〜花抜坂中納言日記〜
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最新の絵日記ダイジェスト
2007/08/01 モノを知らない。
2007/05/04 とりとめもなし。
2007/05/03 大型連休。
2007/04/30 3タテ。
2007/04/29 紀尾井ホール。

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2004/04/30(金) 四月の終わりに。
 四月もお終い。明日から五月、そう言やあ二ッ目になり一年過ぎたということになる。良い事も、悪いことも半々の一年だった。こんな感じで時は過ぎていく。
 
 国立劇場のTさんから、メールがくる。曰く、飲みに行くという約束はどうなりましたか?と。確かに二十日ほど前の、国立の演芸課の課長さんの送別会で約束した。それも、ボクから。忙しさにかまけても、人との交流だけはちゃんとしなければならないと痛感しつつ、こんなボクと遊んでくれようというTさんに感謝。Tさんの京都の出張から帰り次第日程を決めることを約束。愉しみ。

 昨夜は、ひょんなことから(?)知り合った女の子に酔ってメールを出したら、電話がかかってきた(!)そういえば、その送別会の日に会った女の子だ。
 ちょっとのつもりがモノスゴイ長電話。翌朝の草野球が心配になったがなんだかんだで、電話を切ったのは午前三時。女の子と長電話なんて学生以来のこと、ちょっと愉しかった。なかなかないからね。

 それでもって、数時間寝て池袋の野球場へ。
 珍しく15人も集まっての試合。噺家が15人集まると、ウルサイ。ダッグアウトの中、みんな野次将軍。この野次、味方にも手厳しい。
 かくいうボクも、DHで守備にはホトンドつかなかったので、守りの時はベンチの先頭で野次ってた。無責任で愉しい。試合には負けたものの緊迫する6−4という締まった試合だった。投げきった(五街道)佐助兄さんの敢闘賞だ。
 ボクはデッドボールを喰らったりして四打数二四死球、ヒット無し。相手投手の外角一杯のストライクに翻弄され、二日酔いと寝不足に敗れた。

 ふぉと・ダッグアウト風景。右から(林家)久蔵、(橘家)文左衛門、(翁家)勝丸、座っているのが(柳家)小太郎。

2004/04/27(火) 某日。
 先週は、週末に黒門亭があったり、川崎競輪場に出没したり、鎌倉までドライブしたり、週に二度も中華街でゴハンを食べたりと、忙しく遊びまわっていた。
 したがって、肝臓も忙しく働いてくれた。

 4月某日。
 我が家から、鎌倉まで第三京浜と横横(横浜横須賀道路)を通って40分、手ごろなドライヴコースである。
 横浜までは早くて20分でつく。
 骨董屋や小さなお店をみているうちに、古都鎌倉の昼下がりはゆっくりとすぎてゆく。長谷の「力餅」をお土産に。

 4月某日。
 黒門亭終演後、前座と番頭で来ていた風車と喫茶店へ。
 前座のT君のバカ丸出しトークに大笑い。ほんと、たけ平はバカだ…あ、言っちゃった。
 寄席に行く前座と別れて、風車と家族と横浜中華街で夕餉。風車とは昨日競輪を観戦し、帰りに焼き鳥屋で飲み、何軒かハシゴしてずーっと一緒だ。
 この日は、始めて入る「光龍飯店」の豚バラかけゴハンに舌鼓。
 ビールと紹興酒にしたたかに酔う。

 4月某日。
 黒門亭での(噺の)出来が良くなっかた。自分のせいだからこそ悔しい。悔しいので、稽古ではなくそこにいた(古今亭)朝太と前座二名を相手に、生ビール。またもや、バカ前座Tクンの話に大笑い。つくづく、たけ平はバカね。

 4月某日。
 横浜の四川料理「景徳鎮」にて辛〜い麻婆豆腐と坦々麺。

 ふぉと・お粥屋さんの「謝甜記」一度は入ったほうがいいですよ。

2004/04/19(月) 草野球。
 三鷹で野球の試合。
 三年振りの、試合。それもスターティングメンバー。
 チーム総勢8人。
 6番一塁三遊亭司、背番号42.
 六回からサード。
 三打数一安打、一四球、一三振。
 アウトをいくつか…とりました。
 最後のゴロを捕って、二塁を向いたら同期の(林家)ひらりがいたので、投げてホースアウト。
 疲れた。
 

2004/04/18(日) 世にチャーハンがあればこそ。
 先週は飲み歩いていて、全く更新できていない。ワタクシは少しの反省をしているワケだ。
 師匠と飲み。
 風車と飲み。
 友人と飲み。
 出会った人たちにご馳走になり。
 そんな一週間だった。
 
 唐突だが、戸越銀座の金門という中華屋のチャーハンが旨い。
 さっき久々に食べた。旨かった。
 街の中華屋はチャーハンで決まる、独断を以ってそう言い切る。
 絶対に、ぜーッタイ!Hanakoやらなんやらに掲載されることはないので、ここで言わせていただいた。
 なにがそんなに旨いのか?と聞かれると、少しだけ考えてしまうが、簡単に言ってしまえばチープな味が良いのだ。(決して周さんやなんかにはだせない味だ)
 ちなみに、武蔵新田にある宝来のチャーハンも旨い。
 そんな店で、ビールにギョウザでナイター中継を見るのが、真の大人の作法なのだ。

 最後に、警告!
 どちらも、わざわざ足を運ぶほどのトコロではないので、行くなら自己責任でお願いいたします。苦情など言っちゃ嫌ぁーよ。

2004/04/11(日) 御恩は…。
 前座時代は確かに辛いものがあったが、それと同じだけ愉しいことも輝いていた。
 国立演芸場でのお仕事をいただくと、国立劇場の演芸課課長Yさんに、きまって呑みに連れて行っていただいた。
 後輩の金原亭馬治やお囃子のおこうさんらと、赤坂、四谷、新宿…と、おおいにご馳走になったものだ。
 Yさんはイワユル女傑というヤツで、ボクら若い落語家と同じように飲み、同じように酔い、朝方まで飲んで、笑って、歌って、踊って…本当に愉しい時間をすごした。
 そのYさんが、この春定年を迎え、落語家や劇場カンケイの有志らで慰労会が開かれた。Yさんの慰労会らしく、最初の屋形船、二軒目のホテルオークラと、やはり日付が変わるまで大変賑やかで愉快であった。
 再会を約し、落語家四人は車にのって五反田のキャバクラに、ワッと繰り込んで、キレイどころを侍らせての飲み直し。前座時代の後半、毎日のように飲んでいたこの店で、前座仲間と痛飲、キレイな女の子、ボクはもう、こころおきなくバカになってのんだ。
 そのうち、ボクの来店を聞きつけた、系列の他店に移っていたマネジャーがわざわざ顔をだしてくれて、ヘネシーを差し入れてくれた。しばらく席を移して、女の子を外して二人で談笑。
 結局、店を出たのは完全に空が白んできた頃だった。
 伝票の金額が一桁跳ね上がっていたのを見たときにはクラッときたが、瞬時の計算で納得しカードを出した。
 支払いのとき、ボクは何時も、シンデレラのお話を思い出し、つい苦笑いをしてしまうのだ。それにしても、最後は完全にバカになっていた。

 夕方、朝まで一緒だった古今亭志ん公(写真・船内にて)から丁寧にもお礼の電話が入った。
 「この御恩は必ずやお返しいたします」
 だとさ。いかにも噺家らしい、大層な言い回しだ。
 ボクはコヤツのこの台詞、キライではない。

2004/04/09(金) 完結。
 いよいよ、この<房総ダラダラ紀行>もグランドフィナーレを迎えつつある、というよりも、よくこんなことを3回にわったて書いてきたなとなかば呆れ気味だ。そして、読んでくださった方々の、暇つぶし以上なんにもならなかったであろうことは想像に難くない。
 道中双六のように気まぐれ成り行き尊重型の旅は、東日本旅客の成田から京成線に乗り換え、いよいよ厳戒態勢のひかれている新東京国際空港こと成田空港へと向かうことになった。
 成田空港の駅に降り立ったワタクシを待ち受けていたのは、水際作戦で我々を待ち受ける警察官の面々だ。
 「パスポートを見せろ」と、もうちょっと温和な感じで言ってきた、温和に書くと面白くないので絶対命令形に脚色した。
 もとより、成り行き上ヒコーキを見に来ただけのボクはそんなもの持ち合わせていない。ヒコーキを見るのに、パスポートはいらないのだ。パスポートをもっていないのを訝ったオマワリは、表情に、その不信感をあらわにした。次の、瞬間オマワリはボクに尋問した
 「見学?」
 「はい、見学です」
 たのまれもしないのに、ボクは免許証を差出し、自らすすんで手提げのカバンを差し出した。
 文章にするとクドクドクドクドと書いてきたが、呆気ないほどカンタンに成田空港に潜入したのだ。
 そして、当たり前だが目的もないまま、展望デッキで轟音を聞きながら、飽きるまで暫くビールを飲んでいた。
 7日の早朝6時に起きて、実に11時間後のことであった。
 
 もう、つづく心配はない。

2004/04/08(木) 水郷の街。
 …つづき。
 ちょっと地方の乗降客が限られた駅になると、電車が入るまで駅に入れてもらえない。したがって、学生やら観光客やら不倫旅行(風)の、電車に乗りたいという共通した意志をもった輩で改札の周りが俄かに人でいっぱいになる。
 圧倒的に学生が多い、それと都心から一時間ちょっとでいける場所には「ワケありなの、だからそっとしておいて」という二人連れをよく見かける。そんな二人にはやはり犬吠埼がお似合いだ。鼻血が出そう…。
 それから、また列車に揺られ水郷の街佐原まで。車内で、四人がけを占領し弁当を広げる高校生にほのぼのしたものを感じつつ、時折車窓から見える牛やなにかに目をやっているうちにすかり転寝をしてしまい、乗り過ごすところだった。
 佐原には伊能忠敬(お!一発で変換出来た)の生家がある。伊能忠敬は歩いて日本を測量した人だ、とてもヒマじゃなきゃできない、と教科書に書いてある通りだ。
 昨日から書いててふと思ったのだが、なんで平日の昼下がりにこんなところでふらふらしているのか経緯が全く書かれていない。まぁそんなこと気にしないで次だ、次。
 佐原には河の周りに古い町並みが遺っている、小さいながら風情のあるところだ。その佐原で何をするワケでもなく、川ゆく舟をながめていた。

2004/04/07(水) 何故か、銚子にて。
 平日の午前中、何故か犬吠埼に居りました、三遊亭司です。
 いたるところに「地球がまわるく見える」としてあります。それにしても、だぁ〜れもいません。
 犬吠埼といったら、灯台でしょ灯台…ありました、思ったよりちっぽけなのが。まさか、上には上がりません。ほんとに、だぁ〜れもいない。
 間違ったリゾート風に装飾された浜焼きの売店から、有線の演歌が流れ、ところ構わず哀愁を誘うのです。
 歩いてすぐのところにある、白亜の駅舎、銚子電気鉄道犬吠駅から小さな列車にコトコト揺られ銚子駅につきました。白亜といったら銚子電鉄の駅か、小林旭の邸宅ぐらいなものです。
 駅の時刻表をみたら、次の列車まで一時間と十分。けたたましく発車ベルの電子音が鳴り響く山手線に乗りなれた者にとって考えられませんが、やむを得ず駅前の定食屋へ。
 入って五秒で店のオバちゃんが「なににすんの?」と来た、少ぉし考える時間を与えておくれよ。
 ま、とりあえずお約束「地魚の刺身盛り…と、ビール」
 漁港がすぐ側だし、魚は美味しい、近海ものね。
 満足し店をでて、散歩がてら漁港へ。やっぱ、漁船がたくさん舫ってありました。引き網が主流みたいですね。
 うろうろしていると、向こうで漁師及び漁港関係者が丸くなってなんか囲んでやってます、12chで見慣れた光景。でも、なんだか、気軽に入っていける雰囲気はない、そう考えると阿藤快(海改め)や木之元亮ってスゴイのね。

2004/04/04(日) さくら、サクラ、桜。
 先週は、好い人たちにタクサン出逢いました。
 キレイな桜を、いっぱい見た一週間でした。
 そして、今を盛りと咲く花は風に吹かれて散ってゆくのです。「桜は風を恨まない」いい詞だと思います。桜は散りぎわともいいますし。
 桜を華やかにしているのは、実は人の心です。
 桜を美しいと日本人が思い続けられれば、とても幸せなことなんじゃないかなぁ。
 
 来年まで、散りゆく花に暫しの別れです。

2004/04/02(金) 夜桜は…。
 二夜続けての夜桜の饗宴。
 前日1日は、お隣のステキなご夫婦にお酒をごちそうになる。ご馳走になったからステキと言ってる訳ではない。
 一緒に飲んでた人から、後日メールで
 「夜桜は、狂わすなぁ」とあり。夜桜に限らず、酒に狂わされているのは明白である。
 そう言えば、お花見に行っても花を見た憶えがあまりない。今年はお花見と称して、野営にて酒宴を開く事四回、この数が多いのか少ないのか解らないが、賑やかな季節でした。


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