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2005/12/26(月)
「優勝に貢献したい」清原が会見で“フォア・ザ・オリックス”決意
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オリックス入りを表明していた前巨人の清原和博内野手(38)が26日、大阪市内のホテルで入団会見を行い、地元関西で迎える来季への決意を示した。契約年数は1年で年俸は2億5000万円プラス出来高払い、背番号は「5」。21日には中村紀洋内野手が入団。故仰木彬前監督が夢見た超重量打線がパ・リーグに革命を起こす。
外したピアスが決意の表れだった。新天地に踏み出した清原は、会見の壇上で屈託のない笑みを何度も浮かべた。
「一番僕を必要としてくれるのは関西のチーム。仰木さんの存在もあった。後ろを振り返ることなく、新しい第一歩を踏み出したい」
幼い頃からの夢を追い97年にFAで巨人に移籍。だが8月29日、9年間在籍した巨人から戦力外通告を受けた。さらに2日後には左ひざ手術。心身ともにどん底に落ちた大砲に救いの手を差し伸べたのが今月15日に死去した仰木彬前監督だった。「仰木さんも喜んでくれていると思う。チームの優勝のために、勝利に貢献できるヒットなりデッドボールなりを得たい」。20日の入団表明時には涙を流して仰木氏への思いを語った。あれから6日。亡き師への思いは決意へと変わった。
PL学園時代以来、実に20年ぶりとなる関西球団でのプレー。 西武時代の96年以来、10年ぶりのパ・リーグ復帰。25日にはティー打撃も開始しておりリハビリは順調に進んでいる。
「万全の形でキャンプインして、開幕を迎えたい。個人の成績の満足よりチームの優勝、日本一が最高の喜び」。関西に、オリックスに呼ばれた意味は痛感している。中村とともに、清原の野球人生をかけた戦いが始まる。
■松井WBC不参加決定!!王監督に伝えた
ヤンキース松井秀喜外野手(31)が26日、来年3月に初開催される国別対抗戦「ワールドベースボールクラシック」(WBC)に出場しないことを決意した。この日、混乱を避けるため関係者が福岡入りして、日本代表監督であるソフトバンク王貞治監督(65)に出場しない意向を伝えた。再三の出場要請にも、開催時期や大会の趣旨などに賛同できなかった松井は、これまで態度を保留。ぎりぎりまで苦悩した末、今回は「JAPAN」のユニホームを着ないことを決断した。 松井の気持ちは、WBCへ傾かなかった。この日夜、混乱を避けるため、松井の代わりに関係者が福岡に王監督を訪ね、WBCに出場しない意志を伝えた。日本の4番として期待され、今月9日には松井の分を空けたまま、日本代表メンバーが発表されもした。WBCについて聞かれるたびに苦悩の表情で態度を保留してきた松井は、ギリギリまで悩んだ末に、代表の力にはなれないと判断したようだ。代表チームへの影響、代わりに出る選手のことを考えると、年内がタイムリミットだった。 どうしても、大会そのものに賛同することができなかった。シーズンへの影響が避けられない3月という開催時期や、投手に球数制限が設けられる方向にあるなどプレーに制限があるため、真剣勝負とは言えない大会趣旨に納得できなかった。ヤ軍ファンのため、シーズン162試合を大事にしたい気持ちもあった。11月上旬に、王監督が松井を日本代表へ呼ぶ意向を示した当初から、WBCという大会に対する気持ちは後ろ向きだった。 それは同監督から直接ラブコールを受けた後も、変わらなかった。今月2日には雑誌の対談のため、都内の料亭で会食。その席で出場を打診された。だが松井は「いろんなことを総合的に考える」と返答を避けた。その裏には、このままでは出場する気にはなれない、という思いがあったに違いない。 そしてこの日、ついに出場しない意向を伝えた。これで例年通り、準備万端で大リーグ4年目に備えることができるとも言える。年末年始は、いつも通り地元石川・能美市で迎える。年明けからは、都内で体を動かし出す予定だ。日本代表入りしていれば2月から代表チームに合流し、そのまま東京ドームでのアジアラウンド、米国での2次リーグ、さらに準決勝、決勝と、戦っていかなければならない。代表入りしないことで、2月中ごろにフロリダ州タンパでキャンプインし、最大の目標である世界一へ、スロースターターらしくじっくりと調整に専念できる。 もともと選手派遣に消極的だったヤ軍では、ポサダが球団の意向を受け、出場を希望していたにもかかわらずWBC出場を見送った。また米国とドミニカ共和国のどちらの国から出場するか注目されていたA・ロドリゲスは、両国を尊重するという理由から出場を取りやめた。ヤ軍以外でも、シーズンへの影響から出場を断念した大リーガーは少なくない。松井が出ないことは、日本代表には確かに痛い。ただこの決断は、大会のあり方自体に疑問を投げかけるものともなりそうだ。
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