Rukeの日記
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2003/09/13(土) ニジューフリコ
ちょっとスクリプトの記述にミスがあったのだが、修正したら、検索エンジンでの検索キーワードがとれるようになった。といってもほとんど来ないが。

と思ったら一日のうちに二件来ていた。一つはペパクラデザイナーで検索。こんなので来るのか。メーカのサイトの様子からして相当売れていない気がしていたのだが、世間的な知名度はどうなのだろう...。

もう一件は「二重振り子, ソース」。ごめん。ソース置いていないのだ。描画に独自ライブラリ使っているとはいえ、ロジック部分は分離されているので、公開しても良いかもしれない。

だいたい物理シミュレーションで何が大変ってパラメタの設定が鬼のように面倒。特に、我々アマチュアの場合、誤差についてきちんと考えていないので、画面に表示された狂ったような表示を見てバグだとばっかり思っていたのが、時間方向の分割数を変えるだけで直るとか、質量を小さくするだけで直るとか、そんなのばっかりだ。

だから自分の経験でも、例え理論的な部分は自分でどうにか書けたとしても、人のソースが多いに役立ったりするものだ。

僕の場合、極力実世界のスケールで書くようにしている。pixelとmの変換係数を定めておいて、時間についてはマシンスペックが許す限りシステムクロックにあわせている。それでも、二重振り子がいかにもカオス、といった動きをするように質量を調整するのはかなり苦労した覚えがある。
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どこかで、技術とか理論とかいうものは、とかく物事を抽象化する方向に向かうが、それらが具体的側面を必ず持つ以上、使う者が一定の注意をしていないと、いとも簡単に崩壊する、といった話を読んだのだが、HTMLってまさしくそういう状況だよな...と思った。

しばしば、HTMLでは論理デザインのみ行え、といった主張がことさらに書かれるが、その論拠として、HTMLはそもそも文書の論理構造を定める目的で作られた物だから、で済ませられる場合が多い。さらに、HTMLで物理/視覚デザインをしてはいけないのではなくってそもそもできないのだ、とさえ主張される場合がある。

だが、論理デザインにある一定の利点があるからこそ論理デザインが重視されるのであってそこを明らかにしない限り不毛な議論が行われることになる。

その利点としてよく挙げられるのが、世の中にはHTMLを扱う多種多様なソフトウェアがあって、物理/視覚デザインは様々な問題を発生させる、例えばブラウザソフトウェアでは物理/視覚デザインを表現できない場合があるし、検索エンジンなどは物理/視覚デザインを前にしては単なる全文検索しか提供できない。

こういった議論は最終的には正しいが、このような議論の出てくる文脈はしばしば問題を抱える。

閑話休題
(ずーっと前に書いたけれど)
ある交差点に信号機を作ることになった。ところが予算が足りなくて電球を一つしか使えない。さて、点灯している時に「進め」と定めるか、消灯しているときに「進め」と定めるか。

ちょっと考えただけだとどちらでも変わらないではないか、となるが、信号機の故障を考えると重大な違いが明らかになる。もし信号機が電力共有のトラブルなどで全く点かなくなってしまった場合、前者では車は止まり続ける。しかし後者では車は進み続ける。両方向とも消灯しているような状況が発生すると事故の発生にすら繋がる。

似たような物に、ATMでお金を振り込む処理において、全ての処理が正常に終了したのを確認したのち、変更処理の確定を行うというものがある。

設計という行為においてもっとも重要なのは何も期待しない、何も要求しない、ということである。これは設計に限らずあらゆる分野で当てはまる。

そしてHTMLもまた例外ではない。


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