〜花抜坂中納言日記〜
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2004年4月
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2004/04/11(日) 御恩は…。
 前座時代は確かに辛いものがあったが、それと同じだけ愉しいことも輝いていた。
 国立演芸場でのお仕事をいただくと、国立劇場の演芸課課長Yさんに、きまって呑みに連れて行っていただいた。
 後輩の金原亭馬治やお囃子のおこうさんらと、赤坂、四谷、新宿…と、おおいにご馳走になったものだ。
 Yさんはイワユル女傑というヤツで、ボクら若い落語家と同じように飲み、同じように酔い、朝方まで飲んで、笑って、歌って、踊って…本当に愉しい時間をすごした。
 そのYさんが、この春定年を迎え、落語家や劇場カンケイの有志らで慰労会が開かれた。Yさんの慰労会らしく、最初の屋形船、二軒目のホテルオークラと、やはり日付が変わるまで大変賑やかで愉快であった。
 再会を約し、落語家四人は車にのって五反田のキャバクラに、ワッと繰り込んで、キレイどころを侍らせての飲み直し。前座時代の後半、毎日のように飲んでいたこの店で、前座仲間と痛飲、キレイな女の子、ボクはもう、こころおきなくバカになってのんだ。
 そのうち、ボクの来店を聞きつけた、系列の他店に移っていたマネジャーがわざわざ顔をだしてくれて、ヘネシーを差し入れてくれた。しばらく席を移して、女の子を外して二人で談笑。
 結局、店を出たのは完全に空が白んできた頃だった。
 伝票の金額が一桁跳ね上がっていたのを見たときにはクラッときたが、瞬時の計算で納得しカードを出した。
 支払いのとき、ボクは何時も、シンデレラのお話を思い出し、つい苦笑いをしてしまうのだ。それにしても、最後は完全にバカになっていた。

 夕方、朝まで一緒だった古今亭志ん公(写真・船内にて)から丁寧にもお礼の電話が入った。
 「この御恩は必ずやお返しいたします」
 だとさ。いかにも噺家らしい、大層な言い回しだ。
 ボクはコヤツのこの台詞、キライではない。


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