Rukeの日記
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2004/08/12(木) ウスヤキタマゴ
ここ数日親が旅行に行っているので自炊。栄養が偏るのも嫌だけど大した物を作れないので手軽に野菜を採れる冷やし中華等を。しかしせっかくだからと薄焼き卵にチャレンジ。意外とどうにかなった。

DOOM3でグラフィックのクオリティを上げていたらフレームレートが落ちてDOOM酔いになった。汗。

バイトの予定が決まった。一コマだけの日が多く日数のわりに稼げない。まあ、生活リズムの調整にはなるだろう。教習の取り方も少し自由度が増えるな。

2004/08/11(水) ロジョー
昨日は路上デビュー。流れに乗ればいいので意外に、という所内より簡単だった。

2004/08/10(火) ジゴクサン
DOOM3の直輸入版がOvertopに入荷したと聞いて秋葉原まで行って買って来た。
http://www.4gamer.net/DataContents/game/0243.html
やっぱり、最近の流行りをかなり反映してリアル指向になっている。DOOMというよりむしろHALF LIFEの系譜に感じられる。ゲームで弾薬の装填なんてさせるなー!と始めは怒ったのだが、実際に戦闘が始まってみるとなかなか良い。HALF LIFEに足りなかった爽快感をリアル指向を崩さずに実現したという感じ。

グラフィックは、元祖DOOMのおどろおどろしい感じを再現する非常にダークなもの、という評判だったのだが、暗さによりダークな感じを演出しているため、やはりDOOMというよりはバイオハザードのような感じだ。ただこれは
http://www.psychosaurus.com/doom/images/holiday2.jpg
これを現代のグラフィックで再現してもギャグにしかならないので仕方がない。またバンプマッピングをふんだんに使ってディテール感を高めているのだが、自分の環境では(といってもRADEON9600だ)テクスチャの解像度が低くなってしまうため、近くで見た時にマッピングで処理しているのがばればれになってしまう。最新の技術を使いながらもどこかで妥協しながらゲームとしての面白さを追及する他のゲームと違い、DOOMの名を冠する以上は最先端でなければならないという縛りから余裕のないグラフィックになってしまっていて、それがさらに上への欲求を喚起してしまっている。ただこのグラフィックを見ていて不思議なデジャビュを感じ、良く考えてみたら、このようなテクスチャによって精細な凹凸を感じさせるテクニックは本来DOOMの十八番なのだ。
http://www.teaser.fr/~amajorel/doom/xdoom-floor-bug-1.png (ゲートに注目)
このような技術はPCの処理速度がまともな3D処理に耐え得なかった時代の過渡的なテクニックと捕らえられていたが、ポリゴン数を増やすというアプローチが速やかに限界を迎えた今結局原点への回帰が行われているというわけだ。

このDOOM3は当初からNVIDIAと結託して開発を進めていたため、ATIのRADEONシリーズでの動作は不安だったが、幸いATIがDOOM3用にカスタムしたドライバをリリースしてくれたため、
http://ati.com/support/infobase/4547.html
快適にプレイできている(本当はこういったことは良くないのだろうが致し方ない。実際ドライバを更新せずにDOOM3を動かすと結構不安定だった。こうなってくるとゲーム専用機の方がプラットホームとしては望ましくなってくる…)。また、実の所MDR DS3000はこのために用意したような物なのだが、サウンドが素晴らしい(DOOM3はサラウンドにもかなり力をいれて対応しているようだが、先述の理由により、うちのシステムではステレオで出力させてDOLBY PROLOGIC IIにかけるしかない。それでも音響効果は素晴らしい)。しばらくはDOOM3漬けになりそうだ。

2004/08/09(月) サラウンドツヅキ
残念なのは、このヘッドフォンは、DOLBY DIGITAL/DTSのデジタル信号を入力してやることでしか5.1ch入力を行えない。内部的にはこのデジタルデータからアナログサウンド6つを取り出した後、ヘッドフォン用に再構成しているはずなので難しいことではないはずなのだが…。だから4スピーカ出力に対応した3Dゲームなどでも、いったんステレオで出力させてDOLBY PRO LOGIC IIにかけてやるしかない。この場合3Dサウンドというよりは単に音場に広がりが出るだけだ。

もっとも、これは余り問題がない。というのも、結局このヘッドフォンは最終的にはステレオヘッドフォンでしかないからだ。つまり、あたかも5.1chで鳴っているよう聞こえるように2ch分の信号を作って鳴らしているのだ。それならばそれはPCでもできる。というよりこのようなステレオサウンドで立体音場を作るというアプローチは本来数年前にPCゲームで流行った話題だ。

そもそも面白いことに、ステレオ機器で立体音場を作るというのはたくさんのスピーカを使うシステムに比べて劣っているわけではなく、むしろある点では勝っている。それは、人の耳が二つしかないためだ。従って各スピーカの出力が全ての耳に届くよりも、それぞれの耳に入る出力を完全に独立して制御できるヘッドフォンの方が、究極的には理想的なのだ。人間の耳が二つしかないから3Dサウンドにはヘッドフォンで(さらに、少し劣るけれどステレオスピーカーで)十分だ、このスローガンの下に3Dサウンドが研究された。代表的な技術がA3DとEAXだ。

ところが当時のユーザーはグラフィックほどにはサウンドに関心を払わなかったために、PCゲームの3Dサウンドはかなり下火になってしまった。そして、音の定位間に関して素晴らしい評価を得ていたA3Dは、単純なリバーブエフェクトによりサウンドを豪華に聞こえさせることに重きをおいたEAXに破れ、会社は買収されてしまった。

そんなわけで、現状ではとりあえずPCゲームのサウンドはEAXで再生させ、それをMRD DS3000で何の処理もせず、あるいはDolby Prologic IIにかけて(EAXとPrologic IIの相性はかなり良いようだ)聞けばよいのだが、これでは単なるヘッドフォンとして使っているわけで何だか悲しい。そしてもう一つ重要なのは、これでは3Dサウンドの質はゲームソフトに依存するということだ。昔のゲームはA3D,EAXの初期のバージョンにしか対応していないので、これらのサウンドが劇的に改善されることはない。一方、このような初期のバージョンのA3D,EAXでも基本的に4スピーカ出力に対応している。そこで、このような出力を外部で処理させてみたくなる。

もちろん、今持っているMDR DS3000は昔どこかの店で視聴してみたA3D2の素晴らしい定位感には及んでいないのだが、とにかく今のPCがマルチチャンネルサウンドを扱える以上、ゲームの3Dサウンドは4chなり5.1chなりで出力させ、それをヘッドフォン用に再び再構成するのはどこかで一括して行うほうが合理的だ。この場合その部分を取り替えるだけで、3Dサウンドがふるいゲームも含めて一遍に改善される可能性があるわけだ。

ただ、とにかく今持っているヘッドフォンでは6chアナログ入力ができない。そこで、PCでオーディオドライバに送られてきた6ch分のアナログデータをDolby Digitalのデジタルデータに変換して光デジタルで出力できると嬉しいのだが、いろいろ調べてみたけれど現状では無理のようだ。そんなに大変なことでもないしそもそもソフトウェア的に対応できることだと思うのだがそうもいかないようだ。ただ、やはりそういうニーズはあるようでインターネットでも同様の機能を求める機能を見るし、DolbyがDolby Digital Liveとしてそのようなリアルタイムエンコーディング技術をライセンスするようになったらしい。ただ、これは今のところNVIDIAのnForceを搭載したマザーボードか、intelの最新のチップセットを搭載したマザーボードでないと対応していない。サウンドカードの形になっていないとちょっと気軽に導入できない。ただし、intelに関しては、従来のAC'97に変わるものとして策定したHD Audio CodecにDolby Digital Liveへの対応が盛り込まれていて、前述のチップセットもこれへの対応によってDolby Digital Liveに対応したようなので、しばらく待っていれば出てくるだろう。

しかしそれでさらにそのうちサウンドカードやチップセットがDolby Headphone(MDR DS3000と同じで5.1chのサウンドをヘッドフォン用に再構成してステレオサウンドにする技術)に対応したら、このヘッドフォンは完全にただのステレオヘッドフォンになってしまいそうだ。まあPCユーザとしては、アプリケーション側での対応が必要とかいう馬鹿なことにならない限りは、ソフトウェアで機能を実現するほうが好ましいのだが。

2004/08/08(日) サラウンド
http://www.ecat.sony.co.jp/avacc/headphone/acc/index.cfm?PD=14699&KM=MDR-DS3000
このヘッドフォンが持つサラウンド機能は、サブウーファーを加えた6つのスピーカーによるサラウンドをヘッドフォンで再現するというものだ。

最近、ホームシアターというのが盛んに宣伝されているけれど、複数のスピーカーを用いたシステムというのは、やはりアプローチとして無理がある。スピーカーを設置する場所を確保するのも面倒だし、効果的なサラウンド感が得られる場所が限られてしまう。これでは、DVDの視聴がメインとなり、応用性がない。

特に、スピーカーを複数にする道を一端選んでしまっては、その先の道は際限のないものだ。最近では7.1chのシステムが出だしている。

このように、通常のサラウンド技術は既存のサウンド機器を置き換える説得力を持たず、特にDVDの視聴に金をかけて豪華な環境を整えようとする者のみをターゲットとしている。基本的にはお父さんのためのシステムなのだ。高い金をかけて最新の薄型テレビ、DVDプレイヤー、サラウンド機能を持ったAVアンプといった物を少しずつ揃え、念願の5.1chスピーカを買ってきてリビングルームの周囲に設置する。そして週末に、ビールをやりながら得意げに、家族皆で映画を鑑賞する…。

そんなわけで、5.1chのサラウンドというのは、コンピュータ雑誌が盛んに煽るほどには、一般のPCユーザには整合しない。だけれど、今のPCを取り囲む状況はこのようなサラウンド技術を非常に身近にする。追加でサウンドカードを導入しなくても、マザーボードにspdifの光デジタル出力と、5.1ch用の三つのアナログ出力がついている。そして、DVDのデータ処理は、動画部分も、音声部分も完全にソフトウェアで賄える。また、3Dゲームの類も、ほとんどが、少なくとも4スピーカの出力に対応している。

そんなわけで、合理的な方法が与えられれば、サラウンドサウンドの導入にはやぶさかではない。それで注目したのがサラウンドヘッドフォンだった。実際、同じようなニーズはかなりあるようで、これらの製品は選択肢が非常に限られ、どれも高価であるが、評判は非常に良い。もともとこれまで使っていたヘッドフォンが断線しまくったこと、机の上をケーブルが這っていて邪魔だったこと、使用中に移動できる空間が限られていたことからコードレスを必須条件としていたのだが、このようなサラウンドヘッドフォンはほとんどがコードレスだった。音楽よりはDVD視聴がメインだという利用形態の差もあるだろうが、結局の所、このコードレスサラウンドヘッドフォンというものは一つのまとまった合理的なシステムであるということだろう。5.1chスピーカシステムはただのステレオスピーカと一長一短となるが、このようなヘッドフォンは、値段の折り合いさえつけば、既存のヘッドフォンをリプレースするだけの説得力をもっている。

問題は値段で、これはもう選択の余地はなかった。このMDR DS3000でさえ1万5千円ほどして、他は皆三万とか八万とかになる(それにも関わらず好意的なレビューが多いのはやはりこのような製品の合理性の表れだろう)。その差は肝心のサラウンドの質に効いて来るのだろうがこれはどうしようもない。ただ、一つ面白いのは、このDS3000はトランスミッターに置いて充電できるのと、頭に装着すると電源がONになるという二つの特徴をもっている。どちらも音に影響しないが、利便性の点でなくてはならない物だと思うが、より高価格帯の製品でもほとんどがこれらを満たしていないため、レビューでも必ず不満を言われている。このMDR DS3000は一まとまりのシステムとして非常に洗練されていると感じる。ただのヘッドフォンからコードレスヘッドフォンに移行したことによる余計な手間が完全に存在しないのだ(というか、今までは使っていないときのヘッドフォンの置き場所に困っていたので利便性は向上した)。SONYというと、VAIOに対して上っ面ばかり整えて合理性という点ですごく違和感を感じることが多かったのだが、このヘッドフォンに関しては合理性の塊だ。

肝心のサラウンドについてだが、期待を裏切らないものではなかったが、期待以上のものではなかった。まるで6つのスピーカが特定の位置にあるかのような聞こえ方にはさすがにならない。もっとも、5.1chサウンドというものが、自然な音場を再現することを目的としているのだから、そのような聞こえ方は本来正しくないのだが、8万円の製品ではそのような記述(http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0407/16/news051.html)があるので、技術的な興味としてそのような聞こえ方を体験してみたくはある。だが、とにかくDOLBY PRO LOGIC IIモード(通常のステレオサウンドに勝手に音の広がりを持たせてサラウンド感を出す)では、ヘッドフォンが鳴っているのではなく、頭の周りの環境で音が鳴っているというようになり、音量は変化していないのに耳に圧力がかかるということが無くなった。ゲームの3Dサウンドでは音が自分の場所から左に動く場合に、これまでは両方が鳴っている->左だけが鳴っているという風になって、それを頭で「これは音源が左に移動したのだな」と解釈していたのが、頭の周りで鳴っている->頭の左方で鳴っているという風に非常に自然になった。左右のパニングよりもむしろ、自分の位置でのさうんどが、これまでは自分の頭蓋でなっているように感じていたのが自分の周りで聞こえるようになったのが最も新鮮な感覚でかつ自然な聞こえ方だった。

さらに、5.1chでのDVD再生も音の移動が明確に感じられ、音量は変わらないのに音源によって音の分離感が鮮明だ。ただ面白いのは、後方で鳴っている音は比較的きちんと後方で鳴っているのに、前方で鳴っている音はどうしても左右に振り分けられているだけに聞こえてしまい定位感が薄い。後方で鳴る音は後頭部の振動に繋がって、HRTFでの扱いがし易いようで、むしろ前方で鳴る音の方が性格付けが難しいようだ。

2004/08/07(土) アーモー
セミナー二日目(昨日のことを金曜日に書いてしまって一日ずれているけれどこの二日目というのは金曜日)。については明日書く。めちゃくちゃ眠いので。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040807k0000m040093000c.html
アニメとか特撮とかのことを考えれば明らかに、仮想敵の大量生産技術では日本は世界のどんな国をも軽く引き離している。いくら文学畑の人だってそれくらいわかるだろうに。

いやもちろん、中国の人たちの態度自体は批判するに値するものだけど、批判する人間が当事者である日本人である以上、必ず誠実さが要求される。この石原とかいう馬鹿は誠実というには程遠い、というか、この完全に見下している傍観者の態度はなんだ。こういう態度は、完全に関係ない第三者にしか許されないものだし、そのような第三者から見れば、中国でのブーイング問題と同様にこの石原のような発言も批判の対象となるだろう。

識者っていうのは本当は、普通の人よりも深く思索を行えてしかもそれを十分な説得力のある文章や発言に昇華できる人の事を言うはずだ。だけど実際には、普通の人よりも強力な手段でアイデンティティーを構築することを、他の一般人のアイデンティティーも満足させるが故に許された人々というのがほとんどだ。

人々に広範な影響を与えるものとして良くマスコミが批判の対象となるけれど、一番問題なのはこれらの人たちだ。戦前の論壇の人々がほとんどの場合戦争を後押ししていたこと、(少なくとも日本における)社会主義がその支持者達自身の手によって経済理論から主義へ、そして単なるアイデンティティへと貶められたこと、こういった事からはいつでも目がそらされる。これはマスコミ自身によるマスコミ批判が起きにくいということよりもさらにたちが悪い。

#付け加えておきたいのだけど、今回のこの問題、当の中国人サポーターや、小泉首相を筆頭とするこれらの人々はともかくとして、中国政府は(北京オリンピックの事があるのだとしても)すごく大人な、かなり最良の対応をしていると思うし、日本も事務レベルでのやり取りに関してはかなり良い対応をしているように思える。
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物理セミナーで、いくつか質問してみたのだけど、そのうちの一つがブラックホールの情報パラドックスについて。結局一番不適当なところで引き下がってしまったので良く判らないのだけど、この問題は実質的にはブラックホールの蒸発とは関係なく、特異点に質量が集中してしまったブラックホールが内部構造を持つのか?という問いのようだ。それは量子論と相対論が統合されるべき領域での問題であり、素粒子のさらに下部構造の問題ということだ。でも、そうなると、単に今の理論では扱えない問題というだけで、パラドックスってことはないよなあ。

とにかく、この問題とも関連するんだけど、超弦理論について納得いく理解が得られた。今まではどうしても、眉唾ものか、数学的な遊びにすぎないように思えていた。だけど、まず、現状で相対論と量子論が相容れないという事実がまずあり、相対論の基本定数c,Gと量子論の基本定数hを組み合わせて相対論と量子論の両方が効いて来るスケールを見積もると、今の実験技術では到底実現できないような高エネルギー(に対応する質量)、量子力学で通常扱うよりも全然短い時間、全然短い長さが得られる(プランク質量、プランク時間、プランク長さ)。従って、このスケールでの現象は必ず、大宇宙の統べる理論の相対論からも量子論からも外れる側面を見せてくれるはずである。ここでプランク長さは今扱っている素粒子よりも遥かに小さいから、それは素粒子の下部構造であり、プランク質量は相対論的なエネルギーだから、それは重力の理論であるはずである。つまり、弦理論が正しいかどうかはまだまだ不明だが(それでもそれがもっともらしいという事はかなりわかってきたようだ)、弦理論が扱う領域にはとにかく必ず何かがあるはずなのだ。弦理論は実験で確かめることができない領域についてあれこれするから机上の空論で意味が無いといわれることがあるけれど、今我々が持っている素粒子の理論と重力の理論が相容れないために、この領域では我々になじみのない現象が見られるはずだ(*ブラックホールは本来この理論によってしか正しく扱えない物のはずだ)、ということだけは確信することができるというわけだ。これは物理学としてすごく自然な動機だと思う。
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教習、予約が全然とれない。教習員少なすぎ。学課に通いながらキャンセル待ち狙いか…。

2004/08/06(金) セミ
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jps/jps/bbs/scisemi2004.html
これに行って来た。何だか聞いたことのあるような話ばかりだったけれど、密度は濃かった。それに、あの顔ぶれは多分相当豪華なのだろう。ただ、一部で一番肝心な部分が抜けていた気がした。ブラウン運動の講演では、ブラウンさんの紹介から入りさえしたのに、水分子の衝突によるのだということを明確に言及せずに、理論計算を始めた段階で既知の事実として扱われていた。さすがにこれは聴衆は皆初めから知っているのだろうからまあ言いとして、久我先生のボーズ・アインシュタイン凝縮の講演で、BEC気体は普通の理想気体と何が違うのかということを全く述べずに、たくさんの原子が基底状態を取るということしか言っていなかったのは良くないと思う。それで質疑応答でBECと理想気体の物理的な違いは?という質問が当然出たのだけど、基本的な事は喋ったと思い込んでいたようで、話がちぐはぐな方向に行ってしまった。駒場の総合科目で久我先生のBECについての話を聞いた時は、量子力学っぽさ(波っぽさ)が比較的マクロなスケールで現れるということを何度も強調していたんだけど。。。

2004/08/04(水) ブー
中国での反日感情とブーイングが話題になっているけれど、ワールドカップの日韓共催の時、マスコミが日韓友好を人為的に演出し、韓国を異様なまでに持ち上げ、疑いようも無く画面に映る応援のマナーの悪さを下手に歪曲して伝え、そしてそういったことがネット上では広く指摘されていたのにマスメディアでは時が経過しても全く指摘されることが無かったことを考えると、少なくともマスコミには涼しい顔をして批判する資格はない。

そしてもう一つ、どんな国でも複雑な歴史的背景の一つや二つあるものだけど、日本の場合特徴的なのは、それを忘れていることだ。どんな記憶も指数関数的に忘れられていく。しかし日本の場合それは階段関数だった。明治維新以前と以後、戦前と戦後を感覚的に違う世界と見なす記憶の断絶。

韓国でも中国でも日本の文化が広がっているとされる。それもまた、許しではなく忘却なのだ。彼らは今の日本文化を受け入れたにすぎない。単に目の前にあった物が格好良かったから受け入れたのでこのような時日本という国家は眼中にない。

長い間過去を忘れていた日本は、歴史学者の誠実な活動によって忘れていた物を少しずつ思い出した。戦前の日本=悪,連合国=善という画一的な見方は戦前の盲目的な価値観のあり方と本質的には変わらないという危機感から戦争に至る時代背景には比較的客観的な視点が与えられるようになったし、それと同時にそれまで表に出てこなかった日本軍の非人道的行為、そして戦後においてもなお美化して伝えられていた日清、日露戦争の何が真実で何が虚偽であるのか、そしてアジア地域で今も根強い反日感情が一般のレベルでも知られるようになってきた。

それでも、こういったことからは目をそむけたい。だから我々は、思い出すとすぐに許しを求めた。ほんの些細な関係改善に向けての試みにも、まるで全てが許されたかのような過剰な報道がなされる。最近の漢流ブームの演出なども(というか、本当にブームなのか?)まさしくそれだろう。

そうやって過去を無かったことにしながら、一方で今回のような過剰な反日感情に対して、スポーツの応援の精神がどうの、ホスト国の責任がどうのと一般論を用いて安全な立場から批判を行うならばそれは歴史に対する背反だ。

もちろん、現代に生きるどんな個人も過去の人間の行動に責任を負わない。他国に対し卑屈になる必要などない。不当な扱いを受ければ批判すればよい。それでも、我々が過去を忘れたり、過去を忘れようとするならば、それは決して正しいことではない。過去を認識するべきだと言っているのではない。反日感情を剥き出しにしている当人達でさえ既にかなりを忘却しているそれを正確に認識できる人などどこにもいないだろう。それでも、そこに過去があるという事実だけは、忘れてはならないもののはずだ。

日本における歴史認識には、日本の過去を自分達が背負っている歴史だと受け入れる(正当化するということではない)プロセスがすっぽり抜け落ちている。そのために反日感情のような感情の存在そのものが理解できない。

非現実的な提案だが、決勝戦では全員日の丸鉢巻きに「中国全土を侵略してやるぜい」みたいな中国語を書いたたすきをして出てみたらどうだろうか。プロレスで言う所のヒールになるのだ。応援席の中国人はさぞかし盛り上がることだろう。(でもこれでもし勝っちゃったら、、、選手達はかなり危険だな)

香港のカンフーアクションでは、日本人がしばしば敵役となる。彼らは時代考証もへったくれもなく、武士ファッションか忍者ファッションだ。これらの悪役は、それはもう信じられないほどの非道を尽くす。だが、面白いことに主人公がしばしば、日本刀を使って悪を討つのだ。

戦後日本は中国や韓国といった国の存在すら忘れて(今でも他のアジアの国々は「アジア諸国」とその他扱いだ)欧米の背を追いつづけた。だがこれらの国々はずっと日本を見つづけて、例えそれが悪役というものであったとしても、とにかく定まったアイデンティティを与えたのだ。許されることはなくとも受け入れられることはある。それには我々も彼らを受け入れなければならない。

2004/08/03(火) カリメンゴーカク
仮免合格したぜい。
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キーボードのF6キーが効かなくなっているのがSerious Samをプレイ中に気づいて(F6がQuick Saveになっている)キーボードをがーっと分解してみた。すると基板上のパターン配線が焼ききれていた。基盤といっても、フィルムのやつなので(なんていうんだ?フレキシブル基盤ってこれのこと?)どうしようもなく、すごすごと戻す。

そうしたら、何とuキーを押すと同時にwinキーがonになってしまってユーティリティマネージャが起動するようになってしまった。もう一度分解してあーだこーだしたけれどさっぱり判らん。結局直らないまま蓋をしめたら直った。ラッキー。

今日は怒涛の勢いで物を書くつもりだったのにもくろみが外れてしまった。

購入したSONYのMDR DS3000は高い買い物をしただけの価値があった。非常に素晴らしい。そのうち詳細を書こう。

2004/08/02(月) ガッカー
んで、明日は学課試験再挑戦。また3250円をドブに捨てることの無いようにしなければ。

銀行の合併問題。あれって、相手を訴えてまで合併してくださいと頼んでいるわけで。悲しいほどに卑屈だ。

プロ野球。あれも、巨人の渡辺オーナーに賛同する人も反対する人も、結局巨人戦を減らしたくない、巨人戦が欲しいという点では同じなわけで。こちらの場合は銀行の方と違って、プロ野球という体制を立ち行かせるために利益を再分配するという当然のことがちゃんと機能していないのが最大の問題だよなあ。渡辺オーナーにしたって、合併が一件起きて一リーグ制が避けられなくなったから、合併後の地位を守るために滅茶苦茶性急に事を運ぼうとしているってのが本当のところだろう。大体、一リーグ制に反対している人たちも形式的な所はともかく、一リーグにしてなお不公平性と偏った力関係が残るようでは意味が無いからもっと慎重な議論を経るようにって言っているわけだし。

まあ本当の所を言うと野球とかゴルフのようなスポーツというよりはゲームに近いようなスポーツって見ててもつまらないので個人的には存在意義が余り無いのだけど、それにしたって毎日毎日聞こえてくる事は醜すぎる。

2004/08/01(日) クリコミグン
がー忘れてた。繰り込み群のレポートが出ていた。慌ててやるも…。以外に重い。これ四問も?汗汗。授業でやった近似が通用しなかったりとなかなかえぐい。
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おいおい、結局一日がかりだった。本当に試験の代わりのつもりで作ってやがる。
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iPodのAppleがRealと喧嘩。その理由が、一見、自身の利益も損ねるものに見えるけれどこれは当然な話で。デジタルコンテンツ保護技術の中心に位置することができれば次の10年間くらい莫大な利益をあげることができるわけだ。その明らかなビジネスチャンスに他の道を閉ざされたIT企業が群がっている。デジタルコンテンツ保護技術を確立しないと映像や音楽文化の発展が阻害されるなんてのは建前であって結局の所誰もが独占を目指している。それは明らかに自国の産業にとってマイナスに働くはずだが、恐らくアメリカはぎりぎりまでそれをむしろ後押しするだろう。国家としてのそのような技術の独占が国にもたらす利益を考えれば他の細かい事はどうでもよい。特許という制度が辿った歴史が再現されようとしている。

一つの道は同じ土俵で徹底的に戦い、デジタルコンテンツ保護技術の独占の一端を担うことだ。この努力を怠ればただでさえ勢いのなくなった日本経済はさらにダメージをこうむるだろう。

しかしまた、特許制度のアメリカによる解釈拡大が世界的に広がったのは、第一にその解釈がアメリカに都合よく、しかも既に他の分野でアメリカが優位性を持っていたために強気の交渉ができたためだ。デジタルコンテンツ保護技術に関しても同じで、単に同じ土俵で戦おうとも、ダメージを軽減することしかできない。重要なのはその先を見据える視点だ。誰もが情報の抽象化しか見ていないこの状況で、しかし確かにメディアとコンテンツの再統合は進んでいる。

http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2002/1125/dvd.htm
これは本当に重要な例だ。

このサービスが恐ろしいまでに重要なのは、もちろんお金はかかるが、Winnyよりも便利だという決定的事実だ。さんざん設備投資を要求した挙句、テレビで以前から可能だったことが限定的に可能になっただけで技術革新を謳う欺瞞とは一線を画している。すなわち、、、

1.一元的なソフトの検索
2.人気の集中していないソフトが入手しやすい
3.ケイズンによるものより遥かにまともな「神の手」と妥当性を持った価値決定機構

これらは確実にバックボーンを持たないミュージシャンやアマチュア映像作成グループの活動をそのクオリティに見合って助ける。そして、コンテンツがほとんど間をおかずにフル稼働しているという状況は要求してよい対価/払うべき対価を明確にする。そしてさらに重要なのは

4.メディアの所有に依存せずに広範な範囲のコンテンツへのアクセスの権利を有することができ、しかもその閲覧という日常的な行動は完全にメディアに基づきそのコンテンツとの分離を意識しなくてよい。

ということだ。Winnyは「情報を各ノードに偏在させ、必要になった時にWinnyネットワークから取得すればよい」という夢を見せてくれた。しかし実際には、Winnyネットワークを通じたダウンロードはまだまだ時間がかかるもので、多くのユーザーはダウンロードした物を必死に保存していたのではないだろうか。

テレビよりも使いにくくパソコンとしてはちぐはぐな(現在の最高のスペックでも録画しながら他の作業をするのは難しい)TVパソコンを雑誌などで必死に煽って売り込んで、そして今度は多チャンネル同時録画などを次のトレンドだと言って売り込んで、そうすればとりあえずの利益は出せるだろうが、その向いている先は未来とは言えない。ここに示されたような、メディアとコンテンツの再統合によって逆に情報のもつ「所有の不必要」と「共有性」を引き出すことこそが未来の姿だ。

そしてさらに

5.その料金はあくまでサービス全体に対する物であり、ソフトの閲覧に伴って直接的に発生する物ではない

ストリーミングという方法を取ることでユーザーに不便を強いてまでテレビ的な手法にこだわり、そのくせ見るたびに料金がかかる(あるいは一定のお金で一定の期間の視聴の権利を買う。)という、情報が垂れ流される状況になれたユーザーの感覚に反するようなサービスが、必然的にストリーミングデータを個人のハードディスクに保存しようという努力を誘発してしまっているのとは対照的だ。

コンテンツ保護技術の覇権争いを傍観しているわけにはいかないが、その先にあるのは決して抽象物の配布に際して正当な対価を要求することが可能になり活発に抽象物がやりとりされるバラ色の未来ではない。その先にあるメディアとコンテンツの再統合こそが全てを丸く収める。


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