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2004/08/14(土)
<五輪柔道>野村3連覇、谷連覇 日本夏季「金」100個
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アテネ五輪は第2日の14日から本格的に競技が始まり、柔道で女子の谷亮子(トヨタ自動車)が連覇、男子の野村忠宏(ミキハウス)が3連覇の快挙を達成した。4度目の五輪出場となる女子48キロ級の谷は決勝でフレデリク・ジョシネ(フランス)に優勢勝ちし、シドニー五輪(00年)に続き2大会連続の金メダルを手にした。日本の女子選手が五輪で2個の金メダルを獲得したのは史上初。男子60キロ級の野村も決勝でネストル・ヘルギアニ(グルジア)に優勢勝ちし、アトランタ(96年)、シドニーに続く金メダル。史上初の柔道3連覇を達成し、日本人では初めての個人同一種目3連覇を成し遂げた。野村の優勝で、日本の夏季五輪通算金メダル獲得数はちょうど100個となった。 ▽野村忠宏 決勝ではなかなか技が出なかったが、試合をしていて、自分の体に力を感じた。最高の柔道ができた。 ▽谷亮子 シドニーの時より何倍もうれしい。足は7割ぐらいに回復していた。痛くても畳に立とうと決めていた。田村でも、谷でも世界一になり最高です。 ◇五輪の聖地・アテネで3連覇の金字塔…野村忠宏 野村はやはり、「オリンピックの申し子」だった。 初戦の2回戦から野村家直伝の宝刀、背負い投げを連発。決勝では腰を引く相手から一本こそ奪えなかったが、内容的には完勝。「試合をしていて、自分の体に力を感じた。最高の柔道ができた」と野村。厳しい減量が伴い、1秒たりとも油断できない最軽量の60キロ級では不可能とされた3連覇を、日本人夏季五輪100個目の金メダルで飾ってみせた。 シドニー五輪後の01年夏、柔道から離れるために米サンフランシスコに渡った。体と心を酷使し続けたことで、畳に上がれなくなっていた。海を眺め、テニスに興じたが、半年もしないうちに勝負師としての思いがうずき始めた。「誰もやったことのない五輪3連覇を狙うために戻ってきた」と宣言し、02年秋の講道館杯で復帰。ところが、準決勝と3位決定戦で「生まれて初めて」という1日2回の一本負け。イメージに体がついていかない。限界説がささやかれた。 敗れた日、故郷の奈良県天理市内の居酒屋で、心から慕う人物と酒をくみかわした。その時に言われた言葉を、よく覚えている。「お前が勝ったらむかつくけど、負けても気分悪いなあ」。天理大の先輩でシドニー五輪決勝で「誤審」の末に優勝を逃した篠原信一(現天理大監督)だった。 その篠原は、花道を飾ろうとした03年4月の全日本選手権で散った。金メダルを手にできないまま一線を退いた篠原は、復活を期す野村に言った。「ヒロ、おれに金メダルを一つよこせ」。照れ屋の篠原らしいエール。野村は笑いながらも、心に熱いものがほとばしるのを感じた。 「これが最後のつもりで臨む。だから、しょうもない柔道は絶対にしない」と誓った天才・野村のオリンピックは公約通り、前人未到の3連覇で完結した。【高橋秀明】 ■略歴 野村忠宏 世界選手権は2度出場し、97年に優勝。叔父の豊和氏は72年ミュンヘン五輪柔道の軽中量級金メダリスト。01年5月に葉子さんと結婚。得意は右背負い投げ。奈良教大大学院出。164センチ。29歳。奈良県出身。 ◇強い心が見る者の心を揺り動かす…谷亮子 けがで谷は左足の自由を奪われていた。決勝の相手は身長が14センチ高く、パワーで上回るジョシネ。ポイントでリードしていた残り14秒、決定的な大内刈りで技あり。だが、痛みが走ったであろう左の軸足はぶれない。連覇の瞬間、天を仰ぎ、両手で顔を覆った。 アテネに入る27日前、けいこ中に左足を痛めるアクシデント。歩くことすらできない。完治まで2カ月。「田村亮子で金、谷亮子でも金」と公言してきた五輪連覇は実現できないのか――。 神はまたしても彼女に試練を与えた。 92年バルセロナ五輪で銀メダルの後、96年アトランタ五輪でも決勝でケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた。「最高で金、最低でも金」と言って臨んだ00年シドニー五輪で宿願の金メダル。物語は完結したかに見えた。谷自身も現役続行に意味を見出せない時期があったという。 道しるべとなったのが、夫でプロ野球・オリックスの谷佳知外野手だった。「谷さんはプロとして毎日戦っている。私も1回きりの勝負を頑張って、応援してくれる人に喜んでもらいたい」。人の夢を背負うことに新しい生きがいを見つけた。 けがの後は1カ月間、姿を消した。アテネへ旅立つ前には「けがを理由にオリンピックをあきらめられたら、どんなに楽だったろうと思った」と告白。孤独な戦いの中で追い詰められていた。それでも、「私は小さい時から柔道をやっている。体に染み付いている」と己を信じた。 準決勝までオール一本勝ち。決勝も最後まで攻め続けた。彼女ほどの反射神経と試合運びのうまさがあれば、残り1分を切った段階で逃げ切る柔道に切り替えられたはずだ。ましてやけがで「7割の状態」だったのだから。小さな体に宿った強い心が、見る者の心を揺り動かした。【高橋秀明】 ■略歴 谷 亮子 旧姓田村。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪はともに銀メダル。世界選手権は93年から6連覇中。昨年12月にプロ野球オリックスの谷佳知外野手と結婚した。愛称は「ヤワラちゃん」。得意は右背負い投げ。146センチ。28歳。福岡県出身。
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