Rukeの日記
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2004/10/18(月) パラドクス
物理学で第一原理的に説明できない法則はごくありふれた物だ。ある法則が第一原理とは独立に何故か成り立っている物のようだ(=神様がその法則を成り立たせるよう恣意的に初期条件を定めたか、あるいは時間発展のメカニズムという考え方が幻想だということになる)、とか、第一原理と矛盾する物のようだ、という話題は物理学者を不安にさせるが、一度その法則が「第一原理による時間発展の結果として自ずと実現するのだろうと」期待できるようになれば、物理学者は十分に安心し、それ以上の説明を殊更に求めず、また求めるとしてもそれはそのような説明があった方が便利であるためで物理学の多くの研究対象の一つとして扱われ特別視はしない。

このように、第一原理主義は必ずしも実際的な意味を持つわけではないが、確かに物理学における心の拠り所として機能し、確かに物理学の発展の原動力となっている。

そして物理学者達自身がこのような経緯を辿ってきたのだから、僕ら学生が、突然「分子レベルの物理では何はともあれ波動関数なのです。そうすると実験とあうのです」と言われ、調和振動子や水素原子の固有エネルギーと固有状態を求める煩雑な計算をさせられて釈然としない思いを抱いたとしても、それは十分に正当な物だと思うのだ。

まずシュレディンガー方程式を見せ、大きな系に埋まっている部分系ではほとんどいつも基底状態を取っていて、基底状態を取っていない時はほとんどいつも第一励起状態にいて、、、といったことを単にストーリーとして述べるだけでもだいぶ状況は変わるだろう。シュレディンガー方程式にニュートンの運動方程式程の万能性を期待するのは(といってニュートンの運動方程式も大して役に立つわけではないが)問題だが、突然確率規則や「物理量は演算子になります」といった古典的な物理量を第一に記述する前にまず状態としての波動関数を紹介すれば量子力学はもう少し受け入れ易いものとなるはずだ。今の量子力学の教科書は、言わば電磁気学の教科書の一ページ目にポアソン方程式△φ=-ρ/e0が書かれていてその後の一章が丸々と様様なマニアックな境界条件と電荷の配置の下での解き方に割かれているようなものだ。

もう一つの第一原理主義の効用はこの下ではパラドックスが生じようがないということだ。何故なら第一原理は主張というよりはメカニズムの記述だからだ。特に第一原理から直接的に導かれる幾つかの法則について、それを満たさないように思える状況が浮上したら、実際に第一原理に従って系を動かしてみればよい。そうすればまず間違いなく、その法則が実際に満たされている事が観察され、その時間発展の過程を観察すれば満たさないように思えた考察の誤っていた点が明らかになるはずだ。第一原理主義者ならこの点について実際に第一原理計算を行うまでもなく確信や期待を持つ事ができる。

もちろんそうではなく、実際にその法則が満たされないことがわかるかもしれない。その場合時間発展の過程を観察すれば、その法則を導く議論のどこが間違っていたのかを見出せるはずだ。致命的な勘違いをしていたのかもしれないし、ラフな議論で検討しなかった例外的な条件が満たされてしまっているのかもしれない。さらに、実際にその法則が満たされない例が観測されて、しかし第一原理計算ではそれが再現できない、というか第一原理から導かれるこの法則はその第一原理の下での時間発展では確実に成り立つはずだから明らかに何かがおかしい、、、となれば、単に第一原理の修正の必要が生じるだけだ。

第一原理から導くことが難しいほとんど独立に記述されるような法則については事態はそれほど単純ではないが、しかしやはり第一原理主義は拠り所となる。つまり、そのような法則が満たされない現象が見つかったり、二つの互いに相反する主張が得られた場合も、第一原理計算をすれば何を修正すれば良いかが判明するはずだ、と期待できる。

普通パラドクスは「現象を観察すると、必ずこれこれこういう事が成り立っている」という類の法則が乱立していて、十分な知識がないとそれらの間に互いに関連性を見出しにくく、それぞれが突発的な主張に留まっていて、それ故にそれら全てがいつも同時に成り立っているとは信じがたいという背景の下で提出される。

このためその「解決」を説明されても、法則を縦横無尽に組み合わせる議論の過程を矛盾が生じない地点で恣意的に止めているのではないか、という疑いが消える事はない。そのような説明をいくら聞いても、その理論体系が(実際の世界を正しく記述するか否かはともかくとして)矛盾を含まないという確信が築かれることがない。

例えば相対性理論は、それ自身は一貫した理論だが使いやすくするために、いくつかの結果がニュートン力学に対する修正として記述され、相対性理論の特徴をセンセーショナルに訴えるため一般に流布してしまっている。そしてそこにパラドクスが多く提出される土壌がある。量子力学についても似た状況なのは言うまでもない。

このようにパラドクスは様様な一見互いに独立した法則が同じレベルに乱立しているように見えてしまう状況から生まれる。しかし第一原理主義においては法則間に上下関係が生まれるからパラドクスが生じる余地がなく、問題が生じても単に修正するだけだ(あるいは、少なくともどこかを修正すれば問題は解消するはずだ、と期待できる。)。


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