Rukeの日記
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2003/10/21(火) ザッカンオブリョーシロン
量子論は、我々の直感に反する現象がばかばか登場する、というその側面ばかり強調されるけれど、実は、世界のメカニズムとしてより自然な法則を求める流れの今の所の終着点として捉えることが出来るように思える。結果論になってしまう、つまり現在の理論をいきなり学べる者のたわごとにもなりかねないが、近代になって我々の目前に姿を現した数々のミクロな世界での現象のことをいったん忘れ去ってしまって、それでこの理論を眺めてみても、やはりこれこそが基本法則である、と感じられるのではないか、と思う。

何しろ量子系の時間発展の表式、すなわちシュレディンガーの波動方程式(この呼称が多分に歴史的なものであることは言うまでもない)は、どうでもよいiだとかhバーとかを除けば
dプサイ/dt=H(プサイ)
こうだ。時間発展がこの形式に書けたという事実は、量子論のもっとも偉大な成果であるとすら言えるだろう。連続量だと思っていた物が、離散量になってことなどは枝葉末節だ。それらは測定の問題を議論する段階にならないと理論の表に出てこない。それは量子論の帰結であって、量子論の世界の描象においてはあまり重要ではない(もちろん量子論を使う時にはなくてはならないものとなる。)。

また、ゼノンの矢のパラドックスが部分的に解決される。もちろんこの問い、すなわち我々の世界がどうして時間発展し得るのか、という問いに対する究極の答えが得られることはないだろう。ただ、このパラドックスを考える時、古典的な解析力学はその歪さを露呈する。ある瞬間が、位置のみならず速度を所有する、とは、速度の意味(瞬間と、そのちょっと前との差分)を考える限りは余りに信じがたいのである。解析力学は完全に形式的にこの疑問を回避した。しかし、量子論が与える世界の描像は、解析力学よりもはるかに高次元の抽象的な空間を必要とするにもかかわらず、遥かにスマートであってこの疑問に対してほとんどの人間が直感的にも納得のいく解決を与えてくれる。本来物理法則は人の直感などには、なんの義務もないのにも関わらず、である。

物理学を考える時、綺麗だとか美しいだとかの考え方は意味がない。しかし、物理学の基本法則に関しては、この世界はその法則によって作られたのか、と考えることは意味があるように思える。少なくとも物理学者にとってのカンニングペーパーくらいにはなるだろう。そして確かに、私が突然世界を作れ、と言われたら、量子論によって世界を作るだろうと思うのだ。

こういった思考は恐らく、私がある程度プログラミングを行うことからも来ているのだろう。シュレディンガーの波動方程式、なんとまあ、チューリングマシンも真っ青の定式化ではないか。


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