Rukeの日記
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2004/11/08(月) ジョータイクーカン
11/4の続き。

さて、隠れた変数vの導入が余りにも形式的に過ぎると言っても、同じ(x,v)に置かれた系が必ず同じ時間変化をする以上、xとvが正しく状態を完全に記述することは疑いがない。実際そう思って衝突現象等を眺めてみれば、確かに速度vの違いは状態としての違いであるようにも思えてくる。vの違いが直接的に結果の違いを生むような現象は注意してみればいくらでも見つかる。

しかし不満が残るのは、vの違いが現れるのは常に結果に対してであるということだ。言い換えれば我々は結果を通してしかvを知ることができない。瞬間が所有する情報としての速度vとは一体何のか?

この不満をもう少し具体的に書くとするとこうなるだろう。

まず、xが勝手に縦横無尽に変化しさえすれば、それを微分する事で速度vを得ることができる。この意味でvは余りに人為的な量であり、xとvを以って記述された物理法則を、世界の構造を抽出したと誇らしげに掲げるには躊躇せざるを得ない。

また逆に、瞬間の所有する情報たるvを決定するためには常に、その瞬間だけでなくその近辺の情報が同時に必要だ。vは人為的であるばかりでなく、局所的ではある物の、瞬間が所有する情報であるとは考えにくい。

もっともこれらはあくまで感覚的な不満であり、ニュートン力学の問題点とはならない。つまり、ニュートン力学では状態(x,v)の時間発展を与える物理法則は
dx/dt=v
dv/dt=f(x,v)/m
と書かれ、従って、我々はxの変化率を測定することで間接的にvを知ることができるのだと説明されるだけだ。しかしやはりこれは完全に形式的な説明だ。

vの人為性に由来するもう一つの問題は、何故dx/dtは常にvで与えられるのかという問題だ。あなたが今突然神様に任命され、x,vという変数を与えられて、好きなように世界を作れと言われれば、腕によりをかけて関数f(x,v),g(x,v)を作り
dx/dt=f(x,v)
dv/dt=g(x,v)
とするに違いない。我々の例ではdx/dt=vはxの変化を与えるとともにvの定義であるからf(x,v)が単にvと簡単な形を取るのはもちろん当然なのだが、それでもやはり(x,v)を以って状態の記述とする事には歪さを感じざるを得ない。


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