得点試合を逃した。さらに今季も5月13日の巨人との交流戦で9回2死から本塁打され、再びノーヒットノーランを達成できなかった。

2005/08/26(金) 巨人工藤最年長10勝! 打球ヒジ直撃も力投
巨人の工藤公康投手(42)が、またまた快挙達成だ。虎ファンがあふれかえる甲子園で、最年長2ケタ勝利を挙げた。過去最多は大野(広島)が97年、42歳のシーズンに挙げた9勝だった。昨年は通算200勝を達成し、今季も開幕から先発陣入りし、2年連続13度目の2けた勝利で通算211勝。試合途中には打球を受けるハプニングもあったが、気迫で投げ抜いた。若手起用で活路を見いだそうとしている巨人だが、おやじの力は、やっぱり必要なのだ。
 打球が左ヒジに直撃した。マウンドでうずくまる工藤の周りに、ナインが集まる。ベンチに戻り、スプレーでアイシングを施した。心配する首脳陣に、工藤は迷うことなく続投を志願した。5回1死、関本の打球だった。打球は二塁仁志まで跳ね、ニゴロとなった。あと1死で勝利投手の権利を得る。迷いはなかった。
 工藤「4回2/3だったから、絶対もう1人投げたかった。『もう1イニング行きます』と言った。リリーフの人のためにも、できるだけ休ませたいし。(患部はしびれて)ボーっと、しているけど、ベンチでシューとやってもらって、感じは悪くなかった」。
 言葉に、24年間、マウンドを守り続けたプライドがにじむ。前日25日、ジャイアンツ球場で調整していると、背中の故障で離脱中の木佐貫を見つけた。「痛くない部分は筋力アップできるだろ。トレーニングをしろよ」。復帰後の投球のためにも、リハビリだけでは終わるな、と説いた。
 自身も数々の故障をした。その都度、体の仕組みの理解を深め、立ち上がり、マウンドに帰って来た。この日の続投志願も当然のことだった。6回もマウンドに立ち、いきなり142キロを投げた。阿波野投手コーチは「ヒジにチタンが内蔵されているのか」と驚いた。6回3安打無失点。堂々の10勝目だった。史上最年長の2ケタ勝利。歴史に名を刻んだ投球後でも、その笑顔には、当たり前のことをしているだけと書いてあった。
 42歳の力を見せつけた。3回2死二塁、打者は3番シーツ。内角と、弱点の高めを攻め続け、11球を費やし空振り三振に仕留めた。「真っすぐは、ブルペンから悪くなかった。あそこは、ああするしかなかったからね」と、力でねじ伏せた三振を振り返る。圧巻はシーツから始まった。5回の矢野まで5者連続三振。球団トップの号令の下、若返りが叫ばれる中、若手との差を披露した。
 2年連続の13度目の2ケタ勝利。チームは低迷していても、プロの投球を続けると強調する。「ファンの人が、球場に来て良かったと思ってもらえるよう、1戦1戦やるだけだよ」。ヒーローインタビューを終えると、記念のボールを観客席に投げ込むふりだけして、ズボンのポケットにしまった。グラウンドを後にする瞬間まで、工藤はファンを楽しませることを忘れない。

■天国の母に捧げる2発…燕・岩村が喪章&プロ魂みせ4打点

天国の母に捧げるホームラン−。ヤクルト・岩村明憲内野手(26)の母・美千代さん(享年58)が、26日未明に肺がんのため亡くなった。最期に立ち会うことができなかった岩村は、喪章をつけ、試合出場を直訴し、4打数3安打2本塁打で別れを告げた。ホームを踏んだ瞬間、天に向かって指を指した岩村。最愛の母との思いが溢れ返り、試合後は号泣した。〔写真:打ったぞ、おかん見てたか−。七回、この日2本目のホームランを放った岩村は天国の母に向かって、小さく合図を送った〕

 夜空の星になった母親をグラウンドから見上げた。最愛の母・美千代さんへ届けた2本のアーチ。息子に戻った岩村が天国に旅立った母親をそっと本塁から指差した。

 「きょうの三塁打と、2つのホームランは母親が打たせてくれたと思う。今のオレがあるのは母親の存在がほとんど。プロ野球選手として目の前の試合を放棄することはできないし、母親もそんなことは望んでいないと思った」。試合後はあふれる涙に、何度も何度もタオルを目にあてた。ユニホーム姿の男が、号泣した。

 故郷・宇和島から電話が鳴ったのは、この日の午前2時過ぎだった。肺がんのため治療中だった最愛の母が、58歳で息を引き取ったという悲しい知らせ。あまりに突然の最期。ぼう然としたまま、2時間しか眠れなかった。

 それでも人生で最も悲しい日にグラウンドに立つことを選んだ。「覚悟はしていた。死に目にあえないのは辛いけど、おれのやらなくてはいけないことは東京にある。実家に帰るのは甘えだと思って、やめた」

 三回に同点の三塁打を放つと、4−4の五回には勝ち越しの2ラン。そして七回にはバックスクリーンへ2打席連続の23号。4打数3安打4打点。左袖に黒い喪章をつけ打ちまくった。

 母親が経営する美容院の横で、壁あてをして育ったのが岩村の原点。あまりの野球好きに美容院の壁が壊れたというのは、生前の母親が大好きな話だった。がんを知ったのは昨年の6月21日。松山遠征で地元に戻ったときに、医者に告知され、「たばこも吸わないのに、おかんがなんでや!」。病院で絶叫し涙を流した。昨年秋には東京に呼び寄せ、最先端の治療を受けさせたが、今年6月に再入院。6月13日に美幸貴さんと入籍し、息子の幸せな結婚を喜んだ数日後のことだった。

 練習後に報告を受けた若松監督は「何度も“行ってあげなさい”と説得したんだけど、本人が大事な試合だからと言ったから」と話した。

 27日、28日の横浜戦(神宮)にも出場する決意を固めており、試合休日の29日まで宇和島の母親の元には帰れない。それまでは生きている間に素直に伝えられなかった感謝の言葉を白球に込め、最愛の母親を送り出す。

2005/08/25(木) <台風11号>関東各県に大雨警報 空の便や鉄道に乱れ

 強い勢力のまま北上してきた台風11号は25日、自転車並みのゆっくりとしたスピードで東海、関東へと進み、1時間に100ミリの記録的な大雨を降らせた。静岡県を中心に神奈川県などで1万を超える世帯が停電。土砂崩れの恐れがある地域では530世帯以上が避難し、公民館などで夜を明かした。東京駅や上野駅発の夜行列車はすべて運休し、空や海の交通も大きく乱れた。関東各県には相次いで大雨警報が出され、各自治体が警戒態勢を敷いた。
 ■空の便
 国内線は25日朝から羽田空港や愛知県の中部国際空港発着の便を中心に九州から北海道まで広範囲で欠航が相次いだ。日本航空が中部国際のほか関西国際、福岡、札幌発羽田着など31便、全日空では羽田―伊豆諸島航路を中心に27便が欠航し、両社で計7800人に影響が出た。
 ■鉄道
 JR東海道新幹線は、25日午後6時前から静岡県焼津市内にある風速計が規制値の風速30メートルを超えたため、静岡―掛川間で上下線が断続的に運転を見合わせた。東京駅と名古屋駅、新大阪駅では、ホームに止めた新幹線の車両を「列車ホテル」として開放した。
 JR各社によると、東京―熊本・大分間の「はやぶさ・富士」、上野―札幌間の「カシオペア」など夜行列車計27本が運休。中央線の特急は、新宿または松本駅を出発する予定だった上下計14本が運休した。西武鉄道も特急の上下計52本の運休を決めた。つくばエクスプレス(TX、秋葉原―つくば間)は24日の開業から最初の台風に遭遇。社員の約3分の1に当たる150人を勤務終了後も待機させ、通常勤務の50人とともに警戒した。
 ■JR新宿駅
 東京都新宿区のJR新宿駅西口では、風雨が強まる前に帰宅しようと、終業時刻とともに改札口へ直行する会社員らで混雑した。地下通路では作業員が雨漏りの補修に追われ、電光掲示板は一部路線の運休を伝えた。男性会社員は「飲み会が中止になったので、真っすぐ帰ります」と傘を手に改札をくぐった。
 ■船の便
 東海汽船は、東京―大島や八丈島、静岡県の熱海―大島などを結ぶ高速船が、25日の始発から全便欠航したほか、東京と三宅島、大島、八丈島などを結ぶ定期船が欠航。26日も伊豆諸島から東京に向かう定期船は欠航する。高速船は26日午前6時の段階で運航するかどうかを決めるという。
 神奈川県の久里浜と千葉県の金谷を結ぶ東京湾フェリーも25日は全便が欠航した。26日は午前中の便は欠航を予定しているが「午後は天候の回復状況を見て判断する」としている。
 このほか、太平洋フェリーは、午後8時に名古屋を出発する仙台行きの便が欠航したが、仙台―苫小牧便は通常通り運航。26日の便は午前9時に決定する。
 ■箱根
 神奈川県箱根町では2時間に200ミリの猛烈な雨となった。元箱根で民宿を経営する消防団員、飯島一郎さん(45)は「警戒のため、すぐに団の詰め所に来てくれ」と電話を受け車で向かったが、途中の道路が土砂崩れで埋まり、引き返した。「雨と風がひどく、とても出歩ける状態ではない」という。同町湯本の旅館「仙景」(彦田幸雄支配人)では、台風を警戒して4組のキャンセルが出た。夜、従業員数人が玄関前に約20個の土のうを積んで備えた。
 箱根の道路は、スカイラインなどの有料道路を含むすべてが土砂崩れのおそれがあるとして通行止めになった。
 神奈川県箱根町の芦ノ湖では25日午後9時20分ごろ、水位が特別警戒水位の2.6メートルを超えた。同11時50分現在の水位は2.83メートルで、堤防の上端まで約40センチに迫った。県小田原土木事務所は水門3基を開け、早川に湖水を流している。しかし、1時間あたりの水位の上昇が十数センチなのに対し、水門を開けても約6センチしか下がらないため、県小田原水防支部は「状況を見守るしかない」と警戒を強めている。
 ■自主避難
 静岡県焼津市石脇上の東益津公民館には、土砂崩れの恐れがある同市花沢地区の10世帯25人が自主避難し、不安な夜を過ごした。家族8人で避難した無職の男性(74)は、「愛着のある家を離れるのはいやで、不安です。家の方が落ち着いて眠れるので、早く帰りたい」と疲れた様子で話した。
 また、夫婦で避難した主婦(70)は「以前、土砂崩れを経験したことがあるので、崩れる前に避難できて安心した」とほっとした様子だった。避難した人々には、公民館備え付けの毛布が渡され、夕食は地元自治会の役員が弁当を提供した。
 ■都庁
 大雨洪水警報の発令に伴い、東京都は25日午後1時7分、水防本部(本部長=岩永勉・建設局長)を設置し、340人態勢で道路の冠水や河川の増水などの監視を始めた。また、都総合防災部は約50人の災害連絡体制をとり、区市町村の被害状況報告の取りまとめにあたった。
 都内では台風11号の接近に備え、青梅市が同市御岳山の2世帯(5人)に避難勧告を出した。5人は近くにある市の集会所「御岳山ふれあいセンター」に避難した。2世帯の住宅兼宿坊2軒が建つ急傾斜地では、7月の台風7号による土砂崩れの復旧工事が済んでいなかった。

2005/08/24(水) つくばエクスプレス 営業運転始まる 4駅で出発式
茨城県つくば市と東京・秋葉原間(全20駅、58.3キロ)を最速45分で結ぶ「つくばエクスプレス」(略称・TX)の営業運転が24日、始まった。出発式は一番電車に合わせ、つくば、秋葉原など4駅で行われ、沿線の自治体関係者らが新線開業を祝った。
 つくば駅では午前5時7分発の区間快速、秋葉原駅からは同5時半発の普通電車が通勤客らを乗せて出発した。
 TXは女性専用の1両を含む6両編成で、最高時速は130キロ。朝夕の混雑時に1時間当たり16〜12本を運転する。初乗り運賃(3キロまで)は160円。つくば−秋葉原間は1150円。
 TXは東京、埼玉、千葉、茨城など沿線自治体を中心にした第三セクター「首都圏新都市鉄道」(高橋伸和社長)が運営している。
 ◇午前5時半発、一番列車に500人
 秋葉原駅では23日夜から、記念パスネット購入のために並ぶ人の列が続き、午前5時半発の一番列車に400〜500人の鉄道ファンが乗り込んだ。出発前に行われたセレモニーでは、運行する第三セクター・首都圏新都市鉄道の木村誠之専務が「お客様の夢と希望を乗せて走る一番列車です。安全を最優先して確実に運行してください」と、あいさつした。茨城県で限定生産されている新品種のバラ「つくばエクスプレス」の花束が贈られた。
 秋葉原は、古くからの電気街に加え、ゲームやアニメファンが集まるオタク文化の街としても知られる。一方で、再開発に伴い、IT(情報技術)産業の産学連携の拠点として31階建てのビルが3月にオープン。研究施設やベンチャー企業の入居が進んでいる。
 ◇通勤時間半減「もう着いたのか」 同乗ルポ
 1日13万人が見込まれる利用客で、最も開業を待ち望んでいたのが茨城県つくば市から東京都内に通う会社員ら。都心まで2時間以上の通勤時間がわずか45分に軽減するからだ。これまでJR常磐線荒川沖駅(土浦市)までバスに揺られ、特急で上野駅に行き、山手線の浜松町駅まで約2時間半かけて通勤していたつくば市の団体職員、本宮精一さん(56)とともに、記者も通勤時間帯に同乗した。
 「間もなく列車が到着します」。午前6時40分過ぎ、真新しいつくば駅構内にアナウンスが流れると、改札を入ったばかりの本宮さんや通勤客らがホームに向かって走り出した。同45分、列車が到着。本宮さんはドア近くのいすの一角を確保し、ほっとした様子。記者も駆け足で乗り込んだが、座席は既に埋まっていた。同56分に出発。すぐに最高速度の130キロ近くまで加速。本宮さんは「揺れが少ない」と驚き、記者もつり革をつかまなくても平気だった。
 駅から続く約1.3キロのつくばトンネルを抜けると外は田園風景になった。本宮さんは「数年後、沿線は発展するのだろうか」。地元の将来に不安がよぎったようだ。しばらくしてラジオを取り出した。「JRよりも電波が入りやすい。短い通勤時間でも楽しみが出来た」
 次の守谷駅では、ホームには何列も並ぶ通勤客の姿。宅地開発が進む南流山駅では、記者の肩がぶつかり合うほどの通勤客で車内は混雑が増した。
 北千住駅を過ぎ、人の流れが落ち着くと、本宮さんは定期券を取り出した。「(ICチップ内蔵で改札を素通りできる)Suicaではないので、改札口を通るのが面倒」と不満そう。
 同7時41分、秋葉原駅に到着。「もう着いたのか、本当に早い。今日は秋葉原で飲み屋でも開拓しようかな」。帰りの過ごし方を頭に浮かべながら、本宮さんは笑顔で会社に向かっていった。


■北千住駅で30mオーバーラン 

24日午前6時20分ごろ、同日開業した「つくばエクスプレス」の北千住駅で、守谷発秋葉原行き普通列車がホームの停止位置を約30メートルオーバーランして止まった。電車は3分半遅れで同駅を出発、後続電車に影響はなかった。同社は、レール上に塗った潤滑油と当時降っていた雨の影響でスリップしたとみている。

2005/08/23(火) <中学生逮捕>「拳銃を奪おう」と警察官の背中刺す 宮城県
23日午後4時半ごろ、宮城県登米市米山町の宮城県警佐沼署米山駐在所で、角田信芳警部補(57)が、同県石巻市の市立中学校3年生の少年(14)に背中や頭などを数カ所刺された。角田警部補はその場で少年を殺人未遂と公務執行妨害容疑で現行犯逮捕した。角田警部補は重傷を負った。少年は「警察官を殺害して拳銃を奪おうと思った」などと供述しており、動機を詳しく調べる。
 調べでは、少年は刃物を隠し持って「駐在所の仕事を教えてほしい」と午後4時ごろに訪ねて来た。1人で勤務していた角田警部補が駐在所内の地図を示しながら説明していたところ、いきなり背中を刺してきたという。刃物は手作りとみられる。角田警部補は血まみれになりながら、その場で少年を取り押さえて、内線電話で佐沼署に連絡。応援に駆けつけた署員に少年を引き渡した。
 登米市は石巻市の北隣で、合併により今年4月に誕生した。同署は刃物を入手した経緯や駐在所までの足取りなども調べる。また、石巻市では今年5月に河北署の駐在所が留守中に荒らされ、保管庫にあった警棒や手錠が盗まれる事件が起きている。事件は未解決で、佐沼署などは関連を調べる。
 少年の通う中学校の教頭によると、少年は一人っ子で両親と祖母の4人暮らし。「普段はおとなしい。友達もいる」と話す。卓球部に所属し、練習に励んでいた。学校を時々、病欠することもあったが、不登校状態ではなく、成績は中くらいで進学希望だったという。学校は25日まで夏休み。少年は9月3日に予定されている運動会の準備で22日に登校したが、特に変わった様子はなかったという。事件後に両親と連絡をとったところ「本人が家を出たのを知らなかった」と驚いていたという。【棚部秀行、石川忠雄】
 ▽教育評論家の尾木直樹・法政大教授(臨床教育学)の話
 警察の仕事に興味があるという芝居をして、油断させたうえで拳銃を奪おうとしたとすると、頭の回転のいい、大人の心理を読める子どもの姿が浮かぶ。昔なら妄想にとどまっていたものが現実になっていく背景に、ネット社会などの社会的環境があるのは間違いないが、重要なのは、友だちの有無だ。この年ごろは親から自立していく時期だが、依存すべき仲間、友だちの有無が、決定的な意味を持つ。自分を受け止めてくれる話し相手がいなければ、ネットやドラマにひきずられる。
 ▽少年犯罪に詳しい影山任佐・東京工大教授(犯罪精神医学)の話
 顔を知られてしまう危険性や、人のいない駐在所を狙った用意周到さを考えれば、単なるガンマニアが拳銃を奪う目的で行ったものとは思えない。米国コロラド州・コロンバイン高校で起きた銃乱射事件を連想してしまうが、ある覚悟のもとに、拳銃を使って何かをしようとしていたことも考えられる。夏休み終盤という時期も気になる。どうしても学校に行きたくない事情があったのか、いじめや挫折体験の裏返しで夏休み明けの復しゅうの意思を固めていたのか、いずれにしても少年の「心の闇」を受け止めてくれる相手がいなかった可能性が高い。
  ◇  ◇
 少年が警察官を襲って拳銃を奪おうとした事件は過去にもある。98年2月2日未明、東京都江東区亀戸の路上で、公立中学3年の男子生徒(当時15歳)が男性巡査部長をバタフライナイフで襲撃し、強盗殺人未遂容疑などで逮捕された。調べに対して、生徒は「警察官を殺してでも銃が欲しかった」と供述、自宅からはエアガンやガスガンなども見つかった。生徒が通う学校では当時、ナイフの所持が流行していた。
 03年10月18日午後2時40分ごろには、千葉県市原市に住む私立高1年の男子生徒(当時15歳)が、市原署国分寺台交番に包丁2本とナイフ1本を持って押し入り、男性巡査部長を切りつけて銃を奪おうとした。巡査は1発発射し、弾は生徒の左太ももを貫通。生徒は強盗殺人未遂と公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。 
 少年は手作りとみられる刃物を隠し持って「駐在所の仕事を教えてほしい」と午後4時ごろに訪ねて来た。警部補が駐在所内の地図を指し示しながら説明していたところ、いきなり背中を刺してきたという。当時、警部補は1人で勤務中だった。

2005/08/22(月) <高校野球>連覇の駒大苫小牧高で野球部部長が部員に暴力
第87回全国高校野球選手権大会(日本高校野球連盟、朝日新聞社主催)で57年ぶりの連覇を達成した駒大苫小牧高(北海道苫小牧市、篠原勝昌校長)で野球部長(27)が6月、8月の2度にわたり、同一の3年部員に殴るなどの暴力を加えていたことが22日、明らかになった。同校は同日、この部長を謹慎処分とした。同校は保護者からの連絡で今月初旬に事実を把握していながら、日本高野連に報告せず、そのまま出場していた。
 23日に札幌市、苫小牧市の2カ所で予定している優勝報告会は、部長を除いて予定通り出席するという。
 同日夜、会見した篠原校長によると、部長は今年6月2日、同校グラウンドで朝練習をしていた際、3年の部員がミスをしたことに腹を立て、平手で顔などを数回殴ったという。さらに、大会期間中の8月7日、大阪府池田市内の宿舎で、食事をめぐって、この部員を別室に呼び出して、自分のスリッパで頭を殴ったという。
 篠原校長は高野連への報告を怠った理由について「子供の将来を考えて対応が遅れた。粛々と大会が進んでいたので、関係者に迷惑をかけたくなかった」と話している。
 部長は苫小牧駒沢大を卒業後、01年に駒大苫小牧高の事務職員に採用され、同校野球部の副部長に就任。今年4月から教員になり、部長に昇格した。この部長は学校側の聴取に「申し訳ない。体罰的暴力をおかした」と謝罪しているという。
 野球部の暴力をめぐっては、同大会前に明徳義塾高(高知県)が部員の暴力と喫煙が発覚し、同大会出場を辞退した。日本高野連の田名部和裕参事は「(不祥事の報告について)各校には、速やかな対応を求めていただけに残念だ。今後の対応は学校から詳細を聞き協議したい」と話している。
 【メモ】駒大苫小牧 1964年開校の私立校。開校と同時に野球部も創部。夏の甲子園の出場は3年連続5回目。昨夏は決勝で済美(愛媛)を降し、北海道勢初の全国制覇。今年も20日の決勝で京都外大西(京都)を破り、夏の大会では57年ぶりとなる連覇を果たした。アイスホッケーとスピードスケートは強豪。
 ◇トップから襟を正せ
 スポーツジャーナリスト・二宮清純さんの話 暴力行為はあってはならない。野球部のみならず、一部の体育会指導は「少々の暴力はいい」「愛のムチ」という考えが残り、暴力に対する神経がまひしている。今回の大会は、(明徳義塾高の)暴力に始まり(駒苫の)暴力で終わった。事実を速やかに報告しなかった駒大苫小牧高にも批判が集まるだろうが、大切なのは高野連が「暴力追放宣言」を出して、トップから襟を正すことだ。

8月絵日記の続き


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