〜花抜坂中納言日記〜
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2005年7月
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最新の絵日記ダイジェスト
2007/08/01 モノを知らない。
2007/05/04 とりとめもなし。
2007/05/03 大型連休。
2007/04/30 3タテ。
2007/04/29 紀尾井ホール。

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2005/07/31(日) 揃いの浴衣。
 本日落語協会夏の寄り合い。
 入門以来、はじめての欠席となりましたが、ボクも今年の浴衣(協会の揃いの浴衣)をおろしました、こころは少しでもみんなのいる成田山へと云う想いでね。
 そんなワケで隠密行動な一日。
 でも、今年は浴衣をワインで染めることもない。

 とあるところで朝起き抜けに、カサゴの刺身とシャコで一杯…が、一日のはじまりでした。

2005/07/30(土) 宵宮。
 いやぁ圧倒されました、スゴい迫力。
 友人の実家のある羽田神社の祭礼で御輿を担ぐほんのマネゴトを…藝人はやわでダメね。

 羽田の御輿は、漁師町らしく左右に激しく揺らすのだが、太股は痛いわ、肩にはガシンガシンくるわ、ボクはと云うともうほとんど御輿をとりまいて歩いてるだけ。
 それでも、雰囲気、担ぐ人たちの心意気が近くで伝わってきてなんとも気分が良かった。

 やっぱり扇子より重たいモノは持てないみたい。

2005/07/29(金) 暑気払い。
 あまりの暑さに朝からビール。
 昼も友人とそのカノジョと藪伊豆でお酒とせいろ。
 夜は、鮨屋で一杯。

 えーい儘よと生きていたって、お天道さまとお酒は、あとから勝手についてくる。

2005/07/28(木) ブラウン管。
 ブラウン管のむこうに、かつて好きだった女性が映っていた。
 何気なくテレビを見ていたので、ホント驚いた。冷汗。
 冷汗が出るようなことをした自分がいけないのだが…恋の自爆テロみたいなもんだった、言ってみりゃ若かったのだ。向こう見ずな恋愛だった。

 テレビの中で喋っている彼女は、2年も前新宿で会った時と同じ笑顔でステキだった。

2005/07/27(水) 土用の丑の日・イヴ。
 明日は土用の丑の日。

 鰻を食べながら、なんて美味しいもんなんだろう…と、何時もながら感嘆してしまう。
 いろいろな師匠に、いろいろな店でゴチソウに預かったが、噺家はそれぞれ好きなタイプの鰻屋を持っている。蕎麦やもまたしかり。(ボクらは何時だって、そういう所から先にオトナになってゆく)
 そして、いずれも旨い、言わずもがなの話。

 ボクら噺家にはいわゆる「食えない」と云うイメージ(だいたい正解)があるのだが、昔はともかく今は前座修行のうちからかなり分不相応なものを口にしていると思う。

 そんな前座生活を振り返りつくづく思う。食べ物のグレードを下げるのはケッコウ辛い。

 食べるモノと着るモノと女性。お金をかけるとかけただけ戻ってくると、ある先輩は言った。

 かけ金がたりないのか、これでもかと使ってみても、戻って来る気配が微塵もない。

2005/07/26(火) 打倒讀賣!
 六甲颪に颯爽と 蒼天翔る日輪の…。

 六甲颪ならぬ、台風の大風のなか東京ドームに巨人が負けるところを見に出かける。
 ムハハハハ、快勝!快勝!讀賣粉砕!今年の秋も一昨年のように美酒に酔いたい、でもその前に…おねぇさんビールひとつ!
 東京ドームのいっぱい800円のビールも気にしない、気にしない。
 なにが嬉しいって、讀賣に勝ったことが嬉しいのだ、だからおねぇさん、どんどん、どんどんビール持って来て!

2005/07/25(月) 買物。
 浅草のめうがやで足袋を買ったり、永澤屋で肌着を買ったり、松喜で肉を買ったり、池之端の長谷川で履物を買ったり、谷中の岡埜で大福を買ったり、人形町の草加屋で煎餅を買ったりした、純国産ブランドな一日。

 先代三木助師匠はその十八番「化け物使い」の隠居のように、煎餅ならどこそこ、鰻ならどこそこと言っては、買物を言いつけたそうだ。(それは一時身を寄せてた上方の二世三木助の嗜好に起因するらしい)
 そんな話を、かなり沢山前座のころ先代の弟子だった入船亭扇橋師匠や同じく先代の弟子だった林家木久蔵師匠から聞かせていただいた。今もそのひとつ、ひとつのエピソードは小さな宝石のように大切な宝ものになっている。

 以前は、そうして弟子がお使いに行くと、そこのお店(たな)の人がお小遣いをくれたり、鰻屋なら鰻を食べさせてくれたりして下さるところがあったそうだ。そんな、芸人が街に息づく情景を浮かべては、師匠方の話を夢中になって聞いていた。

 そう言えば、田端のお肉屋さんは、お使いで行くと、コロッケやなんかを「師匠にとられちゃダメだよ」とか「がんばってね」なんて言ってはよく持たせてくれた。

 あの頃、桂六久助だったボクは、どんな気持ちでそのコロッケを食べてたんだろうか?

 なんだか、遠くなり過ぎて上手く思い出せないが、そんなことを思い出したらなんだか、扇橋師匠や木久蔵師匠のお話を聞いている時と同じような心持ちになってきた。

2005/07/24(日) アライ。
 近所に出来たナチュラルローソンで水を買うのが日課になっているのだが、その店内でいきなり「六久助!」と呼ばれた。
 だいたい声の主は見当がつく。
 ふりかえると、はぁ…やっぱりアライだ。アライって言ったてみなさん御存知ないでしょうがね、そういう生き物が近所に住んでるんですよ。
 こやつと前に会ったときには、蒲田の路上だった、それも二回も会った。
 最近アライとは、こうして通り魔的にしか会わない。

 このアライとは、とある長い長い夏のかなりの時間を、ダラダラ、ふらふらと過ごしたことがあった。それは、ボクが田端の師匠のもとを放れた夏、ボクが唯一ここ数年で噺家ではなかった夏のことだ。
 その夏、よく考えると酷く落ち込んでいてもおかしくないハズだったのに、大馬鹿な毎日を、笑って過ごす時間ばかりだった。
 それはこのアライといまは無い謎の小さなお好み焼き屋のマスターのお陰かもしれない。
 アライやマスターや、その店のヘンテコな常連連中と過ごした日常は、ごくありふれた毎日だと思っていたのに、とっても特別なことに思えて来る。
 とにかく、ボクが噺家ではなかった不思議な夏のお話だ。
 そんなことを思いだすと、妙な懐かしさと、ソースが鉄板で焦げる匂いが漂ってくる。

2005/07/23(土) 支配人アニさん。
 知ってる人なのか知らない人なのか判別がつかないが、いやに気のいいオジサマたちに囲まれ、自分のボトルもない店で好き勝手に好き放題飲んで、好きなだけ喋っていた。
 すっかり酒毒にあたられながらも、なんとか帰巣本能で帰ってきたのだが、ボクのこの帰巣本能がかなりいい加減なナビゲーション。
 音声ガイダンスに従って帰路につき「目的地周辺です、音声案内を終了します」の声に気付いて見渡せば、そこはネオンギラギラ、カラスがまばら、いざキャバクラ、ラ〜ララララララ〜な感じの歓楽街。
 やはり行きつけのキャバクラに着いてしまったのだ。
 閉店までの僅かな時間、誰かと待ち合わせでもしているかのような雰囲気で飲んでるウチに閉店。
 なんだかわからないうちに数人のよく知っているのかよく知らないのかよくわからないオンナノコたちに取り巻かれ、早朝の焼肉屋にドカドカとあがって、ひとりひとりのオンナノコの愚痴やら、悩みやら、結婚願望やらを受け止めてあげてるよ〜みたいな顔をしながら、疲れてヘトヘトなボクはみんなスルーしたりしていたワタクシは、キャバクラの支配人でも店長でもないことを忘れないで欲しいのだ。
 だからキャバ嬢のみなさん、ボクのタクシーを送る時の挨拶は「お疲れさま」じゃなくて「ありがとうございました」と言いましょう。
 そしてTさんは、今月もうちょっと指名増やさないとね。

 23日未明の話。

2005/07/22(金) 何しに?
 北茨城(ほとんど福島よ)の五浦まで常磐道を往復運転して、むこうでは海見て、風呂入って、好きな音楽聴いて、本読んで、ホテルの部屋で観光旅館豪華絢爛日本料理をポツンとひとりで戴き、その上過分に車代を頂戴すると云う何が何だかもうわからない一日。
 あくまでも、仕事として頼まれたんですがね…。

7月絵日記の続き


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