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2005/06/03(金) 「ディープスロートは私だ」 元FBI高官明かす
Houstonの天気(34℃/22℃)
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【USA】「ディープスロートは私だ」元FBI高官自ら明かす

(CNN) ニクソン米大統領の辞任につながる一大政治スキャンダルとなった72年のウォーターゲート事件で、調査報道で事件を暴いたワシントンポスト紙記者たちの貴重な情報源「ディープスロート」が、当時の連邦捜査局(FBI)ナンバー2だったマーク・フェルト氏(91)だと明らかになった。月刊誌「バニティー・フェア」が31日、フェルト氏本人のインタビュー記事を掲載し、ワシントンポスト紙が同日、これを確認した。米国史と報道史に残る大事件の調査報道を裏から支えた情報源「ディープスロート」の正体については、過去30年以上にわたり全ての関係者が沈黙を守り、大きな謎となっていた。


31日付のバニティー・フェア誌(電子版)は、フェルト氏のインタビューを掲載。記事でフェルト氏は、友人でカリフォルニア州のオコナー地方検事に「私がディープスロートと呼ばれた男だ」と打ち明けたという。


31日付のワシントンポスト紙(電子版)で、ウォーターゲート事件の調査報道を担当したボブ・ウッドワード(現・同紙編集局次長)、カール・バーンスタイン(現・フリーライター)両氏と当時のベンジャミン・ブラッドリー編集局長(現・同紙副社長)が、「W・マーク・フェルトが『ディープスロート』で、われわれのウォーターゲート取材に計り知れない協力をしてくれた」と認めた。その上で同紙は、「記録からも明らかなように、ワシントンポストがウォーターゲートについて書いた数百の記事には、ほかにも大勢の情報源や政府関係者や記者が協力してくれた」と、大勢の努力による報道だったと強調した。


ウッドワードとバーンスタイン両氏はかねてから、「ディープスロート」が亡くなるまでその正体は明かさないと公言していた。


1972年に発生したウォーターゲート事件の取材当時、「ディープスロート」の正体を知っていたのはウッドワード、バーンスタイン、ブラッドリーの3氏のみだった。ブラッドリー氏は今回ワシントンポストに対して「FBIのナンバー2というのは、なかなかいい情報源だと思った」と語っている。情報源として確かな立場にいることと、取材するウッドワード記者に与える助言の確かさから、フェルト氏は信頼できると確信していたという。


「ディープスロート」だったと報道が飛び交った同日、フェルト氏は娘と暮らすカリフォルニアの自宅で報道陣の前に姿を表し「来てくれてありがとう」と笑った。


娘のジョーンさんは「満面の笑みで笑ってます。アメリカの歴史にとって素晴らしい瞬間だと思う。我が家にとっても素晴らしい瞬間です」と述べ、またフェルトさんが健康を患っているとの情報を否定した。


ウッドワードとバーンスタイン両氏は自分たちの調査報道についてまとめた本を74年、「大統領の陰謀」として発表(後に映画化)。これによると、「ディープスロート」は主に、記者たちがよそで集めてきた情報の確認や補足に協力し、取材の方向性を導いた。接触相手は主にウッドワード記者で、ワシントン各地の駐車場でやりとりが繰り返された。「ディープスロート」というあだなは当時流行していたポルノ映画のタイトルをもじって、同紙の編集者がつけたもの。


フェルト氏は72年5月にFBIのJ・エドガー・フーバー長官が急死するまで、その信頼を得て、副長官として務めていた。フーバー長官急死の翌月、ウォーターゲート事件(ニクソン再選委員会につながる5人組が、ウォーターゲート・ホテル内にある民主党全国委員会本部に侵入し、逮捕された。すでに仕掛けてあった盗聴器を直そうとしていたことが、後に判明)が発覚した。


31日付のワシントンポスト紙でウッドワード氏は、当時のFBIは激しい内部対立を抱えており、さらにホワイトハウスとも対立していたと説明。フェルト氏は後任の長官に自分あるいはFBIのたたき上げが指名されることを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補だったと指摘。こうした因果関係が、フェルト氏が情報提供に協力する背景にあったと示唆している。


フェルト氏はFBI退職から6年後の1979年に著書「The FBI Pyramid from the Inside (FBIピラミッドの内部)」を発表し、その中で自分は「ディープスロート」ではないと否定していた。


バニティー・フェア誌の記事によると、フェルト氏は02年まで秘密を家族にも明かさなかった。情報漏洩(ろうえい)に一役買ったことを恥ずかしく思っていたからだという。記事を書いたオコナー検事によると、フェルト氏はウォーターゲート事件との関わりについて悩み続けていた様子で、自ら正体を公表すべきか迷い続けた。オコナー氏は記事で、フェルト氏が「今だに自分のしたことにわだかまりはあるが、歴史的な事態が自分にああいう行動を取らせたのだと理解している。真実を追究しようとする自分の所属機関を、行政府がひたすら妨害しようとしていた。それに立ち向かうしかほかにどうしようもなかったのだと、(フェルト氏は)理解している」と書いている。
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今日のニュースは、読んだ方はラッキーです。(笑)

一冊のミステリーブックより価値のあるニュースです。

007やFBI、盗聴器などが登場ですから。。それもドキュメントです。


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