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2004/07/31(土) 隅田川花火 夜空を彩る2万発 見物客から大きな歓声
東京・下町の真夏の夜を彩る「隅田川花火大会」が三十一日、墨田、台東両区の隅田川で開かれ、川沿いを埋め尽くした約九十七万三千人(主催者発表)の観客が、約二万発の光の花の競演に酔いしれた。

 心配された台風の影響もなく、さわやかな風が吹いて暑さも和らぎ、会場周辺の隅田川河岸の浴衣姿の家族連れやカップルらは、うちわの手も止めて夜空の大輪を見上げ歓声を上げていた。

 同大会は、江戸中期に始まった「両国川開き大花火」の伝統を引き継いで一九七八年に復活し、今年で二十七回目。打ち上げた花火は、全国の花火業者のコンクールも兼ね、参加した十社が技術を競い合った。

2004/07/30(金) イチロー史上初3度目快挙へ射程
マリナーズのイチロー外野手(30)が大リーグ史上初の大記録を射程圏にとらえた。28日、カリフォルニア州オークランドでのアスレチックス戦で3安打を放ち、20試合連続安打をマーク。打率を・341に上げ、リーグ2位に浮上した。これで7月の月間安打数は43本。残り3試合で、歴代の大打者が誰もなし遂げたことがない3度目の月間50安打に挑む。

 バットに当たれば半分以上がヒット。今のイチローを止められる投手はいるのだろうか。この日の相手は、この試合で両リーグトップの14勝目を挙げた01年の最多勝左腕マルダー。三回の第2打席で遊撃内野安打を放ち、連続試合安打を20の大台に乗せる。さらに第4打席は左前へ、第5打席は九回2死一塁から三塁方向に意表を突くバント安打を決めてみせた。

 最近9試合は打率.524。特に、ここ3試合の8安打はジト、レッドマン、マルダーといずれも昨季14勝以上を挙げた左腕トリオから放った。「それぞれの特徴はピッチャーによって違うもの。そこは(情報として)頭に入っている」。左腕との対戦打率はリーグ2位の.383で、上位10人の中では唯一の左打者。本人は「どうしてか僕はよく分からない」と首をかしげるが、もはやこの男に常識は通用しない。

 連続試合安打の自己記録は23。29日から敵地アナハイムで行われるエンゼルスとの今月最後の3試合でこれに並ぶか注目が集まるが、もう1つ球史に名を残す大記録もかかる。3試合で7本打てば、今年5月に続く3度目の月間50安打。2度マークしているのはイチローと、通算4256安打の大リーグ記録を持つあのピート・ローズ(元レッズ)しかいない。わずか3年半のキャリアで“元祖安打製造機”の上に立つ可能性が出てきた。

 打率も開幕直後を除く今季最高の.341。現在首位打者のロドリゲス(タイガース)が29日に5打数無安打ならば、イチローは5打数5安打で逆転する。球団ワーストの敵地15連敗を喫したチームの中で、ただ1人別次元の道を行く。

2004/07/29(木) 小堺さんが番組一時降板 病気のため
タレントの小堺一機(48)が病気のため、先週から緊急入院していることが28日、分かった。司会を務めるフジテレビ系「ごきげんよう」(月〜金曜・後1時)を一時降板するほか、8月に予定されている主演舞台「小堺クンのおすましでSHOW〈20〉」(東京・新宿シアターアプル)も休演する可能性が出ている。

主演舞台休演も
 小堺は体調不良を訴え、先週から都内の病院に入院している。詳しい病状については明らかになっていないが、20年間司会を務めてきた「ごきげんよう」の収録を一時見合わせることが決定。代打司会者は、長年の相棒であるタレント・関根勤(50)の起用も検討されているようだ。今年で20回目を迎える夏恒例の舞台「おすましでSHOW」も病状によっては休演の可能性もありそうだ。

 この日、小堺の妻は都内の自宅でインターホン越しに取材に応じ、入院について「それは事務所に聞いて下さい」とコメント。仕事の降板については「それはどうでしょうか…」と話した。

 小堺は大学在学中の1977年、TBS系「ギンザNOW」に出演したのを機に芸能界入り。萩本欽一の「欽ちゃんファミリー」の一員として、関根とともに頭角を現し、お昼の名物番組「ごきげんよう」の司会で国民的な人気タレントとなった。

 これまで87年に声帯ポリープを患い、除去手術のためテレビ、ラジオを休んだことがあるが、ここ数年は目立った病気もなく、幅広い分野で活躍してきた。

 ◆小堺 一機(こさかい・かずき)1956年1月3日、千葉・市川市生まれ。48歳。専修大学在学中の77年、TBS系「ギンザNOW」の素人コメディアン道場をきっかけに芸能界入り。81年、「欽ちゃんのどこまでやるの!」の黒子役で関根勤とともに人気者に。フジ系「いただきます」「ごきげんよう」の司会を20年間続けて、お昼の顔として定着。ラジオ、舞台など幅広いジャンルで才能を発揮している。(

2004/07/28(水) おいちゃん下条正巳さん 逝く 「男はつらいよ」寅さんファミリーまたひとり…
映画「男はつらいよ」(山田洋次監督)シリーズのおいちゃん役で親しまれた名脇役の下条正巳さんが25日午後3時55分、すい臓がんのため東京・世田谷区の自宅で亡くなった。88歳だった。本人の遺志で葬儀は長男で俳優の下条アトムさん(57)ら家族だけで済ませた。28日になって訃報(ふほう)を知らされた山田監督、倍賞千恵子ら、寅さんファミリーは動揺を隠せなかった。笠智衆さん、渥美清さんに続いてまた貴重な俳優が、静かに逝ってしまった。

 最期をみとったアトムさんによると、下条さんは今年に入って体調がすぐれず、検査入院を繰り返していた。診断はすい臓がんで、告知されていたという。5月1日に都内の順天堂医院に入院し、手術。本人が往診医の医療介護を希望し、住み慣れたわが家で、家族に見守られる中、眠るように息を引き取った。

 強い遺志で内輪だけで葬儀をすませ、荼毘(だび)に付された。この日まで寅さんファミリーにも伏せられていた。「男はつらいよ」で下条さんは三崎千恵子(83)と夫婦役を演じた。葛飾柴又・帝釈天の門前で草だんご店を営む寅次郎の叔父おいちゃん。三崎は“夫”を亡くしたショックで寝込んでしまった。

 森川信、松村達雄に次ぐ3代目のおいちゃんだったが、14作からシリーズ最後の48作まで続投。ふらりと帰ってくる寅さんを優しく温かく見守りながら、柔らかな口調で時に苦言を呈する独特の味わいと雰囲気を持っていた。

 山田監督は松竹関係者から亡くなったことを知らされ「実直、誠実、寡黙、凛(りん)とした古武士のような生き方を貫いた人でした」失意の中で在りし日を思い出していた。

 寅次郎の妹さくらを演じた倍賞千恵子も動揺を隠せない。「生前『オレが死んだらバラ一輪あげてくれればいい』と言っていたのに。バラ一輪あげられなくて悲しい。渥美さんもそうでしたが、気づいた時にはもういない。とても寂しい…」

 遺族を代表してアトムさんは「在宅での38日間は家族にとっても父にとっても濃密な時間を過ごせた」といい、さらに「60余年にわたり自らに厳しく、真っすぐな役者人生を全うできたことを父、おいちゃんに代わりまして心より御礼申し上げます」と気丈にコメントした。

 ◆下条 正巳(しもじょう・まさみ)本名同じ。1915年8月26日、韓国・釜山生まれ、長崎育ち。33年釜山一商卒。「映画監督になるつもり」で上京。新協劇団の「マンハイム」を見て感激し、入団。40年解散するが、46年再建。51年劇団民芸に移り、71年からフリーに。夫人は元女優の田上嘉子さん。身長168センチ、体重55キロ。篆刻(てんこく)が趣味だった。

2004/07/27(火) 作家でミュージシャンの中島らもさんが死去
 作家でミュージシャンの中島らも(本名・中島裕之=なかじま・ゆうし)さんが26日午前8時16分、脳挫傷のため亡くなった。52歳だった。

 密葬は27日に済ませた。告別式は行わず、近く有志による追悼ライブを行う予定。連絡先は大阪市北区天神橋1の8の16グラン・ビルド天神橋302の中島らも事務所。

 16日未明、神戸市内で階段から転落し、頭部を負傷、同市内の病院で治療を受けていた。

 兵庫県尼崎市出身。大阪芸術大卒。バンド活動とともに、小説、エッセー、脚本など幅広く活躍、マルチな才能で軽妙な笑いを誘い、若者文化の一翼を担った。1986年に劇団「リリパットアーミー」を結成、関西を代表する劇団に育てた。

 92年に「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学新人賞、94年に「ガダラの豚」で日本推理作家協会賞(長編部門)を受け、直木賞候補にも数回なった。

 2003年2月、自宅に大麻などを隠し持っていたとして現行犯逮捕。同5月に懲役10月、執行猶予3年の判決を受けたが、20日余りの拘置生活をテーマに「牢屋でやせるダイエット」を出版した。

 同名小説を原作にした映画「お父さんのバックドロップ」(10月公開予定)にも出演。4月に東京で行われた撮影では元気な姿を見せていたという。

2004/07/26(月) 日本から8千人、五輪ツアーは大丈夫?
アテネ五輪の開幕を間近に控え、現地の旅行会社が観戦客の受け入れ準備に四苦八苦している。五輪施設の工事の遅れが響き、いまだに観戦のための詳細なツアー予定表を組めないためだ。「リスクが大き過ぎる」と、五輪ツアーを一切、取り扱わないという会社も出てきている。

 JTBや近畿日本ツーリストなど五輪観戦ツアーを取り扱う日本オリンピック委員会(JOC)の公式代理店6社によると、アテネ五輪の期間中、日本からのツアー客は、選手、関係者なども含めて約8000人に達する見通しだ。

 これらのツアー客の受け入れにあたる現地の旅行会社は、2年前からホテルやガイドなどの確保に当たってきたが、競技施設の建設や鉄道などの交通網の整備の遅れが響き、五輪開幕まであと二週間余りとなった現段階でも、最終的なプログラムがなかなか立っていないのが現状という。

 ◆競技場の駐車場の場所さえ不明◆

 日本の旅行会社3社のツアー客など3000人以上を扱う予定の「アンフィトリオン・ホリデイズ」の極東担当者は、「いまだに競技場の駐車場さえ分からない。乗客をどこで降ろし、どこで拾うのかも決まっていない」と嘆く。同社では、会場近くで乗降が出来なくても近くの駅まで誘導してバスに乗ってもらうなどの対策を検討中だ。

 「アンディーズ・ツアーズ」は、日本や韓国、アメリカなどからの観戦客500―600人を扱うが、担当者は、「とりわけ要求の水準が高い日本人客からは、『ホテルが遠すぎる』とか『ホテルの設備が悪い』とかいったクレームが出る可能性がある」と認める。

 ◆アテネからバスで3時間のホテルも◆

 関係者によると、現地旅行会社の中には、アテネ市内からバスで3時間かかる場所にホテルを確保しているところもあるという。

 一方、ミキトラベル・ギリシャ支店は早々に、“五輪ツアー戦線”から手を引いた。水田敏夫支店長(54)は「ホテルは高いし、バスもガイドも少ない。数百人単位で受け入れを頼まれたが、クレームが殺到して信用をなくしては元も子もない」と話す。

 日本の各旅行会社では、現地に応援スタッフや多数の添乗員を投入して対応するが、現地旅行会社の関係者は断言する。「最初の2、3日は必ず混乱する。なぜなら、大会運営そのものがどうなるか、誰も何も分からないのだから」

2004/07/25(日) <ジェンキンス氏おい>検査続き、面会できぬまま帰国
拉致被害者の曽我ひとみさん(45)の夫ジェンキンスさん(64)に面会しようと来日していたおいで、米国在住のジェームズ・ハイマンさん(44)が25日、帰国した。「検査が続いている」ことが理由で、面会はかなわなかった。ハイマンさんは「無念だが、落ち着いたらまた来日したい」と話していたという。

拉致被害者、曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさんのおいで、米国から来日しているジェームズ・ハイマンさんが24日、ジェンキンスさんの入院先の病院に見舞いに行くことを禁じられていると語った。また、おじが脱走したという証拠はない、と強調した。
 ジェンキンスさんは18日、病気治療のため一家4人で来日・帰国し、現在は都内の病院に入院している。
 ハイマンさんはおじとの再会のため、一週間前日本に到着し、何度も面会を求めたが、日本側から断られたという。
 ジェンキンスさんが平壌を離れてから、ジェンキンスさんの姉妹の1人が2度、本人と電話で話をしたものの、91歳になるジェンキンスさんの母親をはじめ、親族は連絡を取っていないという。
 ハイマンさんは「我々は家族で、この時を40年間、待ち続けてきた。祖母は91歳で、政治的な段取りを踏むのを待つ時間はない」と述べた。

2004/07/24(土) アジア杯、日本が決勝T進出 タイに4―1
サッカーのアジア・カップは第8日の24日、重慶で1次リーグD組を行い、日本がタイを4―1で破って2連勝をマーク。勝ち点を6とし、1次リーグ最終戦を残して決勝トーナメント進出(ベスト8)を決めた。前半早々、思わぬ先制点を許した日本だが、中村(レッジーナ)のFKで追いつくと、後半は中沢(横浜マ)や福西(磐田)の得点で突き放した。日本は28日、同組1位をかけてイランと対戦する。

 イランとオマーンは、オマーンが前半に2点を先制したが、イランがロスタイムに追いついて引き分けた。イランは勝ち点4でD組2位、オマーンは勝ち点1で3位。2連敗のタイが最下位となっている。

◇前半は厳しかった

 日本・ジーコ監督 前半は特に厳しい試合だったが、後半は日本の形が生まれ、点を取ることができた。(イラン戦も)集中力、精神力で乗り切り、グループ1位通過を狙いたい。

 日本・中村 (前半の同点FKは)あの時間に入れることができてよかった。壁も低かったし、コースとスピードもよかった。後半は(小笠原)満男や本山が起点になってくれたので、僕はつなぐだけでよかった。

 日本・中沢 1点目はこぼれ球を強くけったら入ってラッキーだった。2点目もいいボールが来てくれた。いい形で点が取れてよかった。簡単な相手ではないが、次も集中して戦いたい。

◇先制点はタイ

 日本は一瞬の隙すきをつかれ、先制点を奪われた。カウンターから右サイドをドリブルで上がったスティーに中央への切り込みを許し、DFのマークも遅れてペナルティエリア手前でミドルシュートを打たせてしまった。左足から鋭く振り抜いたボールに、川口の手も届かなかった。

 日本も21分、中村が得意の左足でけった約25メートルの直接FKがゴール右隅に決まり、同点に追いついた。試合開始直後、決まったかに見えた鈴木のヘディングがオフサイドになるなど、嫌なムードも漂いかけていただけに大きな一発だった。

 だが、カウンターから思い切り良くミドルシュートを狙ってくるタイの術中にはまってリズムが悪く、同点のままハーフタイムを迎えた。

 後半、日本は積極的に選手を入れ替えた。勝ち越しに成功したのは後半12分。セットプレーから小笠原が放ったシュートは相手DFに当たったが、こぼれ球を中沢が右足でゴール右隅に突き刺した。

 日本は後半24分、三都主の左CKに福西が高い打点からヘッディングシュート。たたきつけたボールはGKの手を弾いてゴールに吸い込まれた。

 日本は試合終了直前にも、中沢が自身2点目となるゴールを、ヘディングで決めた。

2004/07/23(金) ジェンキンスさん「再手術の必要なし」…病院が会見
曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが入院している東京女子医大病院(東京都新宿区)は23日、記者会見を開き、ジェンキンスさんの病状について説明した。

 病院側は「北朝鮮で今年4月に受けた前立腺手術は、傷口にうみは見られるものの、ほぼ完治している。再手術の必要はなく、入院後、体調は徐々に回復している」とした。具体的な病名は明らかにしなかった。

 また、永井厚志副院長は、ジェンキンスさん自身が北朝鮮側から示唆されたとされる「深刻な病状」について、「検査では見つからず、幸いその可能性は極めて低い」とした。

 しかし、ジェンキンスさんは医師らに「手術後、体重が10キロ落ちた」と話すなど、体力の低下や疲労感を訴えているという。院内の移動は車いすが必要で、病院食も3分の1ほどしか口にしていない。永井副院長は「強い精神的なストレスがうかがえる。ただちに日常生活に戻れる状態ではない」と話した。

 同病院の医療チームは今後さらに約1週間の精密検査を行い、最終的な結論を出す方針。

 同病院は、23日午前中に、病院を訪れた米大使館関係者と米軍医らに対し、病状について説明したという。

2004/07/22(木) 星セントさん死去 「セント・ルイス」で一世風靡
「田園調布に家が建つ!」などのギャグで、1970年代から漫才師として活躍した星セント(ほし・せんと、本名・村山袈裟夫=むらやま・けさお)さんが22日午後零時28分、右肺がんのため都内の病院で死去した。56歳だった。

 セントさんは02年1月に声の不調を訴え、検査で肺がんが見つかった。同年3月に右肺の全摘出手術、同年6月に声帯手術を受け、8月に退院。仕事復帰後も入退院を繰り返し、今年6月30日に再び入院。この日、容態が急変し帰らぬ人となった。最期は家族にみとられ静かに息を引き取ったという。

 セントさんは72年に星ルイスさん(53)と漫才コンビ「星セント・ルイス」を結成。「田園調布―」などのギャグで人気が爆発した。その後は俳優としても活動。03年5月に、30年間続いていたルイスさんとのコンビを解消していた。

 セントさんの遺体はこの日夕方、都内の自宅に戻った。妻のキミエさん(57)らによると、「最後まで舞台人として生きたい」という本人の希望で、意識が混濁する抗がん剤の治療を中止。延命治療も断り、ベッドの上では仕事の話ばかりしていたという。右肺の全摘出手術の際に、家族には1年以内にがんが再発すると伝えられていた。夜にはルイスさんや筆頭弟子のミスターちんらが弔問に訪れた。

◆ルイスさん号泣

 この日、都内で会見した元相方の星ルイスさん(53)は「もう一度、一緒に舞台に立つというオレの夢を壊した」と号泣した。

 コンビは解消したが、「芝居ならいいだろうと思っていた」とルイスさん。「お互いボロボロになってからやりたかった」と唇をかんだ。入院中に見舞いに行かなかったのも「闘病中の彼を見たくなかったから」という。ここ2年は連絡を取っておらず「治ったとばかり思っていた」と悔やんだ。「オレがあっちにいったら、目印のあるところで待っていてほしい」と肩を震わせていた。(

7月絵日記の続き


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