Rukeの日記
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2004/03/12(金) ザッカンエルオーティーアール
指輪物語についての文章が、論理的に構成しようとすると、何せ原作がめちゃ長いので引用個所の検索に終われ、文章も無駄に冗長になって死にそう。それでもう諦めて、こちらの日記で、簡潔に、非論理的に結論だけを書こうと思う。

指輪物語では、フロドがエルフ達やガンダルフと共に去っていって終わりとなる。映画ではこの辺りに明確な説明がなく多くの原作未読者は、「原作では理由が書いてあるのかな?」などと思っているようだ。しかし、原作でも(一応フロドによって語られるものの)それほど明確に理由が書かれているわけではない。

指輪物語で描かれた時代は、動乱の時代なのだと思う。そこでは、どんな個人でも抗えない形で、どんな個人もまきこまられる形で、時代が通常の何倍もの速度で流れていく。

指輪物語の登場人物達は、誰もが非力で、誰もが未来について確信を持つことなど(ガンダルフ、アラゴルン、ガラドリエル、エルロンド等非力とは言いがたい者達でさえ)できない。それでも彼らは、未来のために自分がすべきことを直感的に感じ取り強固な意志を持って行動する。それは、ゴクリが全く意識せず行い、そしてゴクリにおいてのみ明示的に説明が加えられた事であるが、全てのメインキャラクターに共通して流れる行動原理なのである。

だが、動乱の時代にあって人々は、疲弊し、傷つく。特にこのような行動原理をとったものたちは、犠牲を一手に引き受ける。彼らは未来のために行動したのであって、それは彼ら自身のためではない。これはフロド自身が明確に同じ内容を述べている。
I tried to save the Shire, and it has been saved, but not for me. It must often be so, Sam, when things are in danger: some one has to give them up, lose them, so that others may keep them.

だからこそフロドは去るのだろう。実のところフロドが去るということは、フロドがいつの日にか息を引き取るというのと大して変わらない。ただトールキンは自身の歴史観をより明確に示すために、フロドを明示的に去らせたのだと思う。

トールキン自身再三、自身の戦争体験とこの小説との関連を否定しているように、この小説は、単純な善悪に基づいた戦いを描いているのではなく、ある架空の世界のある時期の歴史断片を描写しようとしているのであり、そして大きな成功を収めているのである。

特に注意深く読めば、サウロンという存在は絶対悪というよりはむしろ、その台頭を以って動乱の時代の幕開けを表し、その消滅を以って動乱の時代の終結を表す、象徴的役割であることがわかる。ガンダルフやサルマンがサウロンより高位の存在から派遣され、それにも関わらずサウロンに到底及ばない力しか与えられていないこと、そしてサルマンのサウロンへの宗旨変え等を考えれば、単純な善悪二元論はこの物語に全くそぐわないことがわかる。サウロンは絶対悪というよりは、疫病神であり頭痛の種なのである。

このようにこの小説は、特定の主人公に都合の良い冒険活劇などというものではない(というか、フロドが主人公だと考えても、アラゴルンが主人公だと考えても、ガンダルフが主人公だと考えても、随分と締まらない話にしかならない。メリー、ピピン、その他多くの人が皆同時に主人公として動いている)、壮大な歴史の記録として描かれている。だからこそ、ファンタジー小説として最も初期に書かれたこの小説はいまだに高い評価を受けているのだろう。

大掛かりな戦闘と関係のないところで、エルフたちは「これからは人間の時代だ」と言って、西方の地へと去っていってしまう。サルマンは、エントの大行進という、両陣営とも予想だにしなかった出来事によって没落する。そこには歴史の奔流がある。

僕がこの小説をはじめて読んだとき、出てくる多くの登場人物に、何故だか坂本竜馬が重なった。それをつきつめていってここに書いた文章になったのだが、とにかく、この映画を「典型的な善悪二元論ハリウッド映画」といって切り捨てる映画評論家は、どうしようもなくあさはかだ。

「日本は戦争に負けたから、戦勝国は正しくなくてはいけない」「日本は戦争に負けたから、戦勝国は間違っていなくてはならない」という二つの歪んだ論理がこの国の思考を歪ませ、いまだに「日本対西洋」という馬鹿らしいほど大雑把な二元的見方が幅を利かせている。だが、「戦争を忘れた世代」はこの小説の映画化に対し、必ず何らかの答えを出すだろう(日本では小説の知名度も余り高くない。その点も含めて非常に冷静な視点からの再評価が行われ得るだろう)。


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