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2005/06/20(月) 歴史問題、溝埋まらず…日韓首脳会談
小泉首相は20日午後(日本時間同)、韓国の盧武鉉大統領とソウル市内の大統領府(青瓦台)で約2時間会談した。

 大統領は首相の靖国神社参拝について「日韓関係の歴史問題の核心だ」と暗に参拝中止を促した。首相は「不戦の誓いから参拝した」などと反論した。大統領は新たな平和追悼施設の検討を求め、首相は「日本の国民世論など諸般の事情を考慮して検討する」ことを確認した。

 大統領は会談後の共同記者発表で「お互いを理解しようと努力することで共感したが、合意事項までには至らなかった」と述べ、歴史問題をめぐる溝が埋まらなかったことを明らかにした。

 両首脳は約2時間の会談のうち約1時間50分を歴史認識や歴史教科書、首相の靖国参拝などをめぐる歴史問題の議論に費やした。

 大統領は「日本が過去の不幸な歴史を反省し、歴史が繰り返されないという確信を行動で示すことが信頼の基礎となる。日本の要人により、信頼を崩すような言動が繰り返されてはならない」と強調した。

 そのうえで、「靖国神社は過去の戦争を栄光あるもののように展示している。過去の戦争と戦争英雄を美化し、このようなことを学んでいる国が隣におり、強い経済力と軍事力を持っているとき、近隣の国民は未来を不安に思わざるをえない」と述べ、首相の靖国参拝中止を促した。

 これに対し、首相は、2月下旬に島根県議会で「竹島の日」制定の条例案が提案されて以降、日韓関係が悪化したことについて「心を痛めている。意見の違いはあっても、大局的見地から両国関係を元の軌道に戻し、未来志向で前に進めたい」と訴えた。

 自らの靖国参拝については、「戦争を美化したり、正当化しているわけではない。心ならずも戦場に赴いた戦没者の追悼のために、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝している」と理解を求めた。

 両首脳は、年内にスタートさせる第二期日韓歴史共同研究で、歴史教科書に関する作業グループを設置し、研究結果を両国の教科書制度の枠内で「教科書の編集過程での参考」とすることを確認した。

 これに関連し、大統領は、「自民党の核心勢力が扶桑社教科書の採択を支援しているのではないかとの報道があり、採択率に関心を持っている」と指摘。さらに、「日本政府は、日本の教科書検定制度では政府は介入できないというが、韓国国民にはとうてい理解しがたい」などと不満を述べた。

 一方、両首脳は、北朝鮮の核開発問題の平和的解決を図るため、6か国協議の早期再開に向けて、日米韓3か国が緊密に連携していくことで一致した。両首脳は、次回の首脳会談を年内に日本で開催することで合意した。

2005/06/19(日) 尼崎脱線事故 55日ぶり運転再開 JR宝塚〜尼崎間
107人の犠牲者が出た兵庫県尼崎市の福知山線脱線事故後、不通になっていた宝塚−尼崎間(17.8キロ)の営業運転が19日の始発から予定通り再開された。4月25日の事故発生から55日ぶり。今後、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会などによる事故原因の解明が続く中、JR西日本は遺族・負傷者らへの補償、再発防止策の徹底が大きな課題となる。
 再開の1番電車(普通電車、7両編成)は19日午前5時、宝塚駅を定刻通り出発。運転席に同乗した垣内剛社長は尼崎駅で下車した後、「(事故の)現場を通過した際は身が震える思いがした。心の中で犠牲者と負傷者に改めておわびした」と記者団に語り、安全運行を改めて誓った。
 事故現場となった塚口−尼崎間のカーブ線路脇では同4時40分ごろ、ベージュの制服を着た南谷昌二郎会長ら同社幹部が献花。1番電車がゆっくりとした速さで現場に差し掛かると、犠牲者への追悼の意を込めて一斉に敬礼した。
 JR西日本は事故後、列車の速度超過を防ぐ新型ATS(自動列車停止装置)を新三田−尼崎間に計480個新設。駅での停車時分を延長したり、最高・制限速度を事故前よりも抑えた新ダイヤを編成するなどして運転再開に備えてきた。
 JR西日本のまとめでは、これまでに2万1201本が運休、約542万7000人に影響した。


■JR西、不通の損失25億円

55日ぶりの再開で、不通による約15億円の減収など直接的費用の増大は止まる。代替輸送してもらった阪急電鉄への支払いは約8億円、神戸電鉄への約1億円などを合わせても損失は25億円程度で、連結売上高1兆円を超える企業には「営業努力で取り戻せる範囲」(関係者)だ。
 むしろ乗客が確実に戻るめどが立たないことが問題だ。徳岡研三専務・鉄道本部長も「どれだけ戻るか分からない」と影響の深刻さを認める。

2005/06/18(土) 振り込め詐欺組織にかかわった4人か、茨城で遺体発見
振り込め詐欺グループにかかわったとされる男性4人が行方不明になった事件で、千葉県警は18日、徳島県警に摘発されたグループのメンバーらの供述に基づき、茨城県小川町の雑木林を捜索し、4人とみられる遺体を発見、殺人・死体遺棄事件として船橋署に捜査本部を設置した。

 今後、逮捕監禁などの疑いで逮捕している男女11人を殺人容疑などで追及し、徳島県警が詐欺容疑で逮捕したグループトップの清水大志容疑者(26)の関与を含め全容解明を進める。

 逮捕監禁容疑で逮捕されているのは、東京都板橋区、会社役員伊藤玲雄(れお)(31)、茨城県鹿嶋市、無職出頭(しゅっとう)辰巳(26)の両容疑者ら10人。捜査本部は18日、4人の遺体遺棄に関与したとして、出頭容疑者の妹、恵容疑者(22)を死体遺棄の疑いで新たに逮捕した。

 調べによると、伊藤容疑者らは、グループ内で「社長」と呼ばれていた清水容疑者から指示を受け、昨年10月13日夜、千葉県船橋市内で、同市の飲食店員西村徳也さん(25)を車で連れ去り、同16日ごろまで東京都新宿区の事務所に監禁するなどした疑い。一部の容疑者は、4人への暴行や殺害などにも関与したとみられる。

 これまでの調べでは、報酬などに不満を抱いた西村さんらが独立を計画し、清水容疑者らに「制裁」を受けたとみられている。捜査本部では組織犯罪処罰法の殺人容疑の適用も視野に調べを進める方針だ。

 また、清水容疑者が山口組系暴力団幹部に報酬を支払って遺体の遺棄を依頼した疑いもあり、数人について死体遺棄容疑で逮捕状を取り、行方を追っている。

 千葉県警は昨年10月、船橋市の拉致現場近くに残された西村さんの車を手掛かりに捜査を開始。徳島県警が逮捕した男らが今年3月、「4人を事務所で暴行して殺害し、暴力団員に頼んで遺体を茨城県内に埋めた」などと供述したことから裏付け捜査を進めていた。

 遺体が見つかったのは、霞ヶ浦の北約4キロの水田地帯にある雑木林。捜索は18日午前9時半から、重機などを使って行われた。遺体は深さ約5メートルの地中に埋められ、同11時50分に1遺体が見つかると、直後に他の遺体も相次いで見つかった。いずれも袋に包まれた状態だったという。

2005/06/17(金) マック 低価格路線また苦杯 通期利益予想3割減に下方修正
日本マクドナルドホールディングスは十七日、平成十七年十二月期の連結業績予想を下方修正すると発表した。今春から一部メニューで低価格路線を打ち出した結果、客数は伸びたものの一人当たりの買い上げ単価が大幅に減少、利益にも響いた。同社は三年前にも価格政策の迷走で業績が低迷した苦い経験があるが、原田泳幸会長兼社長は記者会見で「(今度の低価格戦略は)間違っていない。客数は伸びており、下期は売上高も伸びる」と強気の姿勢を崩さなかった。(粂博之)
 上期の業績予想は、売上高が1・2%、最終利益が87・2%それぞれ期初予想を下回った。このため、通期予想も売上高で予想を0・6%下回る三千二百五十億円、最終利益は31・4%も下回る三十五億円とした。
 上期の不振の原因は、四月十九日からの新メニューで価格を大幅に下げたことだ。セットメニューで最大百三十八円、単品で同八十九円の大幅値下げをした。例えば、ハンバーガーやドリンク、ポテトを組み合わせたセットは四十五−七十七円値下げし、「五百円バリュー」に。単品メニューの一部も二十六−八十九円値下げし、「百円マック」とした。
 このため、既存店ベースの売上高は一−三月が前年同期比6・9%増だったのに、四−六月は1・4%減の見通しとなった。四−六月の客数は13・8%増と伸びているのに一人当たりの買い上げ単価は13・1%減。一方で客数増に対応するため人件費がふくらみ、利益を大きく圧迫した。
 原田社長は「予想以上にお客さまが増えたが、平均の買い上げ単価も下がった。バランスを見誤った」と認めたが、路線変更はないと言い切った。「この価格戦略は米国やドイツ、南米でも時間をかけて成功させている」のが裏づけだ。下期には新商品の投入なども予定しており、盛り返せるとみている。原田社長の試算はこうだ。
 低価格路線で二千万人の新規客ができ、その三人に一人は下期も来店し続けてくれる。客数は六月で17%増となるなど伸び続けており、この勢いが持続すれば低価格戦略のままでも売り上げは5・85%伸びる−。
 低価格路線で“デフレ時代の勝ち組”とされた同社はその後、価格を上げたり下げたりする価格政策の迷走から十四年十二月期に二十九年ぶりの最終赤字に転落。しかし、多角化をやめ、ハンバーガー事業の原点に立ち返る「本業回帰」路線が奏功し、十六年十二月期決算で三年ぶりに黒字転換を果たしたばかりだった。
 そして再び打ち出した低価格路線。ここで価格体系に手を入れれば、また「本当の値段はいくらなの?」と不信感を招き、客離れを引き起こしかねない。お客を今まで通り引き付けながら、安さだけではないことをアピールできるメニューが求められている。

2005/06/16(木) 野茂が日米200勝達成 日本人選手初の快記録
米大リーグ、デビルレイズの野茂英雄投手(36)が十五日のブルワーズ戦で今季4勝目を挙げ、日米通算200勝を達成した。野茂は近鉄時代の五年間で通算78勝。渡米してから122勝を積み上げ、大リーグ十一シーズン目で節目の数字に到達した。
 近鉄のエースが大リーグ移籍を訴え、騒動になったのは平成七年早春。阪神大震災と重なる。阪神の岡田彰布監督(当時、労働組合・日本プロ野球選手会会長)は「選手会として(リーグ会長らと)話をしようと東京に着いた翌朝やったな、地震は」と振り返る。震災が何もかものみ込んだかのように、近鉄球団は野茂の任意引退扱いを決定し、野茂はドジャースと契約した。
 渡米一年目(一九九五年)。その強烈な個性−トルネード(竜巻)投法と二種類のフォークボールは「ノモマニア」という熱烈なファンを生み出した。野茂は「ドクターK」のニックネームを授かり、観客席には奪った三振の数を表す「K」のプラカードが並んだ。
 当時の大リーグは、新鮮味のある無垢(むく)なスターを求めていた。ワールドシリーズをも奪った前年のストライキは「億万長者同士の醜い争い」として、ファンに強い嫌悪感を抱かせていた。日本から独り、海を渡ってきた右腕は、米国民の心の底にあるフロンティア精神を刺激した。たとえ敵地であれ、どこの球場でもブーイングとは無縁であったことが、先駆者を尊ぶ米国のファンに認められた証しだった。
     ◇
 この年、野茂は13勝を挙げ、ドジャースの地区優勝に貢献した。だが、レッズとのプレーオフ第三戦で敗戦投手となり、一年目のシーズンを終えた。試合後、先制2ランを放ったレッズの主砲ガントが歩み寄り、「ありがとう。君はメジャーを救ってくれた」と握手を求めた。「君がいなければ、ストが終わったばかりのメジャーは寂しいものになっていた。選手は皆、感謝している」
 移籍時、日本球界を混乱させたことを正当化するのは難しい。野茂にできることは、勝つことだ。
 もし野茂が失敗していれば、大リーグに挑む日本選手の数は激減していただろう。移籍制度の確立が遅れ、イチロー外野手(マリナーズ)がシーズン最多安打記録(262本)を樹立することもなかったかもしれない。
     ◇
 近鉄時代、野茂は同僚の吉井理人投手(40)とメジャーへの夢を語り合った。今年一月二十七日、野茂はデビルレイズと年俸八十万ドル(約八千六百万円)でマイナー契約を結んだ。メッツなどを経て日本球界に復帰した吉井は昨秋、オリックスを解雇され、テストを受けて年俸四百四十万円(金額はいずれも推定)で再入団した。
 グラウンドという夢舞台で、プレーを続けるためなら、何でもする−。プロはその覚悟がある人間だけが生き残れる世界だ。選手としてのピークは過ぎたものの、野茂は先発ローテーションを守り続け、吉井も今季3勝を挙げて健在ぶりを示している。彼らは信じている。マウンドで全力を尽くした時間は決して無駄にはならない、

2005/06/15(水) イチロー、メジャー通算1000本安打を達成
マリナーズ・イチロー外野手(31)が、日本人選手初のメジャー通算1000本安打を達成した。「あと1本」で迎えたフィリーズ戦の第1打席に、右翼フェンス直撃の安打。通算696試合目での大台到達は、1900年以降では、史上3番目のスピードとなった。昨年マークした年間最多記録262安打に続く「安打製造機」らしい勲章だが、不振が続く中での金字塔に、複雑な心境も吐露していた。
 一塁ベース上に立ったイチローは、しばし考えた末に、地元シアトルのファンのスタンディングオベーションに応えることを自粛した。苦しみの中での1000本到達。昨年、年間257安打の年間安打記録を更新した際、帽子を掲げた当時とは心境が違った。
 イチロー「あそこは戦いがありましたね。応えるべきかどうか。今の成績ではやるべきではないと判断しました。そういう気持ちの葛藤(かっとう)がありました。する勇気が出ないというか」。
 開幕直後、好スタートを切りながら、5月以降ペースダウン。打率も3割を切る「異常事態」に陥った。1回裏の第1打席。心に沈殿したモヤモヤを振り払うようなシャープなスイングで、右翼フェンスへライナーでぶつけた。
 イチロー「ずいぶんと予定というか、イメージよりも遅くなってストレスがたまってましたし、なかなかスッキリした感じではなかったですね。日本で1000本打った時に、安打を重ねるたびに難しくなると言ったんですが、こちらでもやっぱり変わらない。簡単になることはないな、って感じました」。
 昨年、年間安打の新記録を達成し、もはや「極意」をつかんだかと思われた。日本だけでなく、米国内でも「もっとも4割に近い打者」として話題を集める存在になった。その期待に応えるように、今季キャンプ初日で、ベスト体重(76キロ)に絞り込めたほど、ほぼ完ぺきな状態で5年目に臨んだ。だが、誰もが予期しない低調期に襲われた。どんなに高い技術をもってしても、微妙な精神状態をもコントロールすることは、イチローでさえ容易ではなかった。
 イチロー「長くやっていると、立場が変わってくるし、もらってる給料も変わってきますしね。楽にさせてくれないですよね」。
 ただ、イチローにとって1000安打の陰にある倍以上の凡打の悔しさが、自らの糧(かて)になっていることに変わりはない。
 イチロー「倍ぐらいの失敗を重ねないと生まれない。それが打撃ですから。そうやって奥深いものになってくれればいいですね。失敗を繰り返すことが」。
 残り100試合。ひとまず区切りの数字は超えた。その一方で、5年連続200安打をはじめ、周囲からの期待の声は後を絶たない。これまで印象に残る安打を聞かれ、オリックス時代に「ワンバウンドの球を打った安打」を挙げたイチロー。「あとは2バウンドの球を打ちたいですね」。ジョーク交じりに漏らした声から、ここ数週間の重苦しさは消えうせていた。

2005/06/14(火) <M・ジャクソン>無罪評決、全米に驚き 残ったのは深い傷
】「子供好きのヒューマニスト」か「小児性愛の犯罪者」か。世界のスーパースター、マイケル・ジャクソンさん(46)に対する13日の米カリフォルニア州サンタバーバラ郡地裁陪審団の評決は、少年に対する虐待など10の罪すべてが無罪で、全米に驚きが広がった。疲れ切った表情のジャクソンさんと、激しく泣く少年の親族。子供を巻き込んだ裁判は、双方に深い傷を残してようやく幕を下ろした。
 評決が読み上げられた瞬間、法廷で弁護士の一人がうれしさのあまり泣き出した。だがジャクソンさんは終始無表情で、ティッシュで目をぬぐっただけだったという。
 黒い上下のスーツに身を包んだジャクソンさんは、評決後に地裁を出る際、約300人のファンに手を軽く胸のあたりまで上げ投げキッスで応えたが、顔は青ざめ、放心したような表情だった。
 今回の事件は03年2月に放映されたジャクソンさんの日常生活を描いたテレビのドキュメンタリーが発端だった。この中でジャクソンさんは今回被害者とされた少年を抱き、一緒に寝ていることを明らかにした。これにメディアから一斉に批判が起き、以前からジャクソンさんの少年虐待疑惑を追っていた地元捜査当局が捜査に入った。
 ジャクソンさんの行為を客観的に裏付ける証拠がほとんどなく、公判の行方は検察側が状況証拠を基に、いかに「有罪」を陪審団に印象付けるかにかかった。このため公判では、ジャクソンさん、被害者少年や家族のプライバシーが次々に暴露されるなど、泥仕合の様相を呈した。
 米国の多くの専門家は、10の罪のうち少なくとも2〜3の罪については有罪を予想していた。だが公判を傍聴し続け、当初から「無罪」を予想していたロサンゼルスのロヨラ法律大学のスタンリー・ゴールドマン教授(刑法)は、「少年の母親の証言の信ぴょう性のなさが、評決を左右した」と語る。評決後、米CNNテレビなどのインタビューに応じた陪審員の一人は「母親の証言はいただけなかった。少年(の証言)にも多くの影響を及ぼしているように見えた」と話した。
 そしてゴールドマン氏はこう付け加えた。「ジャクソン元被告が本当に無罪なのかどうか、真実は分からない。だが、検察側は“疑うに足る証拠”を提示できなかった」と話す。評決後、記者会見したサンタバーバラ郡のトーマス・スネッドン検事は無念そうな表情で「有名人としての要素が裁判に影響した」との見方を示した。
 地裁前には、米国内だけでなく、日本を含む全世界からファンが駆けつけた。ポーランド人やドイツ人もいる。「I Love Michael」などと書いたプラカードを掲げ、連日ジャクソンさんの無罪を訴えた。評決を聞いた瞬間、ファンは歓声を上げて踊り出し、女性ファンの一人は白いハト鳩を放った。
 米マスコミは連日、公判の推移を詳細に報道。「無罪か有罪か」をめぐり、米世論が二分する状態が続いた。地裁周辺には、計20台を超すテレビ各社の衛星通信施設を装備した車両が並ぶ。取材許可登録した記者は30カ国以上の約2000人にのぼり、地裁周辺の車両やテントに取材拠点を構えた。

2005/06/13(月) 松井に悪夢のバースデー、連続出場ピンチ
31歳の誕生日となったこの日、敵地ブッシュ・スタジアムで行われたセントルイス・カージナルス戦に4番ライトで出場し、7回には勝ち越しタイムリーを放ったニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手。しかし、その裏の守備で芝生に足を滑らせ、右足首をひねって途中退場を余儀なくされた。翌13日は試合の予定がないヤンキースだが、松井は本拠地ヤンキー・スタジアムで検査を受けることになっており、日本時代から続けてきた連続試合出場が途切れる可能性も出てきている。

 読売ジャイアンツのルーキーだった1993年の途中から、日本での最後のシーズンとなった2002年の最終戦まで1250試合続けて出場し、ヤンキース入団後もこの日で387試合連続出場となった「鉄人」松井を突然のアクシデントが襲ったのは、7回裏のこと。2死一、二塁からジム・エドモンズ中堅手が放ったライト右へのヒットを処理しようと回り込んだ松井は、芝生に足を滑らせ転倒。何とか打球を押さえて返球はしたものの、その後はうずくまったまま動けず、慌ててベンチを飛び出したジョー・トーレ監督とトレーナーに肩を借りて、ベンチへと引き上げた。

 松井の勝ち越しタイムリーも実らず、カージナルスに逆転負けを喫したヤンキースだったが、試合後も日本の報道陣の関心は、痛めた足首に集中した。「ノーバウンドで捕ろうかと突っ込んだんだけど、無理だと思ったのでワンバウンドで捕りにいった。思ったより打球が死んでいて、打球も僕も急ブレーキをかけて、倒れ込んだときにやっちゃった」と振り返った松井は、患部の状態について「ちょっと足首をひねった感じ。今はやったばかりだから若干痛い。(試合のない)明日治療して様子を見て、あさってプレーできる状態ならプレーする」と説明。「普通に歩けるし、痛みと腫れが引けばプレーできると思う」と楽観的な見方を示す一方で「内側にひねって外側が腫れている。足首は左はやった(痛めた)ことがあるけど、ひどくやったのは初めて。右は初めてだから微妙」などと不安も覗かせている。

 この試合も含め、6月の月間打率は.316とようやく調子が上向いてきた感のある松井は、この日のタイムリーについても「甘いボール。いい当たりだった。今日の打席内容は最初から良かった」と語ったが、その直後に負傷交代すると、チームも逆転負けで5カード連続の負け越し。「あまりいい誕生日にはならなかった。負けたし、けがもして…」としながらも「これで悪いものがすべて出切ってくれたらいいけど。あさってから、いい31歳のスタートが切れるように頑張りたい」と、努めて前向きに話していた。なお、松井は13日にヤンキー・スタジアムのトレーナー室で検査を受けることになっており、そこで今後の見通しが明らかになる。

2005/06/12(日) NO PLAN「Oh!サマー」VCフル配信〜TUBEとのコラボが実現
テレビ番組「内村プロデュース」から誕生した、内村光良、さまぁ〜ず(大竹一樹、三村マサカズ)、TIM(ゴルゴ松本、レッド吉田)、ふかわりょうの6人からなる音楽ユニット「NO PLAN」が、リーダー内村の衝撃の脱退&復活を経て1年ぶりに活動を再開した。

 Sony Music Online Japanは、NO PLANのニューシングル「Oh!サマー」(6月15日発売)のリリースに先立ち、同楽曲のビデオクリップのフルコーラス無料配信を開始する。配信期間は6月13日(月)正午から14日(火)24時までの36時間限定となる。

 「Oh!サマー」は、アルバム「NO PLAN」、シングル「本望でございます/○(マル)あげよう」に続く作品で、夏に向けたTUBEとのコラボレーションによる楽曲だ。作詞を内村光良とゆかいな仲間たち&前田亘輝(TUBE)、作曲を前田亘輝(TUBE)が担当している。

 映像は、MORRICHにおいてWindows Media・500kbpsのほか、ナローバンド向けにも提供される。

 また、8月3日には「Oh!サマー」を含むミニアルバム「SUMMER PLAN」が発売される。同アルバムには、9分半にも及ぶ楽曲「NO PLANの人生という名の列車」が収録予定だが、あまりの長さにメンバーが覚えられず、当初の予定よりリリースが1か月延期になった、と伝えられている。

2005/06/11(土) 大阪のピアノマン あいりんで路上演奏 音楽家として再起
大阪市西成区の日雇い労働者の街・あいりん地区(釜ケ崎)で、阪神大震災がきっかけに路上生活を送っていた合田(ごうだ)清さん(54)=同市天王寺区=が、路上で始めたバッハの演奏から広がった出会いを糧に、約6年間のホームレス生活に終止符を打った。「あいりんのピアノマン」は、14日のコンサートから、音楽家として再起を目指す。
 「素晴らしい音。いつまでも路上生活を続けていてはダメよ」。5月下旬、あいりん地区近くの遊園地「フェスティバルゲート」で演奏していた合田さんに、名前も知らないファンの女性が声を掛けた。女性は資金援助を申し出て、合田さんはアパートを借り、路上生活から脱却した。
 6歳でピアノを始め、音大進学を目指したこともあった。関西学院大卒業後は神戸市内でピアノ教室を経営、演奏活動もしていた。ところが、95年の阪神大震災で教室が半壊。大阪府内に2度移転した教室には生徒が集まらず、約5年前に多額の負債を抱えて破産した。さらに49歳で初めて就職した楽器店も4カ月で解雇された。妻と離婚、友人にも見放され99年秋、釜ケ崎に流れ着いた。
 路上や公園で段ボールを敷いて寝る生活。寒さで歯がカチカチ震えた。賛美歌の伴奏で教会に住み込んだり、親しい女性の家に身を寄せたこともある。「人生のどん底だった」。だが、音楽が力を与えた。
 昨年秋、教会のキーボードを借りてあいりん地区の通称「三角公園」でバッハの演奏を始めた。純粋に音楽を受け入れてくれる労働者の姿に、逆に胸を打たれた。「バッハには崇高さを感じる。もっと弾きたい」と、意欲がわいてきた。
 今年1月、偶然通りかかったフェスティバルゲート内のスタジオカフェ「COCOROOM」でピアノを弾かせてもらうと、店主がイベント出演を依頼。その後数回の出演で手応えを感じ、コンサート活動に踏み切った。合田さんは「昔はちょっと才能があると思っていい気になっていた。今は名誉欲も物欲も薄れ、手にはピアノを弾く力だけが残った。あるがままの心からあふれ出る音楽に何かを感じてくれれば」と話す。
 14日のコンサートは同市天王寺区下寺町1の應典院で午後7時半開演。「主よ人の望みよ喜びよ」「G線上のアリア」などバッハ30曲を演奏する。2000円。問い合わせはCOCOROOM(06・6636・1612)。【

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