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2004/08/17(火) <巨人>工藤が通算200勝達成 最年長記録
プロ野球、巨人の工藤公康投手(41)が17日、東京ドームで行われたヤクルト20回戦で今季9勝目を挙げ、通算200勝を達成した。92年7月の北別府学投手(広島)以来、12年ぶり史上23人目。プロ23年目、41歳3カ月での達成は最年長記録となった。これまでの最年長は若林忠志(阪神=達成時)の39歳7カ月。また年間20勝経験のない投手の200勝は初めてで、最多勝経験のない投手としては梶本隆夫(阪急)以来2人目。
 工藤のプロ初登板は西武時代の82年4月10日の阪急1回戦(西武)。初勝利は同8月31日の日本ハム9回戦(西武)。
 工藤は名古屋電気高(現愛工大名電)3年の81年夏の甲子園に出場し、長崎西(長崎)戦で無安打無得点試合を達成。同年、ドラフト6位で西武に入団し、86、87年の2年連続で日本シリーズ最高殊勲選手賞(MVP)に輝くなど西武の黄金時代をエース左腕として支えた。95年にダイエーに移籍。99年のダイエー初優勝と初の日本一に貢献した。
 99年オフに巨人・長嶋茂雄監督(当時)に「男の花道を飾ってほしい」と請われて移籍。1年目の00年、巨人のリーグ制覇を支え、ダイエーとの日本シリーズでは、2チームを股にかけて2年連続日本一を味わった。
 4日のヤクルト戦(神宮)で通算199勝目を挙げ、記録に王手をかけていた。
 主なタイトルは最優秀選手2回、最優秀防御率4回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ3回。所属した3チームで計14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験した。日本シリーズでは巨人・堀内恒夫(現巨人監督)が持つ27試合の最多登板記録に次ぐ26試合(現役最多)をマーク。また、三振奪取数はプロ歴代8位で、日本シリーズ通算最多奪三振記録(102個)を持つ。176センチ、80キロ。左投げ左打ち。通算成績は200勝116敗3セーブ。球界最年長選手。
 ▽巨人・工藤 (九回の声援は)心に響いて勇気になった。前回はふがいない投球だったので、きょうは絶対東京ドームで決める、と考えていた。(記録のことを)いろいろ言われて眠れないこともあったが、チームのみんなが頑張れと励ましてくれた。本塁打は振ったら当たっただけ。マウンドに上がったときから足が震えたが、ファンの声援のおかげで200勝が達成できた。
 ▽中日・川相 巨人時代は工藤さんが投手最年長で僕が野手最年長だった。200勝は常に体調管理とトレーニングを怠らなかった結果だと思う。これからも若手の見本として1年でも長くプレーしてほしい。
 ▽巨人・清原 (西武)入団当初から工藤さんには、いろいろ面倒をみてもらいました。200勝のうち、150勝は同じチームで一緒にやっていますが、200勝の時に同じグラウンドに立っていないのはとても残念だけど、まだまだ通過点ですから、一緒に頑張っていきたいです。
 ▽巨人・工藤の妻、雅子さん 昨日も家で、清原選手や高橋由伸選手、上原選手が帰ってくるまで何とかしなければいけない、ということばかり話していて、200勝の話など全くしていなかったんです。私が『お父ちゃんがホームランを打つしかないね』と言っていたら、今日、本当に打ってしまって……。実は、今日初めてまともに野球中継を見たんです。ホームランを打ったときには涙が止まりませんでした。
 ◇最年長記録支えた「工藤チーム」
 プロ第1号本塁打も放ち通算200勝を達成した巨人の工藤公康投手。「(記録のことを)いろいろ言われて眠れないこともあった」と振り返る41歳の左腕。衰えを知らぬその肉体や精神で最年長記録による偉業を達成したのは、自力で築き上げたスポーツ医学のバックアップ体制だった。
 92年から専属のフィジカルトレーナーを務める筑波大助教授の白木仁さんとの出会いが、工藤投手の意識を変えた。科学的トレーニングを指導する白木さんに触発され、体調維持や管理を独学で学ぶように。93年からは運動機能障害の治療・リハビリなどで著名な久恒病院(福岡県志免町)の原正史院長が肩のケアを担当。いわば「工藤チーム」とも言える強力な支援体制が完成した。
 原院長は年数回のメディカルチェックを欠かさず、肩の養生のためにオフの数週間は入院させてきた。原院長は「肩やひじの筋肉は、31歳の時のデータと同程度の数値が今でも出る。45、46歳ぐらいまで一線で活躍してほしい」と期待する。
 「長寿」のもう一つの理由として、白木さんは旺盛な探究心を挙げる。プロ23年目の今年になっても、身体的に鍛え方が不足していると思える個所に必要なトレーニングを加えたりするからだ。新しく覚えたフォークを実戦で使うなど、どん欲さもある。白木さんは「知的、肉体的、精神的に『鉄人』と言ってもいい。野球に対する深い探究心に、私も心を動かされてきた」と尊敬のまなざしを向ける。
 「わんぱく小僧」と言われた20代のころ、肩は「消耗品」との考えから投げ込みを嫌ったが、30歳前後から「肩は消耗品じゃない」と公言するように変化した。西武時代の同僚、石毛宏典さん(47)は「野球人として脱皮したんだなと感心した」と振り返る。
 ○…工藤は試合後、喜びの会見。「最高です。それしか出てこないな」と口を開き、記録達成に王手をかけてからは「早く200勝してすっきりしたいとの思いが強く、空回りしていた」と反省の言葉を並べるばかり。「ウイニングボールはどうしますか」との質問に「家に持って帰って、家族に……」と声を詰まらせる場面もあった。
 西武に入団した時には「スピードも打球の速さも違った。やばい、と思った。正直、ここまでやってこれるとは思っていなかった」と振り返る。「僕の野球塾」と題したホームページを開くなど野球少年への思い入れが強く、「小さな体でも(プロで)出来ると証明出来たと思う。たとえ身長がなくてもあきらめないでほしい」とメッセージを送った。


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