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2005/11/10(木) ロッテ アジア初代王者へ快勝発進
初代アジア王者を決める「KONAMI CUP アジアシリーズ2005」が10日開幕し、ボビー・バレンタイン監督(55)率いるロッテは1次リーグ初戦でサムスン(韓国)と対戦。初回に元サムスンの李スンヨプ内野手(29)の左犠飛などで3点を先制し、6―2で快勝した。31年ぶりに日本一に輝いた“ボビーマジック”は健在。最大のライバルを撃破し、アジアNo・1へ向け好発進した。

 まるで千葉マリンのような感覚がナインに力を与えた。外野席は右翼から左翼までマリーンズ色の白に染まる。東京ドームが本拠地と化した。「本当に多くのファンが集まってくれて、そのパワーでプレッシャーをはねのけることができた」とバレンタイン監督は実戦のブランクを吹き飛ばした大声援に感謝した。

 阪神に4連勝して日本一に輝いた勢いは、2週間たっても衰えていなかった。初回から“ボビーチルドレン”が縦横無尽にグラウンドを駆け回る。先頭の21歳の西岡が「スンヨプのためにも絶対に負けられない」と右中間三塁打で出塁すると、2番に入った22歳の今江が「プレーオフ、日本シリーズの経験があるので緊張感に余裕があった」と中前へはじき返した。

 さらにサブローの右翼線二塁打で2点目を追加し、なおも無死二、三塁で李が左犠飛。三塁側に陣取った古巣のサムスン応援団からも拍手で迎えられ、笑みがこぼれた。

 8日夜にはレセプション終了後、李は元同僚のチン・カブヨン、キム・ジョンフンと食事に出掛けてリフレッシュした。2打席目以降は3打席凡打に終わったが「まさかサムスンと対戦することになるとは夢にも思わなかった。短期決戦で初戦を取った意味は大きい」。アジア制覇へ向けて最大の敵となるのはサムスンであることは誰よりも知っている。

 相手の情報が十分ではない状況でも指揮官は笑い飛ばす。「お互い知らないんだから不公平ではない」。ボビーマジックと呼ばれる、つながる打線は舞台が変わっても健在。初代アジア王者へあと3試合。風の吹かないドームだが、マリーンズの風はやむことはない。

 ≪小林宏 大役1勝≫先発の小林宏が6回6安打2失点で“アジア1勝”を挙げた。「試合をつくれたし、仕事ができた」。日本シリーズ第3戦から中15日で「(間隔が空いて)ちょっときつかった」と苦しんだが、5回まで無失点。6回には投球練習中に右太腿がつるアクシデント。それでも「代わるのは嫌だった」と2失点も根性でイニングの最後まで投げ切った。

 ≪YFK締めた≫最後を締めたのはYFKだ。まず左の藤田が4点リードの7回2死一塁で3番・パク・ハンイを空振り三振に仕留めると、8回2死一塁で登板した薮田もチン・カブヨンを見逃し三振。9回を守護神・小林雅が2三振を奪うなど3人で片付け「いい緊張感の中で投げられた。アジア一?そのつもりでやってますから」と頼もしかった。

 <サムスン ソン・ドンヨル監督 決勝でのリベンジ誓う>2―6の劣勢でもソン・ドンヨル監督はオ・スンファンを投入した。8回先頭、打席に李スンヨプ。「韓国でも生中継されているから」と笑った。新人ながら抑えに抜てきした韓国シリーズMVPの秘蔵っ子に「初めてのマウンドを経験させたかった」。スライダーで二飛に打ち取った投球に満足し、2球で下げた。

 セットアップのクォン・オジュンも慣らし登板させた。「バルガスは早く降板させるべきだったが、まだ試合がある。救援陣にはいい材料があった」。4投手で3回無失点の救援陣に手応えを得ていた。

 慎重に言葉を選んでいた宣監督だが「決勝でぶつかる可能性が高いからね」。エース・ペ・ヨンスを立ててのリベンジを胸に秘めた。

 【興農6―0チャイナスターズ】<台湾・興農 ピコタが好投>今季最多勝(16勝)の右腕ピコタが7回をわずか86球、散発4安打、無失点の好投を見せた。パナマ出身で「少年のころから屋根付き球場のアストロドームや東京ドームがあると知り、1度は投げたいと願っていた」と言うあこがれのマウンド。「捕手もよく見え、無風で投げやすかった」と多彩な変化球を操った。ノーラン・ライアンやロジャー・クレメンスを尊敬する39歳は「彼らにできれば、自分もできるはず」と健康管理を徹底し、40歳代での現役に意欲を見せていた。

 <中国・チャイナスターズ 完敗「相手投手が良かった」>零敗を喫したラフィーバー監督は「ウチのチームが元気がなかったように映るのは相手投手が良かったということだ」と完敗を認めた。先発のチェン・クンは5回無死一塁でボークを犯してから崩れ、3番手・ジャオ・ツァンシェンもボークから失点。ただ1人、2回無失点と好投したジャン・リは「個人的には満足だが、チームは万全な状態ではなかった」と話した。

2005/11/09(水) 野村監督 もうフロント批判
楽天の野村克也監督(70)が9日、戦力補強をめぐっての球団フロント批判を行った。この日、社会人野球の千葉市長杯でシダックスの指揮を執った後、巨人を戦力外となったシコースキーが必要な戦力であることを強調。だが、続けざま「球団に要望?しません。どうせ聞いてもらえないから。三木谷オーナーからすべての分野で指示を出してほしいと言われたのに」と吐き捨てた。

 7日のトライアウトでは再生可能と判断した選手を球団に伝えたが、すべて却下。大学・社会人ドラフトで8人を獲得する方針のため、支配下選手枠がギリギリになることが理由だが、笛吹けども踊らずのフロントに「今は球団と三木谷オーナーの関係がうまく連携していない。オーナーに直談判?TBSのことがあるから球団にかまっていられないでしょう」とやり切れない思いを募らせた。今後について「前途多難ですわ」と漏らした野村監督。嘆き節は当分収まりそうにない。

 ≪楽天は黒字≫三木谷オーナーが都内のホテルで行われた楽天本社の05年度第3四半期決算説明会に出席した。球団について当初は約15億円の赤字を見込んでいたが「グッズも含めて最低でも5000万円の黒字になった」と説明。来年はフルスタ宮城の第2期工事、合宿所の建設費に総額45億円を投資する計画で「現状では新しい選手を獲るのに苦戦しているが、選手補強や設備に投資していくので2、3年は赤字になってもいい」と話した。

2005/11/08(火) 長嶋元監督 「松井秀のハシ」でリハビリへ
プロ野球・巨人の長嶋茂雄元監督(69)の早期回復を願い、元横浜球団常務の湊谷武雄さん(68)らが8日、東京都内の巨人球団事務所を訪れ、米大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手(31)の折れたバットから作ったはしを球団職員に手渡した。
 湊谷さんは、長嶋さんがアテネ五輪野球代表監督を務めた時、選手選考委員として代表チームの編成に携わった間柄。「はしを使うことが脳梗塞(のうこうそく)のリハビリに役立つのでは。松井選手のバットから作れば、最高の贈り物になる」と計画。今年4月ごろ、松井選手に打診すると、「楽しみにしています」とのメッセージとともに、折れたバット1本が送られてきた。
 折れたバットからはしを作る福井県小浜市のメーカーに製造を相談。6ぜんが作られた。長嶋さんのほか、松井選手にも2ぜんを贈るという。湊谷さんは「少しでも長嶋さんの助けになれば。松井選手にも感謝している」と笑顔で話した。巨人球団では近日中に長嶋さんに届ける予定という。

2005/11/07(月) 山口もえ、笑顔で入籍報告会見…左手薬指に3カラット大粒ダイヤ
6日にIT関連会社、ZEELの尾関茂雄社長(31)と入籍したタレントの山口もえ(28)が7日、東京・赤坂のTBSで喜びの会見を開いた。推定3カラットの大粒のダイヤの婚約指輪をはめながら、「何カラットか、さっぱり、わかりません」と独特のおっとり口調で会見場を笑いの渦に。かと思えば、「これからはわたしが彼の支えになりたい」とキッパリ。妻になったもえは、しっかり者に変身だ。
 〔写真:推定3カラットのダイヤの婚約指輪をかざし、笑顔の山口もえ。妻の自覚が芽生えつつあるのか、しっかり発言も飛び出した〕

 おっとり口調で天然ボケのもえが、結婚会見でも、そのキャラクターの真価を発揮した。

 テレビ各局のレポーターから矢継ぎ早に飛んでくる質問にもえは「そうですねぇ〜」を連発。「おめでたは?」との問いにも、「そうですねぇ〜」と肯定的に答えたため、“できちゃった婚?”と会場に緊張が走った。が、一瞬の間をおき、とぼけた口調で「それはないです」。この瞬間、報道陣から一斉に大きな笑い声があがった。

 2人は昨春のTBS系「世界バリバリ☆バリュー」で、もえが、独身セレブの尾関さんを取材して知り合った。その時、尾関さんの自宅に飾ってあったガラスの置物をもえが“おねだり”し、尾関さんがプレゼント。もえがメールでお礼を伝え交際がスタートした。尾関さんからは交際当初から、結婚を前提にした真剣な交際であることを伝えられていたという。

 プロポーズは今年6月11日のもえの誕生日。初デートした思い出のレストランで、ティーカップの下に指輪が置かれていた。「人ってあまりにもびっくりすると、笑うんだなーっ。アハハハハッって笑っちゃいました」とここでも、もえらしい反応。プロポーズの言葉は「色々言ってくださっていたので、ひとつ、コレというのは」と言いながら、「ぼくと一緒に人生を歩みませんか」と交際中に言われた尾関さんの言葉を挙げた。

 「派手な世界にいる方に見えますが、誠実で真面目。オチのないわたしの話を全部聞いてくれるところ」に惹かれたというもえ。「心の支えになってくれて、助けられたことがいっぱいある。これから家庭を作ったときには、わたしが彼の支えになりたい」と凛々しい表情で妻の誓いを立て、最後に、「幸せになりますので、温かく見守ってください」と立派にあいさつ。妻となった自覚が芽生えているようだった。

 もえは結婚後も仕事を続け、挙式・披露宴は来年4月の出演舞台「志村魂」終了後の5月以降になるという

2005/11/06(日) 歌手・女優の本田美奈子さん死去
「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。東京都出身。葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259−1、朝霞市斎場で。葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。喪主は母美枝子(みえこ)さん。

1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞した。「One way Generation」「孤独なハリケーン」などがヒット。パンチ力のある歌唱とセクシーな衣装が話題となり、「和製マドンナ」と呼ばれた。

92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後、「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに出演し高い評価を得た。

今年1月、急性骨髄性白血病が判明して緊急入院、入退院を繰り返しながら闘病生活を続けていた。

★寄せ書きを眺め、作詩も−本田美奈子さん

「たくさんの人に支えられて私は生きている。そのことが病気になって初めて分かった」。6日に亡くなった本田美奈子さんは、病床で繰り返しそう語り、不安や希望を詩に書いていたという。

10月半ばに電話で話した関係者は「信じられない」と語る。「明るい声で『私は元気よ。あなたこそ元気なの?』と笑っていたのに」

アルバム発売、ミュージカル出演、デビュー20周年のコンサートなど、1月の入院ですべてキャンセルせざるを得なくなったが、本人は前向きに治療に取り組み、7月末には一時退院できるまでに回復した。

病室でミュージカルの共演者やファンからの寄せ書きを毎日眺めていた。亡くなる数日前、「自分の舞台を見たい」という本人の希望で、出演したミュージカルのDVDが届けられた。

薬の副作用で髪の毛が抜け、バンダナを巻いた写真を見た知人は「痛々しかった。回復したら見舞いに行こうと思っていたのに」と声を詰まらせた。


◆ミュージカル「レ・ミゼラブル」で共演した歌手岩崎宏美さんの話 「具合が良くないと聞き、昨日病室へ行った。意識はなかったが大声で呼び掛けると、「ああ」と答えてくれた。奇跡のような美しい声の持ち主に奇跡が起きるよう祈っていたのに本当に残念です。人の悪口を絶対言わない天使のような子。仕事先で私のポスターを見たとよく写真をメールで送ってくれた。今、私の携帯には美奈子からのメールがいっぱい入っています」

2005/11/05(土) 済美の福井“評価低い”と巨人入団辞退
原巨人に衝撃が走った。10月3日の高校生ドラフトで巨人に4巡目指名された済美の福井優也投手(17)が、入団を辞退することを5日、発表した。同選手の父親名でマスコミ各社に辞退を表明するファクスが送られたもので、巨人がドラフト指名選手から入団拒否されるのは実に25年ぶり。甲子園で春夏通算9勝を挙げた期待の大型右腕に、チーム一丸でのV奪回を目指す原巨人が蹴られた。

 仮契約の予定日だった7日まであと2日と迫ったこの日の午後5時前だった。マスコミ各社に福井の父である「保護者 福井俊治」を送り主とした1枚のファクスが届いた。契約辞退。巨人がドラフト指名選手から入団拒否されるのは80年のドラフト4位指名、瀬戸山満年(中京)以来、25年ぶりの出来事だ。くしくもその年の1位指名は原監督。チームは予想外の激震に見舞われた。

 福井は家族とともに大の巨人ファンで、自宅には原監督のレプリカユニホームも飾ってあるほど。福井自身もドラフト当日には「早く原さんに会って話がしたい」と明言。10月12日の指名あいさつでは「喜んで受けたい」とも話していた。だが、それからの24日間で気持ちは180度、ガラリと変わった。

 文書によると、福井側は昨年春甲子園で優勝、夏準優勝し9勝を挙げたことから早い巡目でのドラフト指名を期待していた。だが、10月3日の高校生ドラフトでの指名順位は巨人の4巡目。前日4日に仮契約を結んだ加登脇(北照)は甲子園出場経験はないが、指名順位は福井より上の3巡目だ。これらの要素が福井のプライドを傷つけ、最終的に入団辞退の引き金となった可能性もある。

 今後は社会人でプレーするか、大学に進学するかの進路を選択することになるが、いずれにせよ最終的には再びプロ入りを目指すことになる。済美の上甲監督は「きょう父親から事後報告の電話があった。本人は岡山に帰っており、最近は一切接触をしていない。今後(進路)については福井の方で心当たりがあるのだろう」と寝耳に水の事態に動揺を隠し切れなかった。

 球児のあこがれと言われ続けた“巨人ブランド”も通じず、有望新人に蹴られた痛手は大きい。原監督は「すごくいい投手と聞いていたが、今回は縁がなかった。3、4年後にプロの門を叩いた時に、一緒にできることを楽しみにしている。将来、ジャイアンツに来てくれることを願います」と話したが、心中は無念の思いでいっぱいだったに違いない。

 FAで豊田、野口の獲得に動きだすなど、来季へ向けての体制を着々と整える中での不測の事態。“福井ショック”は今後も尾を引きそうだ。

 ▼巨人・清武球団代表 担当スカウトが家族を通じて本人の意思を確認しましたが、翻意は難しいという判断だったので契約辞退を了承しました。期待していただけに大変残念ですが、まだ若いし能力もあるので、プロを目指して頑張ってほしい。

 ≪5年ぶりの“辞退”≫ドラフト指名選手の入団辞退は最近では珍しく、00年オリックス1位指名の内海哲也(投・敦賀気比→東京ガス→巨人)、同5位指名の開田博勝(外・三菱重工長崎)以来5年ぶり。巨人では80年4位指名の瀬戸山満年(捕・中京→プリンスホテル、現少年野球チーム・プリンスジャパン監督)以来25年ぶり34人目。ちなみに巨人に1位指名されながら入団を辞退したのは73年の小林秀一(投・愛知学院大)だけ。

2005/11/04(金) 金本セ界最年長MVP パ・リーグは杉内
2005年度ペナントレースの両リーグMVP、新人王、ベストナインが4日、セ・パ両野球連盟から発表され、MVPはセ・リーグが阪神・金本知憲外野手(37)、パ・リーグはソフトバンク・杉内俊哉投手(25)がそれぞれ初めて選ばれた。プロ野球コンベンションは同日夜、札幌ドーム内で各部門のタイトル獲得者らの表彰と併せて行われ、スタンドに観客約7000人を招いての“公開表彰式”という初めての試みがなされた。

 切れ長の目が若々しく輝いていた。濃紺のスーツに身を包んだ金本は笑みを浮かべながら、受賞の喜びを口にした。「率直にうれしく思います。いつも取れたらいいなあと考えながら、出来ないだろうと思っていた。現実となって光栄です。僕でいいのかという感じです」同僚の2位・藤川に400点近く差をつける文句なしの受賞。猛虎の4番打者に新たな勲章が加わった。

 37歳でのセ・リーグMVPは1977年の巨人・王貞治、84年の広島・衣笠祥雄と並ぶ史上最年長記録。今季はタイトルとは無縁に終わったものの、自己最多の3割2分7厘、40本塁打、125打点をマークし、2年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。「この年齢になって2年続けて自己最高の成績を残せた。研究や勉強を続けてきたことが大きいと思う」一昨年から軸足(左足)に体重を残す新打法に挑戦。積み重ねた努力と工夫が最高の結果となって表れた。

 名実ともに球界を代表するバットマンに成長した金本だが、頭の片隅には悔しさがこびりついたままだ。ロッテとの日本シリーズで、4連敗を喫した屈辱はもちろん忘れていない。「もう一度、あの舞台に立てるように頑張っていきたい」4試合で13打数1安打に終わった借りは、必ず返すつもりだ。

 「本当に全国のどこにいっても、阪神ファンが集まってくれた。勝てばファンに来てもらえるプロらしいチームになったと思う」と胸を張った頼れる主砲。衰え知らずの37歳はまだまだ進化を続ける。(表 洋介)

◆杉内「自分ほめたい」

 自然とわき出てきた言葉だった。「逆境を乗り越えた自分をほめてあげたい」と、スポットライトを浴びた杉内が照れることもなく言い切った。プロ4年目で初めてつかんだパ・リーグMVP。昨年はわずか2勝に終わったサウスポーが、自らが演じた“復活ドラマ”の感激に酔いしれた。

 無残なKOを食らい、我を忘れてベンチのイスを殴打し両手を骨折したのは昨年6月1日のロッテ戦(福岡ドーム)。「去年のことが悔しくてならなかった」と雪辱とざんげを誓った今シーズンは、18勝(4敗)を挙げて最多勝、さらに最優秀となる防御率2・11の「2冠」に輝いた。杉内が獲得したMVPレース(候補選手を3位まで連記)の1位票は次点で涙をのんだ松中に1票及ばない55票だったが、こんな大激戦をくぐり抜けた末の栄冠も、昨年のどん底からはい上がった男らしかった。

 優勝を逃しての受賞にも「レギュラーシーズンの1位通過を高く評価してもらったと思うし、感謝しています」と素直に喜んだ。先月6日には、待望の第1子となる長男・咲哉(さくや)くんが誕生した。「息子が大きくなったとき、ひとつでも多く自慢できるように頑張りたい」MVPに先立ち、投手最高の栄誉である沢村賞にも輝いた左腕は、まだまだどん欲だ。

■200安打達成の青木が新人王 パ・リーグは久保

2005年度ペナントレースの両リーグMVP、新人王、ベストナインが4日、セ・パ両野球連盟から発表され、新人王はセがヤクルト・青木宣親外野手(23)、パがロッテ・久保康友投手(25)が選ばれた。ベストナインでは巨人からの受賞者が12年ぶりにゼロとなり、プロ18年目のロッテ・堀幸一内野手(36)がパ・リーグ史上最も遅い初受賞を果たした。

 セ・リーグに彗(すい)星のごとく現れた安打製造マシンが、文句なしの新人王に選ばれた。ヤクルトの青木が積み重ねた安打数は202本。あのイチロー以来となるシーズン200本安打をマークし、ダントツの得票数209票を集め、生涯1度しか手にできないタイトルを獲得した。

 満面のスマイルというより、少しだけ戸惑っていた。「去年とは比べものにならないぐらい、生活が変わってしまった」引きつった笑顔が初々しい。昨年はわずか10試合に出場して打率2割だった男が2年目に大ブレーク。首位打者に輝いて、取り巻く環境も激変した。「ガムシャラにやって200本達成できた。つかんだというものはないけど…」ひたむきに努力を重ねて最高の結果につなげた。

 来季からは古田新監督のもとで二塁にも挑戦する。もちろん、2年連続の首位打者のタイトルに加え、外野手として初受賞したベストナインを今度は二塁でも奪えるように汗を流す。「どんな賞をいただいてもうれしいですから。今年以上の活躍をして、何とか優勝に貢献したい」慢心せずにニューヒーローは進化する。

2005/11/03(木) <北朝鮮入国女性>仕事せず散歩や買い物… 帰国会見
中国経由で2年前に北朝鮮へ亡命したとされる北川和美さん(31)が3日、ロシア・ウラジオストク発新潟着の航空機で帰国した。新潟市内で記者会見した北川さんは「日本が恋しくて帰りたくなった」と話した。
 北川さんは03年8月24日、中国・丹東市を旅行中に中朝国境の鴨緑江を泳いで渡り、北朝鮮に亡命申請した。理由については「いろいろと事情があり、日本を離れたいと思った」と話した。
 北朝鮮では、平壌市内のホテルで日本語を話す北朝鮮の若い女性と暮らし、散歩や買い物をしたり、ホテル内でボウリングなどをして過ごしていた。仕事はせず、北朝鮮当局からの教育も受けなかったという。
 帰国は本人が望み、日本の支援者が直接北朝鮮政府と交渉して実現した。ホテルの滞在費も支援者らが立て替えたという。北川さんは「日本政府と国民の皆様に迷惑をかけ、反省している。北朝鮮政府は人道的に助けてくれた。感謝している」と述べた。
 帰国は、日朝政府間対話の再開日と重なった。北川さんは「(ホテルで見た)ニュースで再開は知っていた」と話した。「北朝鮮当局から、対話再開について何か言うような指示はあったか」との問いには「何もありませんでした」と答えた。


■<日朝政府間対話>1年ぶりに再開 拉致で柔軟姿勢示唆も

約1年ぶりとなる日本と北朝鮮との政府間対話が3日、北京市内のホテルで始まった。日本側が拉致問題の解決へ向けた誠意ある対応を求めたのに対し、北朝鮮側は植民地支配などの「過去の清算」に関する協議を進めるよう主張したとみられる。今回の協議は4日まで2日間の予定で、初日は休憩を挟んで約5時間、夕食会も約2時間開かれた。
 日朝の政府間対話は、拉致問題をめぐる第3回実務者協議が開かれた昨年11月以来。北朝鮮側が拉致被害者、横田めぐみさんのものとして提供した遺骨が日本側のDNA鑑定で別人のものと判明、北朝鮮側が反発し、中断していた。
 北朝鮮側代表の宋日昊(ソンイルホ)・外務省アジア局副局長は3日の協議に入る前、拉致問題について「日本側に多くの質問と、解決のためにできることなどを提起しようと考えている」と記者団に語り、「拉致問題は解決済み」としてきた従来の姿勢より柔軟に対応する可能性を示唆。夕食会終了後には「双方が関心のある過去の清算と拉致問題について深い議論をした」と述べた。
 日本側代表の斎木昭隆・外務省アジア大洋州局審議官は3日午前の協議終了後、「非常に真剣にそれぞれの関心事項、お互いの立場について述べ合った」と記者団に語った。拉致問題の解決を最優先課題とする日本側は(1)横田めぐみさんの「ニセ遺骨」を提供した経緯の説明(2)生存者の早期帰国(3)真相究明と情報開示(4)拉致容疑者の引き渡し――を要求する方針。
 4日の協議は北京の北朝鮮大使館に場所を変えて開かれる見通し。

2005/11/02(水) <児童ポルノ>今年上半期623人被害 3割が小学生
全国の警察が摘発した児童ポルノ事件の被害者(18歳未満)が、児童買春・児童ポルノ禁止法が施行された99年11月以降、今年6月までに623人にのぼり、小学生以下が3割を占めることが、警察庁のまとめで分かった。今年上半期は112人と、前年同期の3倍以上。昨年7月の改正で、撮影やマニア同士の交換などが処罰対象に加わったのが大きな理由だ。インターネットやデジタルカメラの普及で新種の手口が次々と現れ、被害者の特定が難しい画像も出回っている。同庁は「実際の被害はさらに多い」とみている。
 警察庁によると、623人の内訳は、未就学7人▽小学生181人▽中学生199人▽高校生189人▽有職・無職少年47人。男子も9人いる。未就学児7人のうち4人は今年検挙された事件の被害者で、低年齢化もうかがえる。
 日本の児童ポルノの特徴は、児童買春による行為を撮影したものが多いことだ。子供の側にも問題があるように見られる風潮が強かった。しかし、判断力の未熟な子供たちが軽い興味で出会い系サイトに集まり、小遣いを渡されて撮影される。その時はよく意味が分からなくても、心身に深刻な後遺症が表れる子も多いといわれる。
 児童買春・児童ポルノ禁止法は99年11月に施行された。販売や公然陳列などに加え、改正で、単純製造(撮影)▽マニア間など特定少数への提供▽提供を目的とした所持▽画像データの送信――なども処罰の対象となった。
 今年上半期の検挙件数は計170件で、前年同期の2・3倍。このうち法改正で新たに処罰対象となった行為が計88件と過半数を占める。また、170件のうちインターネットを利用した犯罪は68件。ネットオークションでの売買が32件あり、ウィニーなどのファイル交換ソフトで入手した画像をDVDに取り込み販売したケースもある。
 現在、ネット上の児童ポルノ取り締まりは先進諸国共通の課題とされており、G8でも国際的なデータベースの構築が検討されている。

2005/11/01(火) ジャンボ破たん 民事再生手続き開始
 プロゴルファーの尾崎将司(58)が東京地裁に民事再生手続きを申し立て、個人として経済的に破たんしていたことが1日、分かった。地裁によると、申し立ては10月12日付で、民事再生手続きの開始決定は同月18日付で出されている。破たんの詳しい理由は明らかにされていないが、ジャンボは経営にかかわった会社のゴルフ場開発の失敗や親族の不動産投資の失敗などで最近まで数億円の負債を抱えていたもようだ。

 ジャンボは89年頃からゴルフ学校の建設を計画し、ベースとなるゴルフ場開発に乗り出した。総工費90億円で94年オープンの予定だったが、用地買収が遅れた上にバブル崩壊が重なり巨額の負債を背負うことになった。

 ただ本業のゴルフでは94年から5年連続で賞金王に輝くなど大活躍。クラブ契約先のブリヂストンスポーツが発売したドライバー「J’s(ジェイズ)」メタルや同ブランドのグッズも爆発的な売れ行きを見せた。賞金だけで約2億円、ロイヤルティー収入などを含めれば最高で10億円を超える所得があったと言われた。それでも借金の完済には至らず、さらに親族の不動産投資の失敗もあり一時は数十億円の借金を抱えたといわれた。

 98年には長年契約を続けてきたブリヂストンスポーツと契約を解消し新興メーカーのワールドワン社と契約。同社のバックアップで千葉・船橋市にあった自宅裏に打撃場と研修生の寮を完備した練習施設をつくった。しかし同社の社長が賭博開帳図利容疑で逮捕され契約を破棄。新たに後援者らとクラブ製造会社をおこしたもののこれもうまくいかず、担保で押さえられていた自宅を追われ、自宅裏の施設で研修生らと賃貸料を払って生活していた。

 しかし昨年の獲得賞金が1983万円とピーク時の10分の1に激減。今季もこれまで799万円しか稼いでおらず、賃貸料を安くするため今年から千葉市内に転居し、おしどり夫婦といわれた義子夫人とも別居していた。

 民事再生となっても借家関係や勤務関係にも影響はない。裁判所に提出した弁済計画に沿って3年以内で返せば、軽減を求めた残額を免除されるが、ゴルフ界の頂点を極めた男の今後は厳しいものとなった。 

 ≪除名処分はなし≫男子ツアーを統括する日本ゴルフツアー機構(JGTO)にはツアーの名誉・信用・品位を著しく失墜させた行為をはたらいたメンバーに、除名処分が下される条項がある。ただ渡辺一美専務理事は、「該当するのは犯罪行為など。今回はそれにあたらない」と説明。一方、日本プロゴルフ協会(PGA)では過去に個人破産した会員は退会しているという。しかしPGAとJGTOは別組織。仮に退会となっても永久シードを持っているジャンボがツアー参加を妨げられる恐れはほとんどなさそうだ。


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