Rukeの日記
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2004/04/29(木) ダラダラ
aaacafeのf18サーバ落ちてるー。

文芸部の原稿書いたり、事務的な仕事をしたり、、、なんて言っても書類書きは三秒で終わるし、原稿は二行しか進まないしで、つまりはだらだらしていた。

http://www.4gamer.net/DataContents/game/1024.html
Doom3とHalfLife2が出るまではFPSゲームは遊ばないつもりだったのだけど、ついつい手を出してしまった。Painkiller。なんだか、最新技術オンパレードって感じですごいけれど、ゲームとしては斬新さもないし爽快感もない。従来のゲームだと倒した敵は用意された死体の3Dモデルデータの内の一つになって、その場に横たわり、しばらくすると消えるという感じだったわけだが、このゲームだと死体が物理挙動するようになっている。最近流行りらしいRagdollとかいうものらしい。しかし、倒した敵が邪魔になって敵に弾が当たらないというのは、正しくはあるけれどかなりのストレス。

グラフィックも美しいけれど、Seriousエンジンに比べてちょっと物足りない。SeriousSamにこの物理シミュエンジンを積んだら非常に面白そうだ。

2004/04/28(水) ネンキン
やっと日常生活、いや、日常生活は問題ないのだが電脳生活を送れる程度に目が回復してきた。

菅代表も年金を10年払っていなかったそうで…。というかこれは既に年金の取り立て方法を問題にすべき状況なのでは?そもそも、20代の人間の半分以上が払っていないという状況は、若者の意識を云々しているレベルの問題ではない。

ていうか年金問題、もう凄いことになっている。政治家個人とか、政党とかのダメージ以前に、制度そのもの、さらには政府という機関そのものがとんでもないダメージを受けるだろう。世が世なら政府そのものが瓦解してもおかしくない。

2004/04/27(火) アイムダイイング
まだ目がおかしい。体調がおかしいわけではないのだが、たったこれだけのことで随分とエネルギーを消費してしまい、疲労困憊。とにかく、ゼミはどうにかこなせたので良しとしよう。

明日からしばらく学校ないので、ゆっくり休もう。やんなきゃいけないのは文芸部のNOISE編集くらいだ。後はこの機会に韓国語をみっちり、、、できるわけがない。もう一度ワインバーグにトライしてみるか。

2004/04/26(月) ナミダー
ちょっとマジで辛い。目から涙が出てきてとまらない。目の周りが荒れてきた。パソコンの画面を見るのも辛く、いろんなことに支障が。とりあえず明日のゼミの準備だけでもしなければ…。

2004/04/25(日) ナミダ
目が痛くて涙がとめどなく溢れてくる。視覚に頼るあらゆるアクティビティーに支障をきたしている。うがー。

2004/04/23(金) ユーカイ
イラクで拉致された三人に対する所謂自己責任論について言いたいことは色々あるのだが、いつのまにか外国の人達が日本の政治家をたしなめまくっているじゃないですか。ああ、恥ずかしい。。。

国際社会においては、日本政府の味方をしてくれるのは日本人しかいないし、日本人の味方をしてくれるのは日本政府しかいない。この逆は必ずしも言えなくて、日本政府が日本人の味方を必ずしなければいけないかと言えばそうではないし、日本人が日本政府の味方をしなければいけないかと言えばそうではない。

しかし、国際社会において、日本政府は日本人について責任を負わなければいけないし、日本人は日本政府について責任を負わなければいけない。

これは大前提であって、民主主義の基本的な考え方である国民主権の単なる裏側にすぎない。

そもそも国際社会のレベルで起きる現象は全て、奇麗事の通らない力と力の衝突だ。そこにおける行動原理は単純で、隙を見せない事と隙につけいる事だ。

イラク戦争だって、大義名分がないなどと散々批判されていたが、大義名分がなければ戦争してはいけない等と本気で思っている国は皆無なのである。大義名分がないというのをアメリカに対する一つの武器にしたり、戦争に参加した国々の政治において一枚のカードにしたりする場合はある。しかしそれは決して正義の為でもイラクの為でもない。悪の帝国ステイツが悪逆非道にも仕掛けた残虐なる侵略戦争に、世界中から集まった平和を愛する自由の民が絶望的な戦いを敢然と繰り広げ、どっかのヒーローがブッシュと一騎打ちして一発逆転な展開など起こりはしない。良い悪いの問題ではなく単に、国際政治とはそういうものなのだ。

だから、あのような事件が起きた場合、政府がすべきことは、そして日本国民がすべきことは、一にも二にも誘拐犯を非難する事だ。通常犯罪に分類される出来事が起きた以上何の遠慮もすることはない。最も薄っぺらな現代社会の建前をいくつか組み合わせるだけで、非は全てあちらにありと出来るのだ。最近流行の「テロに屈せず」を使うのも良し。

そしてそれをしなければ、今度はこちらが漬け込まれる。もう少し突っ込んだ論理を持ち出せば、非はこちらにあり、さらには、非は全てこちらにあり、なる議論も可能なのだから。

疲れたのでまた今度。まだ続く予定。

2004/04/22(木) ムーミン
ムーミン君に会った。代数学入門とかいうかなり重そうなゼミを取っていたり、必修の二外が二コマとも一限だったりと、希望に満ち溢れているその姿が何だか羨ましい。しらばく話したあと情報棟でMathematicaで遊んだ(謎)。

#彼は大のムーミン好きであり、彼がいなければ、私がニョロニョロを媒介にして"場"を理解するという歴史をたどることは決してなかったであろう。

いつのまにかスティーブン・キングの暗黒の塔シリーズ最新巻が出ているらしい。しかしBook1stでは見つからず。Wolves of the Calla。読みた〜い。

清水明先生の「量子論の基礎」がムック形式から版を改め単行本になったということだが今日やっと見つけて買った。しかし何というか全くもってアピールに欠ける表紙だ。普通の人が見たら有象無象の量子力学教科書の一つにしか見えないだろう。売る気がないのかと言いたくなるほどに地味な装丁にしてしまうのは専門書の悪い所だと思う。特にこの本の場合、歴史的な経緯をそのまま辿る従来のスタイルを正すというのが大きな目的なのに。

まあとにかく持ち運びが便利になり読みやすくなった。これなら電車の中でも読める。でも買ってしまってから思ったんだけど、吉岡書店から出ているアイシャム 著「量子論 -その数学および構造の基礎-」と比べてちょっと物足りない感が否めない。ムック形式だと、大学初年級の人にも分かりやすく、って感じのとっつき易い本に思えたのだけど、単行本になるとただの理工書にしか見えず、そうすると、分かりやすく解説しようとする余り、ページ数の割に情報量が少なすぎる気がする。う〜ん、ムック版の時は普通に、これはいい本だ、などと思っていたんだけど。買わなくても良かったかも。

#それにしてもこのアイシャムとか言う人の全く売る気のなさそうな専門書然とした本を面出しで売っていたアオキ書店は称賛に値する。

2004/04/21(水) ブルルッ
今学期は文系科目は「意味と文法」のみに絞る予定だったんだけど、履修の手引きに気になる記述が。

3学期終了時点で系列条件を入れて18単位取得していないと進学振り分けの対象にならない

え〜とつまり簡単に言うと、「意味と文法」を落とすと留年?

というわけでレポート出すだけでよい科学史と美術論を保険で加えておく(汗)。ああ、私の完璧な成績表に傷が(意味不明)。

というかどちらもレポート課題を知らないのだが…。
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決定した時間割

x-現代物理学-x-x-複素関数論

科学史-x-x-意味と文法-情報統計力学

x-英語I-x-美術論-x

x-x-韓国語-数理科学II(常微分方程式)-x

物性化学-数理科学III(ベクトル解析)-実験→

2004/04/20(火) ツイキ
ところで昨日、アインシュタインの時代にまだ分子という考えは確立していなかったという話を田崎先生が言っていたと書いたけど、先生がこの文脈で話したわけではなく、単に普通の研究者はこういったことはちゃんと認識しているんだなあ、という話。講義中の文脈は、世の中の現象が分子や原子やさらにクオークで説明できるようになった、より深く理解できた、とあっさり安心してはいけなくって、我々がなかなか分子や原子の存在に気づかないほど、我々の世界はマクロなレベルで安定であるのは何故か、ということを考えなければいけない、という話。

森羅万象の理論なんてものがもしあるとしても、それは究極の還元主義を与えるものではなく、対称性、連続性、局所性、階層性といった宇宙の最も基本的な性質に統一的な理解を与えなければならないだろうとは思う。それは物凄く難しいことだろうけれど。

2004/04/19(月) クリコミ
http://www.gakushuin.ac.jp/〜881791/halJ.htm
よく日記を読んでいる田崎先生の繰り込み群に関する講義をとってみた。なんだか、ついついしゃべりすぎてしまう人のようで、基本的にはわかりやすいのだろうが、分かった気にさせられることのないように気をつけなければならなさそう。

それはともかくとして、今日は初日ということで物理全体に関する先生自身の考えをひたすらしゃべりまくられた。自分が結構普段考えていることと結構似ていたりして、少し安心した。

電磁気学ができた直後に相対性理論は作られたし、熱力学ができたのも比較的新しいできごとで、統計物理ができたのは実はアインシュタインの時代(というか、アインシュタイン自身がかなりのことをしていた。高校で分子運動論を中途半端に教えられて、多くの人がニュートン力学の直後だと思っているだろうなあ。)で、実はこの時代にはまだまだ分子や原子という考えは疑問視されていて、アインシュタインのブラウン運動の論文は分子の存在の有力な証拠になり、そうして分子や原子という考えが出てきたらすぐに光量子仮説を始めとする離散的な考え方がでてきて、量子力学に繋がっていく。この滅茶苦茶シーケンシャルな流れにどれだけの人が気づいているだろうか。ブレークスルーとかパラダイムの転換とか対立構造だとかが強調され、アインシュタインが相対性理論に対してではなくノーベル賞をもらったことに、また彼が量子力学に終始反対したことにまことしやかな説明が付けられたりするけれど、彼がどれほど物理学の流れのど真ん中に位置していたかにどれだけの人が気づいているだろうか。

多分研究の現場にいる人たちはもちろんこういったことを認識しているのだろう。しかし、一般のレベルにおりてくる物理に関する情報はやはり余りにも歪んでいる。先生もテレビのCGでいつのまにか納得してしまっている、などと言っていたが、NHKスペシャルとか雑誌のNEWTONなどの馬鹿みたいに鮮やかな映像やイラストは、啓蒙というにはほど遠い効果しか持っていない。
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ひっそりと張り紙がしてあるだけで全然周知されていないのだが、いつのまにか講義棟が全館禁煙になっている!!。素晴らしい。自治会が動いていた覚えもないのだが、珍しく建設的な進歩が自発的に行われた。
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http://ripjohn.s28.xrea.com/diary/2004_04.html#D2004_04_17

そのとおりだと思う。

そもそも、「責任」という言葉は「権利」「義務」と同様に、その正しい意味を問われることなく様様な主張の補強に乱用されている。ただの武器の一つとなっている。

#高校時代に現代社会の授業で「人権概念の発生」みたいな授業を受けて非常に驚いた。(つまりロックだヨハンシュトラウスだリヴァイアサンだワイバーンだサラマンダーだ(注:もちろんほとんど嘘です)が出てくる授業)。人権概念に関する議論は、その始まりから、権利をいかに制限するかが主題であったのだ。先生が喋る人権概念の歴史はあからさまにそのことを示しているのに、当の先生がそのことを全く強調せずにこの時代に権利という考え方が発生したかのように喋るのにはかなりの違和感を覚えた。実際の所権利という考え方は封建時代をかなり遡って存在したはずだ。

「いじめは絶対にしてはいけないことだけどさ、
いじめられる側にだって絶対に問題があるんだよね」
と言った言説がなされる。単に事実を述べただけだとすれば確かに正しい。しかし実際にはこのような発言は後で述べたことが前に述べたことを弱める根拠、あるいは反論する根拠であるという言外の意味をもって行われる。

この問題を考えるには、責任という言葉のごくごく簡単な基本をきちんと認識するだけで十分だ。それは「いじめた人間はいじめたことに責任を持つ」「いじめられた人間はいじめられたことに責任を持つ。しかしいじめたことに責任を持つことは決してない(当たり前だ)。」

主体と客体、行為と現象、そして責任と非はいずれにありやの混同がそこにはある。

このような形式的な議論はそれ自体では何も生み出さない、非常に空虚な議論である。しかしそれは少なくとも認識されて、より高度な議論の土台になっていなければならない。しかしそれが実現していることは滅多になく、歪みが常に生み出されつづけている。


肝心のイラクでの拉致事件について書くのが面倒になったので気が向いたらまた明日。
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覚書
土曜1:30(1:00には中目黒につくように)

2004/04/18(日) トーケーリキガク
情報統計力学の輪講ゼミをとったので、熱力学と統計力学の復習。真面目にいろいろ検討していたら、先学期疑問に思って流してしまったこともちゃんと解決してしまった。

肝心のスピングラスの扱いは明日になるかな。

2004/04/17(土) サイヨー
無事に採用されてしまった。来週の月曜日に16:30から三人まとめて説明を受けることになったので、フクソカンスーロンの授業の第一回に出られないが、働かせてもらう身で文句はいえんだろう。そもそも、散々難波誠さんの本を人に勧めておいて、未だ完読していない自分が悪い。

それにしても、あの本を、受講者のほとんどが所持することになるのだろうが、その状況は中々すごい状況だ。。。
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文芸部の新歓。オリにやってきて驚いた高校時代の同級生がまた来てくれた。学校で会っていないので結構久し振りな気がしたけれど、オリから一週間程度しか経ってないんだなあ。学校が始まると時間が随分と長く流れ出す。大体、授業を聞いている時間というのは、自分の人生とは別時空での時間なのだ。

清水明先生の「量子論の基礎」という本が版を改めた上に単行本になったそうだ。
http://www.saiensu.co.jp/books-htm/ISBN4-7819-1062-9.htm
で、これを見て驚いたのが、この本に場の量子論が少しだけでも含まれていたこと。今回章を追加したのかと思って持っているムック版のほうを見ると、ちゃんとそういう章がある。

量子論の本質は、非決定論的だとか離散的だとか非実在論だとかでは全然ない。重要なことは、今まで我々は(位置x,運動量p)でもって一つの粒子の物理状態を完全に指定することができると考えていたがそれは違っていて、これでは全然足りなかったのだ、という事実。

そして粒子の状態を表す変数を

・我々が今まで使っていた位置という変数が取りうる値を以ってラベルを振ることができる(そこでこれらの変数を{ψ_x}と表す)
・我々が位置を測定しているのだと思っていた行為のうち特に理想的なものを行うと変数ψ_xの絶対値が値xが得られる確率を表している

が満たされるようにうまくとることができるという事実。

#ここで理想的とは、測定を行った直後に測定を行うと同じ値が得られる、という意味。誤差がない、と捉えるのは良いが、実験操作が厳密でないことによる誤差とは区別しなければいけない。

このように、「波と粒子の二重性」「測定するまで存在しない」「離散化される」「物理量が何故か演算子になる」等といった歴史的経緯から頻繁に述べられている曖昧な言説を経由せずに、まず初めに量子論の理論形式を学んだ僕にとって、古典場に対応する量子系として一番初めに頭に浮かぶものは以下のようなものだ。スカラ場を例とする

古典的なスカラ場φとは、空間上の位置xに値φ(x)がなんらかの形で存在し特定の法則にしたがって変化する。ベクトル解析等の数学を使う関係でこれは関数の記法φ(x)と書かれるが、ここでは議論が分かりにくくなるので、φ_xと書く。すなわち、空間上の各点に一つずつ変数が存在している。

粒子の場合とのアナロジーで、これでは変数が全然足りないのではないかという疑いが浮かぶ。つまりもっと変数が必要なのであろうと考えられ、うまく変数を選ぶと
・x及び我々が今まで使っていた変数φ_xが取りうる値を以ってラベリングができる。すなわちψ_(φ,x)と書ける
・(あるxに対して)我々がφ_xを測定しているのだと思っていた行為のうち特に理想的なものを行うと変数ψ_(φ,x)の絶対値が値φが得られる確率を表している
を満たすようにできる。

ところが、ワインバーグの本の先の方を眺めるとどうやらこのような単純な話ではないように思えた。。。のだが、

今改めて清水先生の本を読んでみると確かに僕が考えた通りのことが書いてある。そろそろずっと放っておいたこの本の後半部分を本腰入れて読むべきかもしれない。そういえば、ベルの不等式の話もほうっておいたままだ。

現在のように量子論の理論形式が明快な形で書かれれば、測定を扱う射影仮説については
・測定される系と測定器とをあわせて考えた全体系がハミルトニアンによって時間発展する時に現れる特殊な現象
として説明されるだろう、と考えるのが自然だ。事実現在では多くの研究者がそのように考えて、測定問題というものは昔ほど注目されていないそうだ。しかし実は、フォン・ノイマンの段階で、ハミルトニアンによるユニタリ発展をどういじくろうと、射影仮説がしゅちょうするような激しい変化は説明できないことが認識されていた(だからこそフォン・ノイマンは測定の過程をハミルトニアンによる時間発展の過程とは全く違うものだと考えこれを量子論の基本的要請の一つとして採用した)そうだ。だとすると、ハミルトニアンによるユニタリ発展のみに着目して測定の問題を忘れ去るのは物理的になんら正当化されず、単に目をつぶっているだけということになるだろう。

量子論は非局所的な性格を持つ、と言われる。これはシュレディンガー方程式
idψ/dt=Hψ
を指しているのだと思っていた。しかし実際のHは例えば正準量子化が通用するならd/dxとV(x)の組み合わせであって、あるxに対してψ(x)のちょっと先の値は、ψ(x)の近くの状況だけで決まる。量子論の非局所的な性格は実は、射影仮説が主張する激しい状態ベクトルの変化にあるらしい。このことをちゃんと理解するにはやはりベルの不等式の周辺の議論をさらってみるべきなのだろう。

2004/04/16(金) キーボード
Acer Airkey君が故障したかも。。。ポインティングデバイスは問題ないんだけど、キーボード入力が全然駄目。赤外線が飛んでない訳ではないみたいだけど。断線だったら面倒だな。
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なんか直った。よかった。

今回のイラクでの日本人三人誘拐事件だけど、マスコミが誰を悪役に仕立てたものやらと困惑して、事実を客観的に報道するに留める姿勢が普段よりも強かったように感じる。これからは安心して三人を悪役にすることだろう。三人にとっては名誉の勲章みたいなものだろうが、家族の心労は今日までの比ではなくなるのだろうなあ。
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自然科学の重要性は、その形式的な普遍性だけでなく(というかこれは数学はともかくとして他の分野ではごくごく限定的にしか成り立たない。)方法論としての普遍性だと思っている。

もちろん、発見的な方法を完全に排除することはできないし、「機械的に解ける」という標語が完全に実現している分野はほとんどない。しかし、高校や大学教養程度の数学や物理では、発想や才能が問われることなど滅多にない。

こう考えている自分としては、物事を真に理解するということは、人に説明して、「なんだこんなあたりまえのことだったのか」と思わせられなければいけない。

個人指導のバイト先を探してみているのは、第一に割がいいことが大きいが、実はこんなことも考えている。実のところ、個人指導という形態自身には大いに疑問をもっているのだが、少なくとも今の私なら自分の目の前にいる人間一人二人に高校程度の理系分野を教えることくらいはできるだろう。その程度の勉強はしてきたつもりだ。

#ただやはり、生徒と同数の教師がいるこの形態で、教師のクオリティが保てるわけがない。多分多くの場合、教師による分かりやすい解説よりも、面倒見の良い勉強をする環境が欲しいのだろう。そう生徒自身が思って通ってくるならば、生徒が勝手に演習して、教師は所々生徒が詰まったところだけ解説して、教師は楽だし生徒の成績はちゃんと上がるしで良い事づくめなのだろうが、親が生徒を通わせる場合、つまり生徒の勉強をマンツーマンで監視することを期待されているならばこれは悲惨な結果になるだろう。いずれにしてもやはり教育産業で私が受け入れられるのは塾までで、個人指導、家庭教師というものの効果には大いに疑問がある所である。

2004/04/15(木) コジンシドー
個人指導講師の面接に行って来た。試験四題に一時間三十分与えられたのだが、中々重い。というか、多分全然面接の方が重要で、こんなの一問目が解ければ十分なのだろう、と思いつつふうふう言いながら解いていたら、なんと全部解けてしまった。これはちょっと自慢できそう。というか、あの問題を全部解ききった人はそういないだろう。というか、自分が高校の時にあんな問題がちゃんと解けたとは思えず、どうやら大学に入ってから問題の見通しという奴が少しは磨かれたらしい。意外と先に進むだけではないのだなあ。結局、先方的にはこれさえできれば十分的に作ったのであろう第一問、第二問にそれぞれ40分、30分もかかったのに、残りの二問がかなり簡単に解決してしまった。

ちょっと嬉しかったけど、あんな問題が解けるかどうか、というのは選考基準としてはかなりどうでも良いもので、面接のほうが重要なのだろう。ネタにされるだけっぽい。

それにしても、個人指導というのは随分楽そうで割りも良いバイトのようだ。ここが落ちても他で探してみよう。
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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040414i414.htm
思っていたことと全く同じことをちゃんとした立場にある人が述べてくれてほっとしている。件の裁判官の批判だけじゃなくマスコミの批判もしているが、どちらも至極当然のことだ。

2004/04/14(水) バイト〜
生まれて初めて履歴書というものを書いた。枚を重ねるごとにより早い段階で書き損じるようになり、ついに9枚を消費してしまった。5枚パックを二つ買ったので、あと一枚しか残っていない。少し書いては飲み物を飲んで気分転換するようにして、やっと書き終えることができた。

それにしても手書き、修正不可とは不合理この上ない。
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がー。また教習の時間を間違えた。

8時限は5:10から
10時限は7:10から

よし覚えたぞ。

4月絵日記の続き


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