Rukeの日記
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2004/11/02(火) ノエター
昨日の日記を書いた直後に引っかかったこと。
ネーターの定理や力学系などの対称性と保存則の周辺の話について、今まで非常にラフに「似た状況を用意すれば似た現象が起こる」と理解していた。しかし、それは本当か?ということ。

ラグランジュ形式の解析力学では対象性はLの値を変えない座標変換で特徴付ける。これはつまり等L曲線を見出すことだ。この時q=q(t)が実現する運動ならば、q=f(q(t))も実現すると言えるような変換fがある。。。と思っていたのだがこれが余り自明でないように思えてきたのだ。

特に一つの座標が循環座標であるような座標系に移れば議論は簡単そうだ。ところが、むしろこの主張が否定されそうな議論の迷路に迷い込んで困惑してしまった。

朝の6時にやっと至ったどうしようもなく馬鹿馬鹿しい結論を先に書いてしまう。それは、q1が循環座標ならL=L(q2,q3,,q1dot,q2dot,q3dot,,;t)だから、q1(t),q2(t),,,が実現する運動ならq1(t)+a,q2(t),,,ももちろん実現するというものだ。もう少し丁寧に書けば最終的に書き下した運動方程式がN-1個のf(q2,q3,,q1dot,q2dot,q3dot,,q1ddot,q2ddot,q3ddot,,)=0という式とq1に共役な運動量の保存とになる。q1に共役な運動量もq1を含まないから、結局全ての運動方程式はf(q2,q3,,q1dot,q2dot,q3dot,,q1ddot,q2ddot,q3ddot,,)=0という形になるのでこれらの解に関してq1(t)を定数分ずらしてもこれらは満たされる。

この議論は完全にクリアーで、この結論を自明と呼ぶことすら許されるくらいだから(多分昔の自分はこう考えたのだろう)、特に問題はないのだが、それにも関わらずこの主張が否定されそうに見えた理由は、循環座標というものがかなり自由にとれると思っていたからだ。

例えば回転対称性を持つ系では極座標をとるとθが循環座標となり、角運動量が保存する。ここで循環座標は∂L/∂θ=0であればよい。つまりθ軸すなわちθ以外一定曲線がL一定曲線と一致すればよいから、L一定曲線上にどのようにθの値を振って良い。そのようにして刻み幅が一定でない角度変数θ'を作れば、r(t),θ'(t)が解でもr(t),θ'(t)+aは解ではない。そこで今欲しい変換fは必ずしも定数分のずらしではなく、これを決めるような方程式を作ることができるはずだと思ってあれこれやったけれど思わしくない。

しかしよくよくq1(t)+a.q2(t),,が解になるという主張を眺めてみれば、そもそも循環座標q1の刻み方は系の対称性の反映として定数倍の任意性しかないと予測できる。そこで、ためしにq1'=q1'(q1)という変換を考えてみる。すると、q1'dot=∂q1'/∂q1 q1dotであり、ここに現れた偏微分はq1'を含み得る。従ってq1'は一般には循環座標ではない。

こうしてやっと理解したのが、ラグランジュ形式では座標qは自由に採れるが、それに伴ってqdotの変換は自動的に決まってしまうということ。ハミルトン形式で変換が正準形式に限られているのを、「一般性を求めた割には全然一般的じゃないじゃん」等と思っていたのだが、この種の変換に対する制限はちゃんとラグランジュ形式でも存在していたというわけだ。そしてこちらはqは自由に採って良くそれに伴ってqdotが自動的に決まるのだからなるほど正準形式のほうが一般的だ。

つまり、問題なのはL一定曲線がq1以外一定曲線であるとは、q2,q3,,q2dot,q3dot,,に加えてq1dotを一定にする曲線でなければならないということだ。このためにq1を定める上で自由な余地はほとんどないということになる。

こうなると、Lを一定に保つ変換を見つけた時そこから循環座標を見出す方法に興味が湧く。循環座標の発見から保存量を見つける方法は座標系に依存するだけでなく、等L曲線の発見こそが本質であるのに、循環座標以外の全ての座標も同時に定めないといけないため無駄が多い(上で述べたようにq1は等L曲線上に適当に割り振るわけにはいかないが、それでも、等L曲線がq1軸であるということの本質はq1以外が全て一定であるということであり、q1はむしろ脇役である)ため、Lを不変に保つ変換に基づく保存量の発見法としてネーターの定理がある。しかしこの議論のように第一にそのような変換がありながら循環座標を利用して議論を行うのならば変換から循環座標を導く方法を知っておく必要がある。

今L(q+f(q)δs,qdot+d/dtf(q)δs)=L(q,qdot)であるとする。この式をあれやこれやしてd/dt(∂L/∂qdot f(q))=0を得る(ネーターの定理)。これが保存量であるはずだから、これが共役運動量となるような座標を見つければそれが循環座標だ。そこで新しい座標q'を用意して
∂L/∂q1'dot=Σi ∂L/∂qidot fi(q)
としたい。q=q(q'),qdot=∂q/∂q' q'dotに注意して
左辺=Σi ∂L/∂qidot ∂qi/∂q1'だから
∂qi/∂q1'=fi(q)
とすればよい。これは、
qi(s)=qi(0)+∫{s=0 to s} fi(q) ds
なる曲線がq1'以外一定曲線を与え、この曲線をパラメタ付けするsがそのまま循環座標q1として採用できる。不定性は保存運動量はネーターの定理から導いた物に限らず定数倍が許されるためq1'にも定数倍が許され、また最後のq1'以外一定曲線の積分表示から分かるように定数分のずらしが許される。

結局、ネーターの定理は微小変換に対する表現だけでなく、パラメタを持った変換q=f(q,s)に対して書かれる事があるが、このsが正に循環座標であり、fそのものが所望の変換で、q(t)が解ならf(q(t),s)も解であるという、fがLを変えないという話から直感的に思い至る予想がそのまま示された。

#もちろん、この結果はここまで事情が整理されれば、先の運動方程式の議論と同様に、運動方程式にf(q(t),s)を代入して満たすことを確かめるという素朴な説明が可能だろう。
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そんなこんなで、昨日(今日)は一時間くらいしか寝ていないのでめちゃくちゃ眠いのだが、結局これを書いていたらまた遅くなってしまった。しかもめずらしくリアルワールドで面識のない人から日記にレスポンスがあったり。皆PCIの無線lanカードには苦労してますなー。

2004/11/01(月) タイショーセー
万有引力の法則の発見以前には、「天上の星は貴なる物質で出来ているから天上に留まり、地上の物体や生き物は卑なる物質で出来ているから地上から離れようとしても地上に戻ってきてしまうのだ」というように天上界での現象と地上での現象を全く区別して捉え、あらゆる現象の背後にある普遍的な法則などという発想は存在しなかった、と言われることがある。

実際ニュートンの林檎のエピソードは林檎の落下を見て重力を見つけたというよりも、林檎の落下を見て天体の運動と物体の自由落下運動とに統一的な説明をし得る可能性に気づいたという所に主眼があり、例え史実でないにせよ象徴的な意味を持つのであるが、しかしそれ以前に普遍的な物理法則の存在が想定されていなかったかといえばそれは違うと思うのである。これは、単にそれが極論であるから実態はもう少し違った(実際コペルニクス、ケプラー、ガリレイを経てニュートンの時代には既にその予感はかなり強くなっていただろう)だろうという話ではない。それどころか人は思考する余裕を持った時から常に普遍的な物理法則の存在を想定している。

何故なら、もし天上界の出来事と地上での出来事を完全に切り離しているのならば、そこに説明を与える必要などないからだ。単に地上から見える天上界での出来事を記述する以上の行為は生じないだろう。そもそも疑問を抱いたその瞬間に、我々は普遍的な物理法則の存在を想定している。

「天上の星は貴なる物質で出来ているから天上に留まり、地上の物体や生き物は卑なる物質で出来ているから地上から離れようとしても地上に戻ってきてしまうのだ」と考えるということは、「貴なる物質を手に入れる事ができれば地上に縛り付けられた我々も、天界に至ることができるかもしれない」と期待するということだ。実際そのような神話や伝説が存在するだろう。ここでは普遍性の具体的な形である``対称性''という概念が既に芽生えている。

対称性とは、似た状況を用意すれば似た現象が起きるということだ。宇宙の大部分を占める何もない空間を目にする事なしには到底思い至ることのできない等速度運動に関する対称性を除いて(余談だが、実の所ガリレイの相対性原理が地上において見出されたのは驚異的な出来事だ)、合同変換に対する対象性と時間移動に対する対称性を、物理学が形成されるずっと昔に既に、人は世界に対して期待していた。


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