Rukeの日記
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2004/06/18(金) アタラシイソータイロンノキョーカショ
そうそう昨日が誕生日でした。花の20才。

相対性理論って誤りを見つけたパラドクスを見つけたということが未だに言われる。もちろんどんな理論も間違っている可能性はあって検証の手は緩めるべきではないのだけど、この手の議論のおかしな所はそれらが物理的考察や実験を伴わず相対性理論の枠内でのみ議論している所だ。実際の現象と照らし合わせることなしに相対性理論の枠内でだけ議論するならば、どんなに難しい計算をつくしてもそれは演習問題の域を出ない。相対性理論は物理法則を記述する枠組みであって矛盾を含もうとしても含めないたぐいのものだ。ありうるのは相対性理論の枠組みで記述できない法則に従う現象が発見されることのみだ(事実量子論は共変形式では記述されずただローレンツ変換をまさに変換として抽象的に導入することで古典的振る舞いにおいて整合性をもつようにする)。

だけどそれでもこの手の議論が絶えないのはやはり相対論の教科書の伝統的な記述に問題があるといわざるを得ないのではないだろうか。量子論についてはそのような問題意識に基づいた本がいくつかあるけれど相対性理論では見たことがない。

相対性理論に関するパラドックスの多くは、相対性理論では(曖昧な言い方だが)二つの事象が同時刻に起こったかどうかが、絶対的には決められないということを忘れている(あるいは理解していない)。これは単に相対性理論をちゃんと理解していないだけだと片付けてしまえる問題ではない。というのも、相対性理論に関してやはり絶えない主張として「絶対時間が構成できる」というものがあるからだ。実の所、相対性理論の導入において多くの場合、我々が先験的に仮定している時間観念(ニュートン力学における時間、絶対時間)と相対性理論において再定義される時間の区別が曖昧になっている。それにも関わらず相対性理論に基づいて何か計算していて、ふと我々が知っている時間に関する知識を使用すると、すぐさま怒られるわけだ。釈然としない人が跡を絶たないのも無理はない。

通常の相対性理論の導入では何が定義で何が定義間の整合性をとるためだけの主張で何が物理的な主張(観測や実験によってわかったこと)なのかが分かりづらくなっている。相対性理論において普通「光速度が一定」が指導原理とされる。しかしその上で光を使って時間を定義するならば、この文における光速度とはどのように定義されるのか。ここにはあきらかに論理の循環があり、単に相対性理論では光を用いて時間を定義して議論を進めているのだと見なす読者もいるだろう。そのような読者が時間の他の定義の仕方もありうるのではないかと考えるのはごく自然なことだ。しかしこのような議論は単なるトートロジーと片付けることはできず、確かに何らかの物理的主張を含んでいるのである。時間を定義することなくそれを表現しようとすればどうしても曖昧な言葉になってしまうが、光は誰から見ても同じように見えるということである。光速度一定の原理は物理法則の対称性とセットで考えて初めて意味を持つ。そのことを前面に押し出した教科書があれば相対性理論に関する理解はきちんと広まるのではないだろうか。

仮に構成を書いてみると

1.我々が経験的にあるいは直感的に、ある性質を満たすものとしてその存在を仮定(あるいは期待)していた時間すなわち``事象に対する番号付け''に関して、その仮定されていた(あるいは期待されていた)性質を(曖昧な表現で良いから)列挙する。恐らくそれは事象に対する一意の番号付けで、現象の因果性と対称性を反映するということになるだろう。

2.マイケルソン・モーリーの実験など相対性理論の発見に結びついた実験を、1.の性質を持つ時間の存在を否定する実験という見方の下で解釈しなおし、そのようにして紹介する。

3.それでもなお、我々の世界が因果性と対称性を持っていることをやはりいくつかの実験(それらの実験の多くは2.で紹介したものと重複するだろう)から示す。そしてそのような因果性と対称性に関して光現象が示すある著しい特徴をやはりいくつかの実験の結果(これもやはり2.で用いた実験と多くは重複するだろう)から(曖昧な表現で良いから)記述する。

4.3.から光を用いて、因果性と対称性を反映できるような次善の策としての時間の代替物が構成できることを示し、また構成する

5.構成した「時間もどき」が持つ性質と持たない性質を詳細に検討する

以上のような構成の教科書が書かれれば、相対性理論を批判する可能性が以下のものしかないことが専門家でない人の間でも共有された了解事項となるはずだ。

(1)2.の実験が真に1.の意味での時間を否定する根拠足りえるのか検討する。ただしこの道は非常に細い。

(2)4.とは別の方法で構成する他の次善の策を提案する。そのような別の「時間もどき」は相対性理論において定義された時間が持つ性質のいくつかを持たず、逆にいくつかの性質を持つだろう。ただし注意しなければいけないのは、相対性理論で記述できない現象を見つけ出さない限り、このような新理論は何ら新しい結論を導き出さない。この新理論の意味で「運動する物体の時刻は遅れる」等といった相対性理論的主張が否定されることはありうるが、相対性理論の主張と新理論の主張との間には完全な対応関係があって、相互に変換可能なはずである。それは基本的に計算手法としての意味しか持たないだろう(つまりある種の問題がこの新しい時間の定義に従った方が議論しやすい可能性はある)。

(3)相対性理論の意味での時間の存在すら否定する画期的な実験結果を提出する。あるいは相対性理論の枠組みで記述できない現象を見つける。


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