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2005/12/20(火)
渡部・里佳子別々に離婚会見「仕事に熱中しすぎて」
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かねて危機が伝えられていた俳優、渡部篤郎(37)と女優、村上里佳子(39)が19日に離婚届を提出、20日に相次いで会見した。
この日午前、東京・赤坂のTBS局内に表れた渡部は、「仕事に熱中しすぎて、家族とのバランスがとれなくなっていた。それが彼女のストレスになっていたんだと思う。僕が至らなかった」と淡々と説明した。
午後になって、里佳子は東京・汐留の日本テレビで会見し、「離婚しても、父として母として、協力して子供を育てることには変わりありません。憎みあったりする関係ではなく、週に何度かは会います」と話した。
渡部によると、離婚の話が出たのは、今年の夏。その後、渡部のほうがあらかじめ書いた離婚届を里佳子に渡していたという。
これまで渡部には、業界関係者の女性との交際など、女性問題がつきまとうと報道されていた。しかし、渡部は「それはまったくない」ときっぱり、女性問題が離婚の原因との見方を否定した。
一方の里佳子は、離婚を切り出された際の心境を、「理解できない、というか考えが違うんだな、と。私が求める家庭は子供が最優先…。それで彼に寂しい思いをさせたのかな…。子供が生まれると子供が一番になって、パパが後回しになっちゃう。やっぱりパパが一番というのがベストなのかな」と話した。そして、「私に彼が合わせるのは難しいと思ったのでしょう。彼の考えが変わると思ったけれど…」とも語り、寂しげな表情を浮かべた。
渡部によると、2人の子どもに関しては、親権、養育権は里佳子が持ち、子供が大学を卒業するまで、渡部が養育費を払う。
2人は1994年3月に結婚し、11歳と6歳の2男児がいる。
■仰木さんに…清原オリックス入り表明
天国の仰木さん、オリックスで最後のひと花を咲かせます。巨人を自由契約になった清原和博内野手(38)が20日、オリックス入りを表明、26日にも入団発表される。東京・六本木で行われたアミューズメント企業フィールズのイメージキャラクター発表の席で明かしたもので、15日に他界した前監督の仰木彬氏(享年70)の「遺言」に沿い最終決断を下した。プロ21年目の来季、清原は生まれ育った大阪で野球人生の最終章を迎える。 清原の魂を揺り動かしたのは、亡き名将の「遺言」だった。昨年の去就騒動のときから、何度となくかけられた言葉。中でも自由契約という人生のどん底で聞いた言葉が心に残っている。
「とにかく大阪へ帰ってこい。おまえの花道は、オレがつくってやる」――。それが決め手だった。名球会総会のためハワイ入りした直後に届いた訃(ふ)報。その瞬間から仰木氏からかけてもらった言葉の数々を思い出し、心に刻み込んだ。そして「心に響く、温かい希望に満ちた言葉をたくさんいただき、もう1度野球をやりたいと心に決めた」という。12日には、年俸2億5000万円の単年契約の提示も受けた。信義に対して礼節を持って応えるのが清原だった。
「地元大阪、手を差し伸べてくれたオリックスさん、自分を育ててくれたパ・リーグ、そしてプロ野球ファンのため大阪で精いっぱいプレーしたい。本来なら仰木さんに直接会って、ご報告したかった。この場を借りて天国の仰木さんに報告したいと思います」
よもやの戦力外通告を受けた8月29日から113日。「身を切られるような思い」を経て心を決めた。仰木氏への思いがこみ上げたのか、グレーのスーツ姿の清原の目は心なしか潤んでいた。思えば去就騒動で揺れた昨オフ。仰木氏は何度も神戸から会いに来てくれた。オリックスへの移籍を熱心に勧められると同時に、野球人として激励を受け、最後は「巨人に残って見返したい」という清原の思いも理解してくれた。
獲得は断念。それでも愛弟子のイチローら数人にしか贈っていないという高級腕時計をプレゼントされた。あれから1年。仰木氏はユニホームを脱いでわずか2カ月で逝った。野球に人生のすべてをささげたその生きざまにも胸を打たれた。
仰木氏がこよなく愛した関西、そして命を懸けたグラウンド。その地で野球人生の最終章に臨むことになる。来年8月に39歳となる清原は、1つの目標を立てた。「満39歳の大先輩方の成績を見たら、王さん(現ソフトバンク監督)が33本塁打で一番だった。その記録に挑戦したい」。39歳での33発超え。その数字は4番として期待してくれた仰木氏に応える決意の表れでもあった。
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