〜花抜坂中納言日記〜
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2005年10月
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2007/08/01 モノを知らない。
2007/05/04 とりとめもなし。
2007/05/03 大型連休。
2007/04/30 3タテ。
2007/04/29 紀尾井ホール。

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2005/10/31(月) 記念日。
 1998年10月31日、桂三木助独演会にて『道灌』で初高座。
池袋演芸場でのこと。
 それからずぅーっとこのショーバイをしている。

 ふたりの師匠に、そして支えて下さっている方々に…日日感謝。

2005/10/29(土) 横浜港大桟橋。
 早くからデッキを歩き、行き会うお客様に御礼のご挨拶。

 陽光麗らかな東京湾を、横浜港の大桟橋に向かっている。この旅もあと僅かである。

 クールズであった方々は、みなさん一様にいい顔をしていらっしゃった。

 旅先であった人達は、みなさん暖かかった。

 スタッフの方々には、様々なこと、とりわけてサービス業の心得を改めて教えて頂いた。

 遠くに見えていたランドマークタワーが、大観覧車が、赤煉瓦倉庫が、大桟橋がだんだんと大きくなってくる、もうすぐこの旅も終わりだ。

 旅に出ても、必ずまた人はそこに戻ってくる。
 戻るところがあるから、また旅に出る。
 ボクらが旅に出る理由はそんなところかもしれない。

 帰ってきた、横浜港は予報に反して晴れやかだった、お客様ひとりひとりの笑顔のように。

2005/10/28(金) 最後の夜、感謝の一席。
 瀬戸内海をクルーズ。

 午前中は、船内ドルフィンホールにて女性アカペラグループ・XUXU(しゅしゅ)さんのイベント『唄いましょう』へ。
 なんだかんだやっていて、他のエンターの方のステージはあんまり見る機会がなく、XUXUのみなさんのパフォーマンスもはじめて拝見することに。
 そして、お昼の前のひととき、お客さんと唱歌や童謡を歌って過ごす。

 終わって、デッキに出ると瀬戸大橋の全貌を見ながら、船は進んでいた。
 ホント綺麗な橋、壮観である。

 13時30分から、三席目となる高座。
 今度の旅の話から、左甚五郎が仙台へ旅をする『ねずみ』を。
 このお客様だからこそ、安心して「聴かせる」噺が出来たと思う。
 今回の旅で最後となる夜の高座は、ある意味たいへんキンチョーしそうだ。

 最後の夜の噺はもう決めてあった。
 入念に稽古、確認。

 20時30分。
 テレビモニターで船内メインホールのXUXUさんのショーを見ながら化粧前に向かう。
 顔をあたって、髪のセット。
 帯をしめたりなんかしながら、最後だと思うと妙な感じがしてきた。船のお客様には程よい連帯感がある。

 ほとんどの方が、毎回聴きに来て下さった方だった。
 最後の高座は、そんなお客さんへの御礼の気持ちでお喋りをした。とっておきの『妾馬』。
 アルゼンチン音楽の牧田さんやギターの福島さん、ステージが終わって間もないのにXUXUのみなさんも来て下さって、なによりかわらず暖かい反応をしてくれたお客様のお陰で、大変いい噺をさせてもらった。

 24時から乗組員食堂で懇親会。
 みんなで仕事をやり遂げたと云うような雰囲気が心地よかった。

 この旅で初めて酔って船内を歩いた。
 デッキで酔い醒ましに風にあたる。

 にっぽん丸の起てる波のおとしかしない、紀伊半島沖合である。

2005/10/27(木) 別府〜鉄輪。
 別府港に寄港。
 完全オフ。

 鉄輪温泉で地獄巡り。
 海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白地獄、血の池地獄、龍巻地獄。
 この八大地獄=源泉や熱泥、噴気が噴き出しているところを見て歩くと云うのが地獄巡り。
 血の池と龍巻は歩いて行くには遠かったので、それ以外を見て歩いたのだが…徐々にニガワライ。
 鬼が立っていたり、ワニ園があったり、ピラニアがいたり…ニッポンの古き善き正調観光地。

 そこで朝飯は、穴子の蒸し寿司に缶ビール。
 寿司を温泉の蒸気で蒸して食べるのだが、思いの外旨かった。缶ビールは、蒸し上がりに15分もかかると云うので頼んでしまったのだ。
 
 温泉郷を別府大学駅までのんびりと下り、別府駅へ。そこかしこに100円の立ち寄り湯が。

 別府の街には小さな飲み屋が点在する。
 ケッコウな趣のある温泉街なのだ。
 この街に泊まることになっていたら、さぞ金を落としていたことだろう…それはそれで、しごく愉しそうである。

 雰囲気のある竹瓦温泉のあたりをうろうろして、とりあえず別府タワーに向かう。
 『馬鹿と煙は〜』じゃないが、この決して高くはない別府タワーに登りたくなってしまったのだ。
 が、別府タワーの入口まで来て驚いた。
 『本日定休日』
 こういうところにも、定休日ってあるんだ…。

 たいしてガッカリはしないが、拍子抜けしてまたごちゃごちゃっとした路地裏へ。
 そこで、名物鳥天で一杯やって、のんび〜り海沿いを歩き、停泊している国際観光港へと。
 嗚吁…城下鰈、関鯖、関鯵。

 出港まで船室にいたが、日の入りごろデッキへ。
 改めて外に出ると、この街は硫黄のかおりが微かに薫っているのがわかる。
 山の端が落陽の紅からだんだん夜の色へとかわってゆき、鉄輪温泉や別府の街に灯が燈る。

 定刻、18時出港。
 
 港の見送りのなか、ちいさな女の子が「行ってらっしゃあい」と手を振る。
 ゆっくりと、ゆっくりと街の灯が小さくなる。
 まだ遠くに女の子の声がする。

 やっぱり出港はダメだ。不思議な感情がギュッと心を掴む。

 別府もやはり、ステキな街だった。

2005/10/26(水) 伊万里。
 朝8時、窓の外がドンドコドンドコ賑やかしい。
 どうやらにっぽん丸入港を歓迎する地元の太鼓らしい。

 伊万里湾の久原に上陸…も、何処にいるのやら土地感が全くない。
 港の入口におじさんがいたので駅までの道を尋ねる、佐賀の人と初接触。
 「あんた、あの船で来たのかね?」と云うようなことから話し始めたのだが、時折「∞∴☆♂§£♀★」みたいなことを言われて、理解できないまま相槌を打っていた。
 そしたらそのうち、小屋みたいなところに戻って何やら探しはじめた。
 どうやら色紙を探しているらしい。ボクが落語家として客船に乗っていると話したので、サインを書いて欲しかったらしいのだ。
 まったく、いいおじさんだ。
 某局『田舎に泊まろう』だっら、このひとにお泊り交渉をしているところ。

 教わった通りに久原駅につくと、一時間に一本の電車の到着時間10分前。
 伊万里駅まで単線に揺られ20分ほど。

 まず伊万里神社に土地の氏神様を詣でて、街を探索。とても、静かな。
 昼は贅沢に伊万里牛のステーキとワイン。

 駅前で水とチーズを買い、また一時間に一本のMR西九州線で久原まで。
 途中、車窓から停泊中のにっぽん丸が、見えたがなかなか立派なもの。

 歩いていると、向こうで手を振るおじさんがいる。ボクには佐賀には知り合いはひとりしかいないのですぐにわかった。
 さっき会ったおじさんが手を振っていたのだ。
 「テレビ見てるから頑張ってな」みたいなことを何度も言ってくれた。
 どうやら、おじさんの期待にはそうカンタンに応えられそうにもないが、佐賀初上陸はおじさんのおかげで暖かいものとなった。
 名前もわからないけど、ありがとう、おじさん。

 船はまた、ドンドコドンドコ太鼓に送られて出港。ボクは船室でうつらうつらしながら聞いていた。

 この日は、乗組員食堂へは行かずに夜まで船室に。時折デッキで篠笛の稽古をしたりしていた。

 21時45分からラウンジにて45分高座。この夜は『品川心中』。
 お客様の反応がいいので、長い高座でも、サゲまで楽にはこべた。

 部屋へ戻るとシャワーを浴びて、ビールとクラッカー&チーズ。
 明日は別府へ寄港。
 早くに街へでようかと、文庫本に目を通して早めに消灯。

 船に揺られるのにも慣れて来た。

 船は闇を割き、関門海峡を過ぎて行く。

2005/10/25(火) 瀬戸の噺家。
 寝ているうちに大阪湾に入っていた。
 明石海峡大橋をくぐり抜け、きょうは瀬戸内の穏やかなクルーズとなる。
 とは言っても、明日の朝8時に伊万里港に寄港するまでまだまだ船に揺られるワケだ。

 夕方、来島海峡に入る辺りで最初の落語。
 船6階にあるラウンジにて、30分高座「天狗裁き」。明日以降に繋げるタメにも、いっぱいのお客様にいっぱいウケたのでひと安心。

 この後お客様はカクテルパーティー…ボクらは相変わらずの乗組員食堂。いや、その、なんの異存もありませんが…。

 明日は夜21時45分からの高座が待っている。
 なにを演ろうかと考えている、ここは玄界灘辺りだろうか。

2005/10/24(月) 出港。
 別れテープ、銅鑼の音、大桟橋の見送りの人、楽団の演奏…旅愁をかきたてられるのには充分だった。
 汽笛とともににっぽん丸がゆっくりと岸を離れて行くと、言いようのない寂寥感におそわれた。たった6日間の旅なのにおかしなもんだ。
 それは、心の速度と船が岸を離れる速度が近いからだと思う。
 飛行機や新幹線では、とてもそのスピードに感情が追いつかない。
 斯して、小さくなってゆく横浜の街を眺めながら、三井商船のにっぽん丸でゆく九州行の船旅がはじまった。

 暫くデッキの上で過ごし金沢八景沖で船室に戻った。この小さな部屋が29日までボクの部屋となる。狭いところが大好きなボクにはちょうどいい部屋だ。
 夕飯まで根多帳を見て過ごす。

 夕飯は乗組員食堂。
 たったひとりの食事となるはずだったがアルゼンチン音楽・チャマメのアコーディオン奏者牧田ゆきさんや、ギターの福島久雄さん、ANGEL DOMINGO MIRANDAさん(一人前の名前)と一緒に和やかな食事となった。こう云う旅で出会いというものは、非常に愉しい。

 夕食後は中島誠之助さんによる伊万里焼の講演。ちなみに、中島センセイはダイニングルームでお客様と同じ夕飯を食べていたはず…‘いい仕事してますねぇ’の人はいいものを食べているのだ。

 寝る前に聴かせて頂いた牧田さんたちのチャマメの演奏に心穏やかにさせてもらい、波に揺られて眠りについた。

 伊勢半島、遥か沖合。

2005/10/23(日) 秋刀魚づくし。
 羽田で『秋刀魚ぱーてぃー』にお呼ばれ。
 焼きはモチロン、薄造り、なめろう、と秋刀魚尽くし…旨い、旨いのよこれが!
 落語のお殿様がバカハマリになるのも無理がない。ただですら旬だもの。
 食材は、一番安い時がイチバン旨いと云うがまったく。

 そして、一席お喋り。
 随分いろんなとこで落語を演ってはいるが、屋台の上では始めての落語。
 一席終わって、本格的に飲む。

 明日からの長旅に備えるかのように、蒲田で朝まで。
 しばし蒲田の灯とも離ればなれである。

2005/10/18(火) 大奥。
 『大奥〜第一章』の再放送を見るのが日課となりつつある。一時間の風呂から上がり、『大奥』を観て銀座へ。
 名刺の発注と、恒例本の衝動買い。

 蒲田へ戻り、少し早いが屋台『はちまき』へ。
 そこへ後輩が合流し、大奥のようなキャバクラへ渡る。
 あの人もこの人も、どのキャバ嬢も、知った顔。さながら同窓会のように、思い出話に花が咲く。
 はやくみんなが幸せになってくれるよう、願うばかりだ。

2005/10/17(月) 歯痛。
 持病の歯痛のタメ、東京都内にある邸宅で静養。
 ついでに、肝の臓も養う。

 歯は商賣がら生命線である故に、一週間の九州行から帰京後、蒲田系の方に教えて頂いた歯科にて集中治療の予定。
 親不知を2本抜くのは決まっている。

 あれよあれよと、年内の予定が詰まってゆく。

10月絵日記の続き


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