a Day in My Life(旧)
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2005/09/20(火) 無限回想X
そんな事をしてるうちに、98年から99年にかけて、セカンドが売れまくったBSBはようやく本国アメリカでも認められて、日本を含む世界中で大ブレイクしていた。ブライアンの心臓手術や、ハウのお姉さんが長年患っていた難病で亡くなったり、半端じゃなく大変な事も色々あったけど、もうBSBは「世界のBSB」になってた。
ちょうどJrの春コンで頭がデビルマンな智くんが何とソロで「朝日を見に行こうよ」を歌っていた頃に、あのバカ売れ3rdアルバム「ミレニアム」が日本で先行発売された。もうこの頃になるとBSBに続けとばかりに数年に渡って続々と欧米系ボーイズグループが出まくる訳です。もう必死でチェックしましたよ(笑)←結果ツボったのは(前に日記にも書きましたが)'N SyncとBlueぐらいだったんですけど。でも結局は私の中でBSBの歌王子ナンバー1の座は揺るぐ事はありませんでした。
智くんはというと「MA」の初代メンバーとして、いわゆる“舞台班”っぽくなりつつありました。このMAってのが、何だかミュージカルの為の凄い集団!みたいにスポーツ紙を飾ったりして地味に鳴り物入りだったもんだから(←変な表現だ)正直「舞台専属」ってのはシンドイな〜とも思ってたんだけど、やっぱり「智くんがやる気なら応援しよう」と先々に備えてチケット代を稼ぐ毎日でした。
そんな矢先でした。智くんの初PZ出演も無事終了してホッとしたのも束の間。99年の9月17日の朝から世間は大騒ぎでした。私もスポーツ新聞を買ってきて…ホントこの時から「電車男」があったとしたら、まさにキター―――――――――!でした。…智くんの歌がCDで聴ける!他のメンバーも好きな子ばっかりで(死ぬほど嫌いなアイツもいない・大笑)、何故か(当時の多くのファンがそうだったように)ローテンションな他の智ファン友達を横目に、私は大喜びしました。しかも船の上の嵐くんを見た瞬間「5人て…BSBと同じじゃん」←今でもハッキリ憶えてますが、最初に思った事がこれでしたね。
偶然にも、この9月17日というのは(もちろん時差はありますが)この年のBSBの全米ツアーがスタートした日でもありました(ちなみにチケット総数76万枚が2時間で完売)
この頃になると、あんなに華奢なお耽美少年だったニックもすっかり逞しく育ち(笑)その栄養分ちょっと智くんに分けてあげてよ…なんて位に、一方では智くんの顔色はそれ以前のように相変わらず悪いまま(笑)この辺になると嵐になってからの話なので細かい解説は省きますが、とにかく本人も言ってるようにファン以上に智くんもパニクってたんですよね。
ここでちょっと乱暴な言い方をするけど、それは何もかも智くんが自分で決めた事であり、智くん自身の責任なんだから、これでどうなろうと、あとはアナタ(智くん)が頑張るしかないんじゃない?ってのが当時の智くんに対する私の気持ちでした。辞めるならMA(Jr)のうちにサッサと辞める事はできた。でも辞めずにPZ後もJrにいて、そこから嵐に選ばれて、その話を断らずに現実にそうやって4人と一緒に出てるんなら、やれるとこまでやりなよ。それで元SMAPの森くんみたいに本当にいなくなるとしても私は恨まないよ。やるだけやってダメなら仕方ないよ。だからまず、その4人と一緒にやってみてよ。私は死ぬ気で応援するから。
…こんな気持ちでした。智くんがどんな風になっていくのか見たかったんです。嵐というグループで。それまで彼がしてきた仕事とかユニットとか、私個人は何の未練もなかったですね。思い出は思い出で。とにかく彼のこれからが楽しみで仕方なかった(こういう気持ちは今も全く同じかな)
それでも一向に智くんが“元嵐”になる気配はなく、次第に顔色も良くなってきた(笑)その一方で、BSBは4thアルバム「Black&Blue」を日本で先行発売する。時期的には嵐のファーストアルバムが出る少し前だった。この頃からです。智くんの顔色は良くなってきたけど、今度はBSBメンバー数名(特にAJ)の顔色が何となく良いとは言えなくなってきたのは。
簡単に言えば、メンバーは疲れてたんである。5人で歌う事が大好きで、相変わらずステージでは楽しそうなんだけど、どこか違う。世界で大成功を収めた裏で、その過酷なスケジュールに押されていく毎日に必死だった感じ。だけど長い下積みから一気にスターの座に君臨しようとも、彼らは変わらなかった。もう少し自己中(天狗)になっても良さそうなものを、ちっともスター気取りになる事はなかった。そもそも疲れてるのだってメンバーがワガママ言わずにキチンと決められた事をやり遂げてる証拠でもある。
そんなの成功者の贅沢だよ!とも思うけど、こういうのにも「お国柄」ってあるかも知れない。私のような異国の一般ファンが知りえない事情だって膨大にあると思う。ハウ曰く、当時はあまりの忙しさに自分を見失う事もあったようだ。
そんな中で、いつも向日葵みたいな笑顔で、以前と何も変わらずメンバーに接し、ジャレつき、語りかけ、盛り上げ、ファンにとっても太陽みたいな存在だったのがニックだった。


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