つれづれ筝日記(1)
お筝に関心のある人はどうぞ見ていってね
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2002/11/18(月) 宮城道雄先生と八十絃
昨日の午後7:20からのNHK番組「クイズみんなの質問」は邦楽器のことについての放送だった。

和太鼓・篳篥に続き、宮城先生が発表された「新しい筝」についてのQ&Aはなかなかユーモアのある答えが出たけれど、残念なことに一組も正解が出なかった。
ということは、やはり知る人ぞ知るということなのか…

会場には、実際に「宮城道雄記念館」に展示されている八十絃が紹介されたが、みんなのオドロキの声があがり、やはり宮城道雄先生の新日本音楽の発展への並々ならぬ努力とユニークな発想がこの八十絃から感じられたと思う。

↓に、宮城道雄生誕百年記念として発行された「宮城社史・宮城会史」の中から、この八十絃に関しての抜粋を紹介したいと思います。

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 昭和4年(1929)11月26日、宮城先生は日本青年館ホールで作品発表会を催したが、そこで発表されたのが筝のグランドピアノとも言える八十絃であった。この他にも先生は十七絃(大正10年)、大胡弓(大正15年頃)、短筝(昭和7年)など、楽器の改良や開発を行っているが、この八十絃こそは先生のたくましい創造精神と並はずれた演奏技巧を物語る記念碑的存在である。

 宮城先生はこの楽器を用いてバッハの《プレリュード》と、自作の《今日の喜び》を独奏したのであるが、当日はさまざまなトラブルが重なって、演奏は思うような出来ではなかった。そのためか、一般の評価も芳しいものではなかった。結局、八十絃はその後二度と用いられることなく、戦災の折に焼失してしまった。
現在【宮城道雄記念館】に陳列されている八十絃は、復元製作されたのである。

ResComment
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かめ: 実は私は技術者なもんで、あの番組の楽器開発の話は楽しく観ました。宮城氏の開発した楽器のサンプルをほかにも見せてくれるともっと面白かったですね。 (11/19 ...no.111)
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のん: そうですね。時間がもっとあればよかったですね。 (11/20 ...no.112)
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フィルパパ: 私もこの放送をみました。アイデアマンだったのですね。 (11/21 ...no.113)
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のん: フィルパパ、宮城先生って明治生まれとは思えないくらいですよね(^^) (11/23 ...no.115)


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