a Day in My Life(旧)
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2005/09/29(木) 初めてのセカチュー&D嵐お疲れ
ついに地上波放送。で、初見。途中からは用事しながら声だけ聞いてたけど、大沢さんと森山くんの声がソックリ。これに1番感動した(笑)内容はなぁ…普通に可哀相でコウちゃんが綺麗なだけだったなぁ。こういうのが大ヒットするんだね。やっぱり私は不治の病ネタ苦手だ。もう1回観る気はしないです。
それよりD嵐、お疲れ様!いきなり「天然コンビが“神様もう少しだけ”の金城と深キョンみたいになってたぞ」なんてメールが来てビックリして今日録画を観たら、プールでのハグね。あァ、あれか。あの川のシーンね。…分かり辛いって(笑)何ちゅー例えをして来るんだ、友人(笑)
何か画的に愛ラブJrの水中エアロビクス思い出すなぁ(笑)もう今じゃあんなビキニは履いてくれないのかな、智くん。15才だから良かったんだろうか。今あんな格好したら凄い事になるんでしょうか(笑)
それにしても2年もやってたのか!よらん入れたら、もっとだよね。嵐枠アッパレ!ですね。これからも色んな事に挑戦して下され。Gも楽しみにしてます。

2005/09/26(月) 未来のベビーフェイスは誰だ
今日は朝から琴欧州のTV出演が凄かったようです。場所中もマスコミの取り上げ具合が半端じゃなかったな。そんなにドルジが嫌いですか(笑)いや、そういう訳じゃないだろうけど。
だけどやっぱり何だかマスコミの、カロヤンを無理矢理ドルジに対抗するベビーフェイス役に仕立て上げたい必死感が見え見えなのは気のせいだろうか。いずれにせよカロヤンじゃなくても次に出る横綱は大変だろうな。勿論ドルジもね。1人横綱である今でさえ暗黙の了解でヒールにされてるもんな。誰も口では言わないけど、空気は丸分かり。もう1人の横綱が例え同じ外国人であろうと、多分かつての曙扱いになるかも。正義の貴乃花VS悪の曙って図式を再び作りたい空気が感じ取れる。まぁそれぐらいの話題作りも必要っちゃ必要だけどさ。それに、そうなってもドルジは挫けないだろうけど。
先場所以上に波乱でしたが、ドルジの優勝はホッとしました。というのも2本もCMやってて(←洗剤&キムタク)その矢先に優勝逃したりしたら叩かれ具合が半端じゃないですからね。今場所はいつも以上に優勝逃して欲しくなかったです。
そうは言っても面白かった。先場所で叶わなかったドルジVSカロヤンの決定戦が見れた訳だし。それにキセノンこと稀勢の里も頑張ったなぁ。千秋楽、ドルジとカロが2敗、キセが3敗で、もしカロが最初の取り組みで負けて3敗になった場合は、まだキセノンも優勝争いの段階にいた訳。で、3敗を守った自分の取り組みが終わっても帰り支度をすることなく控えでウォームアップするキセノンがいる訳ですよ。で、やってきたカロヤンの取り組み。2敗を守り切ったカロヤン。その瞬間のモニターを見守るキセノンの表情が放送されたんだけど、カロヤンが勝った瞬間、キセノンがフッ…と笑顔を見せたんです。自分が優勝争いから外れた瞬間です。それがガクッとした苦笑じゃなくて「あー、ちっきしょー。ま、いいや。次見てろよ〜」みたいな悪戯っぽい笑顔だったんです。何と頼もしい子だ(笑)その意気ですよ、その意気。
今まで優勝時にはとにかく笑顔だったドルジが、表彰式に向かう前、花道の奥でいきなり顔を掌で押さえた。それがアップでTVに映された。ワンワン泣く号泣とは程遠いけど、手を下ろして再び見せたその顔は明らかに今までとは違ったドルジだった。ウルウルした目。その後の優勝インタビューで自ら「この六連覇は重かった」と胸の内を明かしてくれた。それを聞いて、何だかドルジが更に強くなった気がした。

2005/09/23(金) おっしゃー!
終わった終わった。回想文、読んで下さった方は本当にありがとうございました。何しろ智くんじゃないもう1人の“外タレ”については(ここのお客様の中では)興味ない方もいらっしゃると思います。
が、ハッキリ言って「大野智とニック・カーター」なんてテーマで文を書くファンサイトなんて他にないと思いますし(←あったらお近付きになりたいし・笑)まぁこんな管理人もいるんだな…と思ってお許し下さい(笑)こういう趣味もあるって事でね。
締めには出来ることなら智&ニックの写真を並べた悶絶ラブリー2ショット(笑)など持ってきたかったんですが、智くんの方は死んでも無理なので、代わりにBSBの元気な姿でご挨拶。これ最近の写真ですが、手前の末っ子ニックよりも、後ろで跳ぶオッサン達のが元気っぽいのがツボ。あ…AJ(右端)は、こう見えてもまだオッサンじゃなくオニイチャンなんだけどさ(笑)

2005/09/22(木) 無限回想Z
忘れもしない2001年の11月18日、BSBが成田に到着した翌日にラジオ出演する彼らを観に、死ぬ気で渋谷スペイン坂スタジオに行きましたね。ライブには行けないから、せめて姿だけどうしても見たくて。これ、当日あった介護の講習をサボって行ったので、あまり大声で言えない事なんですが(真似しないように)にしても嵐くん以外で久し振りだったな…いや、初めてだったかも。あんなに公開ラジオのために必死になったの(笑)
スタジオの外からメンバーの様子を見れるだけなんだけどね。でも大満足の幸せな瞬間でしたよ。泣きながらAJに手振ったな(笑)AJは、もちろん私個人の事なんか認識はしてなかったけど、トーク中も外にいる大人数のファンを気にかけてくれる様子のメンバーと一緒に、こっち側に何度も手を振り返してくれました。元気に復活してた。もちろんニックも笑顔だった(ジ〜ン)それからこの後、BSBは長い休息期間に入ります。これは凄く淋しかったけど、彼ら全員が大好きだから、彼らそれぞれがやりたい事を存分にやって欲しかった。だから嫌な気持ちは少しもなかったかな。
この翌年の2002年は、智くんとニックの本格的なソロ活動が始まった年だった。智くんは、ご存知の通り舞台「青木さん家の奥さん」で初の主演。ニックはソロアルバム「Now or Never」をリリースしました。ただですね、2人のソロ活動、ジャンルは全く違うし、それぞれの活動自体は凄く嬉しかったんだけど、肝心の内容が両方とも個人的にイマイチで、あんまり私の歴史的なインパクトにはなってないのが残念なところです。本当ごめんなさいね、2人とも。こればっかりはどうしようもないっす(笑)いかんせん好みなので。
まず「青木さん〜」は、何というかオースティンと一緒。内容があんまり好きじゃなくて、もう完全に“大野智観賞”でした。智くん自体は可愛くてさ〜。劇中の演出で、通路側の席だった私の隣に立ってくれた事があったりと、そういう「オイシイ」エピソードは満載だったんだけど、舞台の内容云々を語るインパクトはありませんでした。それが凄く残念。まぁ色んな楽しみ方があるという事で許して貰うしかないです(笑)
ニックのソロも正直最初聴いた時「あれ〜?ニック、歌ヘタになった?」とか思ってしまった(汗)←最初はね。落ち着いて聴くとそんな事はなかったけど。多分ちょっと歌い方も変えてた(変わって聴こえた?)のと、あのロック調が私は好きじゃなかったせいだろう。ロックと言ってもポップロックで、本格的なのよりは聴き易かったけど、素直にBSBの延長みたいな曲で良かったのに(笑)ってのがニックソロに対する感想です。
もちろん智くんもニックも頑張ったし、それなりの成果も出せたから良かったけどね。現に智くんは、この舞台から主演を重ねるようになったし、ニックは売上げこそ同時期にソロ出したジャスティン(←智くんお気に入りのアルバムです)には負けたけど、ソロアーティストとしての才能も認められて色んな人とコラボしたり曲を提供したりする機会が増えたし(←これホントに凄い事です)そんな風に、智くんとニックの新たな共通点も発見できた。可愛い上に色んな才能があるところ(笑)いや、本当に。
それからの智くんは嵐ファンの方々には説明の必要もないけど、ニックはプライベート方面で相変わらず女運が悪かったり(笑)2回も逮捕されたり…(あれ?確か2回だったよな・苦笑)ある時、元カノの事で心ない野次馬に罵倒されて一緒にいたケビンに抱きかかえられながら車に乗り込み、その車内で泣いてたニックの写真を見た時は、さすがに私もその元カノ(←ニックの悪口言いふらした有名人なんですが)に対して「あんのバカ女〜!」とか思いましたが、同時にニックって良くも悪くも純粋なんだな…と不謹慎ながら母性本能なんか擽られたりもしたもんです。何とまぁ波乱万丈というかお騒がせというか元気有り余ってるというか…ホント色々ありました、ニック。これからもあるだろう(笑)もちろん何があろうと見守ってるよ。
いかんせん上記の通りニックソロにはハマらなかったので来日ソロライブも見送り、BSB休止中の私はというと、ハウの方の来日イベントに足を運んだりと、ハウ兄さんの癒し空気にどっぷりお世話になってました。でも、この間にもニックは弟のアーロンのバックアップも頑張ったりと、その活躍だけは遠くからだけど見守らせて頂きました。そう言えばアーロンも18才だっけか。すっかり大きくなった。さすがニックの弟だけあって男前に育ち、既に背も180センチ超えてるみたいだし。…でもね、一言言わせて貰うぞ、アーロン。やっぱりカーター兄弟は、お兄ちゃんの方がカッコイイ!(笑)
話し反れて失礼しました。そして2004年の後半になると、BSBはいよいよ“Chapter Two”として始動し、智くんは彼自身の芸能生活10周年である年に歴史ある24時間TVの“黄色T”のデザインも手掛けたりと、ホントに素晴らしい事が沢山ありました。
智くんがいなかったら色んな事がつまらない10年だったし、ニックがいなかったら知らなかった大切な事も沢山あった。ニックはBSBの一押しが誰に変わろうとも、ふと気が付けば目の前にいて構いたくなる可愛い弟みたいな存在だった。そんな2人に私は助けられてきた。この10年の間に2回ほどアメリカには行ったけど、どっちもBSBとは無関係の用事だったので、いつか本国でライブを観る事がBSBファンとしての目標ですね(←いつになる事やらですが)智ファンとしては、嵐コンのオーラスの最後の挨拶で智くんが言った事…それができれば他には何もいらないや(笑)
何だか長文の割りには、読み返してみるとホント駆け足。私にとって大事な2人について、ほんのポイントに絞ってしか話せてないですが、それでも肝心な要点については伝えられたと思います。
そして気付けば、このサイトの主役・大野智くんを好きになって来年で10年です。よく続いた(笑)しかもマダマダやる気満々な自分。恐ろしい(笑)また何か思い出したら、いつかは分からないけど書きたいと思います。今回は、この辺で。

2005/09/21(水) 無限回想Y
「全く2人とも泣き虫な子達だ」…そんな21世紀の幕開けだった(笑)いや、片方は笑い事じゃないんだけどさ。
嵐になってからというもの、前に書いたようにだんだんと顔色も良くなり、瞳のキラキラも増して、ついでにスレ気味だった少年の瑞々しさも取り戻してきた(笑)智くんだったけど、やっぱりまだいざとなると他のメンバーに心身ともに常に寄り添いがちだった。
それが本人も言うように2回目のPZ出演からかな。あのトリプルキャストの公演です。正直それを境に「ガラッと変わった」とは言えないけど、確かに智くんの中に徐々に自分らしさと自信が沸いてきて、それが表に出てきたと思う。KTKの千秋楽で流した以来の涙が、ファンの間でも話題になりました。KTKの頃はまだ貴重だったけど(て、言い方も何だかな〜ですが)この時から「泣き虫大野くん」とか言われるようになってしまい(笑)私は、この公演の智くんの千秋楽は観る事ができなかったんだけど「智くん、とうとう顔と比例したキャラになってしまうのか…」なんて大ボケな事を思ってましたが(笑)まぁ今から考えると、そんな心配(?)は無用でしたかね。
兎にも角にも嵐の夏コンがなかった事がとても淋しかった夏だったけど、そんな智くんの一段階成長した姿を生で観る事ができて、何だかんだで智ファンとして幸せな時間を過ごせたんじゃないだろうか。
直後の本人の「幸せ過ぎました」というインタビューコメントが心に残ってます。これを読んだ時、デビュー当時に周りの智ファン友達の誰とも喜びを分かち合えずに、たった1人で喜んでた私は「あァ…智くんが“嵐”になって良かった。あの時の気持ちは間違ってなかったんだ」って、そう思って震えるくらい感動したのを憶えてます。
感動するポイントは間違ってるかも知れないけど(笑)智くんが稽古中に味わった苦悩やら葛藤やら挫折感やらが報われて喜びを噛み締めてるのと同じように、私もあの時の淋しさと「喜んでる私は間違ってるのか?頭が変なのか?」とまで悩んだ苦しみから、他の誰でもない智くんの言葉で救われたんです。やっと解放された気がしたんです。感動してる事には違いないから許してくれるよね、智くん(笑)
そんな風に智くんの幸せボケが伝染してたのが原因ではないと思いますが、その夏は特にBSBの事は「ほったらかし」な状態でした。この年の上半期には日本でゴールドディスク大賞を受賞したり色々話題はあったし、前年の2000年秋の来日イベントで初めて生の姿を見れたり嬉しい事もあったんだけど、楽しみは秋に出るベスト盤「Chapter One」ぐらいでした。
この年にいよいよ初の来日ライブが行われるんだけど、早々とチケット争奪戦に敗れていた私は、すっかりパワーをなくしてました。加えて、ちょうどこの頃は今やってる仕事の資格を取る為の準備や、ようやく現実的な自分の最終目標やらが定まってきた頃で、あまり色んな事に気がまわらなかったのが正直なところです。
そんな時でした。重度のアルコール依存症が発覚したAJが、リハビリ施設に入院していた事を知ったのは。入院したのは7月。知った時は、もう二ヶ月も経っていたんです。アルコールの恐ろしさは知らないし、身近にそういう問題を抱えた人もいない私は、それがどれだけの大問題なのか最初は理解できなかった。だから色々調べました。そして愕然とした。
何かができるような立場じゃないけど、せめてファンとしてはもう少し早く気付いてあげたかった。気付くどころか知るの遅過ぎな自分に腹が立ち、同時にAJの苦しみを思うと涙が出てきた。実際泣きましたけどね。枕に顔埋めて、声あげて。大人になってから、あんな風に泣いたの久々だったかも(智くんのCDデビューを同じファンが誰も喜んでくれなかった時も似たような事があった・苦笑)
しかも、この頃の私の一押しAJだったしね。ファン失格とはこの事ですよ。ああ見えて凄く優しいAJだから、こんなファンでも許してくれるとは思うけど、あの時の恥ずかしさは半端じゃなかった。AJは勿論、BSBメンバーにも顔向けできないと思った。そして他のファンにも。この頃はヘビーなBSBファン友達っていなかったんだけど、何ヶ月ぶりかに行ったファンサイトでも皆が頑張って苦しみを乗り越えようとしてて、私は更に恥ずかしくなった。
AJの異常に最初に気付いたのはメンバーで、AJ自身が自分で入院しようと決意したのは、部屋で酒浸りになってた彼を発見したケビンのお陰だった。前に書いたように特に疲れが出てるように見えたAJの様子が、この病気に直結してたかは解からないけど、メンバーだって相当ストレスがたまってる頃だったろうに、この絆って凄いな…と、改めてBSBというグループに感動したのも憶えてる。そんな辛い時だったのに、ニックはいつも笑顔を見せてたんだな…。だけどAJの入院時、涙をこらえるメンバー達の中で、1人ワンワン号泣していたのがニックでした。
元々ニックは喜怒哀楽が激しい子だけど、そんなニックって最初は少し想像つかなかった。でも、よく考えたら頷けた。彼にとってAJは、今でこそ同じバンドのメンバーとして共に活躍してる同士だけど、結成前にオーディション出演を繰り返してた12才の時からの親友だからね。子供の頃からショービジネス界にいて学校では苛められてて友達がいなかったニックの、1番最初にできたかけがえのない友達なのだ、AJは。きっと自分の事みたいに辛くて怖かったと思う。暫く泣き止まなくて、ケビンの胸でずっと泣いてたそうだ。何日か後になっても、時々泣いてたって。
勿論そんなニックに「泣き虫」だなんて言うつもりはない。ニックのメンバーへの愛情がどんなに凄かったのか、この時、今更だけど思い知った。ただ災い転じてじゃないけど、これを切っ掛けに、自分の中でBSBが再熱したかも知れないです。

2005/09/20(火) 無限回想X
そんな事をしてるうちに、98年から99年にかけて、セカンドが売れまくったBSBはようやく本国アメリカでも認められて、日本を含む世界中で大ブレイクしていた。ブライアンの心臓手術や、ハウのお姉さんが長年患っていた難病で亡くなったり、半端じゃなく大変な事も色々あったけど、もうBSBは「世界のBSB」になってた。
ちょうどJrの春コンで頭がデビルマンな智くんが何とソロで「朝日を見に行こうよ」を歌っていた頃に、あのバカ売れ3rdアルバム「ミレニアム」が日本で先行発売された。もうこの頃になるとBSBに続けとばかりに数年に渡って続々と欧米系ボーイズグループが出まくる訳です。もう必死でチェックしましたよ(笑)←結果ツボったのは(前に日記にも書きましたが)'N SyncとBlueぐらいだったんですけど。でも結局は私の中でBSBの歌王子ナンバー1の座は揺るぐ事はありませんでした。
智くんはというと「MA」の初代メンバーとして、いわゆる“舞台班”っぽくなりつつありました。このMAってのが、何だかミュージカルの為の凄い集団!みたいにスポーツ紙を飾ったりして地味に鳴り物入りだったもんだから(←変な表現だ)正直「舞台専属」ってのはシンドイな〜とも思ってたんだけど、やっぱり「智くんがやる気なら応援しよう」と先々に備えてチケット代を稼ぐ毎日でした。
そんな矢先でした。智くんの初PZ出演も無事終了してホッとしたのも束の間。99年の9月17日の朝から世間は大騒ぎでした。私もスポーツ新聞を買ってきて…ホントこの時から「電車男」があったとしたら、まさにキター―――――――――!でした。…智くんの歌がCDで聴ける!他のメンバーも好きな子ばっかりで(死ぬほど嫌いなアイツもいない・大笑)、何故か(当時の多くのファンがそうだったように)ローテンションな他の智ファン友達を横目に、私は大喜びしました。しかも船の上の嵐くんを見た瞬間「5人て…BSBと同じじゃん」←今でもハッキリ憶えてますが、最初に思った事がこれでしたね。
偶然にも、この9月17日というのは(もちろん時差はありますが)この年のBSBの全米ツアーがスタートした日でもありました(ちなみにチケット総数76万枚が2時間で完売)
この頃になると、あんなに華奢なお耽美少年だったニックもすっかり逞しく育ち(笑)その栄養分ちょっと智くんに分けてあげてよ…なんて位に、一方では智くんの顔色はそれ以前のように相変わらず悪いまま(笑)この辺になると嵐になってからの話なので細かい解説は省きますが、とにかく本人も言ってるようにファン以上に智くんもパニクってたんですよね。
ここでちょっと乱暴な言い方をするけど、それは何もかも智くんが自分で決めた事であり、智くん自身の責任なんだから、これでどうなろうと、あとはアナタ(智くん)が頑張るしかないんじゃない?ってのが当時の智くんに対する私の気持ちでした。辞めるならMA(Jr)のうちにサッサと辞める事はできた。でも辞めずにPZ後もJrにいて、そこから嵐に選ばれて、その話を断らずに現実にそうやって4人と一緒に出てるんなら、やれるとこまでやりなよ。それで元SMAPの森くんみたいに本当にいなくなるとしても私は恨まないよ。やるだけやってダメなら仕方ないよ。だからまず、その4人と一緒にやってみてよ。私は死ぬ気で応援するから。
…こんな気持ちでした。智くんがどんな風になっていくのか見たかったんです。嵐というグループで。それまで彼がしてきた仕事とかユニットとか、私個人は何の未練もなかったですね。思い出は思い出で。とにかく彼のこれからが楽しみで仕方なかった(こういう気持ちは今も全く同じかな)
それでも一向に智くんが“元嵐”になる気配はなく、次第に顔色も良くなってきた(笑)その一方で、BSBは4thアルバム「Black&Blue」を日本で先行発売する。時期的には嵐のファーストアルバムが出る少し前だった。この頃からです。智くんの顔色は良くなってきたけど、今度はBSBメンバー数名(特にAJ)の顔色が何となく良いとは言えなくなってきたのは。
簡単に言えば、メンバーは疲れてたんである。5人で歌う事が大好きで、相変わらずステージでは楽しそうなんだけど、どこか違う。世界で大成功を収めた裏で、その過酷なスケジュールに押されていく毎日に必死だった感じ。だけど長い下積みから一気にスターの座に君臨しようとも、彼らは変わらなかった。もう少し自己中(天狗)になっても良さそうなものを、ちっともスター気取りになる事はなかった。そもそも疲れてるのだってメンバーがワガママ言わずにキチンと決められた事をやり遂げてる証拠でもある。
そんなの成功者の贅沢だよ!とも思うけど、こういうのにも「お国柄」ってあるかも知れない。私のような異国の一般ファンが知りえない事情だって膨大にあると思う。ハウ曰く、当時はあまりの忙しさに自分を見失う事もあったようだ。
そんな中で、いつも向日葵みたいな笑顔で、以前と何も変わらずメンバーに接し、ジャレつき、語りかけ、盛り上げ、ファンにとっても太陽みたいな存在だったのがニックだった。

2005/09/19(月) 無限回想W
“ジャニーズJr”の人気が本格化していく最中の97〜98年、智くんの主な活動はやっぱり京都のステージだった。時々東京に戻って関東のJrくん達と一緒に仕事をするという感じだった。前に書いたようにPCなんてないし自分は追っかけでもなかったから、智くんの数日単位の行動なんて把握する訳もなく、てっきり京都にいるもんだと思ってた彼がいきなり関東の番組に出てきて慌ててビデオのスイッチ押したり、でもそんな心臓に悪いような事(笑)も状況的に楽しんでた記憶があります。
98年からはJrのコンサートがあったりして、うわ〜Jrがメインのコンサートなんて凄い!と、これはまず智くんが出るのか出ないのか以前にその事実そのものに感動した気がする。これは「素顔」シリーズとしてビデオにもなってるから当時観に行ってない人も内容を知ってる人は多いと思いますが、予想以上に智くんの扱いは良かったので、私の目もなかなか捨てたもんじゃない!2年間応援してきた(←この時点で)甲斐があった!等と勝手な優越感に浸ったものでした(笑)
この頃の智くんは髪を伸ばし、アクセサリーもつけ出し(←誕生日に京都の共演者から貰ったペンダントだけど)、私服も黒のロングコートとか着るし、初めて見た時とは別人のように大人っぽくなってました。誤解を恐れずに言うと、この頃の智くんは総体的に見て決して明るさはなかった。
普段は勿論だけど先輩のバックじゃないんだから別に何も遠慮する事ないJrのコンサートなんかでも、今の嵐コンで見るファンサービス大爆発な彼とは真逆というか、まぁ本人も言ってたけど「見せる舞台」は得意でも「盛り上げるコンサート」には戸惑ってた感が1番よく出てた時期だったと思う。
自分のウチワを見つけると嬉しそうに目をキラキラさせるんだけど、今みたいな「わーい♪」って感じとは明らかに違ってて、どこかはにかんでるみたいな微笑みで、嬉しそうなんだけど遠慮がちに(←あくまで今と比べると)手を振るのだ。で、他のJrくんがジャレてきたり絡んできたりすると凄くホッとしたような笑顔で笑うんだよね。そこで初めて白い八重歯が見えたりして(笑)
そんな智くんを見て、別に「もっと弾けろよー」とか「なんか可哀相だな〜」とかは思わなかったけどね。これは智くんに対して私自身がマダマダ手探り状態だったせいもあるけど、こういう時は智くんはこんな顔するんだ…とか、へーこの子ともこんな風に抱き合うくらい仲良かったんだ!とか、何かハプニングがあったりしたら、うわ…さぁ智くんどう出るの?とかワクワクして見守ったり(笑)智くんを好きになって2年になってたけど、マダマダ“大野智を勉強中”だった時期。それで精一杯だった。加えて8才も年下の男子なんて特に心理面でスムーズに理解してあげられない事も多くて、自分の鈍さというか不甲斐無さがイヤになった瞬間も多々ありました(苦笑)智くんの大変さに比べたら屁のカッパ(死語)だけど、ファンとして自分も自分なりにどうあるべきか、どう見るべきか、どう応えるべきか、何をすればいいのか、そういうのも考えてた時期でしたね。ボロボロにならない程度にね(笑)
98年の11月に長かったKTKも終わって、ここから99年の嵐結成まで約1年足らず、実は、ちょっと自分的に宙ぶらりんな日々が続く。KTK終了後の色んなステージもJrコン(←素顔2)も、必死で出演情報かき集めては行ったりして、間違いなく楽しかった事は楽しかったけど、どこか潜在的な不安があったかも知れない、やっぱり。さて京都は終わりましたが、これから智くんはどうするの?どうなるの?って。辞める辞めないの噂なんかも嵐結成まで静かにまとわりついてましたね(笑)まぁ実際には噂の域じゃなかった訳ですが(←この頃を振り返る智くんのインタビュー等を参照)
ちょうどこの時期の少し前にJr数人が不祥事で解雇された事件があって(タッキーが代表して、Mステ内で謝罪)不幸な事にその中に入ってたJrのファンだった友達は半ノイローゼになるし、不祥事は起こさなくても「いつ彼が辞めるか分からない」という意味では私だって明日は我が身な訳だから、その一寸先は闇な状態がリアルに身に染みてた時だったかも知れない。
ファンも色んな事言ってたな。なのに、そんな中で私はホントにボーッとしてましたよ(笑)それは決して智くんの状況に対して斜めに構えてた訳でも、カッコつけて平気な顔してた訳でもなくて、ホントにどうしていけばいいのか解からなかったんです。
私が智くんにできる事は、智くんが出るステージのチケットを必死で取って観に行くか、たまに突発的に出るテレビをこれまた必死で録画する…これしかなかったんです。当の智くんは相変わらず穏やかな涼しい顔で踊り続けてる。彼の胸の中に煮えたぎるような感情がまさに嵐のように吹き荒れて渦巻いてたとも知らずに、私はただお金を払って、観に行って、拍手をして声援を贈る。ホントにそれだけだった。何か薄っすら不安感は感じる事はできるんだけど、だからと言って私にそれを埋める何かができる訳じゃない。ホント中途半端で“宙ぶらりん”って表現がピッタリな時期だった。
智くんは「ファンなんだから、それでいいんだよ」って言ってくれるだろうか。それとも「ファンのくせに鈍い奴だね」と思っちゃうだろうか。解からないけど。だけど、そんな得体の知れない漠然とした宙ぶらりん感の漂う中でも、智くんを求める(応援する)気持ちは常にあったから許して欲しいと思う。せめてもう少しフットワーク軽くてアンテナも張り巡らせてて、智くんの事が手に取るように分かれば良かったんだけどね。ホントに当時の私は要領が悪かったと思う(今だって良いとは言えないけど)
智くんの笑顔の数は、嵐になってからの今と比べると決して多いとは言えなかったけど、それでも智くんが笑うと私も元気になれたし、智くんを観る為に毎度毎度払わなきゃならない高いチケット代も惜しくなかった事は確かだった。そう、だから私は幸せだったんである。

2005/09/18(日) 無限回想V
ここで私は、数年経った今現在でも個人的ベストを維持し続けてる珠玉のバラード2曲と出会う。
まず一つ目は、KTK公演の「義経と弁慶」で牛若丸を演じた智くんが歌うバラードです(KTKの内容については発売されているビデオを参照)
義経のために盾となって戦う弁慶への思いを義経が歌ってるんだけど、この曲、とにかく歌詞が凄過ぎる。義経の想い。ホント強烈です。しかも、ここまで強く高らかに壮大に愛をぶつける歌なんて、ヘタな人が歌ったらトンデモナイ事になる(聴いてる方は拷問です)さらに薄っすら…いや、ぶっちゃけ思いっきりホ●ちっくな歌詞←実際これは連れて行った友人にも突っ込まれたんだけどね。あの歌詞ぼやかしてるようで思いっきりアレだろ、と(笑)もしかしたらJrに何の思い入れもない修学旅行の男子生徒なんかはキモイと感じてしまった子もいたかも知れない。それを堂々と、王子スタイルで真っ直ぐ客席のスカイシート方面を見据えて歌い上げる智くんが、とってもカッコ良かったのです。壮絶に美しかったのです。
おいおい義経と弁慶ってそうなのかよ…なんて誤解も招きかねない(まぁ義経に漂う空気に全くそのケなくはない訳ですが)のも何のその、私みたいな下世話なファンの邪念も吹っ飛びます。もう何て言うか…智パワー(智マジック?)って凄いです。
この歌は公演終了まで歌い続けられた曲なんだけど、当時まだアルバイトの身で関東から毎月京都まで通っていた私は一切の余裕がなく、きっちりTOP公演(智くんメインの公演)のみにスケジュールを合わせて行っていたため、見事に最後まで他の人が歌う「牛若のバラード」を聴いた事がない。智くんの17才の誕生日公演では、その日は牛若を演じるのはマーチンだったんだけど、歌だけは智くんが出てきて歌ったり…発売されたビデオも収録されてるのは智くんのボーカルです。だから他のボーカルとは比較できないんだけど、智くんが歌うから良い曲に感動も増したんだと思ってます。
大変失礼なんだけど当時16才の智くんは意味解かってるのか?なんて少し思いましたが(笑)智くんのソロボーカル初お披露目がこんな良い曲で、私達ファンは凄くラッキーだったと思います。
これは笑い話ですが当時、智くんと原くんが凄い仲良くて“大原コンビ”なんて言われてて、そのあまりのイチャイチャっぷりが話題(?)になって、ある公演のMCで智くんが「皆さん、僕●モじゃないですからね」とわざわざ否定したりする一幕も(笑)
実際、牛若の一場面で、最後蘇って牛若にひざまずく弁慶の下りでは、智くん牛若を見つめる原くん弁慶の目が入り過ぎてるのか何となくヤバかった時もありました(笑)いや、もちろん原くんそんなケないですが、彼の真面目な雰囲気が逆にシャレにならない時もあったというか(笑)よく怖がらずに手を握り返せるな、智くん…と感心しつつ(笑)だから、時々見つめ合って2人が思わず吹き出す日もあったりしたんですが、そんな時は妙に安心したのを憶えています(笑)
話は戻って、このように元々が良い曲なのは大前提だけど「この人が歌うから更に良い」っていうのが、もう1つあります。BSBのセカンドに収録された「All I Have To Give」って曲です。BSBと言えば世間的には♪テミワイだけど、私は(バラードを1つ選ぶんなら)断然これです。
歌詞の内容は言ってみれば、よくある片想いのラブソングです。BSBのラブソングって割りと歌詞が女々しかったりするんだけど(笑)まぁこれも決して勇ましい男らしさ(?)は感じません。ハッキリ言っていじらしい系なんですよ。ヘタすると「あ〜ウダウダ言ってないで奪っちゃえよ!」とか言いたくなる(笑)が、私が感動する切っ掛けになったのが、この曲の歌い出し(Aメロの前半)でした。ここ、ニックのソロパートなんですが、特にこの歌詞です↓

(訳詞)
キミを迎えに行くカッコイイ車はないけど、1000マイルだって歩いていくよ

もしニックじゃなくて、AJやケビン、もしくはハウだったら「え〜車ないの?」とか普通に突っ込みたくなるし、ブライアンだとしても「ダメだよ、倒れるって」と心配になります。
真面目に感動の訳を言うと(笑)これを17才になったばかりのニックが全身を使って一生懸命に歌うからなんだと思います。CD音源では聴けないんだけど、ライブではニック、ここ歌い終わって次のブライアンパートが始まる直前の合間に、たいがい♪Ooh,yeah〜…!って切なくシャウト入れるんですよ。これがね…この叫びが泣いてるように見えるんです。恋を知りたての不器用で健気な少年が「キミが好きだ!」って手を伸ばしてるように。で、貰い泣きしそうなんですよ(失笑)…ニックマジックです(笑)
今はニックも25才になったけど、BSBの中にいてこの歌を歌う時は、彼は少年のままです。あの時と全然変わってないんです、ニックの瑞々しさが(ちなみに1月のドームライブのセットリストにも入ってるので、また観れると思うと胸が一杯です)
だから、もしニック以外のメンバーがこのパートだったら、私はここまでこの曲を好きにはなってないかも知れない。この歌い出しから一気に世界に入っちゃって、その後の各メンバーのパートもハーモニーも活きてきて、ラストまでノンストップで感動しっ放しな有り様です。
そんな2つの名曲と出会った97年でした。智くんの方はCD音源として出てないのが何とも心残りなんだけど、この2曲のおかげでバラードを好きになったと言っても過言じゃないんです。それまでバラードって割りと退屈だったんですよ。もちろん良いモノは良いんだけど、総体的にハズレが多いというか(←私にとっては。肌に合わなかったというか)それが今はバラードで感動させてくれたら上手い証拠!ってのが自分の基準になりましたからね(笑)しかも時代はダンスミュージック全盛期。そんな中で、私にバラードの良さを教えてくれた。ラブソングに対して斜めに構えがちだった私を何というか奮い立たせてくれた、ストレートな(しかも果てしなく無償の)愛の歌。この2曲というか、智くんとニックのおかげなんです。

2005/09/17(土) 無限回想U
Jrのファンなんて初めてなったから、コンサートなんかの出演には何の保証もなく、Jrファンてのは毎回それとの戦いなんだという事を初めて体験する。誰がどこに出るか分からない。だいたいの予想はついても絶対的な安心はない。そうか…Jrファンて大変なんだ、と。正直そういう仕組みはかったるかった。だけど一瞬足りとも気持ちが萎えた事はなかった。なぜなら智くんが好きだから。その智くんがJrなんだから仕方ないじゃん、グダグダ言っても!って感じでしたね。
Jrファン友達もできて、キンキやV6のコンサートに行きながら、自分なりに充実してた日々だった。そんな毎日でも、洋楽は普通に聴き続けてた。いかんせん智くんのCDなんてモノは、この時はまだ存在してないし、智くんのおかげでジャニーズを再び観るようになったとは言っても、他のグループのCDには興味なかった。バックで踊る智くんを観ながら歌を憶えて、それで充分だったし、本来の好きな音楽と智くんへの情熱は別だからね。
そんな風に1996年は過ぎようとしていた。年末に帰省して、私は実家の居間でBSチャンネルの洋楽番組を観てた。当時の智くんはというと、V6の「ミラクルスターター」で相変わらずの腰シェイクを披露してたり、染めたてのブラウンヘアをサラサラさせて♪ハッピハッピーニューイヤー、カミーンセンチューリー…とツナギ姿で元気に跳ねてた頃だった(←歌詞うろ覚え)
その洋楽番組では、ある男性アイドルグループのライブ映像を流してた。昔ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックっていう一発屋のグループがいたけど、見た目の雰囲気がモロそれとかぶってて、一瞬その懐かし映像でもやってるのかと思った。イケメンの白人集団で、カジュアルな衣装で、ノリノリの音楽。だけど、何か違うのだ。何か違うというより、そのボーカルを聴いているうちにハッキリとした違いが分かった。踊りながら歌う生歌がバッチリ上手かったのだ。しかもアドリブらしき合間のシャウトやらフェイクやらがムチャクチャカッコ良い。当時イギリスで大人気だったテイクザット(この年に解散)というグループが全くピンと来てなかった私にとっては、そんな男の子グループは国内外含めて生まれてこのかた見た事がなく、ぶっちゃけカルチャーショックだった。それがBackstreet Boys、略してBSB、だったんである。
それから年が明けて1997年。智くんが載ってる7日発売の雑誌を買いに行ったついでに、ふと年末にBSで観たっきり気になっていた白人グループの事を思い出して、その足でCD店に向かった。そして「Backstreet Boys」のアルバムを見つける事ができた。そのアルバムはデビューアルバムで、発売日が1996/11/21だった。その前の年の、智くんが16才になる5日前に出たばっかりのモノだった。それを迷う事なくレジに持っていってました。
当時はインターネットなんて今ほど普及してないし、もちろんPCなんて触った事もなければ、当時の私は携帯さえ持ってなかった(私の携帯デビューは嵐デビューと同時期ですから)だからBSBの事を色々調べるといっても、それまでやってたのと同じように日本で発売されてる雑誌や洋楽系ラジオで情報をかき集める事しかできなかった。それで分かったのは、日本デビュー(日本での売り出し)は96年末だけど結成はそれより3年も前の93年であった事、あまり名前を聞かないと思ったら本国アメリカでは当時サッパリ売れてなくドイツを始めとするヨーロッパ方面中心にブレイクしていたグループだったという事、すでに96年秋には初来日済みだったという事、最年長と最年少の年令差がV6並みに離れている事、その最年少の子が大野智くんと同い年である事…くらいだった。
その最年少の子の名前はニコラス・ジーン・カーター。ニックと呼ばれていた。5人の中でとにかく目立っていた。彼が常に前に出ようとする訳じゃなく“目を引く”のだ。たぶん彼の外見は、日本人が“白人の美少年”に望む全ての条件を兼ね備えていたと思う。綺麗な青い目、輝く金髪、当時すでに180センチを超えていたスラッとした長身、長い手足。細かった体も決してスリムとは言えない位に逞しく成長した現在でも、新たにBSBを好きになった人が最初に魅力を感じるのはニックである率が非常に高い。そして何と言っても歌が上手いという事。ボーカルグループな以上これがなけりゃ話にならない。
ただ大野智くんとニックとの決定的な違いは、ニックの事がグループで一押しという訳ではなかった事だ。Jrは智くんを好きになったから、その仲間である他の子達も一緒に見てた訳だけど、ニックの場合は決して彼が切っ掛けじゃなく「好きになった海外グループのマスコットボーイ」に過ぎなかった。ちなみに私の最初のBSB一押しメンバーは、その美声とお茶目な笑顔でツボをKOしてくれたブライアンだったのである。そう“最初”と書いたけど、BSBにおいて私の一押しはローテーションで変わる(笑)が、ただの一度もニックが一押しになった事はないのだ。まぁ一押しも「しいて選ぶなら」程度で、とにかくBSBというグループ自体が好きだったんだけど。その辺の詳しい事は、また後程書きます。
そんな感じでJr番組を見続ける一方で、BSBのアルバムをヘビーリピートする日々が始まった。そして97年が半分過ぎた頃だった。私にとっての2大ビッグニュース。それは智くんの京都舞台決定と、BSBのセカンドアルバムの日本での世界先行発売だった。そのセカンドアルバム「Backstreet's Back」の発売が8月1日、そしてKTKこけら落とし公演の初日は8月9日だった。
どうしても都合がつかなくて、こけら落とし公演に行く事ができなかった私は(←もちろん泣きました・笑)9月3日から始まる本公演を楽しみにしながら、発売日に購入したBSBのセカンドを毎日流しまくって心の支えにしていました。そんな時からだったと思う。まだJrでメインの仕事は先輩のバックである智くんだけど、いつかCDを出して歌う時が来たら、このBSBみたいな良い音楽をやって欲しいな…と、私はそんな風に思うようになっていました。

2005/09/16(金) 無限回想
大野智とニコラス・ジーン・カーター。この2人は「嵐」と「Backstreet Boys」という2つのボーイズグループで、それぞれ重要な役割を果たしてる。2人は同じ1980年生まれだけど、肌の色も目の色も話す言葉も文化も違って、しかもお互い顔見知りでも何でもない。だけど、そんな私の約10年間の中で最重要な存在であり続けた、この2人の男の子を軸に、ちょっと長い回想をしてみる。
大野智くんは言うまでもなく、私がこんなファンサイトまで作ってしまうくらい好きになってしまった人だ。1996年の4月、ただの気分転換で観たテレビ東京系の新番組「愛LOVEジュニア」が始まりだった。
何でこれを観たのか、しかも何で御丁寧にビデオ録画までしたのか動機は全く記憶にないんだけど、たぶんホント“気分転換”だったと思う。可愛い男の子いっぱい出るんなら面白そうだし、もしかしたらイイ子が見つかるかもしれないし、ちょっと名前も憶えてみるか…って感じに。
この2年前に、それまで好きだった某ジャニーズタレントが事務所をクビになって(←現在どこで何してんだかサッパリ不明)ジャニーズどころか日本の芸能界自体に全く興味がなく(今も嵐くん以外の国内アイドルにはあまり興味湧かないんだけど)元々洋物好きなのもあるけど、この当時は特に、聴く音楽や観るライブと言えば洋楽一色だった。
そうは言っても、もちろんジャニーズが嫌いじゃないから「愛LOVE」も観ようと思った訳だけど、この頃はジャニーズっていうと当時のスマ番組なんかをたまに観てた程度で、ホントJrの子なんて存在は知ってはいたけど好きでも嫌いでもなかった。顔と名前が一致するのは、キンキの剛くん版「金田一少年」に出てた原くんと佐野くんと、またまたキンキが2人でやってた「人間・失格」に出てた国分博くん位だった。喜多見くんでさえ「キミは誰?目が怖いぞ」でしたから。まぁそんな感じで番組を見始めた訳です。
冒頭に“1996年の4月”と書いたけど、まさにその初回オープニングのナレーションが「1996年4月!」と大袈裟な言い回しで「ニューヒーローの誕生!」みたいに言ってたのは笑ったな(笑)そこには変声期丸出しの声で、カミセンの「大丈夫」を歌いながら、この番組の主役であるJrくん達が踊ってた。この中に大野智くんはいた。でももちろん認識なんかしてない。
本編ではキンキをゲストにトークしたり、歌コーナーや軽い(寒い・笑)コントなんかもあったりして、これらにも智くんは顔を出してた。やっぱりリアルタイムでは全く認識なし。皆スタジオトークではオーバーオールなんか可愛く着ちゃってるんだけど「おーい、デカイ人が似合ってねーぞ」とか原くんに思ってたぐらいだった(笑)後にこの原くんが、智ファン的には重要人物(?)になっていくんだけどね。
番組は初回の1時間拡大版だった(通常は30分番組)特に気になる子もいなかった割りには内容的に結構楽しく和んだので、やっぱり美少年は得だの〜♪なんて思いながら(笑)ボンヤリとエンディングを観てた。オープニング同様、Jrくん達がメインで歌ってた。曲は少年隊の「PGF」だ。
全員揃いの白ズボンに、前をはだけた濃紺の長袖シャツの衣装。そんな洗濯板で前開けてやるなよ、可哀相に…などと腹筋マニアな自分は観ながら思ってたら(笑)最前列でメインで歌う“怪談トリオ”の真ん中のタッキーの後ろで、可愛いけど迷子みたいな顔…の割りには、やけにカッコ良く体を動かす子がいた。背は160センチ位で、特に目立った身体的特徴みたいなモノもなかった。
ただ、もし彼の顔が、当時のタッキー張りに出来上がったオーラ満載の美少年だったり、将来キムタク路線に行きそうな目で殺す系のイケメンだったりしたら、私は何も感じなかったと思う。何と言うか、まさにアイコラだったのだ(笑)その顔で?その腰使いですか?みたいな(笑)周りがほとんどボート漕いでるみたいな動きの中で(失礼)そんな風にイカした腰シェイクしてるのはキミだけだよ…みたいな。でも、その顔で?いや、可愛い顔なんだけど動きと合ってないぞ?みたいな…みたいな。
気が付いたら番組は終わっていて、その子を確認する為に撮ってたビデオを巻き戻してた。見間違いじゃないよな、ホントにあの顔があの腰使いしてたよな…と(笑)結果、見間違いじゃなかった。それが大野智くんだったのだ。
ハマッた!と自分で感じた。直感だった。とりあえず生で彼を観たくて、その後のTOKIOコンに「Jrの大野くん」目当てで行ってた(笑)何でTOKIOだったかは、たぶん日にち的な理由だったと思う。Jrがバックで踊るなら誰のコンサートでも良かったから(失礼)都合をつけてくれたジャニーズファンの友人を1人連れて行った。彼女に「大野くん見つけた時の目が違ってたよ」と言われました(笑)
それまでテレビ画面でしか観てなくて、でも何となく画面越しに「この子、手が長くない?長いというか良い形してるよな。体も痩せてるけど、細いけど、なんか他の子と違ったゴツっぽさもあるよな…」とは感じてたけど、生で確認して分かりました。アイコラなのはダンスの動きだけじゃなかったと(笑)体自体がそうなんだと。ホント顔だけ間違っちゃったんだね、この子は…なんて具合に(笑)いや、もちろん“間違い”じゃないですよ。当時の衝撃を言い表すと、どうしてもこういう表現になってしまうんです(笑)お許しを。黒目がちな美しいキラキラな瞳は、当時から私を魅了しておりましたよ。微笑みを見せられると「あ〜…おいで、こっちおいで」って感じに抱き締めたくなるし(笑)
プロフィール調べて「マコーレーと同い年か…」とか遠い目になってみたり、智くんがジャケットに写ってるという理由だけで山本淳一くんのシングルを2枚とも買ってみたり(←2〜3年ぶりに購入した邦楽CD・笑)それまでのアイドルオンステージを網羅したビデオを友人に作って貰ったり、切っ掛けだった「愛LOVEジュニア」はもちろん第2回目からも毎週録画してたり、当時のV6とキンキの曲だけは歌えるようになってたりと、私はもうすっかり「Jrの大野智」のファンだった。

2005/09/15(木) とりあえずブリちゃん…
出産おめでとう!元気な男の子だそうで。お、男の子かよ?女の子じゃなかったの?ま、どっちでもめでたいんだけどね♪さーて、ブライアン(BSB)んとこのベイリーくん、またはアンジー(&ブラピ)んとこのマドックスくんに次ぐラブリーボーイとなるでしょうか?というか頼むからブリちゃんに似ますように(笑)
あァ…にしても今でも惜しいわ。この子のパパがジャスティンだったら…正にサラブレッドだったと思うと…と、何とも下世話なファン(自分)の本音も出てきますが。あ、キャメロン様に怒られるね(笑)まぁブリちゃんの旦那も一応ダンサーだし、将来の男版ブリトニーなんてのも今からホンノリ期待しつつ、幸せを祈ってます。母親になる人ってホント凄いよ。おめでとう、ブリトニー。
画像は、イケてた頃のブリちゃん(笑)てか、こういう感じが1番好きだ。今頃こんな笑顔だろうね。ちなみに旦那ケビンの写真は、我がサイトには死んでも載せたくありません(笑)

2005/09/14(水) 窪塚くんSP番組
TBSでやってた「ネイティブ・アメリカン紀行」ってSP番組を観た。窪塚洋介くんがネイティブアメリカンの家にホームステイするという壮大な内容だ。一口にネイティブアメリカンと言っても、ラコタ、モヒカン、ホピ、トリンギット、チェロキー、イロコイ、シャイアン…等々、数え切れない程の部族があるけど、窪塚くんがお世話になったのは「ナバホ族」という民族の家庭で、確か映画「ウインドトーカーズ」に出てきたネイティブアメリカンの兵士がそうだったと思う。
う〜ん…こういうの夢だな。神聖な儀式を悪用されると困るという理由でカメラがストップしちゃうような深い領域までは自分がするのは恐れ多いけど、あの地に行って窪塚くんみたいに全裸でグランドキャニオンを見渡したい(笑)で、お天道様に大きな声で「ありがとうございます!」言うのだ。最高だろうね。これは死ぬまでに絶対やりたい夢です(笑)全裸は無理でもせめて上は脱ぎたい(笑)まぁそんな野望は置いといて、この番組を観たのは元々彼らの文化に興味があるからなんだけど、これで復帰した窪塚くん、顔アップになった時に見えたデコの大きな傷って前から?それとも事故の?どっちにしろ無事で何よりですよ。良い番組をありがとう!
にしても番組エンドロール終わった後の彼の一言「ありがとうございました。一時はどうなる事かと…」って。アンタそりゃこっちのセリフですがな。

2005/09/11(日) 最近のお気に入り
今日は9・11ですな。そんな日だからこそ明るい話題を。先月28日にロンドンで行われたイベント(よく知らんけど向こうじゃ由緒ある催しらしい)に、Blueお別れツアーも無事に終了し、お互いソロとなったリー&サイモンが出演。リーはソロ曲を熱唱しました。そんなリーのデビューアルバム「Lee Ryan」日本版は9月21日発売予定です。もう予約してますが、届くの楽しみ〜♪聴いた感想も、またここに書きたいと思います。 今月に来日プロモするらしいんだけど行けるかな〜。相葉ちゃんの舞台も行けそうにないし今回は無理かな(泣)相葉ちゃんもだけど、リーにも会いたいよ〜。
で、最近のお気に入り。ブックオフで何故か目に止まり購入してしまったMcFLY(マクフライ)というバンドのアルバム。嵐くんより年下のイギリス少年4人組バンドで、ジャケットが可愛かったので購入(笑)聴いてみたら「うわ〜〜〜少年版ビーチボーイズ?!」っつーくらいソックリ。解説読んだら案の定メンバーがリスペクトしまくりでした。で、やっぱりバステッド系なのが否めない(笑)←先日解散した人気男子バンド。アイドルバンドだし(←本人らに言ったら怒るんだろうな・笑)でも歌も勢いあって良いっすよ。ノリノリで一気にラストまで突っ走れる感じ。あんまり楽器バンドは聴かないんだけど、たまにはイイですね。あと、つくづくイギリス英語ってのは聴き取り易いですわ(←私はね)超抑揚なアメリカ英語のが聴いてて気持ち良いしカッコ良いんだけど、歌詞カード見直さなくても解かるという面でイギリスはホント助かります(笑)ちなみに私が買ったのは去年出たファーストアルバムで、もうすぐセカンドが出るそうです。
もう一個は久々に女性歌手。ケリー・オズボーンの「Sleeping in the Nothing」ってアルバム。こちらは新品購入。洋楽番組で流れてたシングル曲が気になってて買いました。彼女は“メタルキング”オジー・オズボーンの娘です。メタル嫌いだから名前ぐらいしか知らないんだけど、彼女のこのアルバムはツボった。バリバリ80年代〜90年代前半風ポップで良い感じ。これはセカンドなんだけど、ファーストはパパの真似だか何だかメタル路線らしいんで興味なし。この感じでこれからも行ってくれるなら次も買うかも。何て言うか、こういう“退廃系”好きなんだよ(笑)ただね、この人を色々調べると面白い事になりますよ。まず美しいジャケット写真のSFX並みの修正加工技術に驚いて頂きたい(笑)大変失礼ですが嘘つきにも程があります。よく訴えられないな、これで。音楽が良けりゃイイか(イイのか?)
画像は、冒頭で書いたイベントで歌うリーです。お〜美声響かせてますな〜♪このマイクの持ち方も相変わらずだ。早くソロ公演で来日して欲しい。

2005/09/10(土) ポンポンSK
今日のまごまごは、大宮がチアリーダーチームを組むおばあちゃん達の元へ行きました。ただ平均年齢64歳で見た目もいつものおばあちゃんと比べると若干若くて、ちょっと個人的には自分の母親を見てるようだった(笑)いきなり野外トークから始まり、嵐くんのヘアスタイル(特にニノ)からして夏コン真っ最中?と思われる。のっけからテンション低い大宮(笑ってるけどね)だけど、コレぐらいいつもじゃん…と思うのは私だけだろうか(笑)
待ち合わせの体育館で、中に入る前の大宮がツボ。相変わらずくっ付き気味で小さく纏まっている(笑)特にドアに耳当てて中の様子を伺うニノ可愛い。後ろからハグしたい(笑)おばあちゃん達と挨拶して、まず踊りを見せて貰う2人。チョコンと並んで体育座り。これセットでお持ち帰りです。
普段おばあちゃん達の活動を応援してくれてる家族を呼んでダンスを発表する事になって、大宮もチームに加わってポンポンを手に一緒にダンスの練習に励みます。ここでスランプ智くんの苦悩の始まり。持ち前の適応能力が何故かこの日は発揮できずに、珍しく飲み込みの悪い智くん(というかホント悪過ぎ。少し智くんに対して苛々した)が見れました。途中で「Top Secret」の映像が挟まれながら、いつもはこんな難しいダンスをやってる大野くんなのに…みたいなナレーションも。
そうそう、色んな事が違い過ぎるんだよね。それは見てても分かるけど、色々疲れがたまってるのはニノだって一緒の筈。だからスランプとしか言い様がないかもね。早々とチームに溶け込んでサッサとマスターし、苦悩する智くんを見守るニノ。マットにデロ〜ンと横たわりながらも、その目には智くんへの愛を感じたな。そのニノを見てから、私も智くんを応援したくなった(笑)それまでは「…どうしたの?これ位のダンス、智くんが出来ないなんて」でしたから。
でね、ある1人の振り付けコーチみたいなおばあちゃんに「自分が辛くても、人を応援するんだから笑顔でいる」みたいな事を2人っきりのロビーのベンチで教わる智くん。智くんは真剣におばあちゃんの話を聞くんだけど、どうしても「自分が辛いのに笑顔でいる」って事が納得できない様子だったんだよね。智くんの言い分も凄く分かるし、コーチが言ってくれてる事も分かるし、ここでは見ながら私も考え込んじゃったなぁ。でもコーチが言ってるのは決して「嘘笑顔をしろ」って事じゃないんだよね。それが智くんにも届いたようで「よし頑張る!」と特訓再開。
本番では家族の皆さんを前にダンスを発表しました。そこでは大宮によるロンダート&バック転の交差あり!…う、美しい!さすが大宮、呼吸ピッタリの鮮やかさでした。ダンスも無事披露で家族の人も大喜び。智くんはTシャツに絵を描いてチームリーダーのおばあちゃんに差し上げてました。本番の大宮の衣装が白い体育着というか2人して「テニスの王子」みたいだった(笑)大宮の赤青でやればよかったのに…と思った人は何人いただろうか。

2005/09/08(木) 「24」シーズン4
今回のコン感想ちょっと長くなっちゃったな〜と自分では思ってます。自分が長いレポート読むの好きじゃないくせに。例えば、PCでテキストページを開いた時、画面横に出てる縦スクロールバーの長さが4〜5センチ未満で文字ギッシリだったら、その時点で即行退散する奴ですから(あくまでレポートに関してです)今回まさにそうなってしまいました。もう少し纏まり良くしたかったですが、読んで下さった方々ありがとうございます。そんな感じの感想文でしたが何とか完成したので、やっと観られました…キタァー――――!「24」シーズン4であります。またまた嵐くんの舞台公演と重なったリリース。運命だね(笑)
さて、最強ジャック序盤から凄いですよ今回は!(←毎度か・笑)現在3巻まで出てて、第6話まで一晩で一気に観賞(笑)今回は朝の7時から始まるんだけど、ネタバレ防止程度に書きますが、ジャックってば午前中だけで国家規模の大活躍し過ぎ。今回特に飛ばし過ぎ。昼飯前だよ(笑)しかも7時の時点では部屋で新しい彼女とお出かけのキッスしてた男がですよ。…ジャックだから仕方ないのか(笑)
何しろジャック以外のキャストほぼ総入れ替えされてるんで正直どうなんだろーとか思ったけど…そんな心配無用でした。違う意味でギョッとするシーンもあります。明らかに、ある実際の事件をパロッてる所があって、これいいのか?とも思ったり。あれは日本も他人事じゃないシーンでしたね。
早く続き観たい。ジャック、完全にセガールの最強さ超えたな(笑)カ〜ッコ良いィ〜〜〜!!!
凄い人も沢山出てた。特に驚いたのはルーカス・ハース……懐かしい。ここにいたのか。ビックリした。

2005/09/03(土) 『年上の女性は大好物です』 by大野智
て…昨日言い忘れたんですけど、上手くなったな〜…智くん!何がって、BSBのニックの『日本女性と結婚したい!』と張るくらいのリップサービスだぞ、おい!(笑)
表題はバンプー記者会見での智くんの発言ですが、ニックのも智くんのも有り難く頂戴しました。この調子で頑張って下さい。応援してます。サービスは喜んで受けなくちゃね。あっちも遣り甲斐があるってもんですわ。良い客だな〜、自分(笑)あ、もちろん歌とダンスと演技も研いてね(ニックはエクササイズもね・笑)

2005/09/02(金) さっさと涼しくなってくれ
新コンテンツ追加。大宮SKゲーム作ってみた。つーか早くコン感想仕上げろよ(笑)だって5分で作れたんだもん、このゲーム(笑)コン感想もう少しお待ちを。携帯にも対応なので良かったら遊んでね。
バンプー記者会見やっと見ました。黒のハーフロングスーツの裾を翻しながら華麗な舞で殺陣を披露する智くん。一瞬「おーい!変な人が会見場に乱入してるぞ!」と思ったら王子でした。お〜…カッコ良い!智くんじゃなかったら連行だけど(笑)
あと一瞬Jrの子も出るのかと思った。ヒロイン?の女の子。風貌のせいかな?可愛いけど少年みたいだ。ポスターでは智くんに抱かれて乙女なのにな〜。年上の方の人は「東京ラブストーリーに出てた人」としか印象がない(笑)まぁどっちにしろ実感として楽しみになってきました。早くチケット来ないかな〜♪

2005/09/01(木) 癖になって20年「博士の異常な愛情」
『総統、歩けます!』
♪また会いましょう
どこかも知らず
いつかも分からないけれど
きっとまた会えるでしょう……

この、あまりにも傑作で有名なラストシーン。巨大なキノコ雲をバックに流れるヴェラ・リンの甘く優しい歌声。映画史上で今でも語り継がれるスタンリー・キューブリック作のブラックコメディの最高傑作である。
D嵐で我らが智くんが博士になっていた30分後、同局の深夜映画枠で放送された。また観てしまった。やってれば観てしまう作品なのだ。これを初めて観たのは中学生の時。それから何度となく観たけど、私がこの物語をようやく理解できたのは成人してからだ(笑)でも、それまでも意味が解からなくても、あのラストシーンは初回から鮮烈に残っていた。今更説明の必要もない作品だけど、やっぱりここに来られる方の主な一般層には馴染みが少ないでしょうか。物語は以下の通り。
「ソ連が最終兵器を開発した」という不気味な噂が流れていた。その名も“皆殺し兵器”。それは、核攻撃されれば自動的に核で反撃するという装置だった。ある日、米軍司令官がソ連核基地の爆撃指令を発した。司令官の狂気を知った副官は彼を止めようとするが、逆に監禁されてしまう。米大統領はソ連と連絡を取って、事態の収拾を図る。しかし迎撃機によって無線を破壊された1機が、ついに目標に到達してしまう。しかしミサイルの弾倉庫の扉が故障で開かず、その機に乗っていたコング大佐が自ら弾倉庫に入ってミサイルの上にまたがり故障箇所を修理した。直った瞬間、弾倉庫の扉が開き、コング大佐を乗せたままミサイルは発射され、ソ連の基地に巨大なキノコ雲が立ち上がった。その頃ペンタゴンでは、ある事でストレンジラブ博士が狂気の熱弁をふるっていた。あまりの白熱に我を忘れて何時の間にか、両足が不自由な筈のストレンジラブ博士は車椅子から立ち上がり、歩いた。周りがポカンと見守る中、ぜんしんぜんれーで博士が叫ぶ…「総統、歩けます!」
ストーリーだけ書いてもサッパリですね(笑)やっぱり実際に観賞してみないと、この面白さは伝わらないです。とにかくこのラストシーンを初めて観た時は大爆笑でした。そしてストレンジラブ博士が面白くて、素晴らしくキモくて(笑)たった一人の気が狂った軍人の行動が世界の破滅に繋がるという世にも恐ろしい内容を皮肉タップリに笑い飛ばす絶妙さが解かるようになってからも、相変わらずこのラストでは普通に笑ってしまいます。
ストレンジラブ博士を演じるピーター・セラーズという俳優さんが実に良い。動き、表情、全てが最高です。ちなみに最初チャップリンかと思ってました(←馬鹿)彼は劇中で、英空軍大佐とアメリカ大統領、そしてこの博士の3役やってます。これも後になって知りました。器用な俳優さんです。
正式な題は『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』…この土曜ワイド劇場並みの長いサブタイトルも良い味出してます。


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