Rukeの日記
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2004/12/28(火) カンセーケー
下らないことだけど、
m d^2x/dt^2=f
で、x'=x-vtとおくと
m d^2x/dt^2=f
となる。これは、純粋に形式的な計算だ。この意味で、慣性系を「慣性の法則が成り立つ」という性質のみで特徴づけるならば、ガリレイ変換は、全く形式的に導入される(つまり相対性理論だとかニュートン力学だとか関係ない)。この事は本当につまらない話なんだけど、たぶん、余り認識されていない。

双子のパラドクスについて調べてみると、「地球から見たロケットの運動と、ロケットから見た地球の運動は同じであるのに、一方は等速運動でありもう一方は加速度運動であるとするのはおかしい」というような主張があるようだ。この下であらゆる「双子のパラドクスの解決」を、結論を仮定しているのだから循環論法だ、地球が慣性系で、ロケットは加速度運動をしているのだと初めから仮定するのならば矛盾が生じないのは当然だ、として批判するという。これは非常に興味深い。なぜならばこれはもはや相対性理論に固有の問題提起ではなくなっているからだ。
http://www.infonia.ne.jp/~l-cosmos/relativity/twins/TwinParadox.html
(このサイト自体はそのような主張を紹介した上で批判しているサイト。しかし、加速度運動は全て重力現象であるというとんでもない勘違いをしている。)

双子のパラドクスに限らずほとんどの相対論のパラドクスは「相対的なんだったら、時間が遅れるとか棒が延びるとかいう事が起きるのはおかしいじゃん」という非常に短絡的な思考を土壌としている。従ってそれらは(日常言語だけで相対性理論を説明しようとする啓蒙書はともかくとして)、何だかんだで三秒で説明できる物だ。それでもこのようなパラドクスにすがり付こうとすれば、結局、自ら、その勘違いの根源を直接的に露出させざるを得ないのだろう。

そもそも一部の大真面目でパラドクスを議論する科学哲学者はともかくとして、いわゆる擬似科学の本や記事を記述するような人には、売れないサイエンスライターの類が多い。そもそも科学には普遍性(十分に頑張れば(既に枯れた部分に関しては)誰にでも理解できる)がある故に、単に科学を理解してそれを解説できるというだけでは、ライターとしてのアドバンテージに乏しいのだろう。つまり、この手の記事を書くライターの中には、きちんとした理解を持っている人が意外に多い(という印象を受ける)。その上、この手のパラドクスはもはや新鮮味に欠けるネタだ。だから、相対性理論のちゃんとした入門書で、コラム的に触れられ、三行で論破されるような形のパラドクスに留めずに、何度かの批判-反論のプロセスを繰り返した形で記事にしなければいけないのだろう。つまり、このようなライターは、パラドクス記事を書くと、自分で批判をすぐに思いつき、読者はこれでは許してくれないだろうと、自分でその批判に対する反論をでっちあげ、しかしその穴を自分で明確に認識してしまい…という泥沼にはまり、結果、パラドクスの根底にある本質的な勘違いを抽出してしまうのだ。パラドクスに対する考察は、ちゃんとした物理の教科書よりも、トンデモ本、疑似科学本の方がむしろ進んでいる。最近のこの手の本は、自らの手でパラドクスの主張の本質的な部分を抽出する所まで辿り着いているのだ。

#僕は、熱力学の第二法則は間違っている、という特集記事で、ライターがせっかく一生懸命あれやこれやを書いているのに、コラム記事で、「そもそも孤立系は存在しないじゃないか」という主張が行われているのを見たことがある。その正当性以前に、その主張が成り立つのならば熱力学第二法則に対する反論はそれだけで済み、特集記事を書いたライターの労力が完全に無駄になってしまう。これには大笑いした。そしてもちろん、熱力学の第二法則が孤立系に関する特別な場合でしかかかれないという点こそは、熱力学の第二法則の広く流布している日常言語的な説明の本質的な問題点だ。

そしてこうやって、双子のパラドクスで何が問題となっているのか、というその本質的な部分が明らかになると、驚くべきことにそれは、もはや相対性理論に固有の問題ではなくなっているのだ。

物理で相対性と言った場合、それは「電車から見ると駅が動いているが、駅から見ると電車が動いている」という現象の叙述に関する当たり前の話ではなく、物理法則に関する物だ。パラドクスの根底にあるのはこの点の勘違いであり、それ故、「何が等速度運動で何が加速度運動なのかどうやって決めるんだ」という批判は、慣性系とガリレイ変換に基づく理論であるニュートン力学においても可能なのである。

従って、正しく理解しない事はもちろんどんな場合でも罪ではないが、相対性理論のパラドクスに対し「そんな疑問はニュートン力学の段階で解決しておけ」と怒る事は正当だ。しかしまた逆に、ニュートン力学の教科書は、このような疑問が正しく解決されるよう、慣性系を「見出される」物として慎重な記述によって導入するべきだろう。ほとんどの教科書は、慣性系の導入に無造作すぎる。


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