Rukeの日記
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2003/09/15(月) エイチティーエムエル3
今日はひたすらだらだらしていた。

携帯電話に電話がかかってきました。慌てて一番大きなボタンを押しました。通話状態になりません。慌ててもう一回押しました。着信拒否をする操作だったようです。がーん。

またかかってきました。今度はちゃんと電話機の絵が描いてあるボタンを押しました。それは受話器が置いてある絵でした。それは受話器を置く、という意味だそうです。

がーん。

三度目でやっと連絡がとれました。すごく疲れました。

だいたい、受話器を取るボタンと受話器を置くボタンがあるのがありえない。最悪のインタフェースだ。一つのボタンですむじゃないか。一番目立つボタンにわりあてろ。電話機としての本分を忘れたか。それに電話機を普通に書くと受話器を置いてある絵になるんだ。どうしてそれが受話器を置くという意味になるんだ。

いつまでたっても慣れる気がしない。
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こういったHTML文書の性質は、直接には何も示さない物の、ある強力な事実を示唆している。それは、まず、HTMLを扱うソフトウェアの出来があまりよくなかったとしても、そんなに問題がおきないということであり、あまりちゃんと書かれていないHTML文書があったとしてもそれほど問題にはならないということである。

テキスト情報をベースとして論理デザインを施された文書の最大の特徴は、それが人間にとってもコンピュータにとっても、理想的な柔軟性を持っているということである。

HTMLは、ユーザに対し、HTMLに熟知することを必ずしも要求しない。情報をテキストデータとして記述し、そして論理デザインを行うのは、確かにHTMLの勧告などで述べられていることであるが、その目的のうちの一つとして、HTMLの仕様に熟知していない人間がHTMLを使用してもそれほど問題が起きないようにすることがある。だからこそ、この手の議論を安直にHTMLの仕様、勧告に還元することは好ましくない。
#そう、あらゆる領域で不可避の矛盾がやはりここにもある。

情報をテキスト情報として用意して論理デザインのみを行い、視覚デザイン/物理デザインについて何も期待しないのならば、その文書は汎用性に富む。良く言われるのは、blockquote要素の初めと最後に「以下は引用です」「引用終わり」という音声を挟むような視覚障害者用のブラウザは、このようにして作られた文書でないと、まともに機能しないということである。また、lynx、w3mのようなテキストブラウザはこのような文書を前提としなければ成り立たない。

また、Hn要素によって章立てを明示している文書は、目次を自動で作成するような処理を行うことが出来る。このように、自然言語を処理できないソフトウェアが、文書の内容にまで踏み込んだ処理を行うことが出来る。高度な検索エンジンはこのような処理を行うだろう。

また、検索エンジンに関しては、テキスト情報でない情報は扱うことが出来ない。特に画像がそうであるが、javascriptのdocument.writeで出力される内容なども今の所そうである。
#ちなみにいうと、cgi、ssiなどの仕組みは、HTTP応答を受け取る側がcgi、ssiについての知識を全く必要としない。HTMLとの親和性は最高に高い。

しかしやはり、例えば「テキストブラウザでも問題なく閲覧できるようにするため」に、テキスト情報+論理デザインによる文書作成を行うというのは本末転倒なのである。

世の中にはWINDOWS以外のOSがあるとかInternet Explorer以外のブラウザがあるとか、視覚に障害がある人がいるとか、そんなことをなーにんも知らないユーザがいても何ら問題はないのである。また、そういったことを全然考えないユーザがいても良い(というか、実際、一々考えてたらきりがない)。そのようなユーザでも、とにかくテキスト情報+論理デザインによって文書作成を行っておけば、その文書が、ユーザにとって思いも寄らない扱われ方をされたとしても、そうそう問題は起きない、そういう巧妙な仕組みなのである。

同様なことはHTMLを扱うソフトウェアについても言える。もしあなたがHTMLを扱うソフトウェアを作成しようとしたとして、HTMLの仕様書を熟読して、HTMLを厳密に扱うのはどうやら難しそうだ、と思ったとする。それで適当にソフトウェアを作ったとしても、そんなに問題は起きないだろうと言えるのである。テキスト情報+論理デザインとして作成されたHTML文書は、勝手にタグを端折られても、やはり意味のある文書の体をなしているのである。

さらに言えば、あなたが作ったHTMLを扱うソフトウェアに、あなたが全く想定していなかった、HTMLの仕様に反するHTML文書(他に呼びようがないのでこう書く)が突っ込まれたとしても(仕様に厳密に適合しない場合にエラーとしてはねるような仕様にしている場合はともかくとして)、その文書がテキスト情報+論理デザインとして作成されているのであれば、まあ、あんまり問題は起きないだろう。

#え〜と、この時点でいろいろ反論が出てきそうな気がしますが、ここで書いていることは結論ではなくて、むしろその反論のほうが結論に近いような状況なので、ちと待って。って続くのか、これ。


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