Rukeの日記
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2004/06/11(金) ムルムル
http://www.lotte.co.jp/products/drink/01.html
ウォーターゼリーの炭酸レモンを見つけて早速買ってみた。調べてみたら、クリアピーチよりも前に出てたのね。無果汁の潔さが素晴らしい。

2004/06/10(木) アシイタイ
個人指導バイトで1コマ目キャンセルでニコマ目に入れられたためめちゃ暇になり、久方ぶりに秋葉原まで行ってしまった。んで、
http://www.shuttle.com/hq/product/barebone/specs_a.asp?A_id=28

このキューブPC用静音電源を購入。静音にこだわりはないんだけど、旧型の電源はカリカリ音を立てて結構耳障りだったのだ。

あと、実はうちのキューブPCにはパラレルポートがついていない。プリンタも今は大抵USBで事足りるけど、やっぱりパラレルポートがないのは気持ち悪いのでケーブルを購入。

2004/06/09(水) オボエガキ
覚書
trA=Σ(n)<φ_n|A|φ_n>が<φ_n|によらないことの確認

A=Σ(n) a_n |ψ_n><ψ_n|
として正規直交基底<φ_n|を使ってtrを計算すると
trA=Σ(n')<φ_n'|A|φ_n'>
=Σ(n,n') a_n <φ_n'|ψ_n><ψ_n|φ_n'>
=Σ(n) a_n Σ(n')|<ψ_n|φ_n'>|^2
=Σ(n) a_n <ψ_n|ψ_n>
=Σ(n) a_n

2004/06/08(火) リブツ
ふう、第一、第二とも理物で出した。どきどき。

なんかイラクで誘拐された人が自衛隊を派遣したから誘拐されたんだといって国を告訴したとか。うん、今度のシチュエーションで「自己責任」って言葉使っても誤用じゃないぞ。でも、誤用というか日本語として意味が全く取れない(どういう意図で使ったと考えても意味が通らない、ほとんど標語的に使用していたのだろう)用法をあれだけ量産した後だから、正しく使っても説得力ないだろうけど。

日本人の傾向として、絶対の真実がどこかにある等と考えずに、互いの考えを寛容に受け入れてきた。だけどその分、その比較的広い受け入れ可能な範囲からそれでも外れる者に対しては非常に冷淡な所があると思う。たしかに比較的広い範囲の思考が受け入れられるのだけど、それがいつのまにか絶対的な真実として機能してしまっている。日本では絶対観念が激しく衝突した経験が乏しいため絶対観念が形成されやすいのだ。

それに対する傾向として非常に極端なのは、アメリカだろう。そこではいくつもの宗教と民族がひたすらに対立しながら共存してきた歴史がある。それら宗教のうち影響力の大きいものの多くは唯一神を擁している。個人/民族がそれぞれの絶対的な思想を抱えていてそれらはどうしたって相容れないものだ。その上それぞれの民族、それぞれの宗教の信者ですら、彼らが抱えているはずの絶対的真実は容易にはわからない。だからこそアメリカでは真実を人間の営みによって代替する仕組みが発達した。アメリカで笑い話のような起訴がもちあがるたびに我々は彼らの行動を奇異なものとして見るけれど、行動原理が根本的に違うのである。あちらでの起訴は、自分の主張が正しいと思うから起こすのではない。起訴を行わなければ代替的な真実を定める仕組みが誤って働いてしまいかねないから、行うのである。それは義務であり、だからこそ我々からは無茶に見える起訴も権利として法的のみならず社会的に保証されている。それは、どこかに絶対の真実があると個々人が確信しているが故にそこに達することの困難も深く了解しているという状況に立脚しているのである。

この逆説的な構造は非常に面白い。絶対的な真実を端から考えない日本では、人間がいつのまにか勝手に絶対的な真実を形成してしまう。個々人が相容れない絶対観念を持っているアメリカでは絶対的な真実などに何も期待せず思想や主張を対立させて真実を代替させる術を発達させた。

もちろん物事はこのように二極に分かれるものではない。大抵の国は両方の傾向の中間にある。それは日本にしろアメリカにしろ同じなのだが、少なくともこの二つの国は一方は前者に、一方は後者に偏りすぎている。

その結果日本では、思想的に相容れない人間に対しその思想を受け入れずとも立場は承認するということが、政治/制度はともかく個人のレベルでは行われにくい(だからせっかく整備した法/制度もうまく機能しない)。また、立場に立脚した思考というものを嫌う。それは結局、``一般的な思考''を標榜しながら、他者を批判するだけで何も主張しないということに繋がる。政治に対する無関心の一番の根源だ。そして我々がなんといおうと、国際社会においては日本人と日本という国家と日本政府は同一視されるのだということを忘れがちになる。我々は立場に立脚した思考を少なからず受け入れ、また自ら行うべきだろう。

一方アメリカでは、絶対的真実の存在に対する確信とそれに至る事の困難の認識に立脚する代替物であったはずの人為的な真実が、初めのステップが忘れ去られて真実そのものであるかのように振る舞いまた扱われるようになっている。勝てば官軍の論理は、結局の所戦争の根源そのものだ。彼らは真実に対する献身を思い出し、思想をぶつけ合うことのみに頼らない他者の受容を学ぶべきだろう。

#ところでこういう捉え方自体は前から考えていたんだけど、対照的だと思っていた所が意外に対照的ではないなあ。無理やりそれっぽく並べて書いたけど。むしろどんな環境であっても、絶対的な真実という誘惑が捨てがたいというのが共通した構造なのかも。

2004/06/07(月) ダビデダビデ
David Eddingsがいつのまにか新シリーズ``The Dreamers''に着手したらしい。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0446532215/qid=1086624387/sr=8-5/ref=sr_8_xs_ap_i5_xgl14/102-7278050-1588926?v=glance&s=books&n=507846
さっそく一巻を買ってみた。読む時間を取らなければ…。

2004/06/06(日) ウィニー
Winny逮捕を受けて書いていた文書がやっと軌道に乗ってきた。もう半分超えたかな(といって文章をひねり出すのに苦労しているだけでボリュームがあるわけではない)。今週じゅうに公開できたらいいな。アウトラインだけ予告公開。Winnyの性格付けと、経済に関する一般論の二部構成。結果論的に著作権侵害としてWinnyを批判するか、Winnyが掲げた(ことになっている)理想を良く考えもせずに礼賛するかの二つの議論しかないので、Winnyの掲げた理想そのものを真っ向から批判するのは、多分例がないんじゃないだろうか。ただ、それを行うためにはまずWinnyが、大抵ただの名目として捉えられているその名目の下に実際に作られているのだとする必要があって、そのためWinnyを神秘化しすぎているきらいがある。Winnyの作者の思考にまで踏み込みすぎているかな…。でもその辺は筆を滑らせまくらないとちょっと説得力に欠けるし…。まあその辺は、余りかかれないちょっと変わった視点という程度ののりで読んでもらうとして、重要なのはWinnyをだしに使って情報化社会が経済の抽象化を要求し、経済はそれに耐え得ず崩壊するというなかなかショッキングな第二部。ただの妄言にならないよう気をつけないと。

-Winnyの意図
--匿名性は司法に対する隠れ蓑か
--Winny作者の意図したもの -抽象化-
--トリップ機能
--企業側視点としてのメディアとコンテンツの分離
--立ち読みと情報の万引き
-経済の抽象化という幻想
--情報化社会の要求するもの
--社会主義 -経済の抽象化の失敗という経験-
--著作権問題が浮き彫りにしたコンテンツの抽象化の困難
--必然、そして唯一の道 -メディアとコンテンツの再統合-
--微かな希望 -自発的な情報の具体化-

2004/06/05(土) サイキテーリ
忙しさが一段落して、今日は高校時代の悪友どもが集まってどーのこーのだったのだが、それはとりあえず置いておいて、面白いことを思いついたのでひさしぶりのアカデミックモード。

可積分系がどーの、カオスがどーの、の文脈で語られる保存量というものの定義がよく分からなかった。素直に読むと、位相空間上の任意の連続な関数で、同一軌道上の点に対しては同じ値を返すもの、とならざるを得ないのだけどこれはいくらなんでも一般的すぎるように思えたのだ。

対称性が一つあると保存量が一つある、というけれど、すべての保存量に対応する対称性があるとも思えなかった。例えばエネルギーの保存は物理法則が時間に依存しないこと(時刻tに状態sにあった系がt+Tにs'になったとして、時刻t'にsにおくとt'+Tにちゃんとs'になる)の現れだというけれど、物理法則が時間に依存しないでエネルギーが保存しない例というのはすぐに思いつく。高校物理ですら出てくる、速度に比例した抵抗を受ける例
d^2x/dt^2=--dx/dt
なんかそうだ。実際、この例では軌道は単純にもx+v=const.となり無数の平行直線群となる。だから、人為的にはいくらでも保存量を定義できる。こうしてみると、物理法則が時間に依存しない->エネルギーの保存というのは、物理法則がハミルトン形式あるいはハミルトン形式で書かれた上での、つまりいきなり第一積分が見つかった上での話だ。この場合、いきなりハミルトニアンがエネルギーを与えるから、他の保存量ならいざしらず、エネルギーの保存というのは面白い話でもなんでもない。

こんなことを考えていたので、保存量というものは軌道上で一定値をとるような任意の連続関数などという素朴な定義ではすまないのだろうと思っていた。それはまず、普通出てくる保存量は必ず物理的意味付け、特に物理的イメージを持てるような``流れ''を伴うわけだけど、それはどうなるんだ、という重いがあるのだが、最大の根拠は、そのような定義だと自由にいくらでも保存量が作れてしまうという考えだ。つまり、適当な初期状態s1で決まる軌道L1上のすべての点に適当な値a1を振り、s1から少しずれた状態s2で決まる軌道L2上のすべての点にa1から少しずれた値a2を振り・・・と繰り返していけばよい。

しかし、耳に入ってくるカオス関係の話を聞く限りやはりこの素朴な定義が保存量の定義であるようにしか思えない。それでしばらく前に考えたのが、この保存量を作る操作がうまく行かないというのはどのような状況かということだった。

そして、連続の定義を与えるε-δ論法を念頭におきながら考えて、この操作がうまく行かない最も単純な状況として、

・s1のどんな近傍領域をとっても、s1から伸びていった軌道L1が少なくとももう一回貫く

があることを思いついた。つまり、これらの軌道は空間充填曲線となるわけだ。例えば保存量がエネルギーしかない状況とは、たった一本の軌道が、等エネルギー曲面を埋め尽くす状況であり、等エネルギー曲面上のどんな小さな連続領域でも全ての軌道を含んでいる状況なのである。

#これで納得がいったのが、統計力学で、例えば(E,V)を指定したアンサブルを考える時に、状態を用意する具体的な方法についての言及がないこと。状態を用意する具体的な方法は、等(E,V)空間上の様様な分布を与える(あるいはめちゃくちゃな方法を用いれば分布など定義できないかもしれない)わけだが、等(E,V)空間中の特定の一点がE,Vが等しいような全ての軌道を含んでいると言える状況では、そのような分布は何ら意味を持たないわけである。この意味で、巨視変数とは、単に``マクロ系でも見える''変数というだけでなく、もっと本質的な意味で``指定することができる最大限の変数''というわけだ。

ここまではしばらく前に考えたことなんだけど、少し前にはっと気づいたのは、ポアンカレの再帰定理がつまりはこういう意味を持っていたのだということ。エントロピー増大則に対する批判の根拠になったという文脈でしか知らなかったけど、これはなかなか面白い。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040605-00000164-mai-soci
いったい、こういう記事を書く人は何がしたいんだ。ああもう。大手の新聞社が週刊誌ののりで記事を書くな。Winnyの時もIT Mediaがしょうもない記事を出していたけど、こちらは毎日新聞なだけもっとたちが悪い。ああ、ほんとにもう。

2004/06/03(木) ビジー
なぜか今週はやけに忙しい。

進学志望届をもらってきた。というか、調査だと思っていたらもう志望届なのね。去年の基準だと、第一段階は落ちるな。。。


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