a Day in My Life(旧)
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2005/09/19(月) 無限回想W
“ジャニーズJr”の人気が本格化していく最中の97〜98年、智くんの主な活動はやっぱり京都のステージだった。時々東京に戻って関東のJrくん達と一緒に仕事をするという感じだった。前に書いたようにPCなんてないし自分は追っかけでもなかったから、智くんの数日単位の行動なんて把握する訳もなく、てっきり京都にいるもんだと思ってた彼がいきなり関東の番組に出てきて慌ててビデオのスイッチ押したり、でもそんな心臓に悪いような事(笑)も状況的に楽しんでた記憶があります。
98年からはJrのコンサートがあったりして、うわ〜Jrがメインのコンサートなんて凄い!と、これはまず智くんが出るのか出ないのか以前にその事実そのものに感動した気がする。これは「素顔」シリーズとしてビデオにもなってるから当時観に行ってない人も内容を知ってる人は多いと思いますが、予想以上に智くんの扱いは良かったので、私の目もなかなか捨てたもんじゃない!2年間応援してきた(←この時点で)甲斐があった!等と勝手な優越感に浸ったものでした(笑)
この頃の智くんは髪を伸ばし、アクセサリーもつけ出し(←誕生日に京都の共演者から貰ったペンダントだけど)、私服も黒のロングコートとか着るし、初めて見た時とは別人のように大人っぽくなってました。誤解を恐れずに言うと、この頃の智くんは総体的に見て決して明るさはなかった。
普段は勿論だけど先輩のバックじゃないんだから別に何も遠慮する事ないJrのコンサートなんかでも、今の嵐コンで見るファンサービス大爆発な彼とは真逆というか、まぁ本人も言ってたけど「見せる舞台」は得意でも「盛り上げるコンサート」には戸惑ってた感が1番よく出てた時期だったと思う。
自分のウチワを見つけると嬉しそうに目をキラキラさせるんだけど、今みたいな「わーい♪」って感じとは明らかに違ってて、どこかはにかんでるみたいな微笑みで、嬉しそうなんだけど遠慮がちに(←あくまで今と比べると)手を振るのだ。で、他のJrくんがジャレてきたり絡んできたりすると凄くホッとしたような笑顔で笑うんだよね。そこで初めて白い八重歯が見えたりして(笑)
そんな智くんを見て、別に「もっと弾けろよー」とか「なんか可哀相だな〜」とかは思わなかったけどね。これは智くんに対して私自身がマダマダ手探り状態だったせいもあるけど、こういう時は智くんはこんな顔するんだ…とか、へーこの子ともこんな風に抱き合うくらい仲良かったんだ!とか、何かハプニングがあったりしたら、うわ…さぁ智くんどう出るの?とかワクワクして見守ったり(笑)智くんを好きになって2年になってたけど、マダマダ“大野智を勉強中”だった時期。それで精一杯だった。加えて8才も年下の男子なんて特に心理面でスムーズに理解してあげられない事も多くて、自分の鈍さというか不甲斐無さがイヤになった瞬間も多々ありました(苦笑)智くんの大変さに比べたら屁のカッパ(死語)だけど、ファンとして自分も自分なりにどうあるべきか、どう見るべきか、どう応えるべきか、何をすればいいのか、そういうのも考えてた時期でしたね。ボロボロにならない程度にね(笑)
98年の11月に長かったKTKも終わって、ここから99年の嵐結成まで約1年足らず、実は、ちょっと自分的に宙ぶらりんな日々が続く。KTK終了後の色んなステージもJrコン(←素顔2)も、必死で出演情報かき集めては行ったりして、間違いなく楽しかった事は楽しかったけど、どこか潜在的な不安があったかも知れない、やっぱり。さて京都は終わりましたが、これから智くんはどうするの?どうなるの?って。辞める辞めないの噂なんかも嵐結成まで静かにまとわりついてましたね(笑)まぁ実際には噂の域じゃなかった訳ですが(←この頃を振り返る智くんのインタビュー等を参照)
ちょうどこの時期の少し前にJr数人が不祥事で解雇された事件があって(タッキーが代表して、Mステ内で謝罪)不幸な事にその中に入ってたJrのファンだった友達は半ノイローゼになるし、不祥事は起こさなくても「いつ彼が辞めるか分からない」という意味では私だって明日は我が身な訳だから、その一寸先は闇な状態がリアルに身に染みてた時だったかも知れない。
ファンも色んな事言ってたな。なのに、そんな中で私はホントにボーッとしてましたよ(笑)それは決して智くんの状況に対して斜めに構えてた訳でも、カッコつけて平気な顔してた訳でもなくて、ホントにどうしていけばいいのか解からなかったんです。
私が智くんにできる事は、智くんが出るステージのチケットを必死で取って観に行くか、たまに突発的に出るテレビをこれまた必死で録画する…これしかなかったんです。当の智くんは相変わらず穏やかな涼しい顔で踊り続けてる。彼の胸の中に煮えたぎるような感情がまさに嵐のように吹き荒れて渦巻いてたとも知らずに、私はただお金を払って、観に行って、拍手をして声援を贈る。ホントにそれだけだった。何か薄っすら不安感は感じる事はできるんだけど、だからと言って私にそれを埋める何かができる訳じゃない。ホント中途半端で“宙ぶらりん”って表現がピッタリな時期だった。
智くんは「ファンなんだから、それでいいんだよ」って言ってくれるだろうか。それとも「ファンのくせに鈍い奴だね」と思っちゃうだろうか。解からないけど。だけど、そんな得体の知れない漠然とした宙ぶらりん感の漂う中でも、智くんを求める(応援する)気持ちは常にあったから許して欲しいと思う。せめてもう少しフットワーク軽くてアンテナも張り巡らせてて、智くんの事が手に取るように分かれば良かったんだけどね。ホントに当時の私は要領が悪かったと思う(今だって良いとは言えないけど)
智くんの笑顔の数は、嵐になってからの今と比べると決して多いとは言えなかったけど、それでも智くんが笑うと私も元気になれたし、智くんを観る為に毎度毎度払わなきゃならない高いチケット代も惜しくなかった事は確かだった。そう、だから私は幸せだったんである。


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