Rukeの日記
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2004/07/08(木) マイナスカケルマイナス
教育において、よくhowよりもwhy、とか、疑問をもつことこそが大事、とかいったお題目が唱えられる。んで良く挙げられるのが「マイナスかけるマイナスは何故プラスになるのか」という疑問だろう。しかしながら、教育では本当にしょっちゅう、疑問をもったということが称賛され、その解決がなおざりにされる。そもそもこのような疑問が例として出されるのは、ほとんどの大人が答えを持っていないからだろう。

1+1は何故2になるのか、というのもそうだが、この手の疑問の最大の問題は、一体何が疑問なのか当事者がわかっていないということだ。howよりwhyが重要と言われる背景にはもちろんhowの方が重要視されている現実がある。つまりまず計算規則をひたすら練習する所から入るのだが、普通それに徹することはできず、何らかの貧弱なイメージを伴わせている。そしてそのイメージで説明ができなくなり疑問が生じる。-2という数はなんとなくイメージできるが、-2が-2個あるというのは一体どういうことなのか、わけがわからないというわけだ。

こういう状態に関して普通取られるのは、-2x-2を容易にイメージできるような例を挙げて、納得させるということだ。それは結局は丸め込みにすぎず、この特定の問題を納得させることはできても、将来的に生じる他の疑問の解決には何ら貢献しない。根本的な解決ではないからだ。これは別に一本道の論理を重視する純粋数学的な主張に留まらない。このような説明は結局、ほとんどの生徒を納得させることができず、結果このような疑問を解決できていない大人がたくさん存在することになる。もちろん普通の人間はこのような疑問を解決する必要も義務もないが、このような人たちがhowよりwhyだとか言って教育問題を議論するとすれば問題だろう。私は高校時代、高校生の科学研究に関するコンテストで、既に広く答えを知られているある問題に関する研究が、答えにたどり着いていないにも関わらず着眼点と研究の進め方が評価され受賞したのを見たことがある。

そもそも日常的に目の前で-2君と-2君が書け合わさって4君になる等という現象が起きるわけではない。-2x-2という計算をはじめて見るのはまさに算数においてでありそれは初めから人為的な物だ。だから持つべき疑問は「マイナスかけるマイナスをプラスにすると何が嬉しいのか」と「他の定め方には何か問題が生じるのか」だ。

もちろん小学生に公理的な考え方を教えるのは難しいだろうが、それでも「このように定めると上手くいく」ということを感覚的に納得させるような説明の方が望ましいと思う。これは私自身が小学生の頃に考えて自身にこの問題を納得させた方法なのだが、

+ x + = +
+ x - = -
- x + = -
は直感的に納得できる。ここで-x-=-としてしまったら、できる物は-の方が多くなりこの世に-が氾濫してしまう。-x-=+とすれば-と+が同じだけ出来る。

これは完全な説明とは到底いえないにも関わらず、かなりの人がこの説明で納得できるのではないか。しかも、数学的な厳密性は絶望的な説明であるにも関わらず、この疑問の背後にある数学上の構造のある部分を的確に表していると思うのである。


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