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2004/03/20(土)
いかりや長介さん死去
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ザ・ドリフターズのリーダーで俳優としても活躍したいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時半、頚部(けいぶ)リンパ節がんなどのため東京都港区の東京慈恵会医科大学付属病院で死去した。72歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りは未定。いかりやさんは、昨年5月末に原発不明頚部リンパ節がんで緊急入院。2カ月後に仕事復帰したが、数日前に体調が急変した。自宅にはドリフターズのメンバーが弔問に訪れ、悲しみの対面をした。 所属事務所「イザワオフィス」によると、いかりやさんは昨年5月末に「原発不明頚部リンパ節がん」で入院して以降、定期検診のため入退院を繰り返していた。1週間前の検査で、担当医から「がんの転移が見つかった」と知らされ、15日に再入院。家族にみとられて亡くなった。関係者は「眠るような最期だったそうで、本当に穏やかな顔をされていました」と話している。
20日夜、東京都目黒区の自宅にはドリフターズのメンバーが続々と弔問に訪れた。加藤茶(61)、志村けん(54)、高木ブー(65)が、厳しく優しかったリーダーと悲しみの対面をした。21日未明、弔問を終えた高木ブーは「バカヤローと言ってやりました」と目頭を押さえた。仲本工事(62)は仕事の都合で駆けつけることができなかったが、4人で「お葬式は盛大にやろう」と決めた。全員の目に涙があふれていた。
つらい闘病生活だったが、一切その苦しさを外には見せなかった。緊急入院から、わずか2カ月足らずでの仕事復帰。東京・日比谷スカラ座で行われた映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の初日舞台あいさつ。ダンディーな黒のスーツ姿で登場すると「予定通り7週間で治療が終わった。これからはわが身を顧みず頑張るつもり」と話し、笑顔を見せた。ドラマにも復帰し、映画も「恋人はスナイパー(劇場版)」(4月17日公開)に出演、これが遺作となった。
東京生まれだが、戦時中に静岡県に疎開し、少年時代を過ごした。その後、東京で親せきの洋品店を手伝ううち、音楽好きが高じて61年にジミー時田さんのバンドに加入。64年、コミック・バンド「ザ・ドリフターズ」を結成した。69年10月スタートのTBS「8時だヨ!全員集合」では、生放送でコントを披露し国民的な人気を集めた。お笑いのネタ探しや演出も手がけながら、加藤、志村、故荒井注さんら個性的なメンバーを仕切り「ウィッス!」「だめだこりゃ」などのギャグも流行させた。遅咲きながら役者としても活躍。渋い脇役が多く、フジテレビ「踊る大捜査線」のベテラン刑事は当たり役だった。
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