〜花抜坂中納言日記〜
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最新の絵日記ダイジェスト
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2006/04/25(火) 若旦那。
 二ツ目勉強会。

 『明烏』の『田所町』すんなり出ました。(冷汗)
 こんなコト、報告するようなコトじゃありません、出なかっただけ恥ずべきことですがね…。
 まぁ、生涯『田所町』が出なくなるコトはないと思いますがね。

 そして―。

 聴いて下さったとある師匠に『明烏』の若旦那・時次郎を誉めていただき、大変に嬉しゅうございました。
 雨の日も、風の日も『若旦那モノ』を演ってきた、また『若旦那然』と振舞ってきた甲斐がありました。

 これからも、こういう一生手がけていきたいと思えるような噺に出会えたら嬉しいですね。

2006/04/23(日) 明烏と文楽師匠。
 口演しながらも、実に様々なことを考える。
 「この人、笑わない」
 だとか。いろいろと。
 
 もちろん、自分についても
 「声出てない」 
 「ノレてない」
 「酒抜けてない」
 「この間、ここでつっかえた」
 とか。
 
 そして今日も…
 『明烏』をやりながら、数行後に出てくる筈の『日向屋半兵衛』の所在地が全く出てこない!!
 何度、思い返しても『片棒』の石町だとか、明らかに「あ〜違う!」という町名が…。
 しかも、違うことを喋り、演じながら同時進行で必死で思い出そうとしている。こんな時のアタマん中は如何なっているのだろうか?
 幸い、フリーズすることもなかった。

 が、結局出てこない。

 そりゃあ、知らない人には全く分からないようにカバーした、え?カバーで不服なら、そう誤魔化しましたよ、ワタシは。
 楽屋に戻っても出ない。
 帰り、上野から運転しながら神田司町、大手町と通ってきてやっと出てきた、ポロッと。

 『田所町』

 そう、田所町だよ。
 
 昭和の名人・黒門町の師匠こと桂文楽は、『大仏餅』という噺の中の『神谷幸右衛門』の名前が出てこず
 「勉強し直してまいります」
 と頭を下げて、噺の中途で高座を降りた。
 それが、文楽師匠の最後の高座であった。

 それにひきかえ…である。
 我ながら。
 しかもその『明烏』は文楽師匠の十八番中の十八番でもある。

 文楽師匠申し訳ありません。
 勉強しなおして参ります、はい。

2006/04/18(火) お別れ。
 歌司門下になって以来、ずっとお世話になっていた方が急逝された。
 その日の仕事が終わって、ホントにキレイにこの世とお別れをなされたらしい。
 小学校来の幼馴染という方が、少し羨ましそうに話して下さった。

 結局―。
 
 ボクはなにひとつ恩返しも出来ず、始終甘えるばかりであった。
 悔しいとか、ショックというより、ただただ寂しい。

 下町、深川、神輿、祭り。

 問わず語りに聞いた数数のお話が、ボクの落語の中に生きている。
 そして、これからも生かしていきたい。
 そんな恩返ししか出来ないが―。

 きっと。
 お前ぇに恩返しなんかされたかねぇよ。
 と言われるかも知れないが…。

 さっぱりと、江戸っ子らしく。
 最後の最後まで大切なことを教えて下さった。
 
 
 合掌。


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