Rukeの日記
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2003/08/31(日) デコポン
そうか、でこぽんは彼だったのか。闇川氏のリンク集をぶらついていたら判明。そんなわけで張ってみる。
http://home.j02.itscom.net/dekopon/site/
なんだかんだで充実した毎日を送っている様子。

...ほとんどの人には劇謎でしょう。

2003/08/30(土) スリーピィー
6時間ほど線形代数のお勉強。ランクというものを始めてちゃんと勉強した気がする。履き出し計算は計算量が多くて嫌だ。

う〜ん、なんかしばらく超勉強モードで、日記がつまらんなあ。来週試験が終わったら何か面白いことをしたいなあ。

http://www.e-cardmodel.com/pepakura-ja/
ペーパークラフトコンテストの詳細早くでないかな。

某悪友の日記を見て思ったこと
http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/derodero/?Y=2003&M=8&D=27
蜘蛛はいるとどーのとかいなくなるとどーのとか朝の蜘蛛は殺すなとかいろいろあるけれど、ゴキブリってそういうのがない気がする。やっぱり昔から嫌われ者だったのかな。(近代になって庶民の生活に出現したってオチだったらつまらんな)
---------------------------------------------
http://news.fs.biglobe.ne.jp/news/photo/jj030822-1431417.html
アシモフがロボットという造語を生み出した人の銅像に献花したそうだ。

なんだか、21世紀になってから最近ロボット、ロボットと世間がうるさく、日本の産業力の象徴的な扱いをされている。しかし、このどこがロボットだ?としばしば思う。高度なメカトロニクスに人間似の外装を着せて無理してロボットと呼んでいるだけに思える。毎年行われるロボットコンテストなども、単なるメカだ。もっとも、例えば自動車工場などで使用されている高度な工作機械などもずっとロボットと呼ばれてきたわけで、ロボットという言葉の使われ方自体に問題があるわけではない。しかしながら、21世紀になって鉄腕アトムができていないことへのわけのわからない焦りと、IT時代に乗り遅れて目玉商品がもはやなくなってしまった日本産業のメンツを維持しようとする精神が見え隠れする気がしてならない。

かつては、ロボットコンテストにおけるロボットという言葉も、競技に使用する自作のメカのちょっとしゃれた言い回しという程度に認識されていただろう。しかし最近では、日本の高度な産業力の象徴としてのアシモなどのロボットがまずあり、ロボットコンテストは、そのような日本の産業を担う技術者達のタマゴの大会である、というような感覚が生まれている。そして、画面に映っているのはあくまで自作のラジオコントロールされるマシンにすぎないのに、なんとなくそれ以上のものを見ている気になってしまっている。番組も、なんとなくそういうふうに作られている。そういう、微かな感覚がある。

ここでの``ロボット''は``産業''あるいは``工業''に置き換えうる。しかし、あえて``ロボット''という言葉を使うことで、``ロボット''なる言葉に付与された様々なイメージが不可避的に作用して、微かな幻想を作り出してはいないか。

アシモもそうである。そこにあるのは、高度な姿勢制御を行える二足歩行メカである。これは最先端の高度な技術なしには実現することは不可能なもので、また、空想世界におけるロボットにおいて不可欠であった二足歩行をついに現実的視野に持ち込んだという点で、ロボットの名を冠するにふさわしい。そこにはなんの他意も存在しないだろう。そしてアシモを見る一般人とて、アシモが鉄腕アトムがごとき意思を持たないことなど正しく承知している。

しかしそれでも、我々はなんとなくアシモに、アシモ以上のものを見ていないだろうか。しばしば指摘されるマスコミの情報操作、その範疇には到底入らないだろうけれど、あらゆる人の持つ微小な幻想が積み重なって、ロボットという言葉に奇妙な齟齬が生まれてはいないだろうか。

これは単なる感覚、言葉に対する感覚にすぎない。しかし世紀末を通り過ぎて、確かにロボットという言葉は、決していかなる学問でも扱えない形で確かに変容したのだと思うのである。

2003/08/29(金) ヘヴァ
パネル展示の修正も終わり。

明日から土日になってしまうので、今日読売の担当者にあって一撃離脱でデータだけ渡してくるつもりだったのが、アポとったら、他の話し合いもしよう、ということで、急遽他のメンバー招集。

線形代数だー。勉強せねば。

そういえば、二次の正方行列に関するケーリー・ハミルトンの定理が、固有方程式を多項式と見て、行列自身を代入した形になっていることは、ちょっとませた高校生には結構知られている。僕は高校時代、SEGなる塾に通っていたのだが、ここは理想的な数理教育を模索して教育を行っている(のを理想としている)塾で、そうすると生徒も豆知識的な知識を多く持つ傾向があって、ケーリー・ハミルトンに関するこの知識も周りを見渡すとかなりの知り合いが知っていた。

そうすると、この事実に自然な流れで結びつくケーリー・ハミルトンの定理の証明はないのか、という疑問がわく。それは当然、より高次のケーリー・ハミルトンの定理を与えるだろう。

実際SEGでも何人かの先生は、固有多項式が(x-固有値1)()...の形に因数分解できることを利用した証明をやってみせていたりもしたようだが、この場合、固有値が次数ぶんない場合は極限を用いて処理しなければならないという点でキニクワン。

で、そんなことよりも何よりも、行列が自身の固有方程式を満たすなら行列は自身の固有値であると見ることができるのか、ということに興味が湧くわけで、(あ、これAx=Axとかいうしょうもない話ではないですが、う〜ん。TeX使わんとうまく説明できん)、そうすると、望ましい証明は行列を固有値と見たときに、対応する固有ベクトルも明らかにするような証明できなきゃいかん。この場合、一部の行列を別に処理することも必要ない。

これ、僕の周りで数学をそれなりに好きな人間は結構似たようなことを考えたりしてようで、議論などもあったのですが、結論は出ないし、結論を示せる人もいなかったのですね。

で、僕は、自分で考えてもできることはたかが知れているわけで、こういう時にはさっさと調べることにしているのですが、本屋で線形代数の本をひたすらめくっても、どこにも出ていない。ひたすら探して、やっと一冊にこの線での証明を見つけたのでした。

高校時代線形代数で思い出に残っているのはこれくらいしかないので、そのうちここを見ている高校生向け(だからいるのか?)にこの証明を書いてみよう。

ちなみに、その本では、行列の最小多項式とは何か、を論じている文脈でケーリー・ハミルトンの定理とその証明が出てくるのですが、さらに、そもそもケーリ自身この定理は最小多項式の議論の中ではじめて示したそうですが、「ほとんど明らかである」と書いて、2次と3次の場合について具体例を計算して見せただけなのだそうです。

つまり、ケーリー・ハミルトンの定理は正しい流れの中におけば、自明な事実でしかないわけで、その点で、上記のような疑問は高校教育の節操のなさに起因していると言えるでしょう。そりゃあ突然二時正方行列は皆この多項式を満たします。とか言われたら、おいおい、ちょっと待てって思うわな。
#もっとも、高校数学でケーリー・ハミルトンの定理がもっぱら次数下げに使われているのは、なるほど最小多項式の使い方なのであって、おそらく高校の線形代数で感じる歪さは、結局の所二次正方行列しか出てこない、という点に集約されるのでしょう。

2003/08/28(木) パンネルルルルー
くむん。疲れた。

やっとパネル展示を作った。そのうちここでも公開するかも。

#以下覚書
あ、Photo 2のキャプション入れ忘れた。
あ、プリセットエディタの英語化が不完全だ。
明日忘れずにやろう。

Photoshopでテキストを入力するのにテキスト領域の横幅を指定しておいて自動改行みたいなことができればいいのに、といつも思いながら自分で律儀に改行を入れていたのだけれど、ぐぐっとドラッグしてやると長方形のテキスト領域が作れて、簡易的な組み版をしてくれるのに今日気が付いた。がーん。

今日は疲れたのでさっさと寝よう。明日くらいからいい加減数学の勉強をしておかないと。

2003/08/27(水) あいあむまっど、いえす、おふこーす。
さて、昨日は朝3時に寝て常識的な時間におきてパネル展示を作る予定だったのだが。

朝3時に寝たのに午後の3時に起きました。(核爆死)

結局何もしませんでした。

悪友がTeXとかLaTeX2HTMLとかを使おうと試みているのを少し手伝った。

あと、ストークスの定理を自分の納得いく形で証明できた。前から気になっていたことがいくつかあったのだがやっと解決できた。良かった良かった。
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ところで英語で
I am not mad. I am not!
みたいなセリフで、amがイタリックにされたりボールドになったりして強調されるのが納得いかない。notではないのか。どこを強調するか、というのは比較的全人類共通の感覚があると思うのだが、日本語にはbe動詞に相当するものがないので、be動詞にまつわる感覚だけは理解できない、というだけの問題なのだろうか。気になる。実際にこういうセリフを言う場合はamを強く言うのだろうか。
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ストークスの定理の証明、というのは言い方がまずかった。
どこからストークスの定理が出てくるのか、その流れの一つをたどれた、ということだ。そのうち文書にしてみよう。

2003/08/26(火) ハングリーなハンガリー
高校時代のしがらみで、来月ハンガリーにいって、サイエンスコンテストとかいうものにでなければいけない。もともとは読売新聞社主催の学生科学賞というものに出ることになったのが発端で、その結果EU主催のコンテストに派遣されることになった。

正直言って、そもそもかなり特殊な事情で参加していて、最初から最後までここでは語れないような不満たらたら(自分の通っていた高校、学生科学賞そのものの双方に対して)なのだが、実のところこのEUのサイエンスコンテストは非常に良いコンテストだと思うので、これに出ることになるのが初めから決まっていたのなら、もう少しまともなものを出したかったところだ。

しかしそうはいかないので、諸悪の根源たるChime Systemを持っていって説明をしなければいけない。で、いい加減そのパネル展示を作らにゃならなくて、今日一日で作る予定だったのだが。

何もしなかったのだよ、うふふ。

明日はやろう。
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私は小説を読んでいて不確定性原理か不完全性定理かDNAかハッキングが出てきたらとりあえず表紙を一回ぶんなぐることにしている。おそらく現代の四大ブラックボックスだ。名前と分かりやすい言説だけが流布して勝手に肥え太っている。

不完全性定理で最悪の誤解はこれが公理系一般に対する主張という思い込みである。だから、不完全性定理を一般論めかして語った時点で確実に誤解である。

不完全性定理は自然数論の公理系に関する定理で、第一不完全性定理と第二不完全性定理からなる。よく引用されるのは第二不完全性定理のほうだ(多くの作家は第一のほうは存在すら知らないのに違いない)。これは自然数論が無矛盾だとしても、その無矛盾性は自然数論では証明できない、というものだ。

ここで自然数論が無矛盾であることが定理の中で仮定されている。この点で「自己の正気は証明できない。証明しようとする当人が狂っているかもしれないからだ」などといった言説は不完全性定理とはなんの関係もない。

ちなみにさらにこの誤解が自己証明一般に拡大されると「この世界はコンピュータプログラムであったり誰かの夢であったりするかもしれないが、この世界の中にいる限り気付き得ない」といった言説に(マトリックス!)なる。これは不完全性定理とは関係ない。というか、同じ規則に従う``物''は同等であって、その規則以外の要素(マトリックスから現実世界への脱出)が入り込まない限り区別できないし、しても意味が無いというのは公理の考え方そのものであってもっともっと基本的なものである。

では、不完全性定理とはどういうものか、というと
1.自然数論の公理系上(Aとする)で自然数論の公理系と同等な体系(Bとする)を構築する
2.自然数論の公理系が無矛盾である、という主張をBを用いてA上で表現し、証明する

これからわかるように第二不完全性定理は公理系の証明能力の一つの指標にすぎない。見方によっては第一不完全性定理「自然数論の公理系はいくら拡張しても、証明することができず、その否定も証明できない命題が存在する」のほうが重要だろう。このような命題は、それを付け加えて新しい公理系を作っても良いし、その否定を加えて新しい公理系を作っても良い。その意味で数学の発展の可能性を示しているからだ。

えーここまで全部前振りなのです。というか、これだけ書いておいて、私自身がこの分野で勉強と呼べることをしたのは一学期に授業で二回の述語論理の使い方を習っただけで。結局の所``文学的理解''の域を出ていない。まあ間違ってたら誰か訂正してくれると期待して...

で、前から読もう読もうと思っていた本に面白いことが。自然数論の公理系をちょっと削ってやると、それだけで不完全性定理の証明は全部やり直しになるわけですが、実際に、重要な定理のほとんどがちゃんと証明できて、しかも無矛盾性に関して``有限の立場と同程度の透明性''を持った公理系が作られているそうです。ふむふむ。

2003/08/25(月) ベルガラスザソーサラー
Belgarath the Sorcererを読了。ではないのだが。大学入ってからまとまった読書時間がとれなくなって、随分長いことかかって少しずつ読んでいたのだが、(The Belgariadで既に語られていることなので)まあ知っているエピソードを追う形になるのでいい加減この辺で読了にしてしまおう。あと100ページくらいなんだけどなー。まあ、ボー・ミンブルの戦いを読めただけでも良しとしよう。

というわけで感想。

ベルガラスの本気だかなんだかわからない語りはいつもどおりとして、ポレドラが最高でした。狼の高貴さが言葉の端々ににじんでいて、冗談めかした言い回しが多い中で絶妙のアクセントになっています。ベルガラスが初めポルガラに、ポレドラが好んでとった白フクロウの姿になるのを禁じていたのは、まだ語られたことがなかったエピソードかも知れません。泣けます。

ただやはりThe Malloreonから顕著になった予言=RPGのクエスト化が物語をつまらなくしてしまっている感じはします。The Purpose(訳語忘れた)が人間達に直接指示をすると世界がめちゃくちゃになるので、難解な予言の中に埋め込んだ、って筋が通っているようないないような...

さてさて、翻訳が待たれるところですが?>早川<見ているわけがない
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昨日日記で公開した回転軸の存在の証明をトップページから見れるようにした。あんな風に書くと「ケプラー・天空の旋律」がクソな本なのではないかと、思われるかもしれないが、超お勧めである。

この作者は実は吉田武、そう、ちくま学芸文庫というおよそ数学の本が出そうにない文庫から「オイラーの贈り物」を出版してベストセラーを飛ばした人だ(だっけ?)。この人はとにかく情報密度を高めることに執着するようで、この「オイラーの贈り物」も件のイーノパイアイジョー=-1は実は真ん中くらいで出てきて、後はほとんど数学小事典といった趣であるのだが、「ケプラー・天空の旋律」はさらにその先を行く。見開き二ページで一項目が記述されているのだが、全項目につき二ページ分の最後の行まで必ず埋められているのである。つまり、内容がどうという話ではない、これはお買い得なのである。

その上この人は本を書くときのテンションが相当高いようだ。これは同じシリーズの「マクスウェル・場と粒子の舞踏」の一節。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
風に戦ぐ一面の麦穂を、それを見つめるマクスウェルを想像せよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まあ、ベクトル場が説明されているのですが。

あえて言おう。これは文学作品だ。

ところで、小、中、高校の先生は、なんで岩波、中公、筑摩の文庫、新書しか勧めないのだろう?何らかの脅迫観念があるに違いない。

2003/08/24(日) モギョン
う〜ん、まともな文章を書く余裕が無い。せっかく昨日たくさん書いたのも消えてしまってやる気ゼロ。

今、超力学モードです。一週間くらいかけてちまちまやる予定だったのだけれど、気合でやってたら、このままのペースだと三日で終わる、よし、やろうという感じになった。で、今日がその最後の三日目だったのだが、剛体ですよ、剛体。受験前にちょっとだけかじったのだけど、受験に突入してしまってうやむやになってしまった。これを機会にしっかりと...

と意気込んだのだが、「ケプラー・天空の旋律」で証明に面白いミスが。出鼻をくじかれるのも悔しいので、自分でどうにか証明してたら今日の午後いっぱいかかってしまった。TeXで書いた文書をコマンド一発で処理しただけでこんなのができるのはなかなかに楽だ。スタイルシートさまさま。
http://f18.aaacafe.ne.jp/~ruke/axis_existent/
おそろしく需要がなさそうな文章だが...。

LaTeX2HTMLで数式の位置がなんだか不秩序だ。そもそもTeXの段階で位置揃えをケースバイケースでやっているのがいけないが、他のサイトでも似たようなことになっているのを見かける。一度ちゃんと調べないと...

でろ君辺りにはこんなの
http://www.kmkz.jp/mtm/mag/lab/inertia.htm
のほうが需要がありそうだ(オ)。いや、人のサイトですが。
http://www.kmkz.jp/mtm/mag/lab/

しかしやはり剛体シミュレータといえばまずこれでしょう
http://cgi3.tky.3web.ne.jp/~tkano/
見栄えにもものすごく凝っている。コマも回ります。初期値がランダムのようでほとんど倒れますが。こんなの興味ある人は皆知っているだろうし、興味ない人にはどうでもよさそうだけれど、興味ない人をいくらかは引き込めるくらいのプログラムだと思うのだが...

さて、どうせしばらくでないだろうと思っていたのだが、久しぶりにスティーブンキングのThe Dark Towerの動向を調べてみたらいつのまにか書き終わっていたらしい。出版は例によってビジネスとして効果的な間をあけて行われるのだが。

こいつはうちのサイトで唯一まともな書評を書いているファンタジーであり、僕の中で最高峰である。しかし、その書評でも書いたが、二巻以降キングの当初の野心が消失してしまっている。

そしてなんとキングは第一巻を書き直すことにしたらしい。今となっては第一巻が浮いてしまっていることを認識しているのは、アシモフなどより立派かもしれないが、しかしあの物凄い力を持っていた一巻が書き直されてしまうのには、やはり私は複雑な気持ちを抱かざるを得ない。

どうなることやら。
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力学全範囲終了。
来週はしたいことと、しなければいけないことがすごく多いのでさっさと終わってしまって良かった。さて一眠り。
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うだるような暑さってどーいう意味なのだろう?
うだる、は動詞だよな...

2003/08/23(土) ガ〜ン
たくさん書いたのに、ほーっておいたら、クッキーが期限切れになって、書き込みボタンを押したらログイン画面に飛んで、内容が消えてしまった(泣)

2003/08/22(金) イットーリュー
HTMLの話はちょっと置いておいて...(オ)

今はそうでもないけれど、昔はよく剣豪小説の類を読んでいた。この手の小説は歴史大河小説的な書き方が多く、余りプロットが凝っていない。宮元武蔵の巌流島の決闘ほどで、既に十分凝っている内にはいるほどだ。これはある程度史実に従っている物では仕方が無いかもしれないが、それにつられて完全な創作でも余りプロットに凝っていない感がある。

その中で異彩を放っているのは伊藤一刀斎、神子上典膳、大峰ノ善鬼のエピソードだろう。どの程度史実に基づいているのか知らないが、適度な枠組みと、適度な細部の不明瞭さによって、何人もの作家によって様々な文章が書かれている。もともとは講談で語られていたのだろう。

大まかな筋は以下のようなものだ。伊藤一刀斎は一刀流の始祖であり、秘剣夢想剣を習得している。彼には弟子が二人いてそれが神子上典膳、大峰ノ善鬼である。ところが、剣の腕は善鬼の方が上であるのだが、人格では典膳のが優れている。伊藤一刀斎は後継者を決めるため、二人に決闘を命じる...

ちなみに勝つのは典膳に決まっている。彼は後に小野次郎衛門忠明として知られる史実に存在する人物だからだ。しかしこのエピソードの料理の仕方は非常にいろいろあり、おもしろい。

なんとなく、この線で一つ短いものを、近々書いてみようかと思う。さて、どうなるか...

2003/08/21(木) Ruke式HTMLの書き方講座
ちょっとここらでHTMLはどう書くべきか、Rukeの考えを書いてみよう。

それを始める前にクイズを一つ。確か森博嗣さんの本で見たのだと思うが、出所不明。森博嗣さんが別のところから引用したのかも不明。

~~~~~~~~~~~~~~クイズ~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある交差点に信号を設置することになりました。ところが、悲しいことに予算が足りなかったので、信号機には電球を一つしか使えません。

さて、電球が点いている時を「進め」、電球が消えている時を「止まれ」という意味に決めるべきでしょうか、それとも電球が消えている時を「止まれ」、電球が消えている時を「進め」という意味に決めるべきでしょうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
。すで解正がのるめ決に」れま止「を時るいてえ消が球電、」め進「を時るいてい点が球電

。すでらかるが繋にとこぐ防を故事でのるれくてっま止ずえありとが間人や車、に合場たっましてっなくなか点で由理のから何が球電しも、らなぜな

これから書いていくことは余りきちんと認識されていないことですが、このクイズに余裕で答えられる人や、少なくとも解説を見て納得できた人ならば必ずうなずいていただけることでしょう。

すごく疲れたので今日はここまで。

2003/08/20(水) ヴァリデイター
最近多くのページで見るようになった
http://www.w3.org/Icons/valid-html401
この画像。これに疑問を感じる。

HTML正しく記述されているかを検証するものは色々ある。検証の目的そのものでは、HTMLではAnother HTML-lintが最も人気があるだろうが、やはり本家のお墨付きがもらえるという意味でhttp://www.w3.org/で利用できるHTML Validatorは一定の地位がある。んで、先ほどの画像は、この検証を通ると、
To show your readers that you have taken the care to create an interoperable Web page, you may display this icon on any page that validates.
と言われるのである。

しかし、これ、たいした物ではないとはいえ、お墨付き的な意図で使われる以上、たとえ正しくないHTML文書でも使用することができるのは問題ではないだろうか。もちろんデジタルデータであるから本質的に、勝手な利用は阻止できないが、せめて、cgiでHTMLを検証して、正しければこの画像を出力する、等とするべきではないだろうか。

*もちろん、HTML文書のリクエストに応答するたびにcgiでHTML文書を検証するなどというとんでもない負荷に耐えられるサーバなど、世界中探しても無いだろうが。つまり、ここでの主張はこのようなアイコンを提供するのは思慮が足りないのではないだろうか、ということである。

別に私は、誰か悪いやつが、正しくないHTML文書でこの画像を使用するかもしれない等といっている訳ではない。問題になるのはむしろこの画像を正しく使おうとする場合である。

大抵のページというものは大規模な更新(デザインの変更、目玉コンテンツの追加等)以外にちょくちょく書き換えられる。そのたびに一々HTML Validatorにかけるのはだんだんと面倒になってくる。それで「この程度の変更で間違いが生じるわけがない」などといって検証を怠る。ところが、往々にして間違いは起こるのである。特にHTMLは少々の間違いに対し柔軟であるように設計されている。これはユーザのためであって、ブラウザは仕様に忠実な実装が求められるが、実際にはこれを逆手にとって適当に実装されている。このため間違いに気付きにくい。

このため先ほどの画像を表示しているページがいつのまにか間違ったHTMLとなり、そのうちに気付いて慌てることになる。

ローカルに何らかのlintを入れている場合を除いては結構このような経験をした方は多いのではないだろうか。ちなみにいうと厳密にいうとサーバにアップロードし、検証させ、正しいのを確認して、Valid HTMLアイコンを表示するようHTML文書を修正し、これをさらにアップロードすると、この最後の段階で誤っているのにValid HTMLアイコンを表示している可能性が必ず生じることになる。数学者などは必ずさらにもう一度検証させているに違いない(そうしたとしても、短い期間だが、誤っているHTML文書にValid HTMLアイコンを表示してしまう可能性は排除できない)。

そんなわけで私の作成した全てのページではValid HTML?とかValid CSS?などというアンカーを用意して、クリックすると検証が行われるようにしてあるのである。

実の所AAA!CAFEに移って広告が表示されるようになったので、このようにしておいて正解だったのである。このアンカーをクリックするとでかでかと
This page is not Valid HTML 4.0 Strict!
と表示されるのはかっこ悪いことこの上ないが。

ところでHTML Validatorにはリファラを参照してそのチェックを行うcgiサービスがある。それでページのテンプレートにこのcgiへのリンクを記述しておくと、それぞれのページごとに記述をしなおす必要はなくなる。

一方CSS Validatorにも同様のcgiサービスがあるのだが、こちらはなぜか日本語のページから飛ぶときちんと表示されない。何故だろう?
---------------------------------
validatorつながりで
http://lecture.ecc.u-tokyo.ac.jp/~chiraki/Jyousyo.html
こんなのを。
http://openlab.ring.gr.jp/k16/htmllint/htmllint.html
にかけてみよう。
これ、Hn要素がA要素の中に入っているのは、単に、それができないって事を知らないだけなのか、と思っていたのだけれど(HTMLはユーザが仕様に従わないことについては寛容であるから、揚げ足取りしても意味が無い)色々見ているとどうもHnをフォントサイズ指定だと思っている節がある。
http://lecture.ecc.u-tokyo.ac.jp/~una/toppage.html
ここなどはもっとすごい。
http://lecture.ecc.u-tokyo.ac.jp/~quenitox/
ここは最狂

2003/08/19(火) グングルグルルー
http://www.google.com/search?num=50&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=LuNaYu&lr=lang_ja
グーグルでLuNaYuで検索するとトップに出てくるようになった。わーい。

--------------------------------------
高校までは近似の動機として、「近似による議論で十分だから」よりも「近似しないと計算できないから」が圧倒的に大きかった。だから近似は必ず問題に指示があった。だけれど、当然前者のほうが本質的だ。

特に、今熱力学とか統計力学とかをやっているのだが、これらは現象の従う法則というよりは現象の観測の仕方と解析の仕方についての分野である。それで、近似が許される場面ではバンバン近似していく。

これが近似の感覚が全然身についていない自分には非常につらい。

酔歩問題に関する授業で
N歩歩いて原点からの符号付距離nの地点に到達する場合の数
W_N(n)=N!/((N+n)/2)!((N-n)/2)!
の計算で、まずスターリングのコーシキで
W_N(n)
ニアリーイコール(N^N)exp(-N)/(((N+n)/2)^((N+n)/2))exp(-(N+n)/2)(((N-n)/2)^((N-n)/2))exp(-(N-n)/2)
よって
log(W_N(n))=N log(N)-((N+n)/2)log((N+n)/2)-((N-n)/2)log((N-n)/2)
=-((N+n)/2)log(1+n/N)-((N-n)/2)log(1-n/N)+log(2^N)
ここで、一時近似log(1+x)ニアリーイコールxだから
ニアリーイコール-((N+n)/2)n/N-((N-n)/2)n/N+log(2^N)
=-n^2/2N+log(2^N)
という計算があった。これが結構悩む。とりあえずNはすごく大きいとしても、一つ目の近似は|n|が十分大きくないと適用できず二つ目の近似は|n|がNに比べて十分小さくないと適用できない。まあ、結果は合う様なのだが...

多分こういうことだろう。Nが一兆くらいあれば、n=百万くらいでもn/Nは十分小さい。そして、nを大きくしていくとその場合の数は急激に減少するであろうから、n/Nが十分小さくない領域の寄与は非常に小さい。つまり、前者の近似が適用できる条件は絶対的で後者の近似が適用できる条件は相対的であって、Nを十分大きく取れば、結果に寄与するnのほとんどnは十分大きく、しかしNに比べては十分小さい、とすることができる。

本当はこんなことで悩んでいてはいけないのだろうけれど...

手元にある演習書では二項係数の和が簡単になることを使って平均値とか揺らぎとかしか求めていないが、これで確かに、N歩歩いてnに至る確率を評価することができる。この先生は授業を作る上で妥協していないことは感じられるので、憎めない。だけど鬼は鬼だ。
----------------------------------
昨日のことだが、渋谷で、ビルの壁面の看板で二人の人間とサッカーボールがロープで吊り下げられ、空中サッカーをしていた。多くの人が頭上を見上げていた。おそらくその隙に何らかの犯罪を行うための陽動作戦だったのだろう。

2003/08/18(月) ギョビェ〜〜
さっきまで熱力学の第三法則を勉学していたのです。

トイレに行って帰ってきてノートを見たら

「よって冷却するには冷却済みのが必要。 はー。」

って書いてあったんです。

「はー。」って書いた覚えが無いんです。そりゃ、よく考えずに適当に書くことはありますが、脈絡なく「はー。」って書いてあるんです。

すごく怖いんです。

まじで怖いんです。

ひょっとして、トイレ行ったのはすりかえられた記憶なのでしょうか。さっきまで僕の別人格が勝手に行動していたのでしょうか。

明日の朝、近所で他殺体が発見されたらどーしよー。

2003/08/17(日) SuperCon
高校の後輩達が今年もスーパーコンピューターコンテストに出たらしいが、惜しくも入賞を逃したらしい。
http://www.gsic.titech.ac.jp/supercon/supercon2003/
しかしまあ、このコンテストには毎年うちの高校だけ2チームを送り込んで、その上あり得ないメーワクをかけていたので、正直ほっとしているというところである。

まあ、後輩達にはあほな先輩の残した負の遺産に囚われることなく大いに活躍してもらいたい所である(勝手)。
〜長すぎるらしいので中略〜
ちなみに少し自慢
http://www.gsic.titech.ac.jp/supercon/supercon2001/result.html
こちらが私達が出場した時の結果なのである。粒子数を増やした時のgazpachoとrevengeのプログラムの挙動が際立っている。

かくも計算量理論とは恐ろしいものなのである。一位、二位、大学生三位チームだけはn log(n)のオーダーで残りは皆n^2のオーダーだったのである。タイムオーバー続出になってしまうからといって粒子数をアホみたいに少なくされなければ結果はもっとはっきりしていたのである。

ちなみに、全ての粒子数で好成績を残し順当に優勝しているkalaなるチームはうちの高校から出たもう一つのチームであり、オーダーの改良のみならず、一定の距離より遠い粒子は本当に無視していいというこの年の課題の特徴をきちんと活かしたプログラムを作成したのであり、ぶっちぎりの優勝だったのである。

しかし、彼らの名誉も賞賛も全て-3をかけて5乗するに足る悪の所業を闇川氏が働いたのでドーでも良いのである。

ちなみにこの時調べてGRAPEなるものを知った。
http://grape.c.u-tokyo.ac.jp/gp/
http://grape.astron.s.u-tokyo.ac.jp/~makino/papers/grape_comptoday9905/grape_comptoday9905.html
〜長すぎるらしいので中略〜
というわけで作られたのが、上記のN体問題計算専用ハードウェアのGRAPEである。今ではPCIボードになっているらしい。N対問題を計算してくれるPCIボードである。なんだかすごい製品である。

去年東大で、どこだかの研究室公開に行った時にタンパク質のシミュレーションを行っている研究室でGRAPEの実物を見ることができ、大いに感動したものだ。コンピュータシミュレーションというのは素人を惹きつけるには良い手段だと思うので、凍らしたバナナで釘を打つなどという上野の国立科学博物館でもやってるような事を実演している暇があったらもっと前面に押し出して欲しいものである。どーせどの分野でもやっているのだから。
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ただ券がたくさんあるらしく、夏休みの日曜日は毎回近所のホテルに入っているお店のランチバイキングだったりする。しかしランチバイキングとは言っても、要はビュッフェ形式の安い食事ということなのである。それでも私は典型的庶民なので全種類を気分が悪くなるまで食べてしまう。しかし今日はやっと普通の朝食(ランチバイキングだが、私にとっては朝食である)感覚で食べてくることができた。

その帰りに本屋に寄った。「数学発想ゼミナール」,ローレン・C・ラーソン,シュプリンガー・フェアラークの改訂版が出ていた。非常に良い本であって、私は高校数学の演習はほとんどこれで済ませたほどだ。ここを読んでいる高校生(いるのか?)は是非一度本屋で開いてみよう。
#アメリカで大学1,2年向けに書かれた本であるが、これは大体、解析を除いては日本の高校レベルである。

しかし、気に入らんことが。もともと二分冊だったのが、三分冊になった。帯では秋山 仁が訳した事と二色刷りである事というドーでも良い事ばかりを強調している。

三分冊にして二色刷りにすれば割高になるのである。試験前夜の高校生向けの薄っぺらい参考書ではないのだから二色刷りにする意味なんかないのである。

そもそも書いた人はローレン・C・ラーソンなのである。訳者だって秋山仁と飯田博和の二人いるのだ。。

しばしば実感するのであるが、日本の出版社は読者を低く見すぎではないだろうか。分厚いと、文字だけだと、中身が良いだけだと、買ってもらえない。理工書では「三日で分かる」「猿でも分かる」「よく分かる」「すぐわかる」「なっとくする」「〜入門」「初めての〜」をつけなければ買ってもらえない。実の所それは正しいのだが、逆に、薄くして色を増やしたりイラストを豊富にしたり有名人で箔をつけたりして、それで買ってもらえるかといったら読者はそれ程アホではないし本来のターゲットから外れた客に買わせても、積読がオチである。このような出版社の姿勢が結局は活字離れを助長するのではないだろうか。

日本の出版技術は外国に比べて桁違いに優れているのだから、それ以上余計な事に手をかけずに自信を持って内容で勝負すれば良い。確かに活字離れは出版社のみの責任ではないわけで、現在の状況で本を売るためには内容以外の付加価値も必要という考えは短期的には正しいかもしれないが、出版社が読者を育てるという意識なしには出版業界が活性化するわけが無いのである。

結論:
1.数学発想ゼミナールは出版社に対する罰として古本屋で二分冊のものを買おう(表紙に一目でそれとわかる秋山仁のイラストがある)
2.ハヤカワFTの「時の車輪」はいい加減に路線を修正しろ(唐突)。
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http://www.hero-movie.jp/
「HERO」なる映画はなんだかんだで面白そうだ。MATRIXと比べてアクションのみならずストーリーを重視している感がある。
ストーリー紹介の最後が
「お前は嘘をついている。あの二人にかつて私は相まみえている。彼らは嫉妬で身を滅ぼすような人間ではない。それに......お前は本当は何者なのだ。田舎の官吏などではないな?」
となっている。単純だが効果的な引きである。アクションにも惹かれるが、むしろ小説で読むと面白そうだ。原作小説はあるのだろうか。

8月絵日記の続き


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