Rukeの日記
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2004/11/01(月) タイショーセー
万有引力の法則の発見以前には、「天上の星は貴なる物質で出来ているから天上に留まり、地上の物体や生き物は卑なる物質で出来ているから地上から離れようとしても地上に戻ってきてしまうのだ」というように天上界での現象と地上での現象を全く区別して捉え、あらゆる現象の背後にある普遍的な法則などという発想は存在しなかった、と言われることがある。

実際ニュートンの林檎のエピソードは林檎の落下を見て重力を見つけたというよりも、林檎の落下を見て天体の運動と物体の自由落下運動とに統一的な説明をし得る可能性に気づいたという所に主眼があり、例え史実でないにせよ象徴的な意味を持つのであるが、しかしそれ以前に普遍的な物理法則の存在が想定されていなかったかといえばそれは違うと思うのである。これは、単にそれが極論であるから実態はもう少し違った(実際コペルニクス、ケプラー、ガリレイを経てニュートンの時代には既にその予感はかなり強くなっていただろう)だろうという話ではない。それどころか人は思考する余裕を持った時から常に普遍的な物理法則の存在を想定している。

何故なら、もし天上界の出来事と地上での出来事を完全に切り離しているのならば、そこに説明を与える必要などないからだ。単に地上から見える天上界での出来事を記述する以上の行為は生じないだろう。そもそも疑問を抱いたその瞬間に、我々は普遍的な物理法則の存在を想定している。

「天上の星は貴なる物質で出来ているから天上に留まり、地上の物体や生き物は卑なる物質で出来ているから地上から離れようとしても地上に戻ってきてしまうのだ」と考えるということは、「貴なる物質を手に入れる事ができれば地上に縛り付けられた我々も、天界に至ることができるかもしれない」と期待するということだ。実際そのような神話や伝説が存在するだろう。ここでは普遍性の具体的な形である``対称性''という概念が既に芽生えている。

対称性とは、似た状況を用意すれば似た現象が起きるということだ。宇宙の大部分を占める何もない空間を目にする事なしには到底思い至ることのできない等速度運動に関する対称性を除いて(余談だが、実の所ガリレイの相対性原理が地上において見出されたのは驚異的な出来事だ)、合同変換に対する対象性と時間移動に対する対称性を、物理学が形成されるずっと昔に既に、人は世界に対して期待していた。


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