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2004/11/17(水)
新潟中越地震 仮設住宅入居申し込み受け付け 小千谷
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新潟県中越地震で1634戸が全半壊する被害が出た小千谷市は17日、仮設住宅の入居申し込みの受け付けを始めた。市内全15カ所で計800戸を建設予定で、今月下旬に千谷運動公園野球場と旧北陸農業試験場跡地に完成する計約380戸分をまず24日まで受け付ける。来月下旬に完成予定の13カ所計420戸分は来月3日受け付け開始。 会場の市総合体育館には、開始1時間前の午前8時ごろから被災者が詰めかけ、受け付けを1時間繰り上げた。同市城内の無職、小林よきさん(75)は「大きく壊れた自宅で恐る恐る暮らしている。建て直すまでの家として申し込んだ。不便だが冬を越すために仕方ない」と話した。 入居できるのは、自宅が全壊するなど応急修理をしても住めなかったり、道路の通行止めやがけ崩れの恐れがあり自宅に住めない被災者。 県によると、県内では13市町村で約3500戸の仮設住宅建設が予定されている。
■花嫁募集で海を越えてきた中国人花嫁
「誰にも助け、頼めない。子供と2人だけよ」 新潟県中越地震の震源地に近い避難所の小学校で、美華さん(34)=仮名=は片言の日本語でつぶやいた。腕で長女(2)が寝息を立てている。6年前、タクシー運転手をしていた中国・大連から山間の小さな集落に嫁いで来た。日本で結婚した友人から花嫁募集の話を聞き、海を越えた。日本へのあこがれもあった。 初めて経験する揺れだった。電子レンジやトースターが飛んだ。たんすとテレビが倒れ、停電で真っ暗闇の中、居間にいた長男(4)と長女を抱き寄せた。義父母と近くの集落センターに逃げた。5日間野宿し、自動車部品工場にいた夫(53)とともに避難所に入った。 地震の2日前、家庭裁判所で離婚調停を始めたばかりだった。 春にはヤマザクラ、ツバキ、コブシの花が咲き乱れる。まぶしい緑に囲まれ、プラスチックパックの製造工場で働き、幸せな結婚生活のはずだった。ところが、妊娠中も家事一切を押し付けられたという。料理も覚えたが、献立に細かい注文がつく――。中国との違いに、我慢できなくなっていた。 夫は両親とともに避難所から勤め先の社宅に移った。「こんなことになったから、やり直そう」と説得されたが、気持ちは変わらなかった。長男だけを夫に預けて避難所に残った。 仕切りのない学校の教室で約20人が生活する。長女は突然泣き出すことが多くなり、毎晩のように抱きかかえて廊下に出る。集落の知人は「大丈夫?」と言葉をかけてくれるが、中国人の自分が溶け込めないことは分かっている。仮設住宅に移っても、いられるのは2年だけだ。 地震の後、中国に電話がつながった。「子供を連れて帰っておいで」。両親の泣き声が聞こえたが、戻っても仕事のあてはない。 避難所の雨は間もなくみぞれ交じりになる。雪深い異郷で7度目の冬を迎える。
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