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2004/07/17(土)
「サンワリ君」連載38年、漫画家・鈴木義司氏が死去
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読売新聞夕刊漫画「サンワリ君」でユーモアたっぷりに世相を風刺し続けた漫画家、鈴木義司(すずき・よしじ)氏が17日午後2時45分、悪性リンパしゅのため、東京都港区の慈恵医大附属病院で死去した。75歳だった。家族のみで密葬を行う。喪主は妻、英子(えいこ)さん。
東京生まれ。都立理工専門学校(現・都立大)を卒業後、結核で自宅療養中に欧米のナンセンス漫画に影響を受け、漫画家を志す。投稿時代から頭角を現し、シャープな切れ味の社会風俗漫画でたちまち新聞、雑誌で売れっ子になった。
「サンワリ君」は1966年6月から連載開始。お調子者だが憎めない万年平サラリーマンの視点から、社会世相を庶民的な笑いにくるんで風刺した。連載38年間、1万1240回は、新聞漫画では毎日新聞夕刊に連載された加藤芳郎氏の「まっぴら君」に次ぐ長期記録。その他の代表作に「キザッペ」「ケロリ子ちゃん」「ペエペエのペエスケ」など。
69年、文春漫画賞。96年、紫綬褒章。2002年、「サンワリ君」などで日本漫画家協会賞大賞。03年、勲4等旭日小綬章。読売国際漫画大賞選考委員も13回務めた。「漫画集団」代表。
入院中も連載を休まず、力尽きるまでペンを握り続けた鈴木さん。読者の1日の疲れをいやした、サンワリ君のはにかむような笑顔は、もう見られない。
好奇心旺盛な明るい照れ屋。サンワリ君そのままだった。14代続いた江戸っ子は都立理工専門学校(現・都立大)で物理と数学を学び、日本鋼管への就職も決まっていたが、結核と診断されて取り消しに。失意の底で読んだ「ニューヨーカー」のナンセンス漫画、特にスタインバーグのシャープな描線に魅せられた。
「大卒の初任給の数倍は稼いだ」投稿時代に、“慢心”を戒めたのが「モダン日本」の編集者だった作家の吉行淳之介氏。「プロで勝負してみろ」と言われて奮い立ち、横山隆一氏や加藤芳郎氏らに次ぐ大人漫画のホープとなる。
「新聞でやるなら読売夕刊」。その念願を37歳でかなえた。「人生の3割打者」を目指し、さえない“3割引き”の独身サラリーマンを描いた。共感を呼んで、漫画史上でも記録的な長期連載となる。
「週刊漫画タイムス」の「義司の週間絵日記」は2000回以上、「週刊文春」の「今週の義司」は1600回以上のロングラン連載に。テレビ番組「お笑いマンガ道場」のレギュラーを務めたり、60歳で調理師免許を取ったりもした。
モジャモジャ頭と蝶(ちょう)ネクタイがトレードマーク。飄々(ひょうひょう)としたダンディーさを崩さず、信条は「自分の才能を疑わないこと」。が、仕事場ではむしろ不器用で苦吟した。「いつでも、今日これから描く1本が1番きつい」と漏らすことも。
2002年に発病した悪性リンパ腫(しゅ)が進行して今年5月に入院。1日も休載せずベッドの上でペンを握り続けた。6月末に容体が急変、7月2日夕刊が「絶筆」となった
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