〜花抜坂中納言日記〜
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最新の絵日記ダイジェスト
2007/08/01 モノを知らない。
2007/05/04 とりとめもなし。
2007/05/03 大型連休。
2007/04/30 3タテ。
2007/04/29 紀尾井ホール。

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2005/11/27(日) 八丈島公演。
 昨夜日付が変わる頃から、突然の激しい雨。そして今朝は雷雨。
 なんとかヘリコプターには飛んで貰わねば…。

 祈る気持ちで朝飯後、ヘリポート(と云うか乗り場)へ。
 アサダ先生が金属探知器をコドモのようにいたずらしたりしていて大笑い。この人たちは、ヘリが飛ぼうが、公演が出来なかろうが、構わないようだ。頼母子い限り。

 厚い雲の下を飛び、八丈島へ。
 中食のあと、13時から小学校の講堂での公演。
 お客様の数は、青ヶ島の人口より遥かに多い。 

 昨夜は『転失気』。わかりやすい、このネタをもう一度かけてもよかったのだが『錦の袈裟』を。
 う〜む『転失気』だったかな。

 終わって、時間があったので黄八丈を見に。とてもとても、黄八丈の着物の反物には手がでないので、着物用にマフラーを購入。

 夕食からが、また一日長かった。
 時間からすると、落語を演りにきたと云うよりは、飲みに来たと云う感じ。

 今度は、ダイビングをしに来たいな…なんて思う。愉しい旅だった。

2005/11/26(土) 青ヶ島公演。
 チャーターのヘリコプターで八丈島から70`ほど離れた青ヶ島へ。20分のフライト。

 青ヶ島。
 正式には、東京都青ヶ島村無番地。そう番地がないの。
 島民200人弱。2時間もあれば、島の殆どがまわれる。信号は一箇所。この信号は、実用性より教育の為の信号。

 小学校で行われた夜の公演には80人ほどのお客様。最初はキンチョーの面持ち、まさに真剣に聴いて下さってる感じ。

 公演後の打ち上げでは、島の焼酎を頂いたり、村長さんや役場の方々との愉しいひととき。
 いい仕事をさせて戴いた。

2005/11/25(金) 島嶼ツアー。
 文化庁の八丈島・青ヶ島島嶼公演へ。

 師匠・三遊亭歌司、アサダ二世先生(奇術)、司、お囃子のえり、芸術協会からは、春風亭小柳枝師、翁家喜楽師(太神楽曲芸)、二ツ目の春風亭笑好くんと、うちの事務員ふたりの計9名の一座。

 初日は公演無し。
 釣りや昼寝でぼんやりと過ごす。
 こんなに時間があるならダイビング出来たな…。

2005/11/22(火) 御礼。
 第二回単独ライブ・蒲田系實演集会無事終了。
 お越し戴いた方、ありがとうございました。みなさまが司の活力源です。
 そして、また新たに活力を与えて頂きたいと思います。
 落語でお返しすることしか出来ませんが…。

 少し気が早いようですが、今年も25inchの企画公演にお運びいただきありがとうございます。今年最後に11月26日池袋演芸場に於いて鈴々舎風車の会がございます。
 こちらも風車の初めての「単独公演」ですので、どうぞお力添えくださいませ。

2005/11/21(月) 稽古。
 沸騰させては水を注し、沸騰させては水を注し…会直前の稽古なんて、そんなもん。

 結局「これだ!」と思えたのは、一旦眠ろうとして電気を消して、布団に入り、どうにも眠りにつけないのでもういっぺんやった稽古。
 何故だか、一遍もやってないパターンが浮かんできて、それが一番しっくり来た。

 『火事息子』愉しみ…。

2005/11/20(日) 明治生まれ。
 午後から、友人が勤める、横浜清水ヶ丘のケアプラザで落語。

 昨夜飲んで、我が家に停まっていた風車がクルマを運転して行ってくれたので助かった。

 おばぁちゃんコの上、可愛がってくれたひいばぁちゃんには落語を聞かせられなかったので、施設のお年寄りみんなが自分のばぁちゃんのような心持ちで落語をする。
 尤も、ひいばぁちゃんは、際限無くボクに甘かったが、落語家になったと言ったら「この子がダラになった」と嘆いていた。
 それが、明治33年生まれの認識なのだろう。

 そんな落語が、いまや文化庁の助成をうけている時代なのだ。
 ばぁちゃんに言わせりゃ、国がダラになったと言うかも知れない。

2005/11/19(土) 繁雑。
 落語会を控えながらも、徐々、年の瀬と新年を迎える準備を進めている。
 と云うのも、月末は都民寄席で八丈島と青ヶ島に飛ぶからだ。

 ケッコウ何事も時間がない。
 おかしなもんで「時間がない、時間がない」なんて騒いでいるときには、ホントは余裕があったりするのだが。かと言って、おっとり構えていると、やっぱり時間がなくなるのだ。

 とりあえず、下丸子に打ち合わせに行った帰りにお歳暮と、年賀状のあてをつけにあっちうろうろ、こっちうろうろ。

 これから、お年玉のぽち袋も大量に用意したり、中身だって大量に用意しなければならない…。

 そんな繁雑な一日も、会の前の稽古に行き詰まった、息抜きの一時にはちょうどいい。

2005/11/17(木) 圓蔵師匠。
 上野鈴本演芸場の落語会に出演。

 前座、後輩の三升家勝菜と行って三本目。『権助提灯』
 歯痛がこんなに喋りに支障をきたすとは…早く、治さなきゃ。

 舞台袖で師匠方の高座を聞いていると、平井の師匠事、橘家圓蔵師がやってきて
 「おい、品川(心中)に出てくる、ほら、一年に一回の…あるだろ、ほら」
 「移り替えですか?」
 「で、違う言い方があるだろ」
 「紋日です。」
 「あ、そうそう…紋日と移り替えな。ここだけがどうも出て来ねぇんだよ…今日演から袖に居てくれよ。出てこなかったら聞くから」

 この師匠、本当に聞いてきたりするので、袖で聴いてて気が気でなく紋日と移り替えがすんなり出てきてこっちがホッとした。

 普段はこっちから話し掛けられないような大幹部の師匠でも、こう云う時はこっちからも話しが出来たりする。
 「師匠、今度の東京落語会ですか?」
 みたいな、簡単な会話だが。

 いまだに、そんなささやかな事が、とても幸せだったりする。

2005/11/16(水) 師弟…その2。
 言ってるそばから、師匠から連絡がある。
 クワバラ。クワバラ。

 なんでも、パーソナリティを勤めるFMの代役のよう…話を聞いてるうちに…??

 「お前、その日ダメか?」
 「ダメ…と言うか、ご一緒のお仕事ですが…」
 「あ、そう。」

 こんな感じの、師弟の会話。
 これがお互い酔ってくると、さらに解らなくなる。

2005/11/15(火) 師弟。
 師匠をしくじった。
 見た、夢の話である。

 なんでこんな夢を見たのかは、だいたい分かる。もう、暫く師匠に会ってないからだ。

 まぁ、たいていの二ツ目は初日(月の始めや、1の付く日)に師匠の家に行ったりするのだが、うちにはその習慣がない。
 
 二ツ目披露の初日も、ご挨拶に行ったら師匠は武蔵川部屋の稽古を見に行って留守だった。
 その上、おかみさんには「どうしたの?」と言われ、師匠宅には最低限いくまいと心に決めた。

 そう云うワケで、会う度に新鮮な師弟関係が続いている。

11月絵日記の続き


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