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2005/05/31(火) 妊娠3カ月 あでやか結子幸せの笑み
女優の竹内結子(25)が31日、歌舞伎俳優の中村獅童(32)との結婚・妊娠が明らかになってから初めて報道陣の前に姿を見せた。東京・成城の東宝スタジオで出演映画「春の雪」を撮り終え、主演の妻夫木聡(24)らと会見。劇中の着物姿で登場し「楽しく和気あいあいと撮影できました」と笑みを振りまき、公私ともに充実している様子をうかがわせた。

 劇中で使用したあでやかな振り袖姿で登場した竹内。妊娠3カ月目を迎えたおなかは帯に隠れて目立たないが「肩の力を抜いて撮影に臨めた。1シーンごとにじっくり作ってきた作品なので早く見たいですね」と語るにこやかな表情からは、プライベートの充実ぶりが垣間見えた。

 交際が明らかになったのは9日深夜。自身のホームページで「中村獅童さんと結婚を前提にしたお付き合いをさせていただいています」と報告。翌10日に獅童が会見し、近く入籍する予定で妊娠3カ月であるとした。

 映画は三島由紀夫の同名小説が原作。大正時代の貴族社会を舞台に、侯爵家の嫡子・清顕(妻夫木)と伯爵家の娘・聡子(竹内)が、激しく愛し合いながらも運命に引き裂かれていく姿を描く。清顕の子供を妊娠する場面もあり、妻夫木とのラブシーンにも挑んだ。

 4月15日から高松市などで1カ月半に及ぶ撮影を身重の体で乗り切ったが「ハードスケジュールということはみんな同じ。楽しく夜食を食べたり和気あいあいとやっておりました」と女優魂を見せる。

 大半が着物やドレスなど大掛かりな衣装を着用しての撮影だったが「髪を結ったり着付けをしたり大正時代の人は大変だったんだなと感じる日々で、昭和生まれでよかったと思いました」と冗談交じりに話し、笑みをはじけさせた。

 結婚後も女優業を続ける意向で、今後はCMの撮影、映画のプロモーション活動を行う予定。産休に入る時期などは未定だが、10月29日の映画の公開日には臨月を迎えている。大きなおなかで舞台あいさつする可能性もありそうだ。

2005/05/30(月) <二子山親方>人気集めた元大関貴ノ花が死去、55歳
1970年代の大相撲人気を支えた元大関貴ノ花、二子山親方の花田満(はなだ・みつる)さんが口腔底(こうくうてい)がんのため30日、亡くなった。引退後は三代目若乃花、貴乃花の兄弟横綱を育て、空前の大相撲ブームを巻き起こした。現役時代も指導者としても、「忍耐」と「粘り」で一時代を築き上げた。まだ55歳。早すぎる死を惜しむ声が広がった。

 競泳で当時の中学生記録を更新し、五輪候補にも挙げられたが、「水泳ではメシを食えない」と二子山部屋に入門。100キロの軽量ながら、現役時代、最年少昇進記録を次々と塗り替えたのは、兄で師匠だった先代二子山親方、勝治さん(77)の厳しい指導を猛げいこで結実させたからだった。強じんな足腰は、対戦相手を「土俵の外に出すまで絶対安心できない」「サーカス相撲」と嘆かせた。小結時代の71年夏場所5日目に、横綱大鵬を破って引退に追い込むなど、ライバルたちとの名勝負は数知れず。土俵際での攻防はファンの目をくぎ付けにし「角界のプリンス」と呼ばれた。

 横綱北の湖を優勝決定戦の末に破って初優勝した75年春場所千秋楽では「今までの苦労が吹き飛んだ」と話した。この時のテレビ中継は50.6%の高視聴率を残した。

 大関在位50場所。優勝2回。だが最高位の横綱についに届かず「悲劇の大関」と言われた。「やるだけのことはやった。人気は負担だったが、声援がなかったら(大関も)20場所ぐらいだったろう」。81年初場所で引退した時、こう語った。

 その父の悲願をかなえたのは「父の取組は正座してテレビを見ていた」という二男光司さんの貴乃花であり、長男勝さんの三代目若乃花だった。

 兄の先代がそうしたように、二子山親方も「入門した瞬間に親子の縁を切った」と宣言して猛げいこをさせた。若・貴のほかにも多くの関取を育て、弟子の元大関・貴ノ浪の音羽山親方は「技や型よりも、人としてあるべき姿勢を教えていただいた」と感謝する。

 ただ98年の若・貴兄弟横綱誕生で相撲ブームがピークに達すると、マスコミ報道も過熱。若貴の不仲が取りざたされ、親方自身も貴乃花との会話が減った。01年夏には、ともに部屋を支えてきた妻と離婚した。

 03年秋以降、体調を崩し場所も休みがちに。それでも今年に入ってから、気力を振り絞るように公の場に何度か姿を見せた。1月末の貴ノ浪の断髪式では、土俵の上で大いちょうにはさみを入れた。これが、ファンの前に姿を見せた最後の場となった。

 ◇地味で誠実な人柄

 元NHKアナウンサーとして二子山親方の現役時代の相撲を実況し、引退後も親交の深かった杉山邦博・日本福祉大生涯学習センター長客員教授の話 あまりに早すぎて残念と言うしかない。人気とは逆に地味で誠実な人柄だった。真正直な相撲を取り、まげの先が土俵につくまであきらめなかった。昭和50(75)年春場所で、北の湖との優勝決定戦を制して初優勝を決め、座布団が乱舞し、大歓声が響き渡る中、実況で「貴ノ花初優勝」を叫び続けたことは忘れられない。若・貴兄弟が力士として活躍したのも父親の後ろ姿があったからだろう。

 ◇相撲界からも悼む声

 二子山親方が入院していた東京都内の病院には、訃報(ふほう)を聞いた実兄の先代二子山親方をはじめ、弟弟子だった間垣親方(元横綱二代目若乃花)、松ケ根親方(元大関若嶋津)らが沈痛な表情で続々と駆けつけた。

 遺体は31日午前0時半過ぎ、長男の花田勝さん(元横綱三代目若乃花)、二男の貴乃花親方(元横綱)らが付き添って、自宅の貴乃花部屋(東京都中野区)へ戻った。

 日本相撲協会の北の湖理事長は「協会発展のため、なくてはならない人だった。損失は大きい」と悼んだ。現役時代の思い出として、75年春場所の優勝決定戦で敗れた場面を挙げ、「天井が見えないほど座布団が飛んだことを覚えている」。

 元横綱大鵬の納谷幸喜・相撲博物館館長(65)は、26日の理事会後に見舞いに行ったといい、「元気を出せと声をかけた。もう一度目を開けてくれると思ったが……。年の順のはずなのに、定年を迎えないで逝(い)ってしまうなんて」と悲しんだ。71年夏場所で敗れ引退を決めたが、「あの一番のあと、娘に辞めていいかと聞いたのを思い出す」と声を詰まらせた。

2005/05/29(日) 「でっち上げの可能性」 治安当局者と地元紙
29日付のフィリピン英字紙インクワイアラーは、同国南部ミンダナオ島の元日本兵生存情報について「でっち上げの可能性がある」とする現地の治安当局者の話を報じた。
 同紙は、元日本兵が生存しているとされる場所が、イスラム武装勢力や共産主義勢力と国軍が連日のように戦闘を展開している地域だと指摘。日本政府は元日本兵と面会したいとしているが、「(生存情報は)何者かがひともうけしようとしているだけかもしれない」という当局者の懐疑的な見方を伝えた。

■「我々も入れない危険地帯」比の警察署長語る

元日本兵とみられる男性2人の生存情報があるミンダナオ島南部の密林地帯の状況について、ジェネラルサントス市のホワニト・ガバン警察署長は28日、インタビューに応じ、「周辺は複数のイスラム系の武装勢力や共産主義武装勢力の拠点で、これまでも政府軍と度々、交戦が発生している。一般の人はもちろん、我々も足を踏み入れることが出来ない危険地帯」と話した。

 ガバン署長によると、ジェネラルサントス市から、2人が生活しているとされる町コロンビオ周辺は直線で約60キロ。舗装された全長約120キロの国道で結ばれている。途中にある町タコロンまでは政府の支配下だが、その先は武装勢力の支配域だ。密林を抜ける道路もあるが、武装勢力が出没する。武装勢力はコロンビオ周辺の密林地帯を中心に活動している。

 武装勢力は、分離独立を目指す反政府組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」やイスラム過激派「アブサヤフ」、さらにフィリピン共産党の武装組織・新人民軍(NPA)など複数の勢力が存在。M16小銃やRPG(対戦車砲)、ロケット弾などで武装し、政府軍と一進一退の攻防を繰り返している。

 コロンビオ周辺はキリスト教徒とイスラム教徒が混在している。武装勢力は食料が欠乏すると密林を出て、イスラム教徒が生活する周辺の集落に姿を現し、米やキャッサバと呼ばれるイモ類の提供を受けている。密林を転々と移動しており兵力は把握できないという。

 武装勢力が資金を得るための誘拐も横行。01年9月には別の地域にいたダム建設の外国人技術者が誘拐され、拠点であるこの地域に連れてこられる事件も発生したという。

 今回の元日本兵と思われる男性2人について、ガバン署長は「これまで日本人の生存情報は聞いたことがない。情報に対する対価を目当てに武装勢力が情報を流している可能性もある」との見方を示した。

2005/05/28(土) <イラク邦人拘束>斎藤さんとほぼ断定 外務省幹部
 英系民間軍事会社「ハート・セキュリティー」(本部・キプロス)社員の斎藤昭彦さん(44)が拘束されたと見られる事件で、イスラム武装勢力「アンサール・スンナ軍」が「斎藤さんが死亡した」との声明と映像をウェブサイトに掲載したことについて、外務省幹部は28日夜、「映像の人物は残念ながら斎藤さんと考えざるを得ない」と述べ、同一人物とほぼ断定したとの認識を示した。
 同幹部は映像の人物を斎藤さんとほぼ判断した根拠について、(1)斎藤さんの弟の博信さんが「兄と確認した」と外務省に伝えてきた(2)ハート社からも「斎藤氏にほぼ間違いない」との連絡があった(3)警察庁が映像の人物と斎藤さんのパスポートの写真を照合する「異同識別」と呼ばれる調査を実施したところ、「おそらく同一人物と考えられる」との結果が出た――ことを挙げた。
 ただ、幹部は「この映像だけで斎藤さんが亡くなったかどうか、最終的な確認はできない」と指摘。斎藤さんと断定するには遺体を収容し、DNA鑑定などの科学的調査が必要であるとしている。
 ハート社によると、斎藤さんは現地時間今月8日夕(日本時間同深夜)、バグダッド西方約180キロで同社の護送隊車列を護衛中に銃撃を受けた後、行方不明となり、武装勢力が9日に斎藤さんを拘束したとの声明を流した。28日に武装勢力がウェブサイトに掲載した映像には、斎藤さんのパスポートやハート社の社員証などのほか、血を流して倒れているアジア系男性が映されていた。
 これに関連して、町村信孝外相は28日夜、東京都福生市で講演し、「私もひどい画面を見た。ご家族がその画面を見て、ほぼ間違いないだろうという話をいただいた。ただ、ほぼということで断定はできかねる」と述べ、確認作業を急ぐ考えを強調した。

2005/05/27(金) 魔神・佐々木、榎本加奈子との入籍と男児誕生を発表!
横浜ベイスターズの佐々木主浩投手(37)が27日、神奈川・横須賀市内の球団グラウンドで会見し、同棲中の女優、榎本加奈子(24)が先月29日に男児を出産し、今月9日に2人で婚姻届を提出したことを発表した。

 佐々木は、子供に「誠実で、明るく元気な子に育ってほしい」という意味で誠朗(ともあき)と名付けたことを明かし、出産から1カ月近く公表しなかったことについては、佐々木自身が5月初めに右ひざの内視鏡手術を受けてリハビリ中だったことと、2カ月以上の早産で体重が1キロちょっとしかなく、現在も入院中のため「(状態が)安定したら発表したいと考えていた」と説明した。

 出産は6月末の予定だったが、急な破水により帝王切開した。榎本の体調も心配されたが、すでに都内の自宅に戻り、佐々木と前妻との間の2児と一緒に生活している。

 誠朗くんについて「目元が彼女似。僕に似なくてよかった」と笑顔で語る一方、再婚を決意した心境を「野球を第一に考えたとき、彼女が必要だと思った。家のことも今いる子供たちのこともよくやってくれ、子供たちも慕っている。家庭を任せても安心です。料理も上手」などと告白した。

 佐々木と榎本は一昨年9月に不倫関係が発覚。佐々木は今年3月18日に前妻と離婚し、2児の親権を得て、都内の豪邸で榎本と同棲生活を送っていた。

 一方、榎本の所属事務所は「今年頭から芸能活動を休止中で本人と連絡が取れない状態。出産、入籍について報告は受けていない」とコメントした。

2005/05/26(木) 「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に
フィリピン・ミンダナオ島で、旧日本兵とみられる男性二人が現地当局に保護され、帰国を希望していることが二十六日、分かった。二人は、山岳地帯で終戦を迎えたため引き揚げに間に合わず、そのまま現地で生活していたとみられ、ほかに数人が保護を希望しているという。日本大使館員が二十七日に二人と会い、身元が確認されれば帰国のための手続きを行う。旧日本兵の帰国は、実現すれば小野田寛郎さん以来三十一年ぶりで、戦後六十年目の生還となる。
 保護された二人は、旧陸軍第三十師団捜索第三十連隊第三中隊の元中隊長、山川吉雄中尉(87)=大阪市西区出身=と中内続喜上等兵(83)=高知県明治村(現越知町)出身=とみられる。さらに数人の旧日本兵が生存し、保護を求めているという情報があり、日本大使館などで身元確認を急ぐ方針。
 二人はモロ・イスラム解放戦線(MILF)などの反政府ゲリラが支配する同島などの山岳地帯で約六十年間にわたり生活していたが、今月下旬になり南部サウスコタバト州ゼネラルサントス市郊外のスルタン(イスラム教国の君主)支配地域に移って国家捜査局(NBI)に保護され、帰国を熱望しているという。
 同連隊の関係者によると、第三十師団は昭和十九年七月、同島のダバオ市に上陸。同年九月に米海軍艦載機による空襲を受け、翌二十年四月に同島中央部の渓谷地帯マライバライで「自給自戦」を命じられていったん分隊となり、同島北部のワロエで再集合することになっていた。
 彼らは小人数で山岳部を転進中に終戦を迎えたため師団の引き揚げに合流できず、残留を余儀なくされた。以後、山川元中尉らは同島南部のブルアム湖近辺などを拠点に生活していたが、昨年九月に同島東部と中部で木材の切り出しなどを行っている長崎県在住の日本人の関係者(54)が山中で旧日本兵と遭遇。その後、いずれも高齢のため帰国を強く望んでいるが、戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられることを強く恐れていることが分かった。
 別の関係者によると、彼らのほかにも同島山岳地帯などには四十人以上の旧日本兵が生活しているもようで、いずれも帰国を望んでいるという。
 フィリピンでは、北部ルバング島で一九七四(昭和四十九)年、ジャングルに潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が救出された例がある。また、七二(同四十七)年には米グアム島で、元日本兵、横井庄一さん=平成九年死去=が見つかっている。
     ◇
 《第30師団》昭和18年6月、朝鮮・平壌で編成された陸軍最後の現役師団。対ソ戦の訓練を受けていたが、19年4月、ミンダナオ島先制防衛のため対米戦備を整え出陣。師団は16個の部隊などで構成され、「機動兵力として随時重点方面に使用」との方針から、島を東奔西走し、終戦までの1年で500キロにおよぶ行軍を強いられた。戦死者は1万2000人を超える。

2005/05/25(水) 蓮池薫さん、翻訳家デビュー会見
北朝鮮による拉致被害者、蓮池薫さん(47)が初めて翻訳した韓国の歴史小説「孤将」(新潮社)が27日に発売される。

 25日、都内で記者会見した蓮池さんは「奪われた24年間を取り返すため、何かにチャレンジしたかった」と話し、今後、翻訳家の道を歩む意向を明らかにした。

 「孤将」は、16世紀、文禄・慶長の役で朝鮮に出兵した豊臣秀吉の軍と戦った武将、李舜臣を題材にしたもので、原作は韓国で2001年に発表されベストセラーとなった。

 主人公は日本と戦いながらも朝鮮王からも命を狙われるというストーリーで、蓮池さんは「葛藤(かっとう)の中で運命に負けるのでなく、自分が生きる道を模索するところに共感を持った」という。

 蓮池さんは02年10月の帰国後、新潟県柏崎市の臨時職員となったが昨年12月に退職。現在は中央大学法学部の通信教育を受けているが、「この年齢で法律家になるのは無理。悔しいが、今できることをやっていこう」と、子どもたちが帰国した後の昨年8月に翻訳作業に取りかかったという。

 既に第2作としてドキュメンタリーの翻訳に取り組んでおり、「将来は、日韓の相互理解が深まる作品を手がけたい」と語った。

2005/05/24(火) キャプラー「来年はメジャーに戻る」日本での生活は…
低迷を続ける巨人のゲーブ・キャプラーが、ボストン・グローブ紙との電話インタビューで、これまでの不振の原因は、過去に多くの外国人選手がかかった「二日酔い症候群だ」と告白した。

 「とにかく、日本に来てすぐに僕にはここは合わないことに気づいた。ネクストバッターズサークルにいるときも、なぜだか心臓が高鳴らない。アドレナリンが出て興奮していないと、時速90マイル(145キロ)の球は打てるもんじゃない。打席に向かうときにこんな気持ちでは、決して成功はおぼつかない」という。

 キャプラーは昨季、86年ぶりに世界一に輝いたレッドソックスでプレーした。だが、レギュラーにはなれず、将来のために、毎日出場機会のある日本でユニホームを着る決断をした。年俸は去年までの75万ドル(約8100万円)から約3倍近く跳ね上がった200万ドル(約2億1600万円)に。そのうえ、70万ドル(約7560万円)の契約金を得た。

 ところが、東京ドームはキャプラーに温かい声援を送ってくれなかった。それどころか、あのフェンウエイパークの大観衆の前で、名門ヤンキースと演じた死闘や、チームメートとの友情が、どうしても忘れられず、すべての興奮から一夜明けたあとに襲われるさめた状態に陥っているのだという。

 一発があり、しかも好守との触れ込みだったが、開幕から17打席ノーヒットでスタート。強肩といわれた守りもたいしたことはなく、4月29日にはついにスタメン落ち。交流戦に入ってからは代打稼業も目立った。44試合に出場、うち29試合がスタメンで、110打数17安打で打率.155、3本塁打で6打点。強豪レッドソックスからやってきたメジャー助っ人としては寂しい。

 日本での生活に完全に失望しているのか、といえばそうでもなく、「とにかく妻は日本の生活をエンジョイしている。この先、何が起きても、いい経験だったといえると思う」と話した。

 ただ、これは野球に直接関係ないこと。惨めすぎる結果に、過去のチームメートから送られたテープを聴いて涙することもあるという。

 キャプラーは、「この数カ月間の経験で、僕自身は去年より確実にいい打者になった。来年は絶対、メジャーに戻ってみせるよ」と同紙に断言した。もし、このまま結果を出せず、メジャー復帰への踏み台に使われるだけなら、巨人は踏んだり蹴ったりだ。

2005/05/23(月) ペコちゃん窃盗に実刑 「仕入れ困難」と動機指摘
群馬県内のレストランなどから「ペコちゃん人形」などコレクターに高値で取引されているマスコット人形を盗んだとして、窃盗や強盗致傷などの罪に問われたとび職渋谷哲二被告(31)の判決公判で、山形地裁の金子武志裁判長は23日、懲役5年6月(求刑懲役9年)を言い渡した。
 金子裁判長は判決理由で、被告らがフリーマーケットで売っていた人気の高い人形の仕入れが難しくなったことが動機とし、「当初の万引から強盗も辞さないところまでエスカレートした」と指摘。「主犯ではないが犯行に不可欠の役割を果たした」などと述べた。

2005/05/22(日) <交通事故>仙台育英高の生徒3人死亡、20人重軽傷
22日午前4時15分ごろ、宮城県多賀城市八幡1の国道45号で、横断歩道を歩いていた仙台育英高校(仙台市宮城野区、加藤雄彦校長)の生徒の列に、信号無視をしたRV車が突っ込んだ。この事故で、同校の生徒のうち3人が頭などを強く打ち死亡、1人が重傷、19人が軽傷を負った。同県警塩釜署は運転していた多賀城市山王、会社員、佐藤光容疑者(26)を業務上過失致死容疑で現行犯逮捕した。
 死亡したのは▽仙台市泉区加茂3、同校1年、細井恵さん(15)▽同県山元町高瀬、同、斎藤大(はじめ)さん(15)▽同県七ケ浜町汐見台2、同、三沢明音さん(15)の3人。
 調べでは、現場は片側2車線の丁字路交差点で、佐藤容疑者は生徒が横断歩道を渡るのを待っていた別のワゴン車に衝突。その後、生徒の列に突っ込んだらしい。横断歩道は青信号で、佐藤容疑者は酒に酔って運転していたという。ワゴン車の男性運転手と、佐藤容疑者の車の同乗者1人も軽傷を負ったが、佐藤容疑者にけがはなかった。
 同校などによると、生徒は1年生約500人が参加した学校行事のウォークラリー中。午前4時に多賀城市にある同校多賀城校舎を出発して、約22.5キロ先の同県松島町の同校松島研修センターまで歩いて向かう途中だった。

5月絵日記の続き


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