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2005/01/17(月)
深まるきずな、未来への歩み確認…阪神大震災10年
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10年の歳月を経て、また巡って来た午前5時46分。傷ついた心が癒えることはないが、「あの日」を決して忘れない。17日、被災地で人々は犠牲者を追悼し、未来への歩みを続けようと改めて確かめ合った。
◆激震地
約200店舗の8割が全半壊し、商店主ら2人が亡くなった兵庫県西宮市の西宮中央商店街では、10年間、5時46分を示したままの大時計が据えられたコミュニティー広場に商店主ら約100人が集まり、震災後初めて豚汁の炊き出しをした。振興組合理事の松下治正さん(53)は「震災で店は減ったが、この10年間でみんなのきずなは深まった。これからですわ」。
「鎮魂 あの日 あの時を忘れたい でも忘れてはいけない いつまでも」
約100人が犠牲となった神戸市東灘区の森公園。亡くなった人たちのことや震災体験を語り継ぐために建立した慰霊碑の前に、住民ら約200人が集まり、黙とうをささげた。夫(当時69歳)を亡くした主婦玉造伸子さん(72)は「悲しみや苦しみを10年たってやっと人前で話せるようになった。もう振り返らない。夫の分まで前向きに生きていく」と誓った。
◆復興住宅
居住者の約8割を65歳以上が占める神戸市西区の復興住宅「市営岩岡住宅」(243世帯)では住民有志が1998年、集会所横に建立した「福幸地蔵」の前に祭壇が設けられ、30人が黙とうした。
同住宅では、年々独り暮らしのお年寄りが増え、体調を崩して外に出られない人も多い。家の中で1人、静かに手を合わせる人が目立つのも、10年目の現実という。
◆小学校
「優しい心と命を大切にする気持ちを持ち続けてほしい」。児童8人が亡くなった兵庫県芦屋市の市立精道小学校では午前9時から開かれた追悼式で、生きていれば今春、同小を卒業するはずだった当時2歳の長女絢子ちゃんの父、友次厚人さん(37)(芦屋市津知町)が、そう語りかけた。
厚人さんは「この学校に入るはずだった絢子が生きた証しを残したい」との思いを込め、娘を助けられなかった無念さを切々と語り、約700人が聞き入った。
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