Rukeの日記
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2004/11/04(木) ゼノンノヤ
11/1の続き。

そして、ゼノンの矢のパラドクスは、まさに対称性の期待を背景に持っている。ある位置にある矢は、ある時にはそのまま止まりつづけ、ある時には飛び去っていく。

しかし我々はある物理法則があって同じ状態からは同じ結果が得られるようにこの世界はできていると期待している。それではそのまま止まりつづける状態と飛び去っていく状態とは何が異なるのだろうか?これは現代的な言葉でいえば「隠れた変数」の探索である。つまり、標準的な物理学者がこのような状況に直面したならば彼らはこれをパラドクスであると認識するわけでなく、単に状態の完全な記述を手に入れようとするだろう。

しかしこの問題が物理学が体系化されるよりはるか昔に、特定の運動学理論に対する批判ではなしにもっと一般的な、世界に対する疑問として提出されたのは、我々には感覚的に、止まっている矢と飛び去る矢の瞬間における状態が完全に同一であるように思えるからだ。従って、この問題を形式的に解決することはできても、心底得心の行く解決を与えることは非常に難しい。

例えば右向きに進んでいる矢には、右向きに進みたがる粒子がたくさん付着しているのだという説明をすることができるだろう。驚くことにこの理論は、空気抵抗によって矢が減速する現象すらも説明することができる。

恐らくゼノンの時代にもこのような原始的な運動学理論が存在しただろう。

この理論に対する反論としてもっとも大事な物はこの理論が何も説明していないという物だ。つまり右向きに進みたがる粒子は疑いようもなく右向きに進むだろうが、それは矢が右向きに進む理由にはならない。粒子は矢を置いてさっさと飛んでいってしまうだろう。このような粒子が付着することにより矢の状態が変化して矢自体が右向きに進みたがる性質を持つのならば結局矢には位置以外の「隠れた変数」が存在するということであり、出発点に戻ってきてしまう。

しかしそのような理論の詳細な部分については単に学者の研究課題であって少なくともパラドクスには結びつかない。ゼノンの矢のパラドクスは-そして多くのパラドクスは-全く感覚的な問題提起であり、その意味で最も重要な問題は、このような粒子を見たものがいないということだ。この事に関しては物質の下部-内部-構造をより詳しく知っている現代の我々はより強い確信を持って反論することができるだろう。結局の所位置さえ一致すれば、我々にはそれが同じ状態に感じられるのであり、それらが如何にして異なる状態たり得るのか得心の行く説明を与えることは難しい。

そして、時代が下って満を持して登場したニュートンの力学理論もまた、この問題を完全に形式的に処理するに留まった。ニュートンは、位置と速度を持って状態としたのだ。静止しつづける矢と3m/sで飛び去る矢との状態の違いとは何か?という問いに対して「速度が違うのだ」と答えるこのアプローチは、ニュートンの力学理論を形式的に完全なものとしたが、疑問に対する答えを与えているとは言いがたい。

のみならず実際、ニュートンの力学理論は理論としては全く問題を持たず実験とも十分に一致したにも関わらず、この点に密接に関わる多くの不満を持たれ、それは物理学の発展の一つの原動力となっていった。

位置と速度を持って状態の完全な記述と考えるということは、瞬間の直後の位置と速度がその瞬間の位置と速度のみから決定されるということだ。ただし連続な時間変化を考えるからそれは微分法則の形を取らざるを得ないため

dx/dt=g(x.v)
dv/dt=h(x,v)

と書かれる。ただしvはすなわち速度だからgについては既に決まっていて
dx/dt=v
である。問題はとなるのはh(x,v)である。ニュートン力学の第三法則の主張は物体に固有の質量という値mがあって、f(x,v)=h(x.v)/mに着目すると作用反作用の法則が成り立つというものだ。このfが力と呼ばれる。

こうしてニュートンは第二法則としてmdv/dt=f(x,v)を挙げた。ニュートンは万有引力の法則を提出したが、運動の基本法則に力の具体的な表現を含ませなかった。つまり、第二法則の本質的な主張はmdv/dtに着目すると、これは必ずx,vの関数となっているということだ。それ故に(x,v)を状態の記述として採用することが正当化されるのである。

そしてそれはあらゆる場合について実験で確かめられた。つまり、どんな環境を用意しても、同じ(x,v)に状態を置けば、その後に同じ現象が起きた。

従って(x,v)によって状態が完全に記述されることは疑いがない。それでも(x,v)をもって物理法則を記述することには、隠れた変数vの導入が余りにも形式的に過ぎたことに由来する歪さが付きまとう。


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