〜花抜坂中納言日記〜
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最新の絵日記ダイジェスト
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2007/05/04 とりとめもなし。
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2007/04/29 紀尾井ホール。

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2005/04/07(木) 桜の下。
 桜の下、人々はみな笑顔。ショーバイ柄、人の笑顔が好きだ。

 昼下がり、春の陽気に誘われて、歩きながら稽古、花の下での読書。

 風光る街が、眩しすぎて、ほんの少しだけ悲しくなった。

2005/04/06(水) 悪しき冗談。
 「女々しい」と言われようが「だっせぇー」と言われようが、失恋は辛い。
 きっと、今まで真剣に恋愛をしてこなかった報いだろうな…。これは反省ではなく分析。

 ゲーテは著書で
 「人生は悪しき冗談」
 と、述べているが、恋愛や幸福についてはかなりクサく書いている。
 「愛と命の終わりを同時にしてくれ」なんてヘーキで「女神」にお願いしたりする。
 人間の矛盾と云うのは、むしろ愛すべきその人の人間性なのだろう。

 「悪しき冗談」の中で、一瞬キラリと光る「マジ」を探しているんだろうな、ボクらは。

 そう考えると、起こりうる全ての事象がとるに足りないことであったり、とっても大切なことだったりするんだろうな、なんて思うわけだ。

2005/04/05(火) 春火鉢。
 「春火鉢」と云う季語がある、もちろん春の季語。
 表に酒を買いにでたら、あったかい。春のやわらかな風だったが、ボクの部屋は陽が入らないのか寒い。そこで長火鉢に炭を起こした。
 そして思い出したのが「春火鉢」。

 あくびする
 春火鉢に手
 かざしつつ

 またもや、雑俳。
 風車が遊びに来たので、題をだして句をやらせてみたが、どうにもふたり噺家がいると大喜利になってしまう。
 その上、わたしの句だっていいかげんなのだからしょうがない。

 前にも言ったかも知れないが、句や詩を詠むのは実に金のかからない、いい遊びなのだが…。

2005/04/04(月) 再会。
 春先の冴え返りのせいで、近所の洗足池や本門寺の桜もまだまだせいぜい三分咲きだ。
 時期が微妙にずれるだけで、少しだけなにか変な感じ。

 ちなみに昨年の、今日の日付の日記では「散りゆく花に暫しの別れです」と〆ている。

 あれから一年、今こうして、桜との再会の時を待っている。

2005/04/03(日) 臥薪嘗胆。
 もっと、もっと負けを味わい、悔しさを噛みしめ、泥んこになって魅力的な藝人になりたい、魅力的な藝人は魅力的な人間なのである。少なくともボクはそう思っている。

 ボクは世の中に出て、藝人と云う生き方しか知らない。あんまりいいことではないのかも知れないが、仕方がない。
 自分の全ての基準は『藝人』なのだ。

 噺を磨きたい、自分の噺をつくりたい、そしてそれを自分のタメに演りたい。
 藝人である以上、落語家として「生きる苦悩」を語っていきたい。
 喜びも、悲しみも、みな「生きる苦悩」なのだ。
 それは、まるでボクらの生き方そのものだ。

 スポットライトは華やかに高座を照らし、そして陰りを創る。

 そんなふうに、毎日生きている。

2005/04/02(土) 続・レクイエムのように…。
 カーステレオからは『NORAH JONES』の曲が流れていた。
 まいったなぁ…お気に入りのアルバムが、ニガい思い出の一枚となってしまった。でも、これを聞く度に彼女のコトを思いだすのも悪くないか…。

 ようやく家の駐車場に車を停めて、エンジンを切り、溜息ひとつついた。ほんとグッタリだ。
 さぁ降りようと、ドアを開けた時、助手席を何の気なしに見て忘れ物に気がついた、たいした忘れ物ではないが、一気に力が脱けてゆくのがわかる。
 力無く笑って「忘れもんなんかするなよ…」と、わざとらしく独りごちた。
 安っぽいドラマの一場面のようだな、と思ったら。悲しくなって、思わずまた笑ってしまった。

 部屋に入って、とりあえず『文七元結』のCDを流した。落語を聞きたかった、落語が無性に演りたかった。そうして、なんにも考えないように時を過ごした。

 夕方、自分のことはともかく、彼女の最後の顔がどうにも気にかかりメールを書いた、とその途端胸の奥底からこみあげてくなにかがあった。それを抑えることはもうボクには出来なかった。

 その時、25年生きて来て初めて「失恋して泣くことなんてあるんだ」と、変に醒めて自分を見詰めている自分がいた。

2005/04/01(金) レクイエムのように…。
 昨日、例年より少し遅めの桜の開花が伝えられたその日、ボクはひとつの恋愛にケジメをつけた。
 その人が故郷に帰るという日の10日前のことである。

 ふた月前、新宿末廣亭の高座を観に来てくれたのが彼女と親しくなったきっかけだった。
 それから食事をしたり、会を手伝ってもらったり、何時ものように酩酊するボクに付き合ってくれたり…このふた月、彼女は最良の友人であった、お互いそう認識していたと思う。(その関係を壊したのは、結局わたしなのだが)
 事実、生活環境が急激に変化しようとしていたボクの、なによりの支えとなってくれていた、この短い時間がとても長く感じられるほど一緒にいたと思う、それはみんな友としてなのだが。
 それでもボクは充分だった。
 彼女の前で、隣りで、話をしているだけで楽しかった。彼女を笑わせるのが嬉しかった。ボクの方が好きになり過ぎた、今までに一度もない経験に大きく戸惑った。

 最初に会った日、寄席がハネたあと一緒にゴハンを食べたとき、故郷の実家に帰ることを聞いた。せっかく知り合ったのにと、残念がったが、それを聞いてからは、ボクとのひょんな出会いが東京での最後の思い出となってくれればと思っていた。そう自分に言い聞かせた、と云いう方が正確かも知れない。

 それでも、昨日彼女に想いを伝えたのは、やっぱり自分自身や彼女に最後まで嘘をつき徹せなかったからだと思う。

 彼女には最後の最後に辛い想いをさせてしまったと思うと、胸が痛い…締め付けられるように、ナイフで切り裂かれるように、胸が痛い。
 「司クンとは付き合えない」と言って車を降りた時の、今までに見せたことのない悲しい顔を見たとき後悔もした。

 でも、自分の想いを伝えられたことに、全く悔いはない。

 一夜明けて今日の日の碧空のように、晴れやかな悲しみが胸にどこまでも広がっている、どこまでも遠く。


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