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2004/04/16(金)
キーボード
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Acer Airkey君が故障したかも。。。ポインティングデバイスは問題ないんだけど、キーボード入力が全然駄目。赤外線が飛んでない訳ではないみたいだけど。断線だったら面倒だな。 ----------------------------------------- なんか直った。よかった。
今回のイラクでの日本人三人誘拐事件だけど、マスコミが誰を悪役に仕立てたものやらと困惑して、事実を客観的に報道するに留める姿勢が普段よりも強かったように感じる。これからは安心して三人を悪役にすることだろう。三人にとっては名誉の勲章みたいなものだろうが、家族の心労は今日までの比ではなくなるのだろうなあ。 ------------------------------------------ 自然科学の重要性は、その形式的な普遍性だけでなく(というかこれは数学はともかくとして他の分野ではごくごく限定的にしか成り立たない。)方法論としての普遍性だと思っている。
もちろん、発見的な方法を完全に排除することはできないし、「機械的に解ける」という標語が完全に実現している分野はほとんどない。しかし、高校や大学教養程度の数学や物理では、発想や才能が問われることなど滅多にない。
こう考えている自分としては、物事を真に理解するということは、人に説明して、「なんだこんなあたりまえのことだったのか」と思わせられなければいけない。
個人指導のバイト先を探してみているのは、第一に割がいいことが大きいが、実はこんなことも考えている。実のところ、個人指導という形態自身には大いに疑問をもっているのだが、少なくとも今の私なら自分の目の前にいる人間一人二人に高校程度の理系分野を教えることくらいはできるだろう。その程度の勉強はしてきたつもりだ。
#ただやはり、生徒と同数の教師がいるこの形態で、教師のクオリティが保てるわけがない。多分多くの場合、教師による分かりやすい解説よりも、面倒見の良い勉強をする環境が欲しいのだろう。そう生徒自身が思って通ってくるならば、生徒が勝手に演習して、教師は所々生徒が詰まったところだけ解説して、教師は楽だし生徒の成績はちゃんと上がるしで良い事づくめなのだろうが、親が生徒を通わせる場合、つまり生徒の勉強をマンツーマンで監視することを期待されているならばこれは悲惨な結果になるだろう。いずれにしてもやはり教育産業で私が受け入れられるのは塾までで、個人指導、家庭教師というものの効果には大いに疑問がある所である。
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