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2004/07/19(月) <訃報>鈴木善幸元首相が死去 「第2臨調」で行革推進
「和の政治」を掲げ、行財政改革に取り組んだ自民党の元首相、鈴木善幸(すずき・ぜんこう)さんが19日午後9時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。葬儀の日取りは未定。自宅は世田谷区経堂3の10の6。喪主は元環境相で衆院議員の長男俊一(しゅんいち)さん。

 1911年1月11日、岩手県山田町生まれ。33年、三陸海岸一帯を襲った大津波を目のあたりにし、政治家を志した。47年4月、衆院選旧岩手1区に社会党公認で出馬し初当選。その後、自民党に転じ、連続16回当選を果たした。

 60年、第1次池田内閣に郵政相で初入閣し、その後、官房長官、厚相などを歴任。自民党総務会長を繰り返し務め、調整役として手腕を発揮した。また、官僚出身者の多い池田派、大平派で党人派として他派とのパイプ役を果たし、大平内閣の実現に力を注いだ。

 80年6月、大平正芳元首相の急死を受け、派閥を引き継ぎ、従来、太いパイプのあった田中角栄元首相の後押しで7月、首相に就任。「84年度までの赤字国債脱却」を看板にマイナス・シーリングによる予算編成を行うとともに、土光敏夫経団連名誉会長(当時)を会長とする「第2臨調」を設置した。

 また、81年の訪米の際の日米共同声明に盛り込まれた「同盟関係」の表現をめぐって「軍事的意味合いはない」とする首相と外務省が対立、伊東正義外相(当時)が辞任した。

 総裁再選が確実視されていたにもかかわらず、82年10月に突然、総裁選への不出馬を表明、退陣した。内政、外交での行き詰まりが首相退陣の引き金になったと言われた。90年の衆院選に出馬せず、引退した。

 92年、「共和」汚職事件に絡んだ献金疑惑で国会に参考人として出席し、「善意の保管者として預かった」などと釈明した。

◇大平氏急死で思いがけぬ首相就任

 「和の政治」を掲げた元首相の鈴木善幸さんが19日、93歳で亡くなった。前任の首相だった大平正芳氏の急死で、思いがけず回ってきた首相の座。2年4カ月の在任期間は、行財政改革などに取り組んだ。再選を確実視されていながら、自民党総裁選への出馬を突然辞退するなど、意外性に富んだ政治家人生だった。

 約20年間にわたり鈴木さんの秘書を務めた元岩手県宮古市長の千田真一さん(86)は「選挙が強かった善幸さんは当時の池田勇人首相から『選挙区に帰らず、そばにいて戦ってほしい』と頼りにされていた。東北人らしい重厚な政治家で、寡言だが信頼の厚い人でした」と話す。

 首相在任中は党内融和を重視し、行財政改革に活路を求めた。00年12月、毎日新聞のインタビューに答えた鈴木さんは「総裁再選は確実な状況だった。ただ、あと2年たてば自民党内にうずくまっていた(派閥抗争の)虫がまた動き出す可能性があった。抗争が起きると、それまでの苦労が水の泡になる」と話した。

 善幸さん、長男俊一さんと2代にわたって後援会長を務めた岩手県医師会長の石川育成(やすまさ)さん(73)は「残念だ。引退を決めたとき、『先生が勇退するならおれも勇退だ』と言ったら『代替わりしてもやってくれ』と直接言われて『はい』と言うしかなかった。優しいながらも“風圧”を感じる人だった」と懐かしんだ。


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