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2004/05/31(月) 地村夫妻が子供3人の日本名を公表、転入届を提出
福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(48)、富貴恵さん(48)夫妻は31日、北朝鮮から帰国した3人の子どもの転入届を市に提出し、3人の日本名を公表した。

 長女(22)は恵未(えみ)さん、長男(20)は保彦(やすひこ)さん、二男(16)は清志(きよし)さん。夫妻や夫妻の父の名前などを組み合わせて命名したという。

 夫妻は、北朝鮮では日本人であることを隠し、朝鮮名で呼んでいたが、帰国後、婚姻届と子どもの出生届を日本名で提出。子どもらは日本国籍を取得した。

 一家が小浜入りした際の会見で、保志さんは「子どもらが自分たちは日本人と自覚すれば公表したい」としており、この日の会見で、子どもたちに永住の意思確認はしていないとしながらも、日本語習得に意欲的なことから「(永住に)前向きな傾向がある」と話した。夫妻は日本で生活できると判断したとみられる。

 ただ、保志さんは「子ども同士では、まだ朝鮮名で呼び合うことが多い」と語るなど、日本人という自覚を完全に持っているわけではないとの懸念も示した。

2004/05/30(日) <曽我さん>「一家で安心して話せるように」再会地要望
北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさん(45)と夫の元米兵、ジェンキンスさん(64)ら家族の再会の場所や時期の選定をめぐる問題で政府は30日、杉浦正健官房副長官と中山恭子内閣官房参与が新潟県佐渡市で曽我さんから直接意向を聞いた。杉浦氏によると、政府側は複数の再会候補地を提示したが、曽我さんは具体的な希望地にはふれず、「一家4人で安心して話せるようにしたい」と要望、「今度4人で会ったら絶対に離れない。北朝鮮にも帰らない」と訴えた。政府は場所の選定について基本的に曽我さんから一任が得られたと判断しており、中国・北京を軸に調整する方針だ。

 佐渡市真野支所で行った曽我さんとの面会には外務省の斎木昭隆・アジア大洋州局審議官も同席。杉浦氏らは再会の候補地として米国と犯罪人引き渡し条約を締結していない中国、ロシア、ベトナムなど数カ所のリストを提示。ジェンキンスさんの訴追に関する米国との関係や、同氏が日本国籍を取得する場合の手続きなどを詳しく説明したうえで「政府の基本方針に沿って、再会とジェンキンスさんらの来日、帰国に向け全力を尽くす」と説明した。4人が面会する際の渡航費と滞在費を政府が負担する考えも伝えた。

 曽我さんは具体的な場所の希望を述べなかったが、「安心して話せる場所」を望んだうえで「いずれの日か、日本で一緒に暮らしたい」と杉浦氏らに訴えた。

 杉浦氏は同日、記者団に「政府が責任をもってやっていくという信頼関係は築かれたと思う」と強調。北京に曽我さんが難色を示したとされる点について「曽我さんの真意とは違う」と述べた。出席者によると、曽我さんは「北京は北朝鮮に近過ぎると言っただけだ。中国がいやだとは言っていない」と説明したという。

 杉浦氏はそのうえで「今後はジェンキンスさんの意向を聞き、外交ルートを通じて調整する」と述べ、北朝鮮との調整を本格化する意向を示した。夫の訴追免除について曽我さんからどのような要望があったかは具体的に説明しなかった。

2004/05/29(土) 右目撃ち抜かれる 小川さんとみられる遺体
イラクの日本人フリー記者襲撃事件で、襲撃現場から西に約10キロのバグダッド南方ユスフィヤで見つかった小川功太郎さん(33)とみられる遺体は、右目を前方から撃ち抜かれ、それ以外の外傷はほとんどなかったことが29日、分かった。
 襲撃された車の運転手が同日、日本大使館で事情聴取された際に大使館関係者から聞いた話として語った。
 小川さんは当初、みけんを撃ち抜かれたとされていた。
 運転手によると、小川さんとみられる遺体は襲撃翌日の28日朝、ユスフィヤの農場で発見された。銃による傷以外は、ガラスによる切り傷くらいだったという。自動小銃で襲われた時、割れた車の窓ガラスでできた傷とみられる。

2004/05/28(金) フリー記者2人の車銃撃受け、1人死亡か
 外務省に28日未明入った連絡によると、イラクの首都バグダッド近郊で27日、日本人2人とイラク人2人が乗った車が襲撃された。銃撃を受け炎上したという。同省は、2人はいずれもフリージャーナリストの橋田信介さん(61)=山口県宇部市出身、タイ・バンコク在住=と、おいの小川功太郎さん(33)=同市出身=とみている。1人が死亡、1人が負傷したとの情報もあり、安否の確認を急いでいる。

 在イラク日本大使館から外務省に28日午前2時15分ごろ、電話で連絡が入った。同3時15分、同省は緊急対策本部を設置、官邸も同3時55分に対策室を置いた。大使館は、米英占領当局(CPA)に協力要請を行うなど情報収集を進めている。

 同省によると、日本人2人が乗った車は現地時間の27日夕、バグダッドの南方約30キロのマハムディヤを走行中、襲撃を受けた。後ろから来た乗用車が走行しながら銃撃したという。運転手が逃げ出した後、車両は爆発、炎上した。車には日本人2人とイラク人運転手、イラク人通訳の計4人が乗っていた。運転手は橋田さんらと以前から知り合いで、2人の写真を持っていた。

 運転手は負傷して病院に収容され、連絡を受けた運転手のおじが現地時間27日午後8時半(日本時間28日午前1時半)に日本大使館を訪れ、通報した。大使館関係者が運転手からも事情を聴いている。

 防衛庁などによると、橋田さんらは現地時間の27日朝、バグダッドを出て、午前10時40分ごろ、サマワの陸上自衛隊宿営地を訪れ、橋田さんが申請していた宿営地の「立入取材員証」を受け取った。昼食後、午後0時半過ぎにバグダッドに向けて車で出発したという。

 橋田さんは日本電波ニュースでベトナム戦争中のハノイ特派員などを歴任。88年に退社後はバンコクを拠点に世界各地の内戦などの取材を続けてきた。93年5月にはカンボジアで取材中にポル・ポト派に身柄を拘束された経験もある。「戦場特派員」「イラクの中心で、バカとさけぶ」などの著書がある。今回は、米軍の攻撃で目にけがをした少年を日本で治療させるため、25日にイラクに向け出発、6月1日に帰国予定だったという。

 小川さんは96年にNHKに入局し、鳥取放送局時代の03年に退職した。今月上旬、米軍が激しく攻撃したファルージャに入り、現地のルポが週刊誌に掲載されていた。

 イラクで日本人が被害に遭った事件は、昨年11月に奥克彦大使と井ノ上正盛1等書記官が四輪駆動車で移動中に銃撃を受け殺害された。今年4月にはフリージャーナリストやNGO関係者ら計5人が武装勢力に拘束される事件が2件相次ぎ、いずれも無事解放された。

 ■マハムディヤ

 古代都市バビロンのあるバビル地区に属し、自衛隊が駐留するサマワのほか、イスラム教シーア派の武装勢力と米軍が戦闘を展開するカルバラ、ナジャフ、ディワニヤに向かう一般道の途上に位置している。

 ◇外国人を無差別攻撃か 報道陣犠牲相次ぐ

 日本人ジャーナリストが襲撃されたバグダッド郊外のマハムディヤ付近では、メディアの取材班が襲撃される事件が相次いでいる。これまでに発生した事件は、いずれも犯人が後方から車で接近し、いきなり銃撃しており、今回の事件と共通点が多い。犯人像ははっきりしないが、外国人を狙った反占領武装勢力による無差別攻撃の可能性が強い。国際ジャーナリスト連盟(本部・ブリュッセル)によると、昨年3月の開戦以来、少なくとも43人のジャーナリストやスタッフが襲撃や爆弾テロに巻き込まれ死亡しており、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部・パリ)は、イラクは「ジャーナリストにとって、世界で最も危険な地域の一つ」としている。

 今年1月27日に発生したCNN取材班の襲撃事件は、2人が死亡し、3人が負傷した。CNNによると、計7人で構成した取材班は2台の車両に分乗してバグダッド南方約120キロのヒッラでの取材からバグダッドに帰る途中、マハムディヤ付近で待ち伏せ攻撃を受けた。

 走行中の2台の車両の背後から1台の乗用車が接近。乗用車のサンルーフから立ち上がった男が自動小銃「AK―47」とみられる銃器でCNN取材チームの車両を銃撃した。CNNの取材班に加わっていた銃器携帯の警護担当者が応戦し、乗用車は逃走した。

 死亡したのはCNNが1年前から現地で雇用しているイラク人の通訳兼制作担当者と運転手。CNNは声明の中で「強盗目的ではなく、CNNを狙ったもので、警護担当者が応戦していなければ皆殺しに遭っていた」と説明している。

 一方、5月7日に発生したポーランド国営テレビTVPの特派員とプロデューサー襲撃事件では計2人が狙撃され、死亡、同僚のカメラマンとイラク人運転手が負傷した。現場はCNN記者殺害とほぼ同じ場所だったという。

 CNNなどの報道によると、一行はヒッラからバグダッドに向かう途中、高速道路が閉鎖されていたため、一般道を走っていた。車に乗った犯人が後方から銃撃し、後部座席の特派員が死亡。3人は車を降りたが、プロデューサーも殺された。

 外務省によると、フリージャーナリストの橋田信介さんらの襲撃事件も犯人が車で後ろから接近し走行しながら銃撃したとされ、CNN、ポーランド国営テレビ取材班の事件と似ている。今回の事件は犯人が日本人と認識して襲撃したのかどうかは不明だ。しかし物を取られた形跡がないことから、CNNの声明にあるように強盗目的とは見られず、反占領武装勢力による外国人を狙った攻撃との見方が強い。

2004/05/27(木) 一青窈CMデビュー!歌と出演 父の故郷台湾で「一番搾り」
歌手の一青窈(27)が日本より一足先に父親の故郷である台湾でCMデビューすることが26日、分かった。日本のビール会社「キリンビール」の合弁会社で台湾に拠点を置く「台湾麒麟ビール」のビール「一番搾り」に出演、CMソングも歌う。CM監督は初主演映画「珈琲時光」も手がけたホウ・シャオシェン氏(57)。27日から台湾全土でオンエアされ、日本でもインターネットで期間限定公開される。

 父が台湾人、母が日本人というハーフの一青にとって、初CMは特別な思いが込められた作品となった。

 「もらい泣き」でブレーク後、さまざまな仕事のオファーがあるなか、父の故郷である台湾での仕事を熱望していた。母の故郷だけでなく、父の生まれ育った地で、歌手や役者として活動している自身の姿を刻みたいと思ったからだ。

 そんな思いが通じたのか、初CMは台湾からのオファー。台湾麒麟ビール側が、日本の音楽シーンで活躍する一青の姿から爽(そう)快感、躍動感を感じ、イメージにピッタリだと指名してきた。

 CMの収録は全国ツアーが終了した4月29日から5月3日まで台北市などで行われた。大自然の中、同年代の女の子と遊ぶシーンや、大人の雰囲気を醸し出すバーでのシーンなどがあり、コンサートのステージ上とはひと味違う表情を見せている。

 一青は「お父さんもすごくお酒が好きだったし、何か思い出を共有できているみたい。すごくうれしいときとか、思い出したいときとかにビールを飲むというのはいい方法なんじゃないかな」と顔を少しほころばせ、初のCM撮影を振り返った。CMは台湾全土で27日から8月末まで放送される。日本ではテレビでの放送の予定は今のところなく、期間限定でインターネットで公開される。

2004/05/26(水) 「北朝鮮には絶対帰らない」=曽我さん、家族再会で決意
北朝鮮には絶対帰らない」。拉致被害者で、新潟県佐渡市の曽我ひとみさん(45)は26日、激励に訪れた「救う会新潟」の小島晴則会長らと勤務先の佐渡市役所真野支所で面会し、「時間がかかっても家族4人で日本で暮らしたい」と家族再会に向けた決意を述べた。
 小島会長によると、曽我さんは夫ジェンキンスさんら家族との面会場所について、「北朝鮮と深いつながりがある場所では心配だ」と懸念を示し、「日本政府には身の安全と自由な発言を保証してほしい」と要望したという。小島会長は曽我さんの要望などを近く、新潟県の平山征夫知事に伝える予定。

2004/05/25(火) ベッカムの妻ビクトリア「夫を固く信じている」
サッカーのイングランド代表主将、デビッド・ベッカムの妻で、元スパイス・ガールズのビクトリア・ベッカムが、浮気疑惑が取り沙汰されている夫を信じ、擁護する姿勢を示していた。
 英国各紙が24日、女性誌マリ・クレールの記事内容として伝えたところによると、ビクトリアはスペイン1部リーグ、レアル・マドリードに所属するベッカムについて、「これ以上望めないほど誠実な夫を持ったと、わたしは固く信じている」と明言。
 ビクトリアはまた、「ある夜夫婦でベッドで横になっていた時、デビッドはテレビをつけてガーデニング番組を見ていた」と語り、ポルノより料理やガーデニングの番組が好きというベッカムの意外な一面を明らかにした。
 ビクトリアは、ベッカムがもしサッカー選手として世界的に有名でなければ、喜んで“主夫”を務めるだろうとしている。
 このインタビュー記事を掲載した同誌最新号は、27日に発売される。

2004/05/24(月) セ1位、三塁除きオール阪神…オールスター中間発表
プロ野球のサンヨー・オールスターゲーム(7月10日・ナゴヤ、同11日・長野)のファン投票の第1回中間発表が24日、行われ、セ・リーグは、首位を行く阪神勢が三塁手を除いた10ポジション(投手は先発、中継ぎ、抑えに分類)で1位となった。

 最高得票は二塁手の今岡(阪神)で8万6097票。三塁手は小久保(巨人)がトップ。外野手は、金本、赤星、桧山(いずれも阪神)の順となっている。

 パ・リーグのトップは、ダイエーの4人。西武、ロッテ、日本ハムが各2人、近鉄、オリックスが1人ずつ。最高得票は外野手の新庄(日本ハム)で7万932票。投手は9連勝中の岩隈(近鉄)が、松坂(西武)を抑えている。指名打者では李承ヨプ(ロッテ)が1位。(ヨプは火ヘンに「華」)

2004/05/23(日) 「将来は俳優で」=14歳の柳楽優弥さん−カンヌ映画祭で最優秀男優賞
 世界3大映画祭の1つ、カンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞した柳楽優弥さんは、東京都在住の中学3年生。日本人初の快挙を、史上最年少で成し遂げた14歳は、映画配給会社を通じて「とてもうれしいですが、驚きました。将来はサッカー選手になるか、俳優になるか迷っていましたが、こんなすごい賞をもらったからには、俳優で頑張るしかないと思います」とコメントした。
 主演した「誰も知らない」(是枝裕和監督)は、東京で16年前に起きた実話に基づくフィクション。未婚の母親に見捨てられた4人の子供が、アパートの一室で人目を避けながら、必死に生活を続けていく様子を、是枝監督が得意とするドキュメンタリータッチの映像でリアルに描いた。 

2004/05/22(土) <小泉首相訪朝>家族5人が帰国、両親と再会
22日に平壌で行われた日朝首脳会談で、拉致被害者家族8人のうち子供5人の即時帰国が決まり、日朝関係はこう着状態から脱する見通しになった。8人全員の帰国を求めた小泉純一郎首相に対し、金正日(キムジョンイル)総書記が「離散家族を作る必要はない」と容認。しかし、曽我ひとみさん(45)の家族3人は来日を拒んだため、当面は北朝鮮にとどまることになった。帰国が決まった5人は22日午後9時過ぎ、政府専用機で羽田空港に到着し、02年10月以来1年7カ月ぶりに両親と再会した。一方、安否不明の拉致被害者10人について金総書記は「本格的な再調査」を約束したものの、被害者の家族会は強い不満を表明した。核問題でも具体的な進展はなかった。

 【平壌・徳増信哉】帰国したのは、蓮池薫さん(46)、祐木子さん(48)夫妻の長女(22)と長男(19)▽地村保志さん(48)、富貴恵さん(48)夫妻の長女(22)と長男(20)と二男(16)の計5人。

 首脳会談後、首相は会談場所に待機していた曽我さんの夫ジェンキンスさん(64)と娘2人に会い、1時間にわたって来日するよう説得したが、ジェンキンスさんは元脱走米兵として訴追される恐れがあるとして拒んだ。娘も同調した。このため、首相は米国に身柄を引き渡される恐れのない北京で曽我さんと面会することを提案し、了承を得た。

 会談は大同江(テドンガン)迎賓館で午前11時2分に始まり、午後0時35分まで1時間半続いた。首相が家族の即時帰国を求めたところ、金総書記は「離散家族を作る必要はない。行きたい人には行ってもらう」と応じた。さらにジェンキンスさんについても「本人の意思に任せる。もし日本に行くのが嫌なら北京で会ったらどうか」と提案した。

 さらに首相が、残る10人の被害者について「日本の家族は生きていると信じている」と真相究明を求めたのに対し、金総書記は「家族の気持ちは分かる。改めて早期に本格的な調査をする」と回答した。首相は北朝鮮にいる「よど号」事件容疑者の引き渡しも求めた。

 核問題では、首相が「私もブッシュ米大統領も6カ国協議を通じた平和的解決を望んでいる」として核廃棄を要求。金総書記は「朝鮮半島の非核化が最終目標」と述べたものの「米国が先制攻撃を言っている以上、核抑止力を持たざるを得ない」と述べ、具体的な進展はなかった。

 02年9月の日朝平壌宣言に盛り込まれたミサイルの発射凍結について、金総書記は今後も継続すると表明した。

 首相は拉致問題などで進展が得られたとして、北朝鮮に25万トンの食糧と1000万ドル(11億円)相当の医療品を国際機関を通じて援助する考えを表明。改正外為法による経済制裁についても、北朝鮮側が日朝平壌宣言を履行する限り、発動しない方針を伝えた。

 両首脳は平壌宣言の誠実な履行を確認したものの、国交正常化交渉の再開時期については具体的な合意に達しなかった。

 ◇表情変えず両親の待つバスに

 午後9時16分。地村保志さん(48)と富貴恵さん(48)、蓮池薫さん(46)と祐木子さん(48)両夫妻の子供5人を乗せた航空機が羽田空港に着陸した。出迎えた山崎正昭官房副長官が、保志さんの二男(16)の肩をポンとたたく。子供たちは表情をほとんど変えない。そのまま両親の乗る大型バスに乗り込んだ。

 窓にはカーテンが引かれていたが、フロントガラス越しに、保志さんと寄り添うように補助席に座った赤いスーツ姿の長女(22)が見える。

 首都高速を走るバスは午後10時すぎに東京都港区の赤坂プリンスホテルに到着。勢いよく降りた薫さんは、出迎えの杉浦正健官房副長官と握手を交わした。蓮池さん夫妻に前後して2人、地村さん夫妻とともに3人の子供が続いた。中山恭子・内閣官房参与が家族にほほえみながら声をかけると、保志さんの二男は、はにかんだ笑みを浮かべて頭を下げた。

 夕方の記者会見では、蓮池さん、地村さん両夫妻は曽我ひとみさん(45)を気遣い、笑顔はなかった。

 祐木子さんは「5人で頑張ってきたので、一緒に羽田に向かいたかった。残念でたまりません」と声を詰まらせた。

 会見前、曽我さんは手を差し出し、元気な声で「おめでとう」と祝福してくれた。「私のことを気遣ってくれた曽我さんに申し訳ない。たまんない気持ち」と祐木子さんは目をうるませ、「これから曽我さんを応援していきます」と誓った。

 薫さんは「日本政府がアメリカとしっかり交渉して、ジェンキンスさんが日本に帰れる環境をつくることが緊要で大事だ」と強調した。

 保志さんは、曽我さんに声をかけあぐねていたら、逆に「よかったね」と励まされたという。「曽我さんの気持ちを考えると、喜んでいいのか……」。富貴恵さんは、隣に座った曽我さんに何度も目をやりながら「喜びを分かち合いたかった」と話したきり、声を詰まらせた。

 間取りの広い新居に引っ越したばかりの夫妻。おそろいの椅子も五つそろえ、迎える準備を進めていた。「子どもたちとどう接したいか」と質問された保志さんは「こういう場でそんな話はしたくない」。少し間を置き、厳しい表情のまま「いろんなことがありましたから、会ったら、温かく迎えたい」とつぶやくように言った。

5月絵日記の続き


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