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2007/03/08(木)
噺へのアプローチ。
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今『おせつ徳三郎』を イヤと云うほど聴いている。 普通の人だと飽きるだろうが いろいろと考えながら 聴いているので そうカンタンには飽きない。 もっとも演る前に飽きてたら 噺なんざ到底出来ない。
ハナのうちは いい噺だなぁ、とか 面白いなぁ、とか フラットな気分で聴いているのだが 何十回と聴いているうち アタマん中に
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と、浮かぶ箇所が出てくる。 例えば、登場人物が 矛盾したことを言ってたり 偽善者ぢゃないか?って思ったり
そこを見つけると 俄然その噺がしたくなるし 演りやすくなる。 そこからバラバラにしてやろうと。
ありがたいことに 『おせつ徳三郎』には沢山あった。 特に、通しでやるなら尚のこと。
こうして演出するのは 時として自己満足 と言われれかも知れない。 でも、それをしなかったら 三遊亭司が落語をする意味が なくなってしまう そんな気がします。
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