〜花抜坂中納言日記〜
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2005年4月
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最新の絵日記ダイジェスト
2007/08/01 モノを知らない。
2007/05/04 とりとめもなし。
2007/05/03 大型連休。
2007/04/30 3タテ。
2007/04/29 紀尾井ホール。

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2005/04/30(土) 送月賦。
 鬱々と杯を干す日日だった、四月卯月も静かに終わる。
 時が過ぎると云うのは実に都合がよく、遠く過ぎし去りし日は、すべて美しい想い出。
 美しき故に、寂しさが潜むのかもしれない。
 そんな日々と想いを、酒とともに流し込み、四月に杯を献じることにいたします。

 明日から、新緑眩しい五月、皐月です。

2005/04/29(金) 落語って、知ってる?
 多少の誤解をふくめて、若年層の落語家への認識が広まりつつある。
 ひとつは、こぶ平改め林家正藏師匠の披露興行。
 もうひとつは、今夜放送されているドラマ『タイガー&ドラゴン』
 どちらもメディアの影響力の大きさを語るに余りある。

 いままでフツーのそこら辺にいる(あんまりいないが)噺家として飲んでいたものが、急に一目置かれたりする。
 タメ口をきいてたキャバクラのおねぇちゃんが、丁寧語になった。

 ただ言っておくが、あれは正藏師だから出来たことであり、実際の楽屋にはTOKIOの長瀬くんも西田敏行もいないのだ。

 いくら、ブームがきたり認知されたりしたからといって、ボク自身が変わるわけじゃあないのだよ。
 今日までも、そして明日からもボクは今まで通りの泥酔系旧型落語家にほかならない。

 ブームというのは、そんな当たり前のことを忘れされるから恐ろしい。

 出来ることなら、ブームにのるよりも、ブームをつくる側にいなければならない。

 それにしても、あの『タイガー&ドラゴン』は面白い。
 ボクが演ろうとしている落語の手法の、数段上の演出をしているので参考にもなる。
 楽屋のお歴々のなかには、「前座が『三枚起請』や『芝浜』はやらない」なんてなことをおっしゃる方もいるが、そんなことはいいじゃないの。
 ちょっとでも「落語って面白ぇかも!?」っていう人ができれば有り難い。
 まぁ、そう云う人を増やすタメにボクらがやっているものを、落語家じゃない人がやっていると云うのは悔しいことだけど。

 とにかく、落語に興味をもったら、どうぞ普段着で寄席にいらして下さい。

2005/04/28(木) また、痛い。
 24日の日記と全く一緒。
 朝6時、胸の鈍痛で唸され、起きる。どんなカッコウをとっても苦しい。
 壁にもたれて、うつらうつら…10時過ぎ幾分か楽になったので横になる。
 目が覚めてリビングに行くと、もうすでにテレビではタモリが何かふざけてた。

 なんだこれ?
 まるで病床日記。

 風が強い。
 新聞をとりに出ると、空気が暑い。
 ひとの気も知らないで、キモチのイイお天気さまでいやがる。
 悪態をついたら、また少しズキンときた。

 極近所に都立病院があるので行こうか悩む。
 できることなら医者には診せたくない。特にその近所の都立病院には行きたくない事情がある。ほら、そんなことを言ったら、またその事情を思い出してきた…。
「あー、饅頭怖い…。」
 ただ言ってみただけ、それだけ…。

 病院に行くだけで、病人度がアップされ、病状が1割悪化してしまいそうだ。

 それに、その都立病院のナースルックを見たら、自壊してしまうと思う。
 早い話が『祟徳院』の若旦那のようになってしまう。

 そうすると親が心配して、忙しいところ熊さんを呼んでしまうことになるだろう。
 それは、それで熊さんに申し訳ないから、やはり病院には行かないでおこうと思う。

2005/04/27(水) 曹孟徳に遠く及ばず…。
 1800年の時空を超えて、嫉妬したことがある。
 以前好きだったひとが、三国志の曹操が好きだった。
 魏国を興し、覇業のなかばで倒れた三国志随一の英傑にして、乱世の奸雄に勝るわけがないことなど、ちょっと妬んだあとすぐに気がついた。
 
 それ以前に、ボクも曹操が好きだった。
 1800年ほど前、群雄割拠の中国の大半を手にして魏公と称した人物だ。字を孟徳。詩をよく詠んだとされる。
 吉川英治版も北方謙三版も、やはり曹操の前にはみな影が薄い。
 もっというと、劉備玄徳のような男は大ッ嫌いだ。
 三国志で唯一の英雄であり。英邁たらんとした男だ。そして、強きものは孤独であると教えてくれた。
 時代小説は、歴史と歴史の行間を埋める壮大な散文詩であると思う。
 一方ボクらは、歴史の行間に生きる人間だ。

 ちょっとしたことで落ち込むと、何時も呟く。
 「曹孟徳に遠く及ばず…」と。

 そうすると「あたり前ぇじゃねェか」と、つい自然と苦微笑が浮かぶのだ。

2005/04/26(火) 意地。
 事務仕事に追われる。朝から、夕方まで一日中大田区の中を行ったり来り。
 ウチの中でも、あっちこっち電話のヤリトリ。

 側近がいないのがボクの短所であり、長所でもある。いや短所だな、圧倒的に人手が足りない。
 人手があればあったで働きに満足できなくてイライラするのだが。

 孤高と言うには、弱すぎるし…まぁなんとも情けないもんだ。

 意地でなんとか立っていられる、そんなとこかな。

2005/04/25(月) 理不尽。
 朝から晩まで、一日中福知山線の脱線事故のニュース。

 最愛の人が、大切な人が、大好きな人が、密かに想いを寄せる人が、守るべき人が…そんな、人人人が急にこの世からいなくなる。また、そんな人たちを遺してこの世を去らねばならない。
 なにか理不尽なもので構築された世界だ。
 そして、それに関して軽々しく喋るコトバを、ボクは持ち合わせてはいない。

2005/04/24(日) 痛み。
 早暁、胸の痛みで目を覚ます。額には酷い冷汗。
 つかえるような鈍痛を覚える。

 苦しいので座っていたら、いつのまにか眠りにさそわれていた。

 明け方、ひとり苦しんでいたら、酷く寂寥感に襲われた。

2005/04/20(水) 冷たい雨。
 冷たい雨。
 気分的なものもある。

 桂文朝師匠のお通夜。
 足取りが重い、弔いに行くのが辛い。
 目の前に、焼香を済し、しばし遺影を見つめている小三治師匠がいらした。
 やはり、辛い。

 今夜は独りで飲みたかった。
 誰も知らないところで、黙々と。

 夜、風車から電話が入った。電話の向こうで、ヤツは泣いていた。

 やはり師匠は、しっかりみんなの胸に生きている。

2005/04/19(火) キタコシガヤ。
 朝方、六本木から中目黒方面の日比谷線に乗ったハズが、目を覚ましたら北越谷にいた。
 どこだよここ…。
 トンデモない遠いところにいる、ボクはただ家に帰りたかっただけなのだ。

 都内で飲んでいたのに、我が家が遠く遠く感じる。
 朝から東京を大移動。
 布団に入ったのは正午12時だった。

2005/04/18(月) お疲れさまでした。
 訃報が入る。
 桂文朝師匠がお亡くなりになった。
 出来のワルい前座だったボクは、しくじったことをすぐに思い出した。
 高座でも、楽屋でも飄々とした方だった。

 藝に生きると云うのは刹那的で、儚い。
 そこには、なにも残らない。
 それぞれの胸に「こう云う藝人がいた」という想いが遺るだけだ。

 もう、文朝師匠はいない。
 もう、文朝師匠の落語を聞くことは出来ない。

 師匠お疲れさまでした。ゆっくりと休んで下さい。

4月絵日記の続き


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