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2005/05/30(月) <二子山親方>人気集めた元大関貴ノ花が死去、55歳
1970年代の大相撲人気を支えた元大関貴ノ花、二子山親方の花田満(はなだ・みつる)さんが口腔底(こうくうてい)がんのため30日、亡くなった。引退後は三代目若乃花、貴乃花の兄弟横綱を育て、空前の大相撲ブームを巻き起こした。現役時代も指導者としても、「忍耐」と「粘り」で一時代を築き上げた。まだ55歳。早すぎる死を惜しむ声が広がった。

 競泳で当時の中学生記録を更新し、五輪候補にも挙げられたが、「水泳ではメシを食えない」と二子山部屋に入門。100キロの軽量ながら、現役時代、最年少昇進記録を次々と塗り替えたのは、兄で師匠だった先代二子山親方、勝治さん(77)の厳しい指導を猛げいこで結実させたからだった。強じんな足腰は、対戦相手を「土俵の外に出すまで絶対安心できない」「サーカス相撲」と嘆かせた。小結時代の71年夏場所5日目に、横綱大鵬を破って引退に追い込むなど、ライバルたちとの名勝負は数知れず。土俵際での攻防はファンの目をくぎ付けにし「角界のプリンス」と呼ばれた。

 横綱北の湖を優勝決定戦の末に破って初優勝した75年春場所千秋楽では「今までの苦労が吹き飛んだ」と話した。この時のテレビ中継は50.6%の高視聴率を残した。

 大関在位50場所。優勝2回。だが最高位の横綱についに届かず「悲劇の大関」と言われた。「やるだけのことはやった。人気は負担だったが、声援がなかったら(大関も)20場所ぐらいだったろう」。81年初場所で引退した時、こう語った。

 その父の悲願をかなえたのは「父の取組は正座してテレビを見ていた」という二男光司さんの貴乃花であり、長男勝さんの三代目若乃花だった。

 兄の先代がそうしたように、二子山親方も「入門した瞬間に親子の縁を切った」と宣言して猛げいこをさせた。若・貴のほかにも多くの関取を育て、弟子の元大関・貴ノ浪の音羽山親方は「技や型よりも、人としてあるべき姿勢を教えていただいた」と感謝する。

 ただ98年の若・貴兄弟横綱誕生で相撲ブームがピークに達すると、マスコミ報道も過熱。若貴の不仲が取りざたされ、親方自身も貴乃花との会話が減った。01年夏には、ともに部屋を支えてきた妻と離婚した。

 03年秋以降、体調を崩し場所も休みがちに。それでも今年に入ってから、気力を振り絞るように公の場に何度か姿を見せた。1月末の貴ノ浪の断髪式では、土俵の上で大いちょうにはさみを入れた。これが、ファンの前に姿を見せた最後の場となった。

 ◇地味で誠実な人柄

 元NHKアナウンサーとして二子山親方の現役時代の相撲を実況し、引退後も親交の深かった杉山邦博・日本福祉大生涯学習センター長客員教授の話 あまりに早すぎて残念と言うしかない。人気とは逆に地味で誠実な人柄だった。真正直な相撲を取り、まげの先が土俵につくまであきらめなかった。昭和50(75)年春場所で、北の湖との優勝決定戦を制して初優勝を決め、座布団が乱舞し、大歓声が響き渡る中、実況で「貴ノ花初優勝」を叫び続けたことは忘れられない。若・貴兄弟が力士として活躍したのも父親の後ろ姿があったからだろう。

 ◇相撲界からも悼む声

 二子山親方が入院していた東京都内の病院には、訃報(ふほう)を聞いた実兄の先代二子山親方をはじめ、弟弟子だった間垣親方(元横綱二代目若乃花)、松ケ根親方(元大関若嶋津)らが沈痛な表情で続々と駆けつけた。

 遺体は31日午前0時半過ぎ、長男の花田勝さん(元横綱三代目若乃花)、二男の貴乃花親方(元横綱)らが付き添って、自宅の貴乃花部屋(東京都中野区)へ戻った。

 日本相撲協会の北の湖理事長は「協会発展のため、なくてはならない人だった。損失は大きい」と悼んだ。現役時代の思い出として、75年春場所の優勝決定戦で敗れた場面を挙げ、「天井が見えないほど座布団が飛んだことを覚えている」。

 元横綱大鵬の納谷幸喜・相撲博物館館長(65)は、26日の理事会後に見舞いに行ったといい、「元気を出せと声をかけた。もう一度目を開けてくれると思ったが……。年の順のはずなのに、定年を迎えないで逝(い)ってしまうなんて」と悲しんだ。71年夏場所で敗れ引退を決めたが、「あの一番のあと、娘に辞めていいかと聞いたのを思い出す」と声を詰まらせた。


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