a Day in My Life(旧)
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2005/09/17(土) 無限回想U
Jrのファンなんて初めてなったから、コンサートなんかの出演には何の保証もなく、Jrファンてのは毎回それとの戦いなんだという事を初めて体験する。誰がどこに出るか分からない。だいたいの予想はついても絶対的な安心はない。そうか…Jrファンて大変なんだ、と。正直そういう仕組みはかったるかった。だけど一瞬足りとも気持ちが萎えた事はなかった。なぜなら智くんが好きだから。その智くんがJrなんだから仕方ないじゃん、グダグダ言っても!って感じでしたね。
Jrファン友達もできて、キンキやV6のコンサートに行きながら、自分なりに充実してた日々だった。そんな毎日でも、洋楽は普通に聴き続けてた。いかんせん智くんのCDなんてモノは、この時はまだ存在してないし、智くんのおかげでジャニーズを再び観るようになったとは言っても、他のグループのCDには興味なかった。バックで踊る智くんを観ながら歌を憶えて、それで充分だったし、本来の好きな音楽と智くんへの情熱は別だからね。
そんな風に1996年は過ぎようとしていた。年末に帰省して、私は実家の居間でBSチャンネルの洋楽番組を観てた。当時の智くんはというと、V6の「ミラクルスターター」で相変わらずの腰シェイクを披露してたり、染めたてのブラウンヘアをサラサラさせて♪ハッピハッピーニューイヤー、カミーンセンチューリー…とツナギ姿で元気に跳ねてた頃だった(←歌詞うろ覚え)
その洋楽番組では、ある男性アイドルグループのライブ映像を流してた。昔ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックっていう一発屋のグループがいたけど、見た目の雰囲気がモロそれとかぶってて、一瞬その懐かし映像でもやってるのかと思った。イケメンの白人集団で、カジュアルな衣装で、ノリノリの音楽。だけど、何か違うのだ。何か違うというより、そのボーカルを聴いているうちにハッキリとした違いが分かった。踊りながら歌う生歌がバッチリ上手かったのだ。しかもアドリブらしき合間のシャウトやらフェイクやらがムチャクチャカッコ良い。当時イギリスで大人気だったテイクザット(この年に解散)というグループが全くピンと来てなかった私にとっては、そんな男の子グループは国内外含めて生まれてこのかた見た事がなく、ぶっちゃけカルチャーショックだった。それがBackstreet Boys、略してBSB、だったんである。
それから年が明けて1997年。智くんが載ってる7日発売の雑誌を買いに行ったついでに、ふと年末にBSで観たっきり気になっていた白人グループの事を思い出して、その足でCD店に向かった。そして「Backstreet Boys」のアルバムを見つける事ができた。そのアルバムはデビューアルバムで、発売日が1996/11/21だった。その前の年の、智くんが16才になる5日前に出たばっかりのモノだった。それを迷う事なくレジに持っていってました。
当時はインターネットなんて今ほど普及してないし、もちろんPCなんて触った事もなければ、当時の私は携帯さえ持ってなかった(私の携帯デビューは嵐デビューと同時期ですから)だからBSBの事を色々調べるといっても、それまでやってたのと同じように日本で発売されてる雑誌や洋楽系ラジオで情報をかき集める事しかできなかった。それで分かったのは、日本デビュー(日本での売り出し)は96年末だけど結成はそれより3年も前の93年であった事、あまり名前を聞かないと思ったら本国アメリカでは当時サッパリ売れてなくドイツを始めとするヨーロッパ方面中心にブレイクしていたグループだったという事、すでに96年秋には初来日済みだったという事、最年長と最年少の年令差がV6並みに離れている事、その最年少の子が大野智くんと同い年である事…くらいだった。
その最年少の子の名前はニコラス・ジーン・カーター。ニックと呼ばれていた。5人の中でとにかく目立っていた。彼が常に前に出ようとする訳じゃなく“目を引く”のだ。たぶん彼の外見は、日本人が“白人の美少年”に望む全ての条件を兼ね備えていたと思う。綺麗な青い目、輝く金髪、当時すでに180センチを超えていたスラッとした長身、長い手足。細かった体も決してスリムとは言えない位に逞しく成長した現在でも、新たにBSBを好きになった人が最初に魅力を感じるのはニックである率が非常に高い。そして何と言っても歌が上手いという事。ボーカルグループな以上これがなけりゃ話にならない。
ただ大野智くんとニックとの決定的な違いは、ニックの事がグループで一押しという訳ではなかった事だ。Jrは智くんを好きになったから、その仲間である他の子達も一緒に見てた訳だけど、ニックの場合は決して彼が切っ掛けじゃなく「好きになった海外グループのマスコットボーイ」に過ぎなかった。ちなみに私の最初のBSB一押しメンバーは、その美声とお茶目な笑顔でツボをKOしてくれたブライアンだったのである。そう“最初”と書いたけど、BSBにおいて私の一押しはローテーションで変わる(笑)が、ただの一度もニックが一押しになった事はないのだ。まぁ一押しも「しいて選ぶなら」程度で、とにかくBSBというグループ自体が好きだったんだけど。その辺の詳しい事は、また後程書きます。
そんな感じでJr番組を見続ける一方で、BSBのアルバムをヘビーリピートする日々が始まった。そして97年が半分過ぎた頃だった。私にとっての2大ビッグニュース。それは智くんの京都舞台決定と、BSBのセカンドアルバムの日本での世界先行発売だった。そのセカンドアルバム「Backstreet's Back」の発売が8月1日、そしてKTKこけら落とし公演の初日は8月9日だった。
どうしても都合がつかなくて、こけら落とし公演に行く事ができなかった私は(←もちろん泣きました・笑)9月3日から始まる本公演を楽しみにしながら、発売日に購入したBSBのセカンドを毎日流しまくって心の支えにしていました。そんな時からだったと思う。まだJrでメインの仕事は先輩のバックである智くんだけど、いつかCDを出して歌う時が来たら、このBSBみたいな良い音楽をやって欲しいな…と、私はそんな風に思うようになっていました。


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