すべては我が戯言なり。
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2004/03/24(水) 愛しさと切なさと(略)。
いかりやさんの葬儀をTVで見て、ちょっとだけ寂しくなった。
夜放送されてたドリフの特番を見て、あーやっぱ好きだなあと思った。


何でしょうね...私にとって好きな人が亡くなるってことは、悲しいとかよりも
「寂しい」って感覚の方が強いですね。よく号泣してる人を見るけど、私はそういうとき
あまり涙が出ないんです。ずっと自分を冷たい人間だと・本質的にひねてる人間だと
思ってて、それが結構イヤな部分でもあったんだけど。祖母が他界したときも、
やっぱり悲しみとかよりも『喪失感』が強烈だったことを覚えています。
でもこうやって言葉で説明できるようになったのはほんの数ヶ月前のこと。それまでは
私って本当にイヤな人間だな、悟りきったみたいでムカつくなと思ってました(^^;

どうせ誰でもいつか死ぬし...みたいな気持ちで毎日を過ごしているので、あまり
人の生き死にに関して感情が動かないタイプみたい。ただし、だからこそ毎日
好きな人・愛している人やモノに対して「今愛しておかないと次の瞬間には
私の手の中から消滅するかも」みたいな気持ちで、常に後悔しないよう接しています。
先のことをあれこれ考えるより、今この瞬間を大切にしていきたいって。

もっともこれは、人が去って行くことで傷つきたくないという、実はちょっと繊細な
自分の自己防衛のために生み出された思想かも知れないけどね...(照)。

だからいかりやさんの訃報を聞いても「ああ寂しいなあ」と思っただけでした。
だってもう全員集合しないんだもん。でも私のアタマの中には全員集合してた記憶が
あって、それが今の私を形成する重要な素材になっているから、あまり号泣するとか
何かハデなリアクションは起こせませんでした。でも寂しい。何かを失ったときって
なんでこんなに空虚な気持ちになるんでしょうね。それはまだ説明つかないけど。

この気持ち...身近な人を除けば、あれ以来だな。セナの事故以来ですね。
あの頃はまだ今ほど考えが固まってなかったので、説明のつかない空虚な気持ちに
エラい目に合わされた記憶があるね。あれ以来F1を真剣に見なくなったもんなー。

何にせよ、いかりやさん、いちファンとしてご冥福を心よりお祈り致します。また来週!


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