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2004/06/07(月)
漫才師のコロムビア・トップ氏が死去
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東京漫才界の重鎮で、元参議院議員のコロムビア・トップさん(本名・下村泰=しもむら・ゆたか)が7日午後8時31分、亡くなった。82歳だった。
東京都出身。太平洋戦争中、ビルマ(現ミャンマー)を振り出しに、シンガポールなどを転戦。タイで終戦を迎え、捕虜生活を送った後、1946年に帰国した。
戦地で戦友の池田喜作さんと漫才コンビ、青空トップ・ライトを結成。帰国後、浅草オペラの藤村悟郎さんに弟子入りする形で芸能活動を始め、49年、池田さんが病気で倒れたため、声帯模写をやっていた鳥屋二郎さんを2代目のライトにして、新コンビを組んだ。52年にコロムビアレコードの専属になったことから、屋号をコロムビアに改めた。
以来、毒舌を売り物にした時事漫才で活躍。63年には芸術祭の奨励賞を獲得した。74年には参議院選挙に立候補して当選。青島幸男さんらの二院クラブに所属するとともに、トップ・ライトのコンビを解消。議員活動のかたわら、単独で芸能活動を行うようになった。
国会議員としては、一貫して身障者問題、老人問題などの福祉問題に力を入れ、82年からは社団法人「あゆみの箱」代表理事を務めた。
80年の参院選では落選したが、83年12月に当時参議院議員の作家、野坂昭如さんが衆議院に出馬したため、繰り上げ当選。89年の参院選にも当選し、二院クラブの代表も務めた。
95年に勲2等旭日重光章を受章。98年7月に政界を引退後は、漫才協団の名誉会長として、後進の育成に尽力した。同協団会長の内海桂子さんとの漫才を披露するなど、活躍していた。97年に胃がんの手術を受けた後、昨年、2度にわたって食道がんの摘出手術を受けるなど、闘病生活を送っていた。
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